学位論文要旨



No 215366
著者(漢字) 杉谷,隆
著者(英字)
著者(カナ) スギタニ,タカシ
標題(和) 自然保護運動における環境認識
標題(洋)
報告番号 215366
報告番号 乙15366
学位授与日 2002.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15366号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 助教授 松本,淳
内容要旨 要旨を表示する

 本論文にいう環境認識とは,「自然をどう評価するか;どうあるべきと思うか」という価値観を指す。これは,主体の立場によって異なりうるし,思潮として時代的にも変化するものである。本論文は,高度経済成長期以降の現代日本において,市民による自然保護運動の背景となった環境認識を,以下の4つの事例を通して検討した。

 1)福井県大野盆地の地下水保全運動(1970年代〜)

 2)千葉県三芳村の旧農用林の保存運動(1988年〜)

 3)渡良瀬遊水池のアシ原の保全運動(1988年〜)

 4)香川県庁が主催する旧農用林の保全運動(1994年〜)

 これらの運動の保護対象は,隔絶地域の原生林のような原生自然ではなく,人手が加わった自然物である。研究手法としては,現地における地形・植生などの現況調査,運動家や一般市民への聞き取り,参与観察,質問票調査,および文献資料調査を行った。

 大野盆地では,高度経済成長末期の1960年代末から,市街地の家庭浅井戸が枯渇しはじめた。大野市は,繊維工場での節水を要請し一般家庭での地下水融雪を禁止したが,効果は上がらなかった。市民運動家らは地下水保全を主張したが,普遍的な共感は得られなかった。市街地住民は,運動家らも含めて,地下水位が低下すればより深部の地下水を求めて井戸掘り競争を続けた。地下水は,自然環境というよりも自然資源と認識され,争奪の対象となった。

 三芳村では,バブル景気下の1988年にゴルフ場開発計画が持ち上がり,それ以前の1973年から活動を続けていた有機農業・産直運動団体によって,建設反対運動が起こされた。この運動は,立木トラストの手法を採用することで全国から支援を受け,建設計画は1994年に中止された。この運動家や立木購入者には,第二次世界大戦時から戦後のベビーブームにかけて生まれた女性が多く,1970年代後半に消費者運動が盛んになったとき,人生上でも家事,出産,子育てを通じて「環境感性」が高い時期にあった。立木購入者の環境認識の主流は古典的な原生林保護の思想だったが,開発予定地の多くの地権者が,旧農用林の雑木林が照葉樹林へ遷移することを嫌うがゆえに開発を歓迎したことと乖離があった。立木購入者の一部は,1990年代的な旧農用林の保全運動としても支持していた。

 渡良瀬遊水池は,明治期の足尾鉱毒事件の対策として1922年に人工的に造成され,その後の数十年間にアシ原と野生動物からなる湿地生態系が成立した。やはりバブル景気下の1988年に観光開発が始まったため,自然保護団体が広域的に連合して保護運動を起こし,2002年現在で継続中である。運動家らは,人為的に出現した生態系に新たな価値を見いだし,それを人為的に維持することを主張してきた。

 香川県庁が1994年から実施している森林保全運動は,愛称を「どんぐり銀行」といい,行政主導型での新しい保全方法を提示している。森林保全を担っているのは中高年世代で,旧来のアカマツ林が枯死した後の,遷移途中相の落葉広葉樹林を維持しようとしている。この林地には,子供を含む一般市民が訪れて,グリーン・ツーリズムを楽しんでいる。

 大野盆地,三芳村,渡良瀬遊水池,香川県の事例を通じて,その歴史的・社会運動的な性格と,保護運動の背景にある環境認識には関連があることがわかる。

 大野盆地の地下水保全運動は,1970年代に成立し主婦を主体とした点では当時の消費者運動の盛り上がりにも重なっていたが,高度経済成長期に顕著だった公害闘争の形式から脱却できず,運動の発展性も前向きの解決もなかった。大野では地下水が資源でも環境でもある両義性が原理的に拭いきれなかったが,その困難さは,地球温暖化防止のための二酸化炭素排出量削減がなかなか実行されない現在もなお続いているといえる。

 三芳村のゴルフ場開発反対運動は,典型的に1970年代の消費者運動に基礎があり,かつバブル景気下の典型的な自然保護運動に発展した。しかし,関係者である地権者,消費者団体,有機農民,マスメディア,および立木購入者の間で,環境認識には相違が生じたし,公害闘争時からの反資本主義の基調をも遺していた。立木トラストという方法も,土地を買収するわけではないので,緊急発動的手段として認識された。これらの点で,三芳村の運動は1990年代初期の過渡的運動だったといえる。

 渡良瀬遊水池の保全運動でも,運動家らは三芳村の事例と同じく1970-80年代の活動経歴を持っていた。しかし,それが多岐にわたっていたことが運動の視野を広め,生態系保全という学術的に明確な共通目標で結束した点は,現代的といえる。これは,世界的な湿地保全の動きや生物多様性の重視とも重なっていた。しかし,バブル景気下での開発反対運動を経験しなければならなかった点では,初期型とみなされる。渡良瀬遊水池の周辺住民は,湿地やアシ原を無用のもの,さらには子供が立ち入るのは危険な場所と認識してきた。運動家らは,その価値観の逆転をはからねばならなかった点でも,この運動は初期型とすべきである。

 香川県の「どんぐり銀行」は,従来の闘争的な自然保護運動からは,かなりに断絶している。ただし,これに歴史的背景がないわけではなく,保全林地は自然への関心が高まった1970年代に買収されたし,保全作業者には中高年のボランティアが多い。環境認識の面では,雑木林に対する正の価値観がある程度普及していたので,これを所与のものとすることができた。

 現在,原生自然に加えて,人間の管理下にある二次的自然をも尊重する思潮が強くなってきた。本論文で扱った事例を通じても,それは明確に認識されてきている。1990年代には一般の人々も,生態学の植生遷移という一段高い動的レベルで自然を捉え,望ましい自然について議論ができるようになった。このことは,科学思想上,画期的な転換である。

審査要旨 要旨を表示する

 自然保護運動を広義にとらえると,対象となる「自然」が純粋の原生自然から人間の管理下または影響下にある二次的自然に至るまできわめて多様であるし,運動の主体についても,その社会経済的な立場のみならず,環境認識においてもまた多様である。したがって自然保護運動に関する研究方法も多様であるが,本論文は,特に環境認識に着目して,高度成長期以後の日本における自然保護運動の事例を,聞取り,参与観察,質問紙調査,資料調査等によって詳細に分析し,環境認識の多様性とその変化を解明したものである。

 本論文は6章から成る。まず第1章では,自然に対する価値観や自然保護の考え方について批判的に論じることによって本論文の問題意識を示した上で,事例研究によって自然保護運動における環境認識を解明するという,本論文の研究方法を提示した。そして第2章では,日本における環境問題・自然保護運動を歴史的に概観して,それらの特徴が歴史的に変化してきていることを示した。

 第3章では,地下水の汚染・枯渇の問題に起因する地下水保全運動の事例を取り上げ,資源としての認識と環境としての認識との矛盾を中心に分析することによって,資源と環境との両義性に基づく限界と,古典的な公害反対闘争的自然保護運動の限界とを明らかにした。

 第4章では,立木トラスト運動を中心とするゴルフ場建設反対運動の事例を取り上げ,消費者運動や有機農業運動との関係にも着目しつつ,雑木林の保全に対する環境認識の微妙な差異を明らかにすることによって,公害反対闘争的及び原生自然保護運動的な認識から,新しいタイプの里山保全的・農村体験的な認識への過渡的な特徴を持っていることを示した。

 第5章では,人工的に造成された遊水池に生じた湿地生態系の保全運動及び雑木林(里山)の保全運動の事例を取り上げ,生物多様性を中心とする生態系保全の観点に基づく二次的自然の保護という新しいタイプの自然保護運動の特徴を示し,環境認識における価値観の変化を論じた。

 そして第6童では,上記の事例研究の結果に基づいて,環境認識の多様性とその変化の過程を整理するとともに,都市と農村との価値観の共有と,人間の管理下にあり人間と共存する二次的自然への関心という,二つの観点から,今後の自然保護運動の方向を展望した。

 以上のように,本論文は,環境認識の多様性とその変化に着目し,自然保護運動の事例を詳細に分析することによって新たな環境認識に基づく自然保護の方向を明らかにし,貴重な学術的知見を提供した研究として,高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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