学位論文要旨



No 215395
著者(漢字) 金,春元
著者(英字) Jin,Chunyuan
著者(カナ) キン,シュンゲン
標題(和) AP-1リプレッサーJDP2による胚性腫瘍細胞F9の分化制御機構の解析
標題(洋) Transcriptional regulation of the c-jun gene by AP-1 repressor protein JDP2 during the differentiation of F9 cells
報告番号 215395
報告番号 乙15395
学位授与日 2002.07.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15395号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 北,潔
内容要旨 要旨を表示する

 マウスF9細胞は胎児性癌由来の胚性腫瘍細胞株(EC)であり、レチノイン酸(RA)やアデノウイルス初期遺伝子E1Aによって内胚葉系列(始原、壁側、臓側内胚葉)細胞へ分化誘導することから、発生、分化の機構や発生、分化におけるRAの作用機序を分子レベルで解析するうえでの格好のモデル実験系として広く繁用されている。

 発癌遺伝子c-junは未分化F9細胞ではほとんど発現していないが、RAによる分化誘導と共にその発現はスーパーインダクションされる。また、c-jun遺伝子の発現ベクターをF9細胞に遺伝子導入するとRAによる分化と同様な分化が誘導されることから、F9細胞の分化過程でc-jun遺伝子の高発現が直接、細胞分化の誘導に寄与していると想定されている。細胞分化に伴うc-jun発現の誘導は転写レベルで調節されており、我々はその遺伝子の5'-上流域にRAやアデノウイルスE1Aによる細胞分化に伴って活性化される配列DRE(differentiation response element)を同定した。さらに、我々はこのDRE配列に結合するDRF(differentiation regulatory factor)複合体を同定し、しかもその複合体中にはE1A結合蛋白質p300と転写因子ATF-2(activating transcriptional factor-2)が含まれることを見い出した。また、RAによるc-junのトランス活性化、F9細胞の分化誘導にはp300とATF-2の会合と相互作用が重要であることも明らかにして来た。

 しかし、p300/ATF-2によるc-jun遺伝子の転写活性化の度合がRA処理によるものに比べると弱いこと、また、UVクロスリンキングの実験結果から、DRF複合体中にはATF-2とp300以外の因子が存在する可能性が指摘された。そこで我々はDRF複合体中未知のコンポーネントを同定し、RAによるc-junの転写活性化と細胞の分化誘導機構の詳細な解明を目的として以下の研究を行った。

 我々はATF-2結合蛋白質をYeast-two hybrid screen法により探索し、JDP2(Jundimerization protein 2)をATF-2の新たな結合蛋白質として同定した。そして5'-RACE(rapid amplification of cDNA ends)法との併用によりマウスJDP2の全長cDNAをクローニングした。塩基配列解析から、マウスJDP2は1.5-kbの遺伝子転写構造を有し、163アミノ酸に相当する489bpの翻訳領域(open reading frame;ORF)が含まれ、C末側には塩基性アミノ酸-Zipperドメイン(b-Zip)を有することが判明した。

 マウス各組織と各発生初期段階の胚から抽出したRNAを用い、JDP2 cDNAをプローブとしてノーザンブロット法で調べた結果、JDP2はほとんどのマウスの組織で各々異なるレベルで発現し、また発生と共にその発現量が徐々に増加していく事が明らかとなった。蛋白質間相互作用の解析により、JDP2とATF-2はそれぞれのb-Zipドメインを介して結合することがin vivoとin vitroの実験で確認された。また、核酸ー蛋白質間相互作用の解析(ゲルシフト解析)により、JDP2がホモ二量体あるいはATF-2とのヘテロ二量体でcAMP応答配列(cAMP responsive element;CRE)に結合すること、プロモーター活性の測定からJDP2がATF-2によってCRE依存的な転写を抑制することを見い出した。以上の結果よりJDP2はATF-2の新規リプレッサーであって、Jun/Fos/ATF-2に関わるすべての遺伝子ファミリーの転写を抑制する普遍的リプレッサーである可能性が示唆された。

 ATF-2がDRF複合体の構成成分の一つの因子であって、c-jun遺伝子の転写の活性化に必要であると言うことは、JDP2もATF-2の新規リプレッサーとしてc-jun遺伝子の転写制御に関わる可能性が推測される。また、JDP2がAP-1の普遍的リプレッサーであることは、AP-1が関与している分化を始めとした細胞の増殖、発生、癌化などすべての過程にJDP2が関わる可能性も容易に想像される。そこで我々はRAによるc-jun遺伝子の転写活性化と細胞の分化誘導におけるJDP2の役割について検討した。

 DREをプローブとしたゲルシフト解析の結果では、JDP2抗体添加によりDNA-蛋白質複合体のスーパーシフトが観察されたことから、DRF複合体中にはJDP2分子が含まれることが示唆された。同じゲルシフト解析により、JDP2がDREに直接に結合することも確認された。また、DREを含むプロモーターを用いた転写活性化実験ではJDP2がp300とATF-2による転写活性化を抑制することから、JDP2はDRF複合体中の抑制的構成成分であることが示唆された。JDP2を恒常的に強制発現させた細胞を用いたc-jun遺伝子のプロモーター活性の測定実験では、JDP2はATF-2/p300によるc-junのトランス活性化のみならず、RAによるF9細胞の分化誘導をも抑制した。以上の結果は、JDP2が細胞分化に強く関与していることを示唆している。

 一方、JDP2の作用機構を調べるために、JDP2と転写抑制に深く関わっているとして知られているヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)との関係を検討した。プロモーター活性測定及びヒストン脱アセチル化酵素の活性測定実験の結果より、JDP2の抑制作用はHDACの阻害剤であるTSA(trichostatin)を添加することによって消失し、JDP2の免疫沈降物複合体がHDAC活性を有するから、JDP2の抑制機構はHDAC依存的であることが推定される。また、ゲルシフト解析、免疫沈降ーウエスタンブロット法により、JDP2が特異的にHDAC3と結合し、DRF複合体中でJDP2/HDAC3複合体を構成することが観察された。プロモーター活性測定では、JDP2の抑制作用がHDAC3を加えることによって更に増強されることから、JDP2はHDAC3依存的に抑制機能を発揮すると推測される。

 F9細胞のRAによる分化誘導におけるJDP2の役割を更に詳細に解析するために、我々は未分化F9細胞をRAで24時間処理し、JDP2のDREへの結合能力、HDAC3との会合、そしてDREを含むクロマチン上のアセチル化状態などの動的変化に関して、クロマチン免疫沈降実験等を用いて解析を行った。その結果、RA処理によってJDP2、HDAC3のDREに対する結合活性とJDP2、HDAC3間の会合能力は減少し、逆に、p300とATF-2のDREへの結合能力は増加することが明かとなった。また、JDP2/HDAC3複合体がATF-2/p300複合体によってDRE上でRA刺激依存的に置換されるに伴って、DREを含むヒストンのアセチル化状態も脱アセチル化からアセチル化へ変化することが示唆された。

 本研究においては、マウスJDP2の全長cDNAをクローニングし、JDP2をATF-2の新規リプレッサーとして同定した。同じb-Zipファミリーでありながら、他の多くのb-Zip蛋白質ファミリーの転写能を抑制するということは大変興味深い。本研究より、JDP2は特異的にHDAC3複合体をプロモーター領域にリクルートすることによって、その抑制機能を発揮することを初めて明かにした。JDP2の各組織と胚での発現研究からは、JDP2はマウスの発生、分化そして組織、器官の正常機能と密接に関与していることが推測される。

 前述のようにc-jun遺伝子の発現が未分化F9細胞でどの様に抑制されていて、RA処理によってどの様にすみやかに活性化されるのかについては未だ明らかにされていない。本研究より一つの仮説としてF9細胞の未分化状態では脱アセチル化酵素であるHDAC3がJDP2によりc-junプロモーター上にリクルートされ、この領域のヒストンが脱アセチル化状態になってクロマチンを凝縮させ、c-jun遺伝子の発現が阻害される可能性が考えられる。そこにRA刺激が加わると、JDP2/HDAC3複合体がアセチル化酵素であるp300複合体に切り替わることで、ヒストンのアセチル化状態が脱アセチル化からアセチル化へ動的変化をする事により、c-jun遺伝子の転写開始と活性化、そしてF9細胞の分化誘導がONになると推定される。この仮説から、プロモーター上のヒストンのアセチル化状態がF9細胞の分化決定にいかに重要であるかも示唆される。ヒストン脱アセチル化酵素の阻害剤であるTSAによってF9細胞が分化誘導されることもこの作業仮説と一致している。

 本研究により、JDP2がRAによるF9細胞の分化決定の中の鍵を握る一つの因子であること、AP-1リプレッサーの新しい転写レベルでの遺伝子発現抑制機構が明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 マウスF9細胞は、胎児性癌由来の胚性腫瘍細胞株(EC)であり、レチノイン酸(RA)やアデノウイルス初期遺伝子E1Aによって内胚葉系列細胞へ分化誘導される。発癌遺伝子c-junは未分化F9細胞ではほとんど発現していないが、RAによる分化誘導と共にその発現はスーパーインダクションされる。また、c-jun遺伝子の発現ベクターをF9細胞に遺伝子導入するとRAによる分化と同様な分化が誘導されることから、F9細胞の分化過程でc-jun遺伝子の高発現が細胞分化の誘導に直接寄与していると想定されている。所属研究室では、c-jun遺伝子の5'-上流域にRAやE1Aによる細胞分化に伴って活性化される配列DRE(differentiation response element)とそこに結合するDRF(differentiation regulatory factor)複合体を同定し、しかもその複合体中には、E1A結合蛋白質p300と転写因子ATF-2(activating transcriptional factor-2)が含まれることを見い出したことを報告している。また、RAによるc-jun遺伝子のトランス活性化、F9細胞の分化誘導には、p300とATF-2の会合と相互作用が重要であることも明らかにし、更にDRF複合体中に、未知のコンポーネントを同定している。本論文では、RAによるc-jun遺伝子の転写活性化と細胞の分化誘導機構の詳細な解明を目的として、以下の研究を行ったことを報告している。

