学位論文要旨



No 215407
著者(漢字) 富沢,壽勇
著者(英字)
著者(カナ) トミザワ,ヒサオ
標題(和) 現代マレーシア国家における王権儀礼 : ヌグリ・スンビランを中心とした人類学的考察
標題(洋)
報告番号 215407
報告番号 乙15407
学位授与日 2002.07.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15407号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 助教授 福島,真人
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、主としてマレー半島西南部のヌグリ・スンビランを中心とした王権儀礼および国王制度に伴う国家儀礼の考察を通じて、現代マレーシアにおける王権の、国家の中での位置と役割を、民族誌的記述とその分析に立脚した人類学の視点から明らかにしようとするものである。用いられる中心的素材は、現地調査において収集した民族誌的資料・現地語資料および英国植民地期の関連記録資料である。

 現代の人類学においては、権力は、それが赤裸々な形で実際に行使される場面においてのみならず、往々にして象徴的な表現やまわりくどいコミュニケーション手段をとおして人々を動かすものであり、儀礼がそのような典型的な場として利用されたり、操作されたりしやすいことが、広く認識されている。王権儀礼を主題とする本論は、多元的に作用し合う権力の磁場を現代的脈絡の中で検討しつつ、権力の象徴論を解明し、また深化させて行くための研究の一環を成す。同時に、現代世界で数少なくなってきた王権の実態を調査し、記述・分析する企図を併せもつ。特に現代マレーシアの場合、マレーの王権儀礼を中心とした支配者文化に関しては、人類学的な現地調査による民族誌的記述と分析が為されたものはきわめて限られており、この研究上の欠落を補填するのも本研究の重要な役割になっている。さらにヌグリ・スンビランという、現代マレーシア国家から見れば一地方に位置づけられる地域を微視的かつ集約的に考察する方法こよって、複雑で大規模な現代国家に人類学的に接近する方法論上の実験が本論では試みられる。

 本論は全体に三部構成になっている。まず序論では、人類学における儀礼研究一般の今日的状況が整理された上で、儀礼や象徴を通じて国家や権力に接近する一連の人類学関連理論が検討され、本研究の学説上の立脚点が示される。

 第I部では、本論の予備的考察が行なわれる。第1章では、本論の研究対象であるマレー(ムラユ)人の定義が整理され、その多義性が論じられつつ、同概念と王権との歴史上および認識論上の密接な連関が示される。第2章ではマレー社会における共同体理念の諸潮流に関する先行研究が吟味され、その中でのマレー王権(クラジャアン)の相対的な位置づけが行なわれる。また第3章では、東南アジアのいわゆる伝統国家の中でのマレー王権の位置づけが為され、近代の領域国家、国民国家との対照性が示され、第II部、第III部で論じられる現代マレー王権の変容に関わる分析道具が準備される。

 第II部からは、本論の中心を成すヌグリ・スンビラン王権・王国の民族誌的記述および考察が展開する。第4章では、同王権神話の分析が行なわれ、王権の正統化を導く政治的思考の特徴が提示され、またそこにマレー社会の共同体理念の諸潮流がどのように介在しているかも併せて明らかにされる。第5章では、同王権儀礼の概観が示された後、王の即位儀礼の構造が論じられ、同王権、王国の鍵概念であるダウラット観念の両義的性格が明らかにされる。また同儀礼の継時的考察を通じて、それが行なわれた時代状況に応じて演出される国家像が、その都度微妙に重心をシフトさせていることが明らかにされる。第6章では、マレー王権の差異化原理を端的に表し、王権イデオロギーを保持するための象徴装置とも考えられる拝謁儀礼と叙勲儀礼の現代的意味を探る。第II部での考察を通じて、今日の人類学的王権論、王権儀礼論の重要課題である王権と非王権的なるものとの間の分節関係が同地域資料について検討され、王権神話や王権儀礼に持ち込まれた民間の儀礼慣行や親族制度の象徴操作の側面が析出される。王権の象徴的構築は、このように民間の生活慣行に馴染み深い諸要素を象徴的に汲み上げる方法で行なわれる。これによって、権力(王権)は被治者層の自発的同意あるいは合意を引き出す論理的、情緒的根拠を得る。しかし、このような象徴表現の手段に訴えるが故に、それは人々の多元的な解釈(多様な象徴的知識)を呼び起こす契機をもたらすことになる。王権の核心を構成するダウラット観念も、その端的な例であり、同観念が不等原理と平等原理の対抗原理をあらかじめ内蔵する両義性をもつが故に、王権をめぐる人々の一連の解釈が両極端の間を揺れ動く余地を与える一方、王権は現実上の、または仮想上のさまざまな対抗的思想潮流や運動に持ちこたえるしたたかさを備えている。

 第III部では、ヌグリ・スンビラン王権を主なモデルとして成立したと言われる現代マレーシアの国王制度、および、支配者会議の現代的意味を、やはり特にその象徴的、儀礼的側面に光を当てて考察する。第7章では、独立後のマレーシアにおける国王制度を中心とした国家の意匠の創出において、ヌグリ・スンビランをはじめとするマレー半島各地のさまざまな地方慣行や文化伝統が汲み上げられ、採用されることによって、その正統性の基盤が与えられている反面、同時にグローバルで国際性を帯びた象徴・儀礼装置もまた不可欠のものとして導入されていることが論じられる。第8章では、国王の「死」と「再生」の儀礼、すなわち葬送儀礼と就任・即位儀礼過程の考察を通じて、ヌグリ(州/王国/地方)とヌガラ(連邦国家/中央)の構造的関係が明らかにされ、また同就任・即位儀礼の中に立ち現れる国家の実相が提示される。そこでは一見して調和的な儀礼行為と言説のやり取りの背後において、国王側のクラジャアン・イデオロギーと連邦首相側の近代主義的、国民主権指向の姿勢とが、微細ながらも重大な乖離を示していることが判明する。第9章は、本論の補足と総括に向かうための章である。とりわけヌグリ・スンビラン王国という地方的位相においても、現代マレーシア連邦国家の位相においても、いずれも、王国または「国家」の意匠の基盤としての「先住民」概念と王権との関係構築の論理において互いに符合する側面があることが示され、これを踏まえて現代マレーシアのブミプトラ政策の政治文化的背景が明らかにされる。つまり、いずれも先住民性、土着性に正統な政治的権威の根拠がおかれ、ムスリムと非ムスリムを同一範疇に包摂し、しかも前者に重心のおかれた政治力学をもつことで共通していることが論じられる。また広義の「先住民」(ブミプトラ)概念を基盤にして1970年代以降に急成長したマレー中間層と王権との多元的な関係の現代的展開も提示される。そして、終章では、以上の本論の議論の要約が為され、マレー民族概念と王権の関係が今後進み行く方向の可能性が示唆される。

 本研究は一貫して、儀礼を通じて「国家」をとらえようとする企図を持ち、しかもその歴史的諸相との関係において動態的に把握することを重視するが、その現在的位相として共時的にとらえる場合も、国家を決して先見的に一枚岩の実体としてはとらえない。この点で、人類学者が従来一般に行なってきた国家の扱いが、単一体的なイメージに基づいて展開してきた傾向に、本研究は批判的な立場を提示する。つまり、マレーシア国王儀礼のような国家儀礼に立ち現れる「国家」ですら、確かに支配の装置として一枚岩的外観を備えていることは否定できないものの、その表面下で脈々と流れる対立的、多元的思想潮流がしばしば顕在化する部分も併せ持っている。同様のことはヌグリ・スンビランの王権儀礼の考察からも指摘できる。こうして、連邦国家(ヌガラ)レベルでも州(ヌグリ)レベルでも、特に近年飛躍的に増加したマレー中間層の中から王権儀礼・文化を批判する人々と、これをマレーの伝統文化として消費しようとする性向の人々が錯綜して登場する中で、王権(儀礼)がこのような複合的な状況に対していかなる適応戦略を試みているかが明らかにされる。具体的には、近代主義的な民主政体や国民国家の指向、シャリーアを基盤としたイスラーム主義の潮流、あるいは観光政策に訴える経済開発主義、等々との相互作用の中で王権が現在まで持ちこたえているのも、それが儀礼の「内側」と「外側」のいずれの領域においても、対他的に巧みな象徴の運用能力を駆使することで柔軟に社会・政治環境の変化に対応してきたことによる。こうして王権は様々なイデオロギー潮流の波に揉まれながらも、巧妙に社会構造の重心を序列原理、不等原理の方向に押し戻す機能を更新し続けてきた側面が大きい。制度化された権力の一形式としてのマレー王権は、現代においては言うまでもなく、一方的な絶対権力としての絶対王政からは程遠く、現代国家の枠組の中で、同じく制度化された権力主体である近代行政機構としての中央政府(連邦政府)や地方政府(州政府)と併存し、また、伝統社会の首長や宗教権威をはじめ社会に存在する新旧の多様で多元的な諸権力、諸権威との現実的な相互作用の中に展開している。このような過程の考察を通じて、本論では王権パラダイムが現代のマレーシア国家の全体の構図の中で、いかなる位置づけにあるかが総合的に提示される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、論文提出者の1981年以来約20年間にわたる文献研究とフィールドワーク(1981年3月-1983年3月、1986年3月、1994年8-10月、1997年9月、1998年8-9月)に基づいて、現代マレーシア国家における王権の位置と役割を、マレー半島西部のヌグリ・スンビラン州の王権儀礼の詳細な民族誌記述と分析を通して、人類学の視点から明らかにしたものである。近年の人類学の先行研究をふまえて、国家や権力の問題に儀礼という視点から接近したところに本論文の大きな特徴がある。

 本論文は、以下のように要約される。序論では、人類学における儀礼研究、とりわけ儀礼を通して国家に接近する一連の先行研究が検討され、本研究の理論的な立場が示される。これに続く本論は、以下の3部から構成されている。

 第I部は、ヌグリ・スンビランの王権儀礼を取り上げるための予備的考察である。第1章では、「マレー(ムラユ)」という概念がマレー王権の歴史的・認識論的な問題との関連において検討される。第2章では、マレー社会における共同体理念に関する先行研究が吟味され、そのなかで王権(クラジャアン)が位置づけられる。第3章では、東南アジアの伝統国家のなかでのマレー王権の位置づけが行われている。

 第II部は、本論の中心をなし、そこではヌグリ・スンビラン王権の細密な民族誌的記述と分析が展開されている。第4章では、王権神話が取り上げられ、王権の正統化を導く政治的思考の特徴が解析される。第5章では、王権儀礼、とりわけ王の即位儀礼に焦点が合わせられ、王権の鍵概念であるダウラット観念の性格が検討される。さらに、即位儀礼の通時的分析から、時代状況に応じて微妙に重心をシフトさせつつ、演出される国家像が明らかにされる。第6章では、王権のイデオロギーを保持するための象徴装置と考えられる拝謁儀礼と叙勲儀礼の現代的意味が究明されている。

 第III部は、今日のマレーシア国家における王権の現代的意味についての考察である。第7章では、独立後のマレーシアにおける国家の意匠を創出する過程で、マレー半島各地のさまざまな地方慣行や文化伝統が汲み上げられ、採用されることによって、その正統性の基盤が与えられる一方で、国際的な象徴・儀礼装置も導入されたことが解明されている。第8章では、国王の葬送儀礼と就任・即位儀礼過程の考察を通して、ヌグリ(州、王国、あるいは地方)とヌガラ(連邦国家、あるいは中央)の関係が検討され、一見調和的な儀礼の背後に、国王側の王権イデオロギーと連邦首相側の近代主義的・国民主権の姿勢の乖離がみられることが論じられる。第9章では、現代マレーシアのブミプトラ政策の政治・文化的背景が、ヌグリ・スンビランにみられるような先住民概念と王権との関係構築の論理から解析されている。

 終章では、本論の議論が要約され、マレーシアにおける王権の今後の可能性が示唆されている。

 本論文は以上のような内容をもつが、本論文の学問的貢献は、次の2点にまとめることができよう。

 第1に、現代マレーシアに存続している王制の儀礼主義的特徴が、過去の歴史的形成過程をふまえたヌグリ・スンビランの王権儀礼を詳しく検討することを通して具体的に解明されている。その際、先行研究ではあまり注目されてこなかった、ヌグリ・スンビランの王族の一人トゥンク・ブサール・ブルハヌッディン(1961年に83歳で他界)が残したヌグリ・スンビラン王権神話の資料をマレーシア国立公文書館から掘り起こし、王権分析の基本テキストの一つとして取り上げた点はきわめてオリジナルであり、マレーシア国家と王制のかかわり、さらに現代において王制のもつ意義という従来のマレーシアの国家研究では十分に明らかにされてこなかった問題を浮き彫りにした点が、卓抜な貢献として評価される。

 第2に、今日のマレーシアの国家的な制度が地方的なものを土台にして成立していることが、ヌグリ・スンビラン王権とマレーシア王制との類似的な関係の考察を通して明らかにされている。マレーシアのような複合的な民族・社会構成をもつ国家の場合、地方の伝統と国民国家との接合は現代人類学の重要な課題であるが、王権の儀礼と被統治者の慣習・信念との間の親和性と差違の関係を詳細な民族誌的研究から具体的に実証してみせた点は、大きな功績である。

 もっとも、審査委員会においては、本論文は王権儀礼の象徴やイデオロギーの分析が中心となっていて、王権の担い手、あるいは王権イデオロギーを支える社会層についての分析が欠如しているため、多様な構成をもつ国民国家の社会動態をむしろ見えにくくしてしまっているのではないかという批判や、マレーシアの王権・王制の貴重な事例についての詳細な記述と分析は十分評価できるとしても、理論的には従来の王権論・儀礼論をあまり越えていないというコメントもあった。しかし、これらの批判やコメントは、長年にわたる地道で着実な研究実績に基づいた本論文の博士論文としての水準の高さを損なうものではなく、申請者の今後の課題としてさらなる研究の発展のなかで答えを出すべきであるという点で一致した。

 したがって、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク