学位論文要旨



No 215406
著者(漢字) 内野,儀
著者(英字)
著者(カナ) ウチノ,タダシ
標題(和) メロドラマからパフォーマンスへ : 20世紀アメリカ演劇論
標題(洋)
報告番号 215406
報告番号 乙15406
学位授与日 2002.07.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15406号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,良明
 東京大学 教授 小林,康夫
 東京大学 教授 能登路,雅子
 慶應義塾大学 教授 石井,達朗
 京都造形芸術大学 教授 太田,省吾
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、まずその序章で論文全体の地の部分を構成する20世紀アメリカ演劇の通史的展望を示す。即ち、アメリカ的資本主義の発展とともにあったアメリカ演劇の前進のモメントが、高級芸術対大衆文化という古典的対立によってではなく、資本主義と民主主義のイデオロギーを媒介として構想されうる新大陸における国民文化としての演劇という、商業性と非商業性を一枚岩的に包摂することで獲得されてきたという展望である。1920年代に最盛期を迎えるブロードウェイ演劇は、第2次世界大戦後の1960年代にいたるまで、メロドラマ的なもの、即ち大衆的なものへの同化と異化を表明しながら、非メロドラマとしての台詞劇、即ち文学としての戯曲を書く国民的劇作家を特権化しつつ、その歴史を刻んでいた。しかしリヴィング・シアターが開始した60年代以降のオルタナティヴな演劇の探求プロセスにおいて、メロドラマ的なものからの訣別が宣言される。そこでは文学としての戯曲は破棄され、俳優やその他のイメージ生成装置によって劇場空間に現前し、現前した瞬間に消滅してしまう演劇の上演、即ちパフォーマンスとしての特性が思考されることになる。70年代の「イメージの演劇」の登場、さらには80年代のパフォーマンス・アートという新たな芸術ジャンルの流行は、こうしてブロードウェイの文脈とは異なる別個の歴史的文脈を形成してゆくのである。

 以上の通史的見通しのもと第I部では、20世紀アメリカ演劇における最大の劇作家ユージン・オニールを取りあげる。オニールはメロドラマ作家から悲劇作家に成長したとして正典化されているが、まず一章では、近年のメロドラマ再評価の経緯を辿り、ピーター・ブルックスによる画期的なメロドラマ論を紹介する。さらに、西洋近代を特徴づける想像力のあり方を「メロドラマ的」と名づけたブルックスにしたがい、オニール中期のメロドラマ性が強いとされる作品の再評価を提唱する。つづく二章では、より具体的に、『泉』、『長者マルコ』、『ラザロ笑えり』の「ページェント劇」と呼ばれる三作を、そのセノグラフィ構築の特徴を中心に分析する。ブルックスによれば、メロドラマとは、可視的現実を背後から支える「悪」や「善」といった不可視の倫理的規範を劇場空間で記号的に明示化することで、観客に自分の生きる現実を意味あるものとして肯定させるための儀礼の様式である。しかし、20世紀初頭のオニールは、正統的メロドラマの整合的ヴィジョンを提示することができず、記号の過剰さだけが劇場空間に散乱する作品を書いたのである。

 第II部と第III部では、「メロドラマからパフォーマンスヘ」と題して、戦後アメリカ演劇の諸相をヴェトナム戦争という歴史的事件を背景にしながら描きだす。

 II部一章では、戦後アメリカ演劇を代表するアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を取りあげる。同作品が長期にわたって高い評価を得てきた理由を、本論では、その文学的価値にではなく、危機的状況を解決するための形式としての「社会劇」というヴィクター・ターナーによる文化人類学的知見に求める。主人公ウィリー・ローマンは、同時代アメリカの二つの社会的規範(「愛の神話」と「アメリカの成功神話」)の違反者であり、同作品の物語は、違反者ウィリーを社会が矯正する試みに失敗する過程と、その結果として彼を社会から分離する儀式として読むことができるのである。

 つづく二章と三章では、ヴェトナム戦争がアメリカ演劇に与えた影響を考察する。二章では、ヴェトナム戦争劇作家として知られるデイヴィッド・レイブを取りあげ、戦争への直接的な怒りの表現と考えられる『パヴロ・ハメルの基礎訓練』(1971)から、戦争終結からかなり時間を経て発表された『大騒ぎ』(1984)までを概観する。そこで明らかになったのは、ヴェトナムについて書くことの緊急性に由来する「熱」を帯びていたその初期から、次第に知的な芸術家として成長し、戦争の不条理をより普遍的な戯曲として書こうとするレイブの劇作家としての特性である。

 三章では、ヴェトナム戦争がアメリカにおける演劇というメディアそれ自体を変質させたプロセスに注目する。リヴィング・シアターが先導した60年代演劇革命では、近代演劇という制度を批判するために、俳優の「自己」に演劇表現の根拠が置かれた。しかし、ヴェトナム戦争による世界観の急激な変化により、その「自己」さえも懐疑の対象となり、「イメージの演劇」と呼ばれる70年代演劇にいたると、60年代演劇が求めた演劇の「広がり」よりも「深さ」への志向が強まることになったのである。

