学位論文要旨



No 215384
著者(漢字) 一石,典子
著者(英字)
著者(カナ) イチイシ,ノリコ
標題(和) 硬膜外オピオイド(フェンタニル、ブトルファノール、ペンタゾシン)の術後の痛みと呼吸に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 215384
報告番号 乙15384
学位授与日 2002.06.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15384号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 助教授 渡辺,聡明
 東京大学 講師 林田,真和
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 上腹部開腹手術後は術後痛、麻酔薬の残存、手術手技、横隔膜機能の低下などにより呼吸機能が低下する。特に近年、手術や麻酔の高度化に伴って、高齢者や低肺機能症例が大きな上腹部開腹術を受ける機会が増し、特にこのようなハイリスクの症例において術中術後の呼吸管理がますます重要な意味を持ってきている。術後痛が上腹部手術後の合併症の発生に太さく関与することから、様々な術後鎮痛法が、術後合併症の発生率を改善しないか検討されてきた。その中で唯一硬膜外鎮痛が、特にハイリスク症例における術後合併症の発生を減少させ得ることが明らかになってきた。術後硬膜外鎮痛には局所麻酔薬とオピオイドの併用が主に用いられているが、オピオイドは創部痛の抑制により術後の呼吸機能を改善する可能性がある一方、オピオイド特有の呼吸抑制作用によりこれらを悪化する可能性もある。したがって硬膜外腔に投与されたオピオイドが上腹部手術後の呼吸機能にいかに影響するかを検討することは大きな臨床的意義を持つ。RIP(Respiratory inductive plethysmography)は現在最も広く受け入れられている定量可能な無侵襲換気量測定法であり、呼吸機能を胸部呼吸筋による呼吸機能と、横隔膜による呼吸機能とに分離して定量できる。今回、硬膜外投与された脂溶性オピオイドの鎮痛効果と術後の呼吸におよぼす影響をRIPを用いて検討した。

対象及び方法

 20歳から70歳までの合併症のない上腹部手術患者を対象とした。入室後Th7-8,8-9,9-10に硬膜外カテーテルを留置した。チオペンタール5mg/kg、臭化ベクロニウム1.5mg/kg投与にて麻酔導入、気管内挿管し、麻酔維持は亜酸化窒素-酸素-イソフルラン(GOI)、臭化ベクロニウムにて行い適宜1%メピバカインを硬膜外投与した。手術終了後自発呼吸の開始を確認し硫酸アトロピン、ワゴスチグミンを投与、呼吸が充分安定し麻酔からの完全覚醒を確認後抜管した。ベンチュリーマスクにて40%酸素を吸入させ、その後経皮的酸素分圧モニター(Spo2)、RIPを装着した。患者から痛みの訴えを確認してからRIPの測定を開始し、その後硬膜外カテーテルよりオピオイドを投与した。使用した硬膜外オピオイドの種類と量によって38名を以下の4群に分けた。

F群:男性8例、女性2例、生食5mlとフェンタニル0.1mgを硬膜外投与

B1群:男性7例、女性4例、生食5mlとブトルファノール1mgを硬膜外投与

B2群:男性5例、女性2例、生食5mlとブトルファノール2mgを硬膜外投与

P群:男性7例、女性3例、生食5mlとペンタゾシン15mgを硬膜外投与

鎮痛レベルは0)痛くない、1)少し痛い、2)痛い、3)かなり痛い、4)耐えられない程痛い、の5段階とした。鎮静レベルは0)覚醒、1)うとうとしている、2)声かけにて開眼、3)入眠、の4段階を用いた。RIPはオピオイドの硬膜外投与前をコントロールとし、投与後次の鎮痛薬投与まで持続的に測定した。RIP測定項目は呼吸数(%RR)、一回換気量(%VT)、分時換気量(%VMIN)、換気に対する胸郭部の仕事率(%RC)、平均吸気流量(%VT/TI)、平均吸気持問(TI)、胸部腹部動作と換気量の比(TCD/VT)、換気時間に対する吸気時間の比(TI/T)の8項目とした。また分時換気量と%RCより胸郭運動による分時換気量%VMINRCと横隔膜運動による分時換気量%VMINABDをもとめた。一回換気量がベースラインのVTの25%以下または100ml以下の状態が12I秒以上続いた場合を無呼吸とし、回数及び持続時間が記録された。硬膜外オピオイド投与前、投与後30,90,180分に血液ガス分析を行った。統計分析は群間検定にはANOVAを用い、各群内での検定はPaired t-testを用い、頻度の群間比較にはカイニ乗検定を用いた。P<0.05を有意とした。

結果

 年齢、身長、体重、性別、術式、麻酔時間、手術時間に有意な群間差はなかった。鎮痛効果発現時間に有意差はなかったが、鎮痛効果持続時間はB2群及びP群においてF群、B1郡より有意に長かった。RIPにおいて呼吸数%RRはオピオイド硬膜外腔投与後、F群、B2群、P群で有意に減少したが、B1群では変化せず、他群に比べるとむしろ増加した。一回換気量%VTはオピオイド硬膜外投与後F群とP群で有意に増加したが、B2群では変化せず、B1群ではむしろ減少した。分時換気量%VMINはオピオイド硬膜外投与後F群では変化しなかったが、B1群、B2群及びP群では投与15分後に減少し、B1群では有意な減少が60分後まで続いた。換気による胸郭の仕事率(%RC)は、仰臥位での成人の正常値が30-50%であることを考慮すると、4群ともオピオイド投与前値は正常値以上または正常値上限であり、胸郭優位の呼吸であった。オピオイド投与後%RCはF群において有意に減少(つまり呼吸に対する横隔膜の寄与率は有意に増加)したものの、他の群では有意な変化は見られなかった。胸郭分時換気量(%VMINRC)はB2群で投与後15分値で有意に減少したが、F群、B1群、P群では変化は見られなかった。横隔膜分時換気量(%VMINABD))はオピオイド投与後、F群において投与後90分値で有意に増加したが、B1群及びP群においてそれぞれ投与後45分及び120分後に有意に減少し、B2群では不変であった。PaCO2はF群、B1群とP群で変化はなくB2群のみ硬膜外投与後有意に増加した。SpO2は全例全測定時点で99%以上だった。ペインスコアは4群とも投与後15分より低下し、全経過を通じて投与前値と比較して有意な低下が継続した。ペインスコアは4群間に有意差はなかった。鎮静スコアは全群投与後15分値より増加し、F群では投与15分後から120分まで有意に増加し、他の3群では全経過を通じて有意な増加が継続した。鎮静スコアはB2群が最も高い傾向が見られた。無呼吸はB1群、B2群、P群では投与後早期から発生し始め、B1群では90分以後無呼吸が見られなくなったものの、B2群とP群では測定終了時(180分後)まで無呼吸が頻発した。F群では投与後45分から120分まで無呼吸の発生が見られたが、発生回数および無呼吸持続時間はB2群とP群に比べて、程度が軽い傾向が見られた。

考察

 今回、横隔膜近傍への手術侵襲が加わる上腹部開腹術(胆嚢摘出術、および胃切除術)を受けた症例において、脂溶性オピオイド(フェンタニル、ブトルファノール、ペンタゾシン)の硬膜外投与が、術直後の呼吸機能、なかんずく横隔膜機能に及ぼす影響を、RIP法を使用して検討した。

 結果をまとめると、鎮痛効果と鎮静効果はともにはフェンタニル0.1mg投与後は他群に比べ程度が軽かった。フェンタニル0.1mg投与後には他群に見られた分時換気量低下が見られなかった。横隔膜呼吸は、ペンタゾシン15mgとブトルファノール1mgと2mg後には不変ないしむしろ減少したのに対し、フェンタニル0.1mg後ではむしろ増加した。無呼吸はフェンタニル0.1mg投与後では45-90分の間出現したのみで程度も軽かった。

 今回、上腹部開腹術後の呼吸機能、特に横隔膜機能低下を改善することを目標として、3種類の脂溶性オピオイドの硬膜外投与の効果を検討した。硬膜外ペンタゾシンとブトルファノールによっては、十分な鎮痛が得られたにもかかわらず、呼吸機能改善、横隔膜機能改善はみられず、むしろ呼吸機能悪化あるいは横隔膜機能悪化が生じ、無呼吸も頻回に発生した。一方、硬膜外フェンタニルによって一回換気量は大きく増加し深く大きな呼吸が得られた。分時換気量は維持され、横隔膜による分時換気量はむしろ増加し、硬膜外鎮痛の初期の目的を十分達したと考えられる。鎮痛効果に薬物間の差異は認められなかったので、呼吸効果の差異は、μ-agonistとκ-agonistの呼吸に及ぼす影響の差異に由来することが示唆された。今回の結果より、上腹部開腹術後の硬膜外鎮痛は、κ-agonistよりもμ-agonistの方が適切であることが示された。ただし、μ-agonistとしてフェンタニルを選択した場合、鎮痛効果の持続が短いので持続投与を組み合わせる必要があろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は術後痛、麻酔薬の残存、手術手技、横隔膜機能の低下などにより呼吸機能が低下するとされる上腹部手術後において、硬膜外腔に投与された脂溶性オピオイド(フェンタニル、ブトルファノール、ペンダゾシン)の術後の呼吸機能におよぼす影響を、無侵襲換気量測定可能なRIP(Respiratory inductive plethysmography)を用いて検討したものであり、以下の結果を得ている。

1.硬膜外ペンタゾシンとブトルファノールによって、十分な鎮痛が得られたにもかかわらず、横隔膜呼吸は不変ないし減少した。すなわち呼吸機能改善、弾隔膜機能改善はみられず、むしろ呼吸機能悪化あるいは横隔膜機能悪化が生じ、無呼吸も頻回に発生した。

2.硬膜外フェンタニルでは、鎮痛効果と鎮静効果は硬膜外ブトルファノールないしペンタゾシンに比べ程度が軽かった。硬膜外フェンタニルによって一回換気量は大きく増加し深く大きな呼吸が得られた。分時換気量は維持され、横隔膜による分時換気量はむしろ増加し、無呼吸の程度も軽かった。

3.鎮痛効果に薬物間による差異は認められなかったので、呼吸効果の差異はμ-agonistとκ-agonistの呼吸におよぼす影響の差異に由来することが示唆された。したがって、上腹部手術後の硬膜外鎮痛は、κ-agonistよりもμ-agonistの方が適切であると考えられた。ただし、μ-agonistとしてフェンタニルを選択した場合、鎮痛効果の持続が短いので持続投与を組み合わせる必要があると思われることを示した。

 以上、本論文は呼吸機能が低下するときれる上腹部手術後の硬膜外鎮痛において、κ-agonistよりもμ-agonistの方が適切であることを明らかにした。本研究はこれまでほとんど報告のない脂溶性オピオイドの横隔膜機能に及ぼす作用を詳細に検討し、μ-agonistとκ-agonistの呼吸におよぼす差異の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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