学位論文要旨



No 215371
著者(漢字) 松下,範久
著者(英字)
著者(カナ) マツシタ,ノリヒサ
標題(和) 日本産ナラタケの生物学的種の分子分類とその生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 215371
報告番号 乙15371
学位授与日 2002.06.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15371号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 井出,雄二
 東京大学 助教授 福田,健二
 東京大学 助教授 山田,利博
内容要旨 要旨を表示する

 ならたけ病(Armillaria root rot)は,樹木の根および根株を侵して宿主を衰弱・枯死に至らしめる重要な樹木病害であり,世界各地で猛威をふるい,わが国においても,カラマツやヒノキなどの林業上の主要な樹種に対して甚大な被害をもたらしている。従来,本病の病原菌はナラタケ(Armillaria mellea(Vahl:Fr.)Kummer)1種であるとされ,宿主範囲が非常に広く,寄生・腐生・共生と様々な生態的地位をもち,また,形態的特徴や病原性,培養的性質に変異が大きいなど,非常にユニークな性質をもつ「謎に包まれた種」であると考えられてきた。近年,ナラタケが複数の生物学的種(biological species)の集合体であることが明らかにされ,欧米やオーストラリア,ニュージーランド,アフリカにおいて,生物学的種により生理・生態的性質が異なることが明らかにされている。しかし,わが国においては,9種の生物学的種の存在が明らかにされているものの,各種の病原性や生理・生態的性質については依然として解明されていない。そこで,本研究では,まず,日本産ナラタケ属菌類の種について分子分類を用いて識別し,次いで,日本産ナラタケ属菌類の生理・生態を明らかにすることを目的として,わが国最大の被害が発生している青森県東北町のアカマツ人工林において,被害の概要を明らかにするとともに,ナラタケ属菌類の繁殖方法や種間の相互作用,病原性について検討を加えた。

 1.ナラタケ属菌類の分子分類による生物学的種の識別

 ナラタケ属菌類の生物学的種の同定は,既知種の単相(haploid)菌糸と,未知種の単相菌糸または複相(diploid)菌糸との対峙培養における菌叢の形態変化に基づいて行われている。しかし,菌叢の形態変化は不明瞭な場合が多く,また,結果が得られるまでには長期間の培養が必要である。そこで,対峙培養以外の手法を用いたナラタケ属菌類の種の識別方法を確立するために,人工培養基上における子実体形成手法を検討するとともに,アイソザイムパターンおよびRFLP分析による種の識別を試みた。

 人工培養基上での子実体形成には,子実体形成に最適な培地の選抜と,子実体形成に及ぼす温度と光の影響を明らかにする必要がある。培地の検討を行った結果,大麦とブナ鋸屑から成る培地を用いることにより,A.gallica,A.ostoyae,A.mellea,A.tabescensの子実体を形成させることが可能となった。子実体形成が誘導される温度は種により異なっており,各種の最適温度は,A.gallicaが18℃,A.ostoyaeが13〜18℃,A.melleaが13℃,A.tabescensが23〜28℃であった。子実体形成に及ぼす光の影響を検討した結果,ナラタケ属菌類の子実体形成には1,000〜4,000luxの照度の光が最適であると考えられた。

 A.melleaの7菌株について25種類の酵素のアイソザイムパターンを調査した結果,グルタミン酸脱水素酵素(GDH),乳酸脱水素酵素(LDH),アスパラギン酸アミノ基転移酵素(AAT)の3酵素のバンドパターンが明瞭で,種内変異は見られなかった。さらに,日本産ナラタケ属7種68菌株について,これらの3酵素のアイソザイムパターンを調査した結果,GDHとLDHのアイソザイムパターンを組み合わせて用いることにより,7種を識別することが可能であった。GDHとLDHのアイソザイムパターンは,検出されるバンドが明瞭で,しかも,種の識別に用いるためのバンド数は2〜3本と単純であった。また,種の識別に用いた2酵素のバンドパターンは異なる培養条件下でも変化せず,単相菌糸と複相菌糸の間でも差が見られなかったことから,非常に安定した形質であると考えられた。以上のことから,GDHとLDHのアイソザイムパターンによる種の識別方法は,日本産ナラタケ属菌類の簡便な識別方法になり得るものと考えられた。

 一方,PCR(polymerase chain reaction)法により増幅したrDNAのIGS1領域のRFLP分析を行った結果,制限酵素AluI,MspI,あるいはHaeIIIの切断パターンを組み合わせて用いることにより,日本産ナラタケ属菌類の82菌株の種を識別することが可能であった。また,冷凍保存あるいは乾燥標本として保存した子実体組織,冷蔵保存した胞子紋,野外から採集した根状菌糸束や腐朽材についても本方法を用いて種を同定することが可能であった。対峙培養やアイソザイム分析では,培養菌糸体以外の菌体を用いて種を同定することが不可能であったことから,IGS1領域のPCR-RFLP分析による種の識別方法は,日本産ナラタケ属菌類の種を同定するための最も簡便かつ明瞭な方法になり得るものと考えられた。

 2.ならたけ病被害林分におけるナラタケ属菌類の生態

 青森県東北町のアカマツ造林地に発生したならたけ病は,被害面積が600ha以上に達し,20年生前後の造林木の多くが衰弱・枯死するなど,その規模,被害形態ともに他に例を見ない大きさである。

 本被害地におけるならたけ病の病原菌を特定するために,被害林分内に50m×100mの調査地を設定して子実体の種組成の調査を行うとともに,被害林分内から分離した菌株をアカマツの苗木へ接種して,各生物学的種の病原性について検討を加えた。子実体調査の結果,A.gallica,A.ostoyaeおよびA.melleaの3種が調査地内に分布し,A.melleaは調査地内のごく一部に分布しているのに対して,他の2種は調査地内のほぼ全域にわたって分布しており,この2種が本調査地の優占種であると考えられた。A.gallicaでは,地上や広葉樹伐根からの子実体発生が最も多く,全体の79.5%を占めていた。A.ostoyaeでは,アカマツ枯死木や伐根からの発生が最も多く,全体の39.5%を占めており,スギ生立木や枯死木からの子実体発生も確認された。A.melleaは,広葉樹伐根からの子実体発生が多かったが,アカマツ枯死木からの発生も確認された。アカマツの苗木に対する接種試験の結果,A.gallica接種区では,土壌中への根状菌糸束の伸長が観察されたものの,アカマツヘの感染は認められなかった。一方,A.ostoyae接種区では7割以上の個体への感染が認められ,枯死した個体も多く観察された。また,A.mellea接種区では,5割以上の個体への感染が認められたが,枯死した個体は少数であった。

 以上の結果から,A.ostoyaeはアカマツやスギに対する病原性が強く,本被害地の主要な病原菌であると考えられた。また,A.ostoyaeよりは病原性が弱いものの,A.melleaも本被害の病原菌の1種であると推測された。一方,A.gallicaのアカマツに対する病原性は非常に弱いものと考えられた。

 被害林分におけるナラタケ属菌類の種間の相互作用や繁殖様式を明らかにするために,調査地内における各種のジェネットの分布域を調査した。その結果,A.gallicaとA.ostoyaeにおいては,複数のジェネットの分布が確認された。これらの2種は,同種内のジェネット同士は互いにほとんど重なり合わずに分布し,異種間のジェネット同士は互いに多くの場所で重なり合って分布していた。このことから,同種内のジェネット同士は生態的地位が一致するためにジェネット間で競争が生じ,異種間のジェネット同士では生態的地位が異なるためにすみ分けをしているものと推測された。A.gallicaとA.ostoyaeのジェネットは,最大幅が10mを越える大きさのものが調査地内に存在していたことから,これらの2種では,毎年大量の胞子を散布しているにもかかわらず,無性的に分布域を拡大していると考えられた。本被害の主要な病原菌であるA.ostoyaeのジェネットの定着時期を推定した結果,本菌が定着したのは被害発生以前であり,被害が拡大した時期には,既に被害地内の広範囲にわたり本菌が分布していたものと考えられた。

 以上ように,本論文では,分子分類により日本産ナラタケの生物学的種の識別法を確立した。また,その生態については,アカマツに対する病原性がA.ostoyaeとA.melleaでは強く,A.gallicaでは弱いことが明らかにされた。さらに,A.gallicaとA.ostoyaeは無性的な方法により分布を拡大しており,種内のジェネット同士は互いに重なり合わずに,また,種間のジェネット同士は重なり合いながら林分内に分布していることなどの生態的性質の詳細が明らかにされた。

審査要旨 要旨を表示する

 ならたけ病は、樹木の根および根株を侵して宿主を衰弱・枯死に至らせる樹木病害で、世界各地で猛威をふるい、わが国においてもカラマツやヒノキなどの林業上の主要な樹種に対して甚大な被害をもたらしている。本病の病原菌は、ナラタケ(Armillaria mellea(Vahl:Fr.)Kummer)1種であるとされていたが、近年、ナラタケが複数の生物学的種の集合体であることが明らかにされた。しかし、わが国においては、生物学的種9種の存在が明らかにされているものの、その病原性や生理・生態的性質は依然として明らかでない。

 本論文は、日本産ナラタケ属菌類について、分子分類に基づいて識別し、その生理・生態的性質を明らかにしたもので、4章よりなっている。

 第1章は、序論にあてられ、わが国および世界のナラタケ属菌類の生物学的種とならたけ病被害について既往の研究成果がとりまとめられている。

 第2章では、ナラタケ属菌類の生物学的種について、まず、形態的識別と人工培養基上における子実体形成方法、アイソザイムパターンおよびRFLP分析による種の識別法について明らかにされた。

 人工培養基上での子実体形成には、大麦とブナ鋸屑から成る培地を用いることにより、A.gallica、A.ostoyae,A.mellea,A.tabescensの子実体を形成させることが可能となった。また、子実体形成が誘導される最適温度は種により異なっており、それぞれ18℃、13〜18℃、13℃、23〜28℃であった。

 アイソザイムパターンによる種の識別では、A.melleaの7菌株について25種類の酵素のアイソザイムパターンを調べた結果、グルタミン酸脱水素酵素(GDH)、乳酸脱水素酵素(LDH)、アスパラギン酸アミノ基転移酵素(AAT)の3酵素のバンドパターンが明瞭で種内変異は見られなかったことから、日本産ナラタケ属7種68菌株についてこれらのアイソザイムパターンを調べた。その結果、GDHとLDHのアイソザイムパターンは、日本産ナラタケ属菌類の簡便な識別方法になり得るものと考えられた。

 一方、PCR(polymerase chain reaction)法により増幅したrDNAのIGS1領域のRFLP分析を行った結果、制限酵素AluI,MspI、あるいはHaeIIIの切断パターンを組み合わせて用いて、日本産ナラタケ属菌類の82菌株の種を識別することができた。また、乾燥標本、根状菌糸束、腐朽材などの様々な試料についても本法を用いて種を同定することが可能であったことから、IGS1領域のPCR-RFLP分析による種の識別方法は日本産ナラタケ属菌類の種を同定するための最も簡便かつ明瞭な方法になり得るものと考えられた。

 第3章では、ならたけ病被害面積が600ha以上に及ぶ青森県東北町のアカマツ造林地におけるナラタケ属菌類の生態について、種組成、ジェネットの分布様式、およびナラタケ属菌類の病原性について明らかにされた。

 被害林分内に50m×100mの調査地を設定して精査した結果、A.gallica、A.ostoyae、A.melleaの3種が調査地内に分布し、前者2種が調査地内のほぼ全域にわたって優占していた。被害林分におけるナラタケ属菌類のジェネットの分布様式は、A.gallicaとA.ostoyaeでは複数のジェネットが同種内のジェネット同士ではお互いにほとんど重なり合わずに分布していた。このことから、同種内のジェネット同士は生態的地位が一致するためにジェネット間で競争が生じているものと推測された。また、これらのジェネットは最大幅が70-80mに達する大きさのものが存在していたことから、これらの2種では、毎年大量の胞子を散布しているにもかかわらず、無性的に分布域を拡大しているものと考えられた。

 アカマツの苗木に対する接種試験の結果、A.ostoyaeはアカマツやスギに対する病原性が強く、本被害地の主要な病原菌であると考えられた。また、A.melleaはA.ostoyaeよりは病原性が弱いものの、本被害の病原菌の1種であると推測された。

 第4章では、わが国および世界のナラタケ属菌の分類および生理・生態的性質について総合的に考察された。

 以上を要するに、本論文は分子分類に基づき日本産ナラタケの生物学的種の識別法を確立し、その生理・生態的性質について明らかにしたもので、学術上、応用上、貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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