 その「イメージの演劇」の代表的作家がIII部一章で扱うリー・ブルーアである。本章ではその代表作『メッカ参拝』(1984)の引用と自己言及性というテクスト的特性といわゆるハイテク機材の上演における機能を、具体的なテクスト分析によって明らかにする。ブルーアの「イメージの演劇」作家としての特徴は、ハイテク機材を含む劇場的要素を最大限利用することで、演劇的豊かさをパフォーマンスとしての上演に付与しようとする点にある。

 つづく二章と三章では、ポスト・ヴェトナム世代を代表する二人の劇作家サム・シェパードとトニー・クシュナーを取りあげる。二章のシェパード論では、英国から帰国後の家族劇を高く評価する従来のシェパード研究の定説に異を唱えるかたちで、ヴェトナム戦争の前後、即ち60年代と70年代をコンテクストとして措定しつつ、シェパードの作家としての運動を一つのテクストとして読むことを試みる。そのとき、拡散的で中心を欠くとされる初期シェパード戯曲群は60年代的「自己」の運動を記録する「真っ白け」のテクストであると認定することが可能になり、その一方で70年代後半以降のより構築的な作品は、懐疑の対象としての「自己」、即ち「内面」を捏造するための身ぶりとしてのテクストである、という結論を得ることになる。

 三章で扱うクシュナーの『エンジェルズ・イン・アメリカ』は、80年代のエイズ危機後のアメリカを代表するいわゆるゲイ演劇の傑作である。本章ではアメリカにおけるゲイ演劇の歴史をまず概観し、スーザン・ソンターグが注目した<キャンプ>という概念を検討しながら、同作品の<キャンプ性>を論じる。<キャンプ>とは、同性愛の文化と深くかかわる「芝居がかり」の感覚である。テクストのレヴェルのみならず、パフォーマンスのレヴェルまでを考慮に入れたとき、「演じること」にきわめて自覚的なこの作品は、「芝居がかり」という<キャンプ性>を過剰に肯定するという意志において、ブロードウェイ演劇というメインストリームにありながら、すぐれて政治的な作品だという評価が可能になる。

 第IV部では、多少視点をずらしてヨーロッパの文脈を導入することで、70年代以降のアメリカ演劇をめぐる諸問題を考える。第1章ではバウハウスにおけるオスカー・シュレンマーの仕事を取りあげ、言語と身体を廃絶するという「夢」が語られることを重要視し、ヴァーグナーからはじまる「総合芸術」としての演劇を目指すアヴァンギャルドの伝統が、シュレンマーによって変奏され、70年代アメリカの「イメージの演劇」の中心人物ロバート・ウィルソンヘと飛び火した様子を描きだす。つづく二章ではそのウィルソンと旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーの共同作業の軌跡をたどる。ミュラーの代表作で上演不可能といわれた『ハムレットマシーン』のウィルソンによる上演(1986)を中心に、相反する歴史的環境から登場したイメージ生産機械ウィルソンとテクスト生産機械ミュラーの出あいとすれ違いを分析する。

 3章ではアメリカの80年代におけるピナ・バウシュ受容の問題を取りあげる。即ち、暴力の問題を直接的に扱うバウシュのタンツ・テアーターが、旧来的な意味での芸術の政治性を拒絶した身体の政治学としか呼びようのないものによって成立していることを、アメリカの観客は直感的に感じとっていたにもかかわらず、批評家は理解することができなかったという問題である。また、舞台芸術における新たな政治性の登場へのアメリカでの反応を通し、日本の文脈でのバウシュ受容の可能性を論じる。

 V部では60年代に発生する新たな表現ジャンルとしてのパフォーマンス・アートの歴史をたどる。一章ではまずパフォーマンス・アートの辞書的定義の検証を行う。そこで明らかになったのは、第二次世界大戦後の「行為としての美術」という流れに、多様な歴史的文脈からの影響が加わり、アメリカ独自の政治的身体表現の形式としてパフォーマンス・アートが生まれたということである。つづく2章では、その中心的なサブ・ジャンルとしてのフェミニスト・パフォーマンスの系譜を、キャロリー・シュネイマンの「聖なる肉体」からカレン・フィンリーの「猥褻な身体」にいたる身体性の変化として考察する。

 3章ではパフォーマンス・アートと60年代以降の前衛演劇(「68年型演劇」)との関係を論じる。即ち、演劇のパフォーマンス的側面を重要視するスペクタクルとしての「イメージの演劇」もまた、パフォーマンス・アートの一形態と認定でき、「美術の革新」と「68年型演劇」は、パフォーマンス・アートとして、70年代以降「自伝的ソロ・パフォーマンス」と「イメージの演劇」に両極化して展開すると考えられるのである。さらに4章では、大衆化と政治化というパフォーマンス・アートの80年代以降の流れを追う。ここで中心になるのはソロ・パフォーマンスと呼ばれるサブ・ジャンルである。一方でエンターテイメント産業と結びつきつつ、他方でPC(ポリティカル・コレクトネス)という時代思潮やエイズ危機を時代背景としつつ、ティム・ミラーなどによるクイア・パフォーマンスは新たな政治性を獲得することになったのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本審査委員会は、平成14年6月29日土曜日、博士号申請論文『メロドラマからパフォーマンスヘ-20世紀アメリカ演劇論』について、本研究科8号館419教室において公開の審査会を行った。

 本論文の問題点として、予備審査の段階から、構成の「ゆるさ」を指摘する意見があがっていた。「20世紀アメリカ演劇論」という副題が示しているように、通史的な問題意識を内包した論文であるにもかかわらず、全15章のうち12章は、ベトナム戦争以降の時代の革新的演劇家およびパフォーマンス・アーティストの意義を、時代の流れの中で列記するという構成になっており、各章の焦点も、作品論、作家論、状況論、時代論、文化論を揺れ動いていて、論文全体のテーゼが明快には結論づけられていないのではないかという意見である。

 審査会の質疑応答のなかで徐々に確認されていったことは、筆者の選んだテーマがまさにそのような書き方を要求しているということであった。「メロドラマからパフォーマンスヘ」という題が意味しているのは、1960年代後半に決定的になったアメリカ演劇の軸の移動、およびその後永続する自己変革的状況であって、現場における多種多様な試みから、このような大きな見取り図をできうる限り正確に組み上げていくには、個々の舞台に対するミクロ視座と、それぞれの舞台をそれぞれにあらしめてきた政治社会的な力を見据えるマクロな視座とを往復する複眼的なパースペクティブが必要である。対象を静的に統一された記述の平面に取り込むことは学術研究の基本ではあるが、本論文の豊かさは、むしろ猥雑な状況へ演劇研究を開いた点に求められる。すなわち、複雑化する20世紀アメリカ文化、その歴史的歩みの諸局面である時代状況、それぞれの時代を特徴づける社会的ムーブメントとそれと共振し合うかたちでの演劇人の生き様-それら、作品を同心円的に取り巻くコンテクストの輪を見据えながら、常に新たなジャンルを生み出しつづけるアメリカ演劇の有機的全体像を描き出したことが本論文の特筆すべき成果であると、本審査委員会の全メンバーが認識するに至った。

 もう一点、本審査委員会が考慮しなくてはならなかったのは、本論文が、ほぼ12年間にわたる筆者の論考をまとめたものだという事実である。筆者の研究人生の過程で、そのつど産み落とされた成果を合体させたものを、博士論文にふさわしいと認定するか否か。

 この点に関して、本委員会は一般論を展開する立場にはなく、あくまでも提出された論文自体の価値を吟味することを任務とした。そしてこの論文が、いまだ統一的に記述されたことのない問題系に関して、本家アメリカにおいても類書を見ないほどの広がりと深みをもった議論を展開していることを確認した。その貢献は、以下の二点にまとめられる。

 (1)本論文は、いわゆる"近代劇"としてあったアメリカ演劇の前提が、筆者の言う「1968年型演劇」の登場によって根底的な批判にさらされて以降、四半世紀の間に上演の現場で繰り出されてきた数々の問題意識を体系づけた上で、テクストと身体、表現者の自己と社会の交差する劇場空間の様態を跡づけている。リヴィング・シアター、サム・シェパード、トニー・クシュナー、ロバート・ウィルソン、ピナ・バウシュ、カレン・フィンリー、ローリー・アンダーソン等々を経てクィア・パフォーマンスに至る試みを一つの視座に収めつつ、それを一つの文明論の水準で読み通させるという仕事は画期的なものである。オニールやミラーによる古典的テクストを扱うときも、演劇をその文化的コンテクストとの関わりにおいて論じるという姿勢が一貫して保持されており、結果的に、本論文は「20世紀アメリカ演劇論」と呼ぶにふさわしい大きさをもった有機的論考たりえている。

 (2)本論文が体現しているのは、従来の文学研究的なやり方でテクストに密着するのとはアプローチの異なる、現場性を重視する表象文化論的演劇研究の良心に従った研究活動であり、ここには、そうでなければ得られであろう種類の見識が満ちている。また、劇場と教育研究の場とを縫うようにして生き、足繁くアメリカに出かけて現在の先鋭的な舞台表現のありようを追い続けながら、一貫して向かい続けた思考の足跡が記されている。

 審査の過程で、系譜づけにやや強引な箇所がみられる点、当然扱って欲しかった人物が扱われていない点等が指摘されたが、点描的な方法によって通史を語るさいに、その種の不満が残るのは避けられず、むしろ、これまで別個のもととして捉えられてきた諸事象間に関連の糸を張り巡らせた点を積極的に評価すべきだという意見が大勢を占めた。

 一人の委員は、この論文で筆者は「三人分の仕事を一度にやった」と評したが、その言葉は、デザインされたと言うよりは、むしろ熟成の過程において舞台批評と学術研究と文明論的ビジョンとが融合した、本論文の性格を物語っている。ともあれ、現在進行形の文化事象を十分な広がりと奥行きをもって語りつつ、これまで戯曲のテクスト分析を中心に演劇を研究してきた者が持ちにくかった巨視的な視座を、ソシオ=ポリティカルな力学を持ち込むことで可能にした本論文に対し、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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