 まず、本論文では、ATF-2結合蛋白質を用いたYeast-two hybrid screenにより、JDP2(Jundimerization protein 2)をATF-2の新たな結合蛋白質として同定し、マウスJDP2の全長cDNAをクローニングした。塩基配列解析から、マウスJDP2は1.5-kbの遺伝子構造を有し、163アミノ酸に相当する489 bpの翻訳領域(open reading frame;ORF)が含まれ、C末側には塩基性アミノ酸ーZipperドメイン(b-Zip)を有することを明らかにした。次に、マウス各組織と各発生初期段階の胚から抽出したRNAを用い、JDP2cDNAをプローブとしてノーザンブロット法で調べた結果、各々異なるレベルではあるものの、JDP2はほとんどのマウスの組織で発現し、また発生と共に、その発現量が徐々に増加していくことも明らかにした。更に、蛋白質間相互作用に関するin vivoとin vitroの実験で、JDP2とATF-2がそれぞれのb-Zipドメインを介して結合することを確認し、核酸-蛋白質間相互作用の解析(ゲルシフト解析)により、JDP2がホモ二量体あるいはATF-2とのヘテロ二量体でcAMP応答配列(cAMP responsive element;CRE)に結合すること、プロモーター活性の測定からJDP2がATF-2によってCRE依存的な転写を抑制することを見い出した。

 次に、RAによるc-jun遺伝子の転写活性化と細胞の分化誘導におけるJDP2の役割について検討を加えている。DREをプローブとしたゲルシフト解析の結果では、抗JDP2抗体添加により、特異抗体-DNA-蛋白質複合体のスーパーシフトが観察されることによって、DRF複合体中にはJDP2分子が含まれることを示し、同じゲルシフト解析により、JDP2がDREに直接に結合することを確認している。また、DREを含むプロモーターを用いた転写活性化実験では、JDP2がp300とATF-2による転写活性化を抑制することから、JDP2はDRF複合体中の抑制的構成成分であることを示し、JDP2を恒常的に強制発現させた細胞を用いたc-jun遺伝子のプロモーター活性の測定実験では、JDP2はATF-2/p300によるc-jun遺伝子のトランス活性化のみならず、RAによるF9細胞の分化誘導をも抑制したことを示している。一方、JDP2の抑制作用は、ヒストン脱アセチル化酵素HDACの阻害剤であるTSA(trichostatin)を添加することによって消失し、JDP2の免疫沈降物複合体がHDAC活性を有することから、JDP2の抑制機構はHDAC依存的であることを推定し、JDP2が特異的にHDAC3と結合し、DRF複合体中でJDP2/HDAC3複合体を構成することを観察している。また、RA処理によってJDP2、HDAC3のDREに対する結合活性とJDP2、HDAC3間の会合能力は減少し、逆に、p300とATF-2のDREへの結合能力は増加することを明らかにした。更に、JDP2/HDAC3複合体がATF-2/p300複合体によってDRE上でRA刺激依存的に置換されるに伴って、DREを含むヒストンのアセチル化が低アセチル化状態から高アセチル化状態へ変化することも示した。

 以上、本論文は、マウスJDP2の全長cDNAをクローニングし、JDP2をATF-2の新規リプレッサーとして同定し、更にJDP2が特異的にHDAC3複合体をc-jun遺伝子のプロモーター領域にリクルートすることによって、その抑制機能を発揮することを初めて明らかにした。また、F9細胞の未分化状態では、JDP2により、c-jun遺伝子のプロモーター上に脱アセチル化酵素であるHDAC3がリクルートされ、その結果として、この領域のヒストンが脱アセチル化状態になってクロマチンを凝縮させ、c-jun遺伝子の発現が阻害される可能性を示した。更に、RA刺激が加わると、JDP2/HDAC3複合体がアセチル化酵素であるp300複合体に切り替わることで、ヒストンのアセチル化が低アセチル化状態から高アセチル化状態へと動的変化することにより、c-jun遺伝子からの転写開始反応と活性化を通して、F9細胞の分化誘導がONになるモデルが推定できると考えられる。

 これらの成果は、分化、癌化における遺伝子発現制御機構の一端を明らかにする意欲的なものであり、生物学の基本的な仕組みを基にした医薬品化学にも貢献すると考えられる。したがって、本論文は博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク