学位論文要旨



No 215374
著者(漢字) 角田,誠
著者(英字)
著者(カナ) ツノダ,マコト
標題(和) 血圧調節におけるカテコールアミンのメチル化代謝に関する研究
標題(洋)
報告番号 215374
報告番号 乙15374
学位授与日 2002.06.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15374号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 松木,則夫
内容要旨 要旨を表示する

<序>

 生命現象を真に理解するためには、生物のハードとしてのゲノムが、どのようなソフトによって機能を発揮しているのかを明らかにすることが必要である。ポストシークエンス時代において、トランスクリプトーム(mRNA)解析、プロテオーム(タンパク質)解析と並び、メタボローム(代謝物)解析の重要性が増してきている。私は、機能を担う生体分子の細胞、組織、器官、個体レベルにおける変動を、生物の機能と関連させて解析することによって、生命の本質である調節機能を理解できるのではないか、と考えた。そこで、血圧調節機能に着目し、血圧調節に関わる生体分子代謝物の個体レベルにおける変動を測定できる分析法を構築し、それらの量的変動と血圧の関連を追求することによって、その機能の解明を目指した。

 血圧調節には、多くの機構が関わっており、中でも、交感神経系が重要な役割を果たしていることが知られている。カテコールアミンは、神経伝達物質や循環血中のホルモンとして血圧調節に関与しており、生体内濃度変動は、合成、神経終末からの放出、神経終末への再取り込み、代謝などにより制御されている。

 これまでの血圧調節におけるカテコールアミンの役割に関する研究から、高血圧の成因としてカテコールアミンが重要であると報告されているものの、その代謝と血圧調節の関連を追求する研究はほとんど報告されていない。カテコールアミンは、monoamine oxidaseとcatechol-O-methyltransferase(COMT)の2つの酵素により代謝、不活性化される。本研究で、私は、血圧調節におけるカテコールアミンのCOMTによるメチル化代謝(Fig. 1)の役割を、ラットをモデル動物として用い、カテコールアミンとそれらの3-O-メチル代謝物の変動追跡により明らかにすべく、研究を行った。

1.カテコールアミン及びそれらの3-O-メチル代謝物の高感度同時分析法の開発

 血圧調節における個体レベルでのカテコールアミンのメチル化代謝の役割を把握するためには、血中カテコールアミン及びそれらの3-O-メチル代謝物を同時に定量する必要があると考えた。そこで、これまでにPradosらにより開発されたHPLC-過シュウ酸エステル化学発光検出法を用いたカテコールアミン分析法を改良して用いることにした。この分析法は、弱酸性陽イオン交換カラムとカラムスイッチング法を用いてオンラインで試料の前処理を行い、ODSカラムでカテコールアミンを分離した後、カテコール環に特有なエチレンジアミンとの蛍光誘導体化反応を行い、TDPOと過酸化水素を用いた過シュウ酸エステル化学発光検出するという方法である。カテコールアミンの3-O-メチル代謝物をオンラインで電気化学的に酸化し、o-キノン体に導くことによりエチレンジアミンと反応させ、カテコールアミンと同様に検出できるのではないかと考えた。そこで、従来のカテコールアミン分析法に電気化学的酸化を組み込むことにより、カテコールアミン及びそれらの3-O-メチル代謝物の同時分析法を開発することを試みた。

 内部標準物質として選択した4-メトキシチラミン(4-MT)を含めた7種化合物は、60分以内に十分な分離が達成された(Fig. 2(a))。ラット血漿50μlに適用したところ、3-MTを除く5種のカテコールアミン類の定量が可能であった(Fig. 2(b))。カテコールアミン類の定量値は、それぞれ、NE:1.05±0.03、E:0.64±0.02、DA:0.19±0.01、NMN:0.51±0.02、MN:0.26±0.01pmol/ml(mean±SEM、n=3)であり、文献値と同等であった。開発した分析法のバリデーションを行った結果、検量線、精度、真度ともに良好であった。検出限界は、3-10fmol程度であり、従来の分析法に比べ、10倍以上高感度化が達成された。必要な血漿量は、50μlと従来の報告の10分の1以下で済むことから、採決による生体への影響を最小限に抑えることが可能になった。

2.高血圧自然発症ラット(SHR)と正常血圧ラット(WKYラット)における血圧降下時のカテコールアミンのメチル化代謝能の比較

 降圧薬(ここではCa拮抗薬であるベニジピン)投与時、圧受容体反射を介し、交感神経末端より放出されたNEは、生体にとって血圧上昇要因であり、代謝・不活性化するようにCOMTが働くことにより、NMN濃度が増加する、と考えた。この血中NE濃度とNMN濃度の変動を捉えることにより、血圧調節における個体レベルでのカテコールアミンのメチル化代謝能を明らかにできるのではないかと考えた。ベニジピン投与により、段階的に血圧を降下させたとき、血中NE濃度とNMN濃度の上昇がみられた。横軸に血中NE濃度、縦軸に血中NMN濃度をプロットすると、両濃度には、良好な直線性があり、その傾きは、個体レベルにおけるカテコールアミンのメチル化代謝能を表していると考えられた。SHRとWKYラットにおいて、この傾きを比較すると、SHRの方がWKYラットに比べて有意に小さいことが明らかになった(p<0.05)(Fig. 3)。このことから、SHRにおいて、個体レベルにおけるカテコールアミンのメチル化代謝能が減弱していることが示唆された。

3.S-adenosyl-L-methionine(SAMe)投与による血圧及び血中NE、NMN濃度への影響

 上述の結果は、カテコールアミンのCOMTによるメチル化代謝を亢進させることにより、血圧を降下させることが出来る可能性を示唆している。COMTの活性化物質は知られていないことから、COMTの補酵素であるSAMe 1mg/kgをSHRに静脈内投与した。その結果、有意な血圧の降下がみられた。SAMe投与前後の血中NE、NMN濃度を定量したところ、血中NE濃度の有意な低下と血中NMN濃度の有意な増加がみられた。この結果は、SAMe投与によりNEからNMNへのCOMTによる酵素反応の亢進により、血中NE濃度が低下し、血圧が降下したことを支持するものである。

4.カテコールアミンを基質としたCOMT活性測定法の確立

 SHRにおける個体レベルでのカテコールアミンのメチル化代謝能減弱が明らかになったことから、どの組織におけるCOMT活性が低下しているのかを明らかにしようと考えた。これまでにCOMT活性測定法は、数多く報告されているものの、dihydroxybenzoic acid(DBA)などの非生理的基質が多く使われており、生体内におけるカテコールアミンのメチル化代謝を正しく捉えることが困難であると考えられた。そこで、カテコールアミンを基質としたCOMT活性測定法を確立することにした。

 COMTには、soluble(S)-COMTとmembrane-bound(MB)-COMTの2つのアイソザイムが存在する。そこで、ラット赤血球をサンプルとして用い、2つのアイソザイムについて最適条件の検討を行った。S-COMT画分については、蛍光検出での測定が可能であった。しかしながら、MB-COMT画分については、蛍光検出での反応生成物の定量が感度不足により困難であり、化学発光検出する必要があった。至適反応条件下、酵素活性を算出した(Table 1)。カテコールアミンのCOMTに対する親和性を算出したところ、MB-COMTに対する親和性が、S-COMTに対する親和性の20-60倍ほど高かった。DBAを基質としたときには、S-とMB-COMTに対する親和性はほぼ同じであり、この結果は、カテコールアミンのメチル化代謝には、S-COMTよりもMB-COMTが重要な役割を果たしていることを示唆するものであると考えられる。ラット肝臓、腎臓サンプルについても同様に酵素反応条件の最適化を行い、カテコールアミンを基質としたCOMT活性測定法を確立した。

5.SHRとWKYラットにおける肝臓、腎臓及び赤血球中COMT活性と肝臓中COMTタンパク量の比較

 SHRにおけるカテコールアミンのメチル化代謝能減弱の原因がどの組織のCOMT活性に起因するのかを明らかにするために、4.で開発したCOMT活性測定法を用いて、SHRとWKYラットにおける肝臓、腎臓及び赤血球中COMT活性を測定した。その結果、肝臓のMB-COMT活性のみが、WKYラットに比し、SHRにおいて低下していた(Table 1)。この結果より、肝臓に着目し、Western-blotting法により、SHRとWKYラットにおけるCOMTタンパク量の比較を行ったところ、活性の結果と同様に、MB-COMTタンパク量が、SHRにおいて低下していた。SHRにおいてWKYラットと比べてS-COMTのタンパク量が増加し、一方MB-COMTは低下していたこと、S-COMTとMB-COMTは同一遺伝子より転写・翻訳され生成することから、転写・翻訳レベルにおいて、SHRでは、何らかの障害があるものと考えられる。SHRにおける肝臓のMB-COMT活性とタンパク量の低下は、個体レベルでのSHRにおけるカテコールアミンのメチル化代謝減弱の結果と一致しており、肝臓のMB-COMTが、循環カテコールアミンの代謝に重要な役割を果たしていることを示唆するものである。

<総括>

 本研究において、私は、これまでより更に高感度な分析法を開発すると共に、血圧調節機能におけるカテコールアミンのメチル化代謝を、個体レベルにおける分子変動を追跡することにより初めて明らかにした。このように、カテコールアミンのメチル化代謝は、血圧調節におけるカテコールアミンの生体内濃度調節に関わっていると考えられ、今後、より詳細な局所レベルでの調節機構の解明が期待される。さらに、本研究は、個体レベルにおける代謝物の変動を機能と関連付けて解析することが有用であることを明らかにしたことから、今後、このような研究の発展が期待される。

Fig.1 Metabolic pathway of catecholamines by COMT

Fig.2 Chromatograms (a) of a standard mixture of catecholamines (each 250 fmol) and their 3-O-methylmetabolites, and (b) obtained from 50μl rat plasma sample. Peaks:1;NE,2;E,3;NMN,4;DA,5;MN,6;3-MT,7;4-MT(IS).

Fig.3 Relationship between plasma NE and NMN concentrations in the face of an acute hypotension.

Table 1 Liver, kidney and erythrocyte S- and MB-COMT activities in SHR and WKY rats

The values represent the mean±SEM(nmol/min/mg protein),n=5

審査要旨 要旨を表示する

 ポストシークエンス時代において、トランスクリプトーム(mRNA)解析、プロテオーム(タンパク質)解析と並び、メタボローム(代謝物)解析の重要性が増してきている。角田誠君は、機能を担う生体分子の細胞、組織、器官、個体レベルにおける変動を、生物の機能と関連させて解析することによって、生命の本質である調節機能を理解できるのではないかと考えた。そこで、血圧調節機能に着目し、血圧調節に関わる生体分子代謝物の個体レベルにおける変動を測定できる分析法を構築し、それらの量的変動と血圧の関連を追求することによって、その機能の解明を目指した。血圧調節には多くの生体分子が関与しているが、同君は、これまで着目されてこなかったカテコールアミンのcatechol-O-methyltransferase(COMT)によるメチル化代謝の役割を、ラットをモデル動物として用い、カテコールアミンとそれらの3-O-メチル代謝物の変動追跡により明らかにすべく研究を行った。

1.血圧調節における個体レベルでのカテコールアミンのメチル化代謝の役割を把握するためには、血中カテコールアミン及びそれらの3-O-メチル代謝物を同時に定量する必要がある。これまでに当研究室で開発されたHPLC-過シュウ酸エステル化学発光検出法を用いたカテコールアミン分析法を改良して用いた。この分析法は、弱酸性陽イオン交換カラムとカラムスイッチング法を用いてオンラインで試料の前処理を行い、ODSカラムでカテコールアミンを分離した後、カテコール環に特有なエチレンジアミンとの蛍光誘導体化反応を行い、TDPOと過酸化水素を用いた過シュウ酸エステル化学発光検出するという方法である。カテコールアミンの3-O-メチル代謝物は、この分析法においてカテコールアミンと同様に抽出されODSカラムで分離される。従って、カラムの後に電解酸化装置を組み込み、オンラインで酸化し、o-キノン体に導くことによりエチレンジアミンと反応させ、カテコールアミンと同様に検出できるのではないかと予測し検討したところ、内標準の4-メトキシチラミンを含めた7種化合物の分離、検出が可能であった。本法は従来法の10分の1以下のラット血漿50μlでカテコールアミン類の定量が可能であり、採血による生体の交感神経系への影響を最小限に抑えることが可能となった。開発した分析法のバリデーションを行った結果、検量線、精度、真度ともに良好であった。検出限界は、3-10fmol程度であった。

2.降圧薬投与時、交感神経末端より放出されたNE(ノルエピネフリン)は生体にとっては血圧上昇要因であり、これを抑制する機構がある。NEはCOMTの働きによりNMN(ノルメタネフリン)へと代謝、不活性化されるので、この血中NE濃度とNMN濃度の変動を捉えることにより、血圧調節におけるカテコールアミンのメチル化代謝の役割を明らかにできると思われた。ベニジピン投与により段階的に血圧を降下させたとき、血中NE濃度とNMN濃度の上昇がみられ、横軸に血中NE濃度、縦軸に血中NMN濃度をプロットすると、両濃度には良好な直線性があり、その傾きはカテコールアミンのメチル化代謝能を表していると考えられた。高血圧自然発症ラット(SHR)とWistar-Kyoto(WKY)ラットにおいてこの傾きを比較すると、SHRの方がWKYラットに比し有意に緩やかであった。この関係はE(エピネフリン)とMN(メタネフリン)についても得られており、これらのことから、SHRにおいて個体レベルにおけるカテコールアミンのメチル化代謝能が減弱していることが初めて示唆された。

3.この結果は、カテコールアミンのCOMTによるメチル化代謝を亢進させることにより血圧を降下させることが出来る可能性を示唆している。COMTの活性化物質は知られていないことから、COMTの補酵素であるS-adenosyl-L-methionine(SAMe)1mg/kgをSHRに静脈内投与したところ、有意な血圧の降下がみられた。SAMe投与前後の血中NE、NMN濃度を定量すると、血中NE濃度の有意な低下と血中NMN濃度の有意な増加がみられた。これはSAMe投与によりNEからNMNへのCOMTによる酵素反応が亢進し、血中NE濃度が低下し、血圧が降下したことを支持するものである。

4.次いで、SHRにおける個体レベルでのカテコールアミンのメチル化代謝能減弱が、どの組織のCOMT活性低下に由来するかを明らかにしようとした。従来のCOMT活性測定法は、dihydroxybenzoic acidなどの非生理的基質が多く使われており、生体内におけるカテコールアミンのメチル化代謝を正しく捉えることが困難であると考えられたため、カテコールアミンを基質としたCOMT活性測定法を確立することとし、soluble(S)-COMTとmembrane-bound(MB)-COMTの2つのアイソザイムについて最適条件の検討を行った。酵素反応条件については、至適pH、反応時間の直線性、酵素量の直線性を求め、至適反応条件下、酵素活性を算出した。カテコールアミンのラット赤血球COMTに対する親和性を算出したところ、MB-COMTに対する親和性がS-COMTに対する親和性の20-60倍ほど高かった。この結果は、カテコールアミンのメチル化代謝にはS-COMTよりもMB-COMTが重要な役割を果たしていることを示唆するものである。

5.開発したCOMT活性測定法を用いて、SHRとWKYラットにおける肝臓、腎臓及び赤血球中COMT活性を測定した。その結果、肝臓のMB-COMT活性のみがWKYラットに比しSHRにおいて低下していた。この結果を基に、肝臓に着目し、Western-blotting法によりSHRとWKYラットにおける肝COMTタンパク量の比較を行ったところ、活性の結果と同様にMB-COMTタンパク量がSHRにおいて低下していた。SHRにおいてWKYラットと比較しS-COMTのタンパク量が増加し、一方MB-COMTは低下していたこと、S-COMTとMB-COMTは同一遺伝子より転写・翻訳され生成することから、転写・翻訳レベルにおいてSHRでは何らかの障害があるものと考えられる。SHRにおける肝臓のMB-COMT活性とタンパク量の低下は、個体レベルでのSHRにおけるカテコールアミンのメチル化代謝減弱の結果と一致しており、肝臓のMB-COMTが循環カテコールアミンの代謝に重要な役割を果たしていることを示唆するものである。

 以上のように、角田誠君は本研究においてカテコールアミン代謝系の従来法よりも更に高感度な分析法を開発すると共に、血圧調節機能におけるカテコールアミンのメチル化代謝の役割を、個体レベルにおける分子変動を追跡することにより初めて明らかにした。カテコールアミンのメチル化代謝は、血圧調節におけるカテコールアミンの生体内濃度調節に関わっていると考えられ、今後、より詳細な局所レベルでの調節機構の解明が期待される。

 以上、本研究は個体レベルにおける代謝物の変動を機能と関連付けて解析することが有用であることを明らかにした研究であり、博士(薬学)に相応しいと認めた。

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