学位論文要旨



No 215385
著者(漢字) 脇田,成
著者(英字)
著者(カナ) ワキタ,シゲル
標題(和) 労働慣行のモデル分析
標題(洋)
報告番号 215385
報告番号 乙15385
学位授与日 2002.06.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15385号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,洋
 東京大学 教授 岩井,克人
 東京大学 教授 西村,清彦
 東京大学 教授 大瀧,雅之
 東京大学 教授 福田,慎一
内容要旨 要旨を表示する

 日本の労働市場の諸慣行を巡る議論は長きに渡って繰り返されてきた。周知のように、戦後しばらくの間、さまざまな慣行は日本の後進性を表す「克服すべきもの」として、激しい非難の対象となっていたが、近年のバブル期に至ってついにその評価は一変した。そこでは、高度成長の推進力として、あるいは石油危機後の低成長期の良好なパフォーマンスをもたらしたものとして、「遅れた」慣行はむしろ日本の先進性を示すものとして、世界的にも注目を浴びるに至ったのである。しかし礼賛論は長くは続かず、バブル崩壊後の現在では、また日本的慣行に対する批判論が強まっていると言っていいだろう。そしてすでに崩壊しつつある、との議論も少なくない。

 ただし「日本的慣行」が継続するにせよ、崩壊していくにせよ、以下の諸点は明らかにする必要があるのではないか。まず第一に、「日本的」慣行が「崩壊」するのならば、日本的労働慣行が明確に存在し、それが何であるか、あるいはどこが「日本的」なのか合意が存在しなくてはならない。ところが、実はその定義は論者によって異なる。それゆえ、後に本論で行う整理は依然として必要であろう。第二に、たとえ崩壊するにしても、この日本的労働慣行の存在していたことを基礎として、どのように崩壊するか、を検証することが必要となろう。このような意味で日本的労働慣行の分析は未だ重要性を失っていない。もともと議論の「ふれ」があまりに激しいことは、実は日本的慣行の「効率的」側面と「非効率」な側面の整理が不充分であり、そこから混乱が生じていると筆者は考えている。

 そこで本論では日本的慣行の整理と分類を行うことを目的とするが、もともと日本の労働市場の諸慣行や特徴はこれまでにも様々な点が指摘されているが、実はこれを何らかの視点から要領よく分類し、まとめたものはあまりない。たいていの場合、最初にいわゆるアベグレンが指摘した終身雇用制・年功序列制・企業内組合の「三種の神器」が挙げられ、それに個々の研究者が重要と考える点を羅列されているにすぎない。

 本論では筆者なりの考えに基づいて、日本の労働市場の諸特徴とこれまでの研究について展望を行うが、ここで特に強調したい点を、まず以下の(A)と(B)の二点にまとめておこう。

(A)大企業中心の「三種の神器」のような特徴から、日本的労働慣行のすべてを説明できない。 「三種の神器」を個別企業のミクロ・メカニズムと考えると、春闘のようなマクロ的なメカニズムと職場のマイクロマイクロ的なメカニズムを別建てで考える必要がある。

 まず終身雇用・年功賃金・企業内組合からなる「三種の神器」は限られた一部の大企業労働者における慣行であり、これをいくら足し合わせてもマクロ的パフォーマンスである「低失業率」の説明にはならない。次に、「三種の神器」はもともと「悪平等」あるいは「経営家族主義」のイメージがつきまとう言葉であり、それは誤った「通念」ではなく、職場における「勤勉な労働者」を説明するには他のメカニズムを考察しなくてはならない。このような観点から本論では日本的労働慣行を「市場」・「企業」・「職場」に三分類し、それぞれで「基本的前提」・「制度」・「成果」をこれまでの研究結果の展望を通して考察する。

(B)日本的慣行の多くは意図的に、あるいは結果的に保険メカニズムの役割を果たしていると考えられる。ただしその事後的な保険メカニズムの存在を前提として、事前的にはあいまいな職務区分のもと情報共有がなされることを想定した計画が立てられており、この状況を無視して単に「努力がむくわれる社会」を目指すことには大きな危険がある。

 以上の点をより具体的に説明しよう。三種の神器が示すように、日本的慣行のほとんどが「小集団内の結果的平等を促進する保険メカニズム」を含んでいると言ってよい。そこで近年のみならず古くから盛んに行われる議論は、日本的慣行がもたらす「結果の平等」は悪平等であり、「優秀な」労働者が報われないため、結果依存の成果主義を導入しなくてはならない、というものである。つまり「効率性と平等性のトレードオフ」上において、日本的慣行を平等性(リスク・シェアリング)に傾斜したメカニズムととらえ、効率性(モラルハザード阻止)の方向に針を戻すことを主張するものである。このような議論は、保険メカニズムにおける情報の非対称性の問題のうち、モラルハザードを重視していることが分かる。

 ところが情報の非対称性が起こすもう一つの重要な問題として逆選択があり、これは事前の情報共有に関するものと考えられよう。ここで筆者が主張したい点は、日本のあいまいな職務区分や役割分担のもとでは、成果主義は職場の情報共有を破壊し、効率性を損なう危険性が大きいという点である。ゲーム理論におけるチープ・トークなど幾つかの研究が間接的に示している通り、「立場」の違いは円滑な情報共有を阻害し、情報を秘匿することになる。もちろんパートタイム労働者やセールスマンのように職務が明確化されている場合、成果主義は効率化をもたらす場合もあるが、集団的に効率化を模索する過程において、疑心暗鬼のもと職場が荒廃する危険性が大きい。

 以上の2点を中心に、第1章は日本的労働慣行全体の展望にあてられるが、第2章以降では個別の問題に焦点をあわせたモデル・実証分析を提示する。具体的には以下の6章である。

第1章 「市場」・「企業」・「職場」における日本的労働慣行

第2章 熟練の不確実性と日本的雇用慣行

第3章 労働保蔵行動の時系列的特性

第4章 日本の二段階賃金バーゲニング

第5章 企業内工程間分業と熟練形成のモデル分析

第6章 組合構造と熟練形成の「原型」と「類型」

 第2章では窓際族、肩たたきなどと言われる現象を扱い、第3章では雇用保蔵現象をマクロ的な実証分析から考察している。さらに第4章では春闘とボーナスからなる日本の賃金設定メカニズムをモデルと実証分析の両面から考察している。 第5章では多能工や幅広い熟練と呼ばれるような日本的な熟練形成をモデル分析しており、最後に第6章では企業内組合について考察している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなり、日本的労働慣行を厳密なモデルにより理論的に分析し、また計量経済的手法を用いて実証的に分析したものである。

 第1章は日本の労働市場・労働慣行についてのサーベイである。「市場」・「企業」・「職場」という3段階に分けて展望を行っているのが特徴である。そうした中で日本の労働市場における様々な慣行は先物市場を代替する保険メカニズムにほかならない、という本論文全体モチーフの説明がなされている。

 第2章は、熟練の不確実性と日本的雇用慣行に関する分析である。日本の労働市場は終身雇用制、年功賃金制、企業別組合のいわゆる「三種の神器」によって特徴づけられていることは周知の事実である。これらは大企業の男性労働者にのみ当てはまる。また諸外国においても類似の制度が見られることが指摘されているが、少なくとも終身雇用制や年功賃金制は日本の労働者にとってあたかも一つの「規範」であるかのように機能してきたことを本章では重要視し、その「規範」とは結局すべての労働者は同一に扱わなければならないという「平等」意識に還元できることを指摘する。本章の第一の目的は、そのような「平等」性が、単なる外生的に与えられた非経済的な要因としてではなく、熟練の不確実性とそれに対応する保険メカニズムの結果として経済合理性に則った仕組みとして理解しうることを数学モデルを使って示すことである。具体的には、世代重複モデルの枠組みの中で不確実な企業特殊的熟練が存在するとき、企業と労働者の間の最適な暗黙契約の形態を分析している。とりわけ、本章で示された基本的な命題は、完全情報の時、一定の仮定の下では、熟練を獲得するかどうかに関わらず労働者の賃金は一定であることである。さらに本章では、この基本モデルにモラル・ハザードや逆選択や採用割り当てなどの要素を導入して、その理論的なインプリケーションの頑健性を論じ、さらにより現実的な応用可能性を論じている。

 第3章は、日銀短観のサーベイデータを用い、日本における労働保蔵の時系列的特性をマクロ経済的に分析したものである。日銀短観によるサーベイ調査は各期の雇用状況について「過剰」・「普通」・「不足」の3つの判断項目から成っており、そこから得られるデータは定性的なものである。しかし、本論文は各企業の労働保蔵に関する主観的な確率に一様分布を仮定することによって、定性的なデータを定量的なデータへと変換することに成功している。定量的なデータへ変換された労働保蔵のインデックスは、外部労働市場とは異なった季節変動パターンをもっており、非定常的な「予期された」部分と、定常的な「予期せざる」部分に分割される。「予期せざる」部分には販売量、賃金レート、および労働時間とは長期的な均衡は観察されなかったが、「予期された」部分には長期均衡関係が観察された。さらに、労働保蔵から労働時間に対してはグレンジャーの因果性が認められた。これらの結果は、日本における労働保蔵が一時的なものではなく、ある程度長期的な現象であることを示唆しており、大変興味深い。

 第4章は日本の賃金決定メカニズムを理論的・実証的に分析したものである。日本の失業率は1990年代末まで国際的に見ても低い水準にあった。その理由として挙げられてきたのが実質賃金の伸縮性である。近年では若干、その興味が薄れたもののGordon(1982)以来、低失業率を達成するために実質賃金の伸縮性を重視する研究から、日本のマクロ的賃金設定メカニズムが国際的にも注目を浴びた時期があった。なかでもWeitzman(1984)、Freeman and Weitzman(1987)はボーナスが企業や産業の利潤に感応的であり、この特徴が賃金伸縮性をもたらすことに注目した。このシェア・エコノミー仮説はスタグフレーションを克服する方法として一時は国際的にも著名であったが、その後の研究においてはいわゆるFischer-Taylor型の名目賃金契約モデルの立場から、むしろ春闘を重視し、これがマクロ経済環境に敏感に反応することが重要であると考えられている(Taylor(1989))。これまでの研究や観察の結果によると春闘とボーナスでかなりの違いがみられる。春闘にはマクロ整合的な伸縮性や横並びなどの特徴が見られるが、ボーナスにはこれらの特徴が見られない。こうした違いをふまえ、本論文では、春闘は賃金設定における最低限の保証であり、ボーナスはいわば「おまけ」であると考える。そこで、これらの特徴はOi(1971)以来の「二部料金制度」モデルによってとらえられるのではないか、という仮説が本章の基本的発想である。本章の実証分析では、(1)春闘における各産業の賃金上昇率は産業横断的な平均賃上上昇率に影響され、(2)そして有効求人倍率のような労働市場全体の指標に影響されるという意味で極めて協調的に決定されているが、(3)ボーナスがある程度はこの協調性を相殺していることを示し、(4)また定期賃金は労働市場全体の条件に影響を受けているが、(5)ボーナスは個別の産業により影響を受けているという定性的な違いを示した。以上の結果より、「日本の失業率がなぜ低いのか」という問題に対して、本章はTaylor等が指摘したように春闘で決まる賃金水準が有効求人倍率のような下部セクターの指標に反応するからだ、と答えている。しかし春闘は有効求人倍率のような下部セクターの指標を考慮するとは思えない大企業の労使交渉から始るので、ここで新たに「なぜ大企業の労使は自分自身の個別の状況よりも経済全体の状況を受け入れるのか」という問題が生じる。この新たな問いに対する答えは、ボーナスによる調整が存在しているから、大企業は、自らの労働保蔵の程度ではなく、下部セクターの状況を反映する有効求人倍率にそって要求する「マクロ整合的」賃金設定が可能となる、というものである。

 第5章は「多技能工はなぜ形成されるのか」を理論的に分析したものである。良く知られているように「分業は市場の規模に制約される」というアダム・スミスの主張には問題が内包されている。その主張のように、分業が市場規模に伴って深化し、生産性が増大するならば、これは収穫逓増を意味するが、その結果産業は独占され、アダム・スミスのよってたつ競争理論と矛盾することになる。この問題についての既存の文献は概して分業を企業内の工程間分業として考えるのではなく、産業内の(独占的競争)企業が単一の中間財に特化することを前提として、産業内の企業間分業について考察したものがほとんどとなっている。特にその中でも中心的なフレームワークとなっているのが Ethier (1982) によるCES 関数の特徴を生かしたモデルである。本章はこのEthier 型モデルに基づきながら (1) 時間のかかる技術取得過程を前提として、生産工程に加わる確率的な生産性ショックを考える, (2) 生産性ショックとそれに伴う熟練労働者のボトルネックを避けるために、企業の対応策として、前もって労働者により多くの技能を身に付けさせる, (3) 多技能労働者の企業間移動の効果を考える, という3 つの新しい要因を導入する。そのことによって、分業による規模の利益の存在を完全競争のフレームワークの中で説明する。言い換えれば完全競争企業の分業の程度が、市場規模によって制約されるモデルをここで示す。これを可能にする新しい要素は、工程間分業と区別された労働者の技能特化のレベルである。それによって(1)生産物市場でも生産要素市場でも価格受容者である企業が、需要の増大に従って分業の程度を選ぶ、(2)「事前」では同一の特性を持つ労働者が企業の訓練によって、内生的に「事後」的に異なったバラエティの熟練労働者が産み出される、という斬新なモデルになっている。

 6章は、「引抜きの外部性」と労働組合の形態の関係について分析したものである.企業と労働者各々が作る「引抜きカルテル」と「賃金カルテル」を考える.二つのカルテルは熟練労働者の「引抜き」防止協定では同じであるが、労働者への教育投資について最適化の有無によって区別される.教育投資について考慮するのが「引抜きカルテル」であり、しないのが「賃金カルテル」である.本章の分析結果によれば、このうち企業の作る「引抜きカルテル」と労働者の作る「賃金カルテル」のみがヴァイアブルである.このため企業が先手のときには「引抜きカルテル」が持続し、労働者が先手の時には「賃金カルテル」存続する.そして脇田氏は手番の先後を分けるのが、労働者の熟練形成だとする.したがって、自然発生的に熟練が形成されていた先進工業国では労働者が先手となり「賃金カルテル」が、政策によってあるいは人為的に労働者を囲い込んで工業化した後発国では、企業が先手となり「引抜きカルテル」が多く見られることになった、と言うのが論文の主張である.

講評:

 第2章の基本論文は、決してオリジナルなものではないが、その分析視点は興味深く、とりわけ「悪平等」と見なされていた現象がそれなりの経済合理性を持つということを示して点において、日本的雇用慣行に関してすでに存在する膨大な文献への有用な貢献であると思われる。ただし、日本的雇用慣行の重要な要素であると見なされてきた「生活保障」的意味合いがこのモデルによって説明されたかとなると疑問が残る。その説明のためには、この基本モデルの基礎から考え直す必要があると思われるが、それは将来の研究に待ちたい。

 第3章の時系列分析はきわめて興味深い結果を導出することに成功しているが、分析の前提となる一様分布の仮定はかなり強いものであり、本章の分析結果もこの仮定に依存していることは否定できない。しかし、データとして把握することが難しいマクロ的な労働保蔵の状況を不十分ながらも捉え、それを用いて計量的な分析をおこなった分析は、これまで日本ではほとんど行われておらず、評価に値すると考えられる。

 既にJapanese Economic Reviewに発表された4章は、伸縮的賃金決定を可能にするメカニズムとして挙げられてきたボーナスと春闘を統合的に把え、理論的・実証的分析を行ったものであり、大変に興味深い。ただし大企業の賃金決定が有効求人倍率というマクロの指標に敏感に反応する理由は、著者の主張と異なり、そうした指標が財市場の動向の代理変数となっている可能性は否定できない。この点の検討は残された課題である。

 5章のモデルはきわめて斬新なフレームワークであり、将来の発展が見込まれ高く評価できる。その点で博士論文の一章としての水準に達していると考えられる。しかしながら、モデルの展開、その解析という点ではまだ不十分な点が多い。特に基本モデルが展開されている2節でその傾向が強い。工程数や技能数をそれぞれ離散としているが、(簡単化のためにそれを連続数で近似して)その離散数で微分して様々な結果を導出している点や、それと関連するが最適化された目的関数を最初から労働者数に加えて工程数や技能数で微分可能としている点など、数学的に厳密でない点が散見される。更に、著者もその点については自ら指摘しているが、事後的な労働者の配分についての議論が不明確である。更にこの基本モデルが解析的に解けないと言う理由で、3節以降でそれぞれ簡単化されたモデルが考えられているが、それぞれの節では更に基本モデルの簡単化以上にad hoc な仮定をおいて分析している。3節では確率的ショックについてad hocな仮定をおいており、その仮定がどの程度結論に影響を及ぼしているか、判明ではない。4節では、労働者の企業間移動を扱っているが、こうした場合市場均衡分析を用いなければならないはずであるが、著者は市場均衡に対応する「労働市場全体の非ボトルネック確率関数」をad hocに仮定してそれを回避している。これは本来市場均衡で決まるものであり、仮定するものではない。

 6章は博士論文の資格は十分にあると判断される.しかし難点がないわけではない.すなわち「引抜きの外部性」を問題の中心に据えているわけであるが、展開されるモデルは全て、外部性が存在しないモデルある.つまりカルテルが完全で自社で教育した労働者必ず自社に留まると言う前提のもとで議論が展開されており、「引抜きの外部性」に対するカルテルの役割を分析しているわけではない.

 以上各章の分析についてその問題点、限界を指摘したが、本論文そのものは完成度が高く、本研究科が要求する博士論文の基準を十分に満たしている。それゆえ、審査委員会は、本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしいと全員一致で判断した。

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