学位論文要旨



No 215392
著者(漢字) 升村,誠
著者(英字)
著者(カナ) マスムラ,マコト
標題(和) ビンスワンガー型白質脳症モデル動物の作出と病理学的解析
標題(洋)
報告番号 215392
報告番号 乙15392
学位授与日 2002.07.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15392号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 西山,信好
内容要旨 要旨を表示する

 脳血管性痴呆はアルツハイマー病と並び高齢者の痴呆の主要な原因となる疾患である。中でも大脳深部白質の広汎な慢性虚血性病変により、認知機能障害、歩行障害、発動性の低下などを生じる、ビンスワンガー病型白質脳症(BD)は、脳血管性痴呆の代表的な一病型であるが、その病態をよく再現する実験モデルの欠如が病態解析と治療法開発に向けての障害となってきた。近年、虚血性大脳白質病変の実験モデルとしては、砂ネズミやラットを用いた慢性低灌流モデルが報告され、実験的に白質病変が作出可能であることが示されはじめている。しかしながら、BDを含むヒトの慢性的な脳虚血では、高血圧や糖尿病などに起因する血管病変が重要な危険因子となっており、若齢の正常動物に慢性脳虚血を誘発するだけでは、ヒトと同様の大脳白質病変を再現することは困難と考えられる。

 本研究では、加齢に伴って高血圧を自然発症するspontaneously hypertensive rats(SHR)を用い、高血圧を発症後に総頚動脈結紮を施行することによりBDに類似した虚血性大脳白質病変を生じる実験動物モデルの作出を試み、またその病態について詳細に解析した。

1.SHRの両側総頚動脈結紮による虚血性大脳白質病変モデル動物の作出

 実験動物として20週齢のSHR、対照としてWistar Kyoto rats(WKY)を用いた。ラットの右総頸動脈を絹糸で二重結紮した7日後に、左総頸動脈を同様に二重結紮し、血圧および屠殺後の神経病理学的変化を経時的に検討した。SHRおよびWKY共に、両側総頚動脈結紮(BCAL)後各偽手術群に比して15〜25%の血圧上昇が見られ、4週後の実験終了日まで維持された。病理学的には、SHRおよびWKY共に、BCAL1〜2週後から脳梁、内包、視索等の白質領域において髄鞘染色性の淡明化が観察された。髄鞘そのものを染色するKluver-Barrera(K-B)染色では、髄鞘染色性の淡明化には両系統間で明らかな差は認められなかった。しかし、BCAL後のSHRではWKYに比べて脳梁、内包、視索において、アポトーシス細胞を反映するTUNEL陽性反応やミクログリアの活性化が顕著に観察された。このTUNEL陽性細胞は形態学的にオリゴデンドロサイト(OLG)であると考えられた。また髄鞘淡明化部位にTNF-αおよびTNF受容体I(p55)陽性細胞が多数観察され、これらはそれぞれミクログリアとOLGと考えられた。SHRの白質領域におけるTUNEL陽性反応、ミクログリアの活性化およびTNF-α陽性反応は、BCAL後の時間経過とともに増強した。断片化DNA量をELISA法により定量化すると、SHRではWKYに比べてBCAL後の前脳におけるDNA断片化が顕著に増強していた。断片化は約1週間でピークとなり、その後徐々に低下した。BCAL4週間後のSHRの脳梁を電子顕微鏡的に観察すると、クロマチンが凝集したアポトーシス様の像を示すOLGが観察された。BCAL後の脳弓海馬采、視索に形成された空胞の数は、SHR において1〜2週後以降有意な増加が認められた。次にRT-PCR法を用いてアポトーシス関連分子のmRNA発現を評価した。BCAL後4週間後のSHRおよびWKYラット脳では、TNF-α、、Ich-1(カスパーゼ-2)、CPP32(カスパーゼ-3)mRNAsの発現増強、およびTNF受容体I mRNAの発現が認められた。免疫組織化学的にもBCAL後4週間後のSHR白質領域ではOLGのマーカー蛋白であるAdenomatous polyposis coli(APC)陽性細胞にIch-1、CPP32およびTNF受容体Iの免疫反応性が観察された。前脳溶解液を用いたカスパーゼ-2&-3酵素アッセイでは、共にBCAL後の明瞭な酵素活性の上昇は認められなかった。Fas(CD95)mRNAおよびFas免疫陽性が共に検出できなかったことを考え合わせると、白質障害に伴うOLGの細胞死がTNF受容体I→カスパーゼ-2 or -3の経路を介したアポトーシスである可能性が示唆された。更にOLG細胞死の経時変化を定量化することを目的に、OLGに特異的な細胞マーカーであるproteolipid protein (PLP) mRNAの発現をin situ hybridization法により検出し、上記白質領域におけるPLP mRNA陽性OLG密度を評価した。SHR、WKY共に各白質部位においてOLG数は経時的に軽度の減少を示したが、細胞数の変化に有意差は見られなかった。OLGが再生・修復されているか、またはTUNEL陽性を示す細胞障害を生じているが細胞死には至らない可能性が示唆された。

 以上、SHRの両側総頚動脈を結紮することにより、病理学的に髄鞘淡明化を伴うBD様の病変を示す実験モデルを作出した。

2.ビンスワンガー型白質脳症(BD)患者大脳白質の病理組織学的検討

 BDの病理学的変化との異同を検討するため、臨床例の剖検脳組織について、特にDNA断片化を伴うOLGの細胞障害が観察されるか否かに着目して比較検討した。BD5例および痴呆症状のない対照高齢者5例の大脳前頭葉白質のパラフィン切片を組織学的に検討した。

 BD全例において、大脳白質におけるTUNEL陽性細胞数が対照例に比べて増加していた(生理的加齢 : 10.6±8.7/mm2、BD : 150.9±102.7/mm2、p<0.01)。また、BD白質ではPLP mRNA陽性OLGが対照例に比べて僅かに減少していたが、その差は僅かであった(生理的加齢 : 973.8±97.3/mm2、BD : 923.5±99.9/mm2)。GFAP陽性astrocyteの密度は、対照例で187.0±26.1/mm2に対しBDで137.4±49.1/mm2と有意な減少を認めた(p<0.05)。BD患者大脳白質のTUNEL陽性およびAPC陽性OLG様細胞の一部は、活性型カスパーゼ-3(p20/17)特異抗体で陽性に染色された。しかしこの陽性反応が認められたのは、BD5例中2例にとどまり、対照例のうち1例にも僅かに陽性反応が観察されたため、OLGにおけるカスパーゼ-3の活性化はBDに特異的な現象とは断定できないと考えられた。

 以上のように、BD患者大脳白質においてもDNA断片化を伴うOLGの細胞障害が観察されたが、モデル動物同様細胞脱落は顕著ではなく、典型的なアポトーシスによる細胞死が進行しているのではない可能性が示唆された。

3.ラット慢性脳低灌流モデルの脳梁白質グリア細胞に対するアデノウイルスを用いた外来遺伝子導入の試み

 SHRのBCALによる虚血性大脳白質病変モデル動物においても、BD患者大脳白質病変部位においても、OLGはDNA断片化を伴う障害を受けているが細胞密度に有意な減少は見られなかった。そこで、白質障害部位に存在するOLGの機能回復を図るため、何らかの治療的介入の余地があると考え、遺伝子治療の可能性について検討を試みた。WKYおよびSHR BCAL25日後に、LacZ遺伝子を挿入したアデノウイルスベクター(AxCALacZ)を脳定位固定装置を用いて脳梁に注入し、5日後に遺伝子導入効率を検討した。AxCALacZ注入5日後の脳梁では、BCALしたWKY、SHR、およびそれぞれの対照例においてLacZ遺伝子の発現を示すβ-gal陽性細胞が観察された。脳梁におけるβ-gal陽性細胞には、GFAP陽性アストロサイト、APC陽性OLGが含まれており、この両者を含めてβ-gal陽性細胞密度をカウントした。非手術WKY、SHR、慢性低灌流WKYおよび慢性低灌流SHRにおけるβ-gal陽性細胞密度は、149.8±10.7、157.6±15.9、150.9±5.8および252.8±17.8(/mm2)であり、慢性低灌流SHRで遺伝子導入効率の有意な上昇が認められた。アデノウイルスの感染に際しては、アデノウイルスの外殻蛋白penton baseと宿主細胞表面のαV-integrinの結合によって能動的にウイルスが取り込まれると考えられており、αVintegrinの発現レベルが高いほどアデノウイルスの感染効率が向上することになる。そこで本モデル脳梁におけるαV-integrinの発現について調べたところ、BCALの有無に関わらずWKYとSHRの脳梁においてαV-integrin陽性細胞が観察された。非手術WKY、SHR、慢性低灌流WKYおよび慢性低灌流SHRの脳梁におけるαV-integrins陽性細胞密度は、185.6±9.2、177.6±36.7、180.3±22.2および274.1±25.7(/mm2)で、慢性低灌流SHRにおいてαV-integrin陽性細胞の有意な増加が認められた。虚血侵襲によってαV-integrin、特にαVβ3の発現誘導が、虚血後非常に遅い時期のグリア細胞および血管内皮細胞に起こることが報告されており、本慢性低灌流SHRにおいても同様の結果が得られたことと一致している。次にBD患者および対照例各5例の前頭葉白質におけるαV-integrinの発現を検討すると、血管内皮細胞および中膜平滑筋細胞に加えて一部のGFAP陽性アストロサイトおよびAPC陽性OLGにも陽性反応が観察された。白質領域における血管以外のαV-integrin陽性細胞密度は、BD患者および正常コントロールでそれぞれ45.6±2.3および33.0±1.0(/mm2)で、BD患者で有意に増加していた。以上の結果からBDの白質障害部位に対してアデノウイルスベクターによる遺伝子治療が有効である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 脳血管性痴呆の中でも大脳深部白質の広汎な慢性虚血性病変によるビンスワンガー病型白質脳症(BD)は、代表的な一病型であるが、その病態をよく再現する実験モデルの欠如が病態解析と治療法開発に向けての障害となってきた。近年、虚血性大脳白質病変の実験モデルとしては、砂ネズミやラットを用いた慢性低灌流モデルが報告され、実験的に白質病変が作出可能であることが示されている。しかしながら、BDを含むヒトの慢性的な脳虚血では、高血圧や糖尿病などに起因する血管病変が重要な危険因子となっており、若齢の正常動物に慢性脳虚血を誘発するだけでは、ヒトと同様の大脳白質病変を再現することは困難と考えられる。

