学位論文要旨



No 215399
著者(漢字) 磯野,富美子
著者(英字)
著者(カナ) イソノ,フミコ
標題(和) 産業看護職における業務実態と役割志向の乖離とその関連要因に関する研究
標題(洋)
報告番号 215399
報告番号 乙15399
学位授与日 2002.07.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15399号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 菅田,勝也
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨 要旨を表示する

I.研究の背景

 産業保健の課題は大きく変化しており、産業看護職の役割も拡大・変化してきた。しかし、看護職が担っている業務は事業所の規模など多くの要因の影響を受け、事業所により異なっている。看護職の業務の現状に対しては、理想と現実のギャップが指摘されている。これまでに行われた調査によって看護職の業務実態は明らかにされてきたが、看護職の業務にどのような事業所の要因が影響を与えているのかについては、実証的に検討されていない。また、看護職が不満を感じている事務的業務の実態は、ほとんど把握されていない。業務実態とともに、「増やしたい」「減らしたい」などの業務への希望も明らかにされているが、看護職が産業保健活動のなかでどのような役割を担いたいと考えているのかについては、自由回答や業務への希望をとおしてしか推測できない。また、看護職が事業所の看護職に対する認識をどのようにとらえているのかについても、十分に把握されていない。さらに、これまでの調査は看護職を対象にしており、事業所の立場から看護職に対する事業所の認識を明らかにしたものはない。

 一方、業務の現状における理想と現実のギャップについても、どのような業務において生じ、また、どのような背景要因が関連しているのかについても明らかにされていない。そこで、看護職の業務における理想と現実のギャップを乖離と呼び、看護職の業務実態と役割志向をそれぞれ独立に把握し、その間の食い違いを同定することによって乖離の実態を明らかにしたいと考えた。両者の食い違いには、「増やしたい」、「比重をかけたい」と希望している業務に関与できないために不全感をもたらす状況や、一方では関与している業務に対して「やむをえず手をとられている」と負担を感じている状況があるのではないかと考えた。さらに、乖離のモラールに対する影響についても検討したいと考え、以下の3点を目的とした。(1)看護職の役割志向や看護職が事業所からどのような期待を受けていると認識しているかを明らかにするとともに、産業保健活動への看護職の関与に対する看護職の必要性認識や看護職がとらえている事業所からの関与期待を把握し、実際の事業所の看護職に対する関与期待との相違について検討する。(2)事務的業務を含む看護職の業務実態を把握し、事業所や看護職のどのような特性が看護職の業務実態に影響しているかについて検討する。(3)乖離が、どのような業務で生じているかを明らかにするとともに乖離が生じる背景要因を探り、モラールに対する乖離の影響についても検討する。

II.対象と方法

1.調査の対象と方法

 関東および関西地区の事業所に勤務する看護職を対象にして、自記式調査票による郵送調査を1998年6月に実施した。配布数563通のうち316通が回収され、280通(有効回収率49.7%)を分析対象とした。また、看護職調査の補完調査として調査対象の看護職が所属する事業所から287社を選択し、自記式調査票による郵送調査を同時に実施した。配布数282通のうち149通が回収され、138通(有効回収率48.9%)を分析対象とした。

2.分析に用いた変数と分析方法

 事業所で看護職に対し期待されている産業保健活動25項目(5分野)を設定し、看護職が関与する必要性(以下、看護職の関与の必要性認識)、事業所から看護職の関与をどの程度期待されていると認識しているか(以下、事業所からの関与期待に対する看護職の認識)について回答を求めた。なお、事業所調査でも同一項目について、看護職の関与を期待する程度(以下、事業所の看護職への関与期待)を尋ねた。

 看護職の業務については、全63業務を5領域に分け業務項目ごとに関与の状況と看護職の関与に対する要・不要認識を尋ねた。その回答を組み合わせ、関与していない・必要を「不全的乖離」、関与している・不要を「負担的乖離」、それ以外の組み合わせを「乖離なし」とした。「不全的乖離」は、看護職が関与する必要があると思う業務に関与していない状況、「負担的乖離」は、看護職が関与する必要がないと思う業務に関与している状況を示す。両者の全63業務における該当数の合計を算出して、それぞれ負担的乖離度および不全的乖離度変数とした。不全的乖離度の平均値は6.4(±5.9)、負担的乖離度3.1(土4.0)だった。

 また、看護職が日常業務のなかで感じているギャップ(以下、ギャップ感)については3項目、看護職の仕事に対する前向きな態度として捉えたモラールについては5項目の質問項目を設定した。どちらも、「非常にそう思う」から「ややそう思う」までの5段階の回答を求め、順次5点から1点を与えた。ギャップ感3項目の平均値は3.2(±O.9)、信頼性係数0.78、モラール5項目の平均値は3.6(±0.8)、信頼性係数0.86であった。

 主な分析方法は1)事業所の規模など事業所の特性と免許などの看護職の特性による業務への関与数の違いを検討するための平均値の差の検定と一元配置の分散分析、2)不全的乖離度、負担的乖離度、ギャップ感、モラールを従属変数にした重回帰分析を用いた。

 看護職調査の分析対象者は看護婦が最も多く68.6%、保健婦22.1%、准看護婦8.2%であった。衛生管理者の免許を持っている者は58.9%、そのなかで事業所の衛生管理者に選任されている者は33.5%であった。現在の職場での勤続年数の平均は10.6(±7.94)年であった。雇用主体は、会社(事業所)79.3%、健康保険組合17.1%であった。また、看護職が所属している事業所の規模は1000人以下が67.9%、業種は製造業78.2%、「有害業務がある」事業所が73.6%だった。「診療を実施していない」事業所は25%と少なかった。勤務場所で「単独で勤務している」と回答した者は32.5%だった。

 なお、分析対象とした事業所138社は、規模1000人以下が75.4%、製造業87.7%、「有害業務がある」62.3%であった。全ての事業所で産業医と衛生管理者が選任され、安全衛生委員会も全ての事業所で開催されていた。

III.結果および考察

1.看護職の役割認識

 産業保健活動5分野25項目に対する「看護職の関与の必要性認識(レンジ1〜5)」の項目別の平均値は作業・環境分野以外の4分野では全体的に高く、19項目のうち16項目が4.0以上であった。作業・環境分野6項目では全ての項目が4.0未満で、他の分野に比べて作業・環境分野への看護職の関心の低さがうかがわれた。

 産業保健活動25項目に対する「事業所からの関与期待に対する看護職の認識」と「事業所の看護職への関与期待(レンジ0〜5)」との比較では、11項目で「事業所の看護職への関与期待」のほうが有意に高かった。看護職が事業所の看護職への関与期待を、実際より低く認識していることがうかがわれた。

2.看護職の業務実態

 業務領域別の業務への平均関与率は、健康診断に付随した事務的業務75.7%、健康診断業務65.9%で、健康診断に関する業務への関与率が高いことは、既存の調査結果に類似していた。専門知識不要の事務的業務への平均関与率は49.8%で、事務的業務では内容により関与率が異なっていたが、看護職の約半数は何らかの事務的業務に関与していると考えられた。

 看護職および事業所の特性による、看護職が関与している業務数(以下、関与数)の違いを業務領域別に検討した。その結果、衛生管理者に選任されている者の関与数が診療・周辺業務を除く4業務領域で有意に高かった。免許別では健康管理業務で保健婦の関与数が有意に高く、健康診断に付随した事務的業務では有意に低かった。衛生管理者に選任されることで業務の拡大が可能になることや、保健婦のほうが看護婦や准看護婦より専門性の高い活動状況にあることが示唆された。

 事業所の規模による関与数の違いは、規模が大きくなるほど関与数が多いというような明確な違いは得られなかったが、全体的には200人以下規模と2001人以上規模の事業所での関与数が少ない傾向が認められた。業種では製造業での関与数が健康診断に付随した事務的業務と診療・周辺業務で有意に高かったが、製造業が多数である影響も考えられた。3.業務実態と役割志向の乖離の状況

 「不全的乖離」は健診業務と健康管理業務で多く、「負担的乖離」は専門知識不要の事務的業務で多かった。業務項目別では、「不全的乖離」は全員を対象にした事後指導や健康教育、「負担的乖離」は専門知識不要の単純事務作業などで多かった。

 看護職および事業所の特性と乖離の関連を探るために、不全的乖離度と負担的乖離度を従属変数にした重回帰分析を行った結果、不全的乖離度と事業所規模との間にのみ正の関連(p<0.01)がみられ、事業所規模が大きいほど不全的乖離度が高かった。2001人を超える大規模事業所での関与数が少ない傾向や、大規模事業所ほど保健婦の採用が増えることなどが影響しているのではないかと考えられる。

 乖離のモラールに対する影響を探るための重回帰分析では、モラールと不全的乖離度との間に負の関連(p<0.001)がみられ、不全的乖離度が高い者ほどモラールが低かった。「指導」や「教育」に関する業務へ関与していない状況が、看護職の仕事への意欲を低下させることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、これまでの調査では十分に把握されていなかった産業看護職の業務をめぐる問題点や看護職自身の役割認識を明らかにしようと試みたものである。具体的には、看護職が不満を感じているにもかかわらずほとんど把握されてこなかった事務的業務の実態や、実際の業務にどのような要因が影響しているのか、また、業務を検討するうえで不可欠の看護職自身の役割に対する認識を明らかにするとともに、産業看護職がかかえている問題の根底にある彼女らの業務に対する理想と現実の業務実態との食い違いを乖離と名づけ、その実態を実証的に把握しようと試みており、下記の結果を得ている。

1)看護職の多くが関与している事務的業務は健康診断に付随した業務であった。また、看護職が関与する業務数は免許の種類や衛生管理者への選任の有無により異なっていた。

2)看護職は専門業務に専念するとともに個人レベルではなく職場集団全体への関与を深めたいと希望している。一方、作業・環境分野に対する関心は低かった。

3)事業所側の看護職に対する産業保健活動への関与の期待は、看護職が感じているよりは高かったが、看護職自身が認識するほどには高くなかった。また、看護職には事業所からの期待を低くとらえる傾向がみられた。

4)自己が関与を必要と思う業務に看護職が関与していない状況(不全的乖離)は健康管理業務や健康診断業務で生じていた。また、関与を必要ないと思う業務に関与している状況(負担的乖離)は専門知識が不要である事務的業務で生じていた。乖離の背景要因は、事業所の規模であった。

5)モラールヘの影響は不全的乖離のみでみられ、必要と思う業務に関与していない状況が看護職の仕事への意欲を低下させることが明らかになった。

 以上、本論文は産業看護職の業務を検討する上で貴重な基礎資料となると同時に、看護職のみならず事業所の認識を同時にとらえたことによって、産業看護職の現実的な将来像を模索するうえで多くの示唆が得られたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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