学位論文要旨



No 215382
著者(漢字) 新井,徹
著者(英字)
著者(カナ) アライ,トオル
標題(和) VSV-Gシュードタイプレトロウイルスベクター産生細胞株の樹立とシュードタイプウイルスベクターのウイルス学的特性
標題(洋) Establishment of pre-packaging cell lines for vesicular stomatitis virus G protein-pseudotyped retrovirus vector and virological properties of the pseudotyped vector
報告番号 215382
報告番号 乙15382
学位授与日 2002.06.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15382号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 助教授 田中,廣壽
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
内容要旨 要旨を表示する

 (序論)遺伝子をヒト細胞へ安定に効率よく導入することは、基礎医科学研究の重要な基盤技術であると共に遺伝子治療においても重要な技術である。レトロウイルスベクターによる遺伝子導入は、細胞染色体中へ遺伝子を導入することができ、その発現量も高いため繁用されてきた。しかしこれまで遺伝子導入用レトロウイルスベクターとして用いられてきたアンフォトロピックウイルスベクターでは、一般にヒト細胞への遺伝子導入率が低く大きな障害となっていた。これらの点を改善するものとして水泡性口内炎ウイルスのGタンパク質(VSV-G)をエンベロープの代わりに使用したジュードタイプレトロウイルスベクターが報告されている。このシュードタイプベクターは遠心により濃縮することができ、アンフォトロピックベクターでは遺伝子導入が不十分であったヒトを含め、その他多種の細胞にも高率な遺伝子導入が行えるとされている。しかし持続的にシュードタイプベクターを産生するパッケージング細胞は、VSV-G自体の細胞障害性のため、樹立が困難とされてきた。そこで本論文ではCreリコンビナーゼによるloxP配列間の部位特異的組み換えを利用してVSV-Gの発現を厳密に制御することで、高力価のシュードタイプベクターを産生する細胞株を樹立することを目的とし、同時に産生されるシュードタイプベクターのウイルス学的特性を解析することとした。

 (結果・討論)通常のパッケージング細胞樹立のためにはgag,pol,env及びベクターDNAの発現が必要である。シュードタイプベクターのパッケージング細胞株樹立のためにはenvの代わりに使用するVSV-Gの発現によるパッケージング細胞への障害を防ぐために、VSV-Gの発現制御を厳密に行うことが必要と考えられた。そのため図1の細胞の最上段のプラスミド(pCALNdLG)を作製した。この発現ユニットでは、細胞維持の際にはCAGプロモーターによりネオマイシン耐性遺伝子(neor)が転写されるが、その直後のpolyA付加シグナルにより転写は終結し、VSV-Gは発現しない。シュードタイプベクターの調製時にはアデノウイルスベクターによりCreリコンビナーゼを細胞に導入し、neorをはさむ二つのloxP配列間で部位特異的組み換えを起こさせることでneorを染色体内から切り出しVSV-Gの発現を誘導するように設計されている。

 ここでpCALNdLG中のneorの3'-非翻訳領域にmRNA不安定化配列を挿入した。このことによりneor転写産物を意図的に減少させると、転写活性が弱い細胞は薬剤耐性とはならず、プロモーター活性が強い細胞のみが選択されることが期待され、Cre recombinase導入後のVSV-G産生量が高い細胞が効率よく選択できると考えた。

 gag,polを安定に発現するヒト線維芽細胞であるFLY細胞にpCALNdLGをトランスフェクションにより導入し、ネオマイシン誘導体であるG418により合計255クローンを選択した。これらのクローンについて免疫染色を行ってVSV-G高発現クローンを26個選択した。またmRNA不安定化配列の効果を調べるためにこの配列を含まないプラスミドpCALNLGも同様に別のFLY細胞に導入し、その中で最もVSV-Gを高発現したクローン(PtG-L1)も加え、以下の実験を行った。

 各クローンの一部に対してアンフォトロピックベクターを用いてβ-galactosidase(lacZ)をコードするマウス白血病ウイルス(MLV)を基盤とするベクターDNA(MFGnlslacZ)を導入し、ここヘアデノウイルスベクターによりCreリコンビナーゼを導入後、産生されてくるシュードタイプベクターの力価をlacZによる発色を指標に測定した。このうちPtG-S2と名付けられたクローンはCreリコンビナーゼ導入3日後から再現性良く106感染粒子/mlのシュードタイプベクターを産生し、このクローンについてさらに解析を行った。

 PtG-S2細胞の染色体DNAの構造をサザンブロットで解析したところCreリコンビナーゼ導入4日後でneorが染色体から期待通りに切り出されていることが示された。この時のNeor,VSV-Gの発現をウェスタンブロットで解析したところCreリコンビナーゼ導入4日後で発現がNeorからVSV-Gに完全に切り替わっていることが示された。またmRNA不安定化配列を含むクローン(PtG-S2)と含まないクローン(PtG-L1)のNeorとVSV-Gの発現量の比較から、mRNA不安定化配列はコードするタンパク発現量を1/20から1/30程度に減少させることが判明し、この配列はVSV-Gの強発現を誘導するクローンの選択に極めて有効であることが示された。

 MFGnlslacZを含むPtG-S2細胞に対してCreリコンビナーゼを導入し産生されるシュードタイプベクターの力価をlagZ活性を指標に経時的に測定した(図2)。Creリコンビナーゼを導入しない場合シュードタイプベクターは全く産生されないのに対して、導入したものではその後3から5日の間に連日106感染粒子/mlのシュードタイプベクターが再現性良く回収された。この能力は10ヶ月間培養した後にも安定に保持されており、そこから産生された5x106感染粒子中には複製能完備型ウイルス及びアデノウイルスベクターの混入はなかった。

 目的とするパッケージング細胞(PtG-S2)が得られたため、そこから産生されたVSV-Gシュードタイプレトロウイルスベクターの性質をさらに解析した。ラット線維芽細胞(3Y1)に対してlacZを導入するシュードタイプベクターとアンフォトロピックベクターを用いて種々のMOIで遺伝子導入を行った後、lacZを発現する細胞の割合を調べた(図3)。その結果シュードタイプベクターではポアソン分布により予想される導入効率とほぼ同等の遺伝子導入が可能であり、その結果は超遠心濃縮操作の有無に依らなかった。しかしアンフォトロピックベクターでは低MOIではポアソン分布による予想と合致するものの、0.3以上のMOIでは導入効率は頭打ちもしくは減少することが明らかにされた。これらの性質は他の線維芽細胞(NIH3T3)、ヒト固形癌細胞株(MIAPaCa-2)でも同様であった。

 この原因を調べるためにベクターDNAを含まないアンフォトロピックベクター産生細胞の上清を共存させたところ、低MOIでもアンフォトロピックベクターによるlacZ遺伝子導入効率がさらに減少した。そのため上清に含まれる遺伝子導入能力のない粒子および可溶性のアンフォトロピックエンベロープタンパクが、導入細胞上の受容体に対して競合することが、前述の頭打ちの原因であることが示唆された。一方VSV-Gの受容体は細胞表面に大量に存在するフォスファチジルイノシトールなどの陰性脂質であるために、このような競合を受けず用量依存的な遺伝子導入を行うものと考えられる。

 (展望)本研究の成果から産生されたシュードタイプベクターは、一回の遺伝子導入によりヒト単層培養細胞のほぼ全細胞に遺伝子導入を行うことがあり、さらに用量を変えることにより細胞当たりの導入遺伝子のコピー数を制御できることが判明した。これまでに樹立したPtG-S2細胞を用いて天然の癌抑制遺伝子であるp53,patchedやAP-1活性を阻害するドミナントネガティブ変異体(supjunD-1)などを発現するシュードタイプベクターが作成され、実際に幅広いヒト培養固形癌細胞株の発癌性を抑制することが示されている。複製能完備型ウイルスを一切含まない安全なVSV-Gシュードタイプウイルスベクターを高力価で産生させる上で、この系は現在世界最高水準にあり、今後の利用・発展が望まれる。

図1:シュードタイプベクター産生細胞の概念図

図2:PtG-S2からのシュードタイプベクターの産生

図3:MOIと遺伝子導入された細胞の割合の関係

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は増殖する広範な種の細胞に対して遺伝子を効率よく導入する方法を確立するために、VSV-G(水胞性口内炎ウイルスのGタンパク質)をエンベロープタンパクの代わりに用いるシュードタイプレトロウイルスベクター産生系の樹立とシュードタイプベクターのウイルス学的特性の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.安定したレトロウイルスベクター産生細胞の樹立には、gag,pol,envと導入遺伝子を含むベクターDNAの発現が必要であるが、envの代替とするVSV-Gの恒常的な発現では細胞障害性が示されることが知られていた。そのためCreリコンビナーゼによるloxP配列の部位特異的組換えを利用して、VSV-Gの発現を厳密に制御した発現誘導ユニットを構築し、gag,polを発現する細胞(FLY)に導入した。クローン選択の結果、Creリコンビナーゼの導入によりVSV-Gシュードタイプベクターを高産生するパッケージング細胞株(PtG-S2)を樹立した。

 2.PtG-S2の性質を解析するためにβ-galactosidaseを含むベクターDNAを導入したところ、VSV-Gの発現は厳密に制御されており誘導前には全くシュードタイプベクターを産生しない一方で誘導後数日で106感染粒子(IU)/mlという実用上充分な産生量が得られた。このシュードタイプベクターは超遠心操作により109感染粒子IU/mlまで濃縮可能であり、5x106IU/ml中に自己増殖可能な組換えベクターは含まれていなかった。

 3.VSV-G高産生誘導株を効率よく選択するために、発現誘導ユニット中の薬剤耐性遺伝子の3'-非翻訳領域にmRNA不安定化配列を導入した。このことにより薬剤耐性遺伝子産物は1/30程度に減少し、プロモーター活性の弱い細胞は選択薬剤により淘汰させることで、Creリコンビナーゼによる誘導後には同一プロモーターにより発現されるVSV-Gが高発現するクローンを効率よく選択することができた。

 4.β-galactosidaseを含むベクターDNAを導入したPtG-S2から産生されたVSV-Gシュードタイプベクターによる遺伝子導入のウイルス学的性質をβ-galactosidase導入を指標として調べたところ、繊維芽細胞・ヒト固形癌細胞など3種の細胞株に対して用量依存的な遺伝子導入が可能であった。この導入は、細胞とウイルスベクターが制限なくランダムに遺伝子導入をする時に予想されるPoisson分布による用量依存性と近似していた。またこの遺伝子導入性状は超遠心濃縮に影響されるものではなく、VSV-Gシュードタイプベクターの特性であると考えられた。

 5.従来、遺伝子導入方法として汎用されてきたアンフォトロピックエンベロープをenvとして用いるアンフォトロピックベクターでは、全細胞に遺伝子導入することができないことが多いことが報告されていた。前項と同時に遺伝子導入の用量依存性を調べたところ低用量では用量依存的な導入が見られたが、高用量では導入の頭打ちもしくは低下が見られた。この原因はウイルスベクター溶液中に含まれる多量の可溶性のアンフォトロピックエンベロープタンパクおよび非感染粒子が、導入細胞上の受容体と結合することにより感染粒子による遺伝子導入効率を低下させると考えられた。

 6.VSV-Gによる遺伝子導入は制限なく行われていると考えられたため、通常のレトロウイルスで見られる干渉現象(レトロウイルス産生細胞上では受容体がエンベロープと結合しているために、同一エンベロープを持つレトロウイルスは感染しないという現象)が見られるかを検討した。第4項から予想されるとおりVSV-Gシュードタイプベクターは干渉現象は見られなかった。

 以上、本論文は高効率の遺伝子導入を可能とするVSV-Gシュードタイプベクターの産生系を樹立すると共にそのウイルス学的特性を明らかにしたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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