 申請者は、加齢に伴って高血圧を自然発症するspontaneously hypertensive rats(SHR)を用い、高血圧を発症後に総頚動脈結紮を施行することによりBDに類似した虚血性大脳白質病変を生じる実験動物モデルの作出を試み、またその病態について詳細に解析した。

 実験動物には20週齢のSHRおよび対照としてWistar Kyoto rats(WKY)を用いた。ラットの右総頸動脈を絹糸で二重結紮し、その1週間後に左総頸動脈を同様に二重結紮し、血圧および屠殺後の神経病理学的変化を経時的に検討した。SHRおよびWKY共に、両側総頚動脈結紮(BCAL)後各偽手術群に比して血圧上昇が見られ、4週後の実験終了日まで維持された。病理学的には、SHRおよびWKY共に、脳梁、内包、視索等の白質領域において髄鞘染色性の淡明化が観察された。髄鞘染色Kluver-Barrera(K-B)染色では、髄鞘染色性の淡明化には両系統間で明らかな差は認められなかった。しかし、BCAL後のSHRではWKYに比べて脳梁、内包、視索において、アポトーシス細胞を反映するTUNEL陽性反応やミクログリアの活性化が顕著に観察された。このTUNEL陽性細胞は形態学的にオリゴデンドロサイト(OLG)であると考えられた。また髄鞘淡明化部位にTNF-αおよびTNF受容体I(p55)陽性細胞が多数観察され、これらはそれぞれミクログリアとOLGと考えられた。SHRの白質領域におけるTUNEL陽性反応、ミクログリアの活性化およびTNF-α陽性反応は、BCAL後の時間経過とともに増強した。断片化DNA量をELISA法により定量化すると、SHRではWKYに比べてBCAL後の前脳におけるDNA断片化が顕著に増強していた。BCAL 4週間後のSHRの脳梁を電子顕微鏡的に観察すると、クロマチンが凝集したアポトーシス様の像を示すOLGが観察された。BCAL後の脳弓海馬采、視索に形成された空胞の数は、SHRにおいて有意な増加が認められた。次にRT-PCR法を用いてアポトーシス関連分子のmRNA発現を評価した。BCAL後4週間後のSHRおよびWKYラット脳では、TNF-α、、およびTNF受容体I、Ich-1(カスパーゼ-2)およびCPP32(カスパーゼ-3)mRNAsの発現が認められた。免疫組織化学的にもBCAL後4週間後のSHR白質領域ではOLGのマーカー蛋白であるAdenomatous polyposis coli(APC)陽性細胞にIch-1、CPP32およびTNF受容体Iの免疫反応性が観察された。Fas(CD95)mRNAおよびFas免疫陽性が共に検出できなかったことを考え合わせると、白質障害に伴うOLGの細胞死がTNF受容体I→カスパーゼ-2 or -3の経路を介したアポトーシスである可能性が示唆された。更にOLG細胞死の経時変化を定量化することを目的に、OLGに特異的な細胞マーカーであるproteolipid protein(PLP)mRNAの発現をinsitu hybridization法により検出し、上記白質領域におけるPLP mRNA陽性OLG密度を評価した。SHR、WKY共に各白質部位においてOLG数は経時的に軽度の減少を示したが、細胞数の変化に有意差は見られなかった。OLGが再生・修復されているか、またはTUNEL陽性を示す細胞障害を生じているが細胞死には至らない可能性が示唆された。

 次に本動物モデルとビンスワンガー型白質脳症(BD)の病理学的変化との異同を検討するため、臨床例の剖検脳組織について、特にDNA断片化を伴うOLGの細胞障害が観察されるか否かに着目して比較検討した。BD5例および痴呆症状のない対照高齢者5例の大脳前頭葉白質のパラフィン切片を組織学的に検討した。その結果、BD全例において大脳白質におけるTUNEL陽性細胞数が対照例に比べて増加していた。また、BD白質ではPLP mRNA陽性OLGが対照例に比べて僅かに減少していたが、その差は僅かであった。GFAP陽性アストロサイトの密度はBDで有意な減少を認めた。BD患者大脳白質のTUNEL陽性およびAPC陽性OLG様細胞の一部は、活性型カスパーゼ-3(p20/17)特異抗体で陽性に染色された。しかしこの陽性反応が認められたのは、BD5例中2例にとどまり、対照例のうち1例にも僅かに陽性反応が観察されたため、OLGにおけるカスパーゼ-3の活性化はBDに特異的な現象とは断定できないと考えられた。

 以上のように、BD患者大脳白質においてもDNA断片化を伴うOLGの細胞障害が観察されたが、モデル動物同様細胞脱落は顕著ではなく、典型的なアポトーシスによる細胞死が進行しているのではない可能性が示唆された。

 SHRのBCALによる虚血性大脳白質病変モデル動物においても、BD患者大脳白質病変部位においても、OLGはDNA断片化を伴う障害を受けているが細胞密度に有意な減少は見られなかった。そこで、白質障害部位に存在するOLGの機能回復を図るため、何らかの治療的介入の余地があると考え、遺伝子治療の可能性について検討を試みた。WKYおよびSHR BCAL後に、LacZ遺伝子を挿入したアデノウイルスベクター(AxCALacZ)を脳定位固定装置を用いて脳梁に注入し、遺伝子導入効率を検討した。AxCALacZ注入後の脳梁では、BCALしたWKY、SHR、およびそれぞれの対照例においてLacZ遺伝子の発現を示すb-gal陽性細胞が観察された。脳梁におけるb-gal陽性細胞には、GFAP陽性アストロサイト、APC陽性OLGが含まれており、この両者を含むb-gal陽性細胞密度には、慢性低灌流SHRで遺伝子導入効率の有意な上昇が認められた。アデノウイルスの感染に際しては、アデノウイルスの外殻蛋白penton baseと宿主細胞表面のαV-integrinの結合によって能動的にウイルスが取り込まれると考えられており、αV-integrinの発現レベルが高いほどアデノウイルスの感染効率が向上することになる。そこで本モデル脳梁におけるαV-integrinの発現について調べた。その結果慢性低灌流SHRにおいてαV-integrin陽性細胞の有意な増加が認められた。

 虚血侵襲によってαV-integrin、特にαVβ3の発現誘導が、虚血後非常に遅い時期のグリア細胞および血管内皮細胞に起こることが報告されており、本慢性低灌流SHRにおいても同様の結果が得られたと考えられる。次にBD患者および対照例の前頭葉白質におけるαV-integrinの発現を検討すると、血管内皮細胞および中膜平滑筋細胞に加えて一部のGFAP陽性アストロサイトおよびAPC陽性OLGにも陽性反応が観察された。白質領域における血管以外のαV-integrin陽性細胞密度は、BD患者で有意に増加していた。以上の結果からBDの白質障害部位に対してアデノウイルスベクターによる遺伝子治療が有効である可能性が示唆された。

 以上のごとく、申請者・升村誠の博士論文は、慢性虚血性脳障害の病態解明と治療法創出に向けて新たな知見を加えるものであり、博士(薬学)の学位に値する内容を有するものと考えられる。

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