学位論文要旨



No 215416
著者(漢字) 関根,正裕
著者(英字)
著者(カナ) セキネ,マサヒロ
標題(和) 粒状デンプンの新しい粘弾性評価法と食品加工への応用
標題(洋)
報告番号 215416
報告番号 乙15416
学位授与日 2002.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15416号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 空閑,重則
 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 助教授 宮脇,長人
 東京大学 助教授 竹村,彰夫
 東京大学 助教授 磯貝,明
内容要旨 要旨を表示する

 デンプン質原料から加工されるゲル状固形食品の力学特性にはデンプンの構造が影響する。また、蒲鉾等のタンパク質を主体とする食品の力学特性を改良する際にもデンプンの添加は効果的である。しかし、従来のデンプンの糊化特性評価では食品の力学特性と直接関連する品質指標は得られなかった。本研究では食品加工においてデンプンの物理的特性を効果的に利用する技術を確立するため、食品中と同様に粒の状態でデンプンの粘弾性を評価する技術を開発し、これによって捉えられる品質の指標に対し食品加工の見地から意味づけを行い、その有効性を検証した。

1.ゲル状固形食品の組織構造

 デンプンは直鎖状分子のアミロースと分岐構造を持つアミロペクチンの混合物であり、多数の微結晶を含む球状晶即ちデンプン粒として植物体内に蓄積される。微結晶はアミロペクチンの直鎖部分に形成され、二重ラセン構造を持つ。ラセンの内部に配位する水分子数は植物原料によって異なり、種子デンプンは配位水分子数の少ないA形結晶構造を持ち、根茎デンプンは配位水分子数の多いB形あるいはA形とB形の混在したC形結晶構造を持つ。水中でデンプンを加熱すると結晶が融解し、続いてデンプン分子の水和が起こり、デンプン粒は多量の水分を取り込んで膨潤する。これらの過程を糊化と呼び、さらに加熱するとデンプン分子の一部が溶出し粒構造の崩壊した糊液となる。食品中ではデンプンの糊化に利用できる水分量が限られ、さらにタンパク質、塩類等の影響を受けるため、水中での糊化とは異なる。うどんのゆで工程における部位別変化を走査型電子顕微鏡により観察した結果、ゆで上がった麺線の中心部には粒状のデンプンが残存し、表面付近には空隙の多い海綿状の組織がみられた。うどん独特の食感であるコシはこれらのデンプンにより形成されるものと推定された。他のゲル状固形食品にも粒状のデンプンが観察されることから、デンプンは加熱調理後も粒状のまま存在しこれらの食品の力学特性を支配すると考えられた。

2.糊化特性の従来の評価法

 従来の糊化特性評価法として、熱分析により結晶の融解に伴う吸熱を測定する方法、デンプン粒の偏光十字の消失を検出する顕微鏡法、懸濁液の光透過性低下を検出するフォトペーストグラフィー、デンプン粒の膨潤による懸濁液の粘度上昇を検出するビスコグラフィー、これを改良したラピッドビスコアナライザー法等がある。これらの方法による糊化温度は必ずしも一致せず、粘度の挙動とデンプン粒の崩壊の関係は明確ではない。またゲル状固形食品に相当する高濃度のデンプンを測定するプラストグラフィーもあるが、糊化後のデンプン粒は崩壊するという問題がある。

3.ゲル状食品に含まれるデンプンの粘弾性評価装置の開発

 デンプン粒を崩壊させずに糊化過程の粘弾性挙動を測定するため、既存の装置(東洋精機、レオログラフマイクロ)を改造し、連続測定と昇温温度制御の可能な微小変形動的粘弾性測定装置を試作した。測定中にデンプンが沈降するのを防ぐため、80℃付近までゲルの性質を示すキサンタンゲルにデンプンを保持する試料調製方法を考案し、糊化過程における動的粘弾性挙動を測定した(図1)。デンプンの沈降を防ぐキサンタンガムの最低濃度は2%(W/W)であった。デンプン懸濁ゲルの粘弾性は振動歪に影響されるため2%以下の歪振1幅で測定する必要があった。振動周波数は最小設定値の2Hzを選んだ。また、昇温速度1℃/分以下で試料ゲル内の温度分布を防いだ。この方法ではデンプン濃度5〜50%(W/W)の範囲で加温時粘弾性挙動の測定が可能であった。キサンタンゲルに分散させたデンプンを用いた動的粘弾性の測定によるデンプンの評価方法に対し、ゲル分散動的粘弾性測定(GDVM:Gel-dispersed Dynamic Viscoelasticity Measurement)という名称を提案する。4.GDVMとRVAの比較

 デンプンの糊化特性の評価法として普及しているラピッドビスコアナライザ法(RVA)と比較しGDVMの特徴を調べた。RVAによる糊化温度と示差走査熱量分析(DSC)による糊化温度の相関は根茎及びモチ系種子デンプンでは高いが、ウルチ系種子デンプンでは低かった。これに対しGDVMによる糊化温度は全てのデンプンでDSCによる糊化温度と高い相関を示した。特にG'の最大増加率時温度はデンプン濃度によらない糊化の指標と考えられた。

 GDVMではG'のピークを過ぎるとtanδが一定となるのでこの領域ではデンプン粒の膨潤によるゲルの連続構造の形成は完了すると見なされ、それ以後のG'の低下はデンプンゲルの粘弾一性の温度依存性を表わすと考えられる。ほとんどのデンプンでtanδが一定となる80℃におけるG'とG"の関係はデンプンの種類の違いに敏感でありG7-G"散布図での点位置はデンプンの起源(ウルチ系種子、モチ系種子、根茎)により異なっていた(図2)。RVAの特性粘度値もデンプンの種類の違いを反映したがGDVMほど明瞭ではなかった。

5.物理的処理による糊化特性の改変

 A形及びB形結晶を持つ数種のデンプンに対し120℃-2時間の簡易温熱処理(試験管中にて準密閉状態で行う熱処理)及び50℃-20時間の温水浸漬処理を行い糊化挙動の変化をGDVMにより調べた(図3)。水分量の半減する簡易温熱処理はカタクリ、ジャガイモ等のB形結晶デンプンの糊化温度を著しく低下させたが小麦、トウモロコシなどのA形結晶デンプンには影響しなかった。B形デンプンの糊化温度は常温で真空乾燥した場合も低下することから、簡易温熱処理による糊化温度の低下は水分除去により結晶の熱的安定性が低下したことが原因と考えられた。他方、50℃温水浸漬処理は結晶を安定化させるのでA形、B形とも糊化温度を上昇させ、その幅は平均で4℃であった。GDVMによる糊化後のG'値は室温での真空乾燥及び温水浸漬処理では影響を受けなかったが、簡易温熱処理ではB形デンプンのG'が増大し耐熱性の結合を生成させ糊化したデンプン粒の粘弾一性を増大させることが分かった。

6.高濃度デンプンの糊化特性に対する無機塩の影響

 食品加工の条件がデンプンに与える影響に関して基礎的知見を得るため、糊化の挙動に対する塩類の影響をGDVMにより調べた。ジャガイモデンプン(根茎)、小麦デンプン(ウルチ系種子)、モチトウモロコシデンプン(モチ系種子)の糊化温度に対する塩の作用は類似していた。硫酸ナトリウムはデンプンの糊化温度を顕著に上昇させ、塩化ナトリウムの影響はわずかであった。これはDSCによる結果と同様であった。GDVMで得られる糊化後のG'値は硫酸ナトリウム、塩化ナトリウムのいずれによっても上昇する傾向があり、この変化はジャガイモデンプンにおいて顕著であった。デンプンの種類間における作用の違いはデンプンに含まれるリン酸エステルやリン脂質などの少量成分に起因する可能性がある。リン酸塩、有機酸塩及び他の塩化物は食塩と同様の作用を示し、硫酸カリウムは硫酸ナトリウムと同じであった。

7.GDVMによる食品の力学特性予測

 デンプンを含むゲル状食品に対するデンプンの性質の影響を調べるため、数十種のデンプンを用いて蒲鉾、ソーセージ及びうどんを試作し圧縮弾性率を測定した。他方、各デンプンの粘弾性をGDVMにより調べた。デンプン比率の低い蒲鉾の圧縮弾性率は高濃度(33%)のG'(80℃)とは相関を示さず、低濃度(10%)のG'(80℃)と高い相関を示した。同程度のデンプンを含むソーセージでは高濃度・低濃度のいずれのG'とも相関はみられなかった。デンプン比率の高いうどんの圧縮弾性率は高濃度のG'(80℃)と相関を示したが低濃度のそれとは相関が見られなかった。デンプン比率の高い食品の力学特性は粒状デンプンの粘弾性に支配されるため高濃度デンプンのG'(80℃)が良い指標となり、デンプン比率の低い食品では糊化する際にデンプン粒がタンパク質組織から水分を奪う作用が強く影響するため低濃度デンプンのG'(80℃)が指標として利用できることが分かった(表1)。

 実際の蒲鉾用魚肉ぺーストに添加されたデンプンの糊化温度はタンパク質が先に変性して水分を取り込む効果と塩分による膨潤の抑制作用によりGDVM(33%)における糊化温度より5〜10℃高くなる場合があった。このような場合、食品の力学特性に対するデンプンの効果は低減する可能性がある。

8.GDVMの応用

 GDVMでは糊化温度に加えてG'、G"の絶対値とその温度変化が求められるため、小麦粉、米粉、そば粉などの粉末化したデンプン原料の品質を判断するための豊富な情報が得られる。また、複数のデンプンが混合した試料に対してはG'昇温曲線、G'微分曲線及びtanδ昇温曲線から異種デンプンの混入を検出し、性質が大きく異なる場合その種類を推定できる可能性もある。

9.総括

 ゲル状固形食品中におけるデンプンの糊化挙動を調べるため、デンプン懸濁キサンタンゲルの昇温粘弾性挙動を微小変形の動的手法により測定するゲル分散動的粘弾性測定(GDVM)を開発した。GDVMでは糊化後もデンプン粒が崩壊せず、食品中と同様の状態でデンプンの昇温粘弾性挙動を測定できた。GDVMにより得られる糊化温度は熱分析法の糊化温度と高い相関を示し、GDVMの粘弾性値はゲル状固形食品の力学特性と相関を示すため、食品の力学特性を改良するのに必要なデンプンの種類や量を的確に判断するための指標となる。またGDVMはデンプン原料の品質評価や純度の判定においても有効な手段になり得る。

図1 33%(W/W)ジャガイモデンプンのGDVM粘弾性の昇温曲線

実線:G'、破線:G"、O:tanδ(=G"/G')

図2 各種デンプンのGDVM粘弾性(80℃)

○:ウルチ系種子デンプン(W小麦,Cトウモロコシ,Rウルチ米),●:モチ系種子デンプン(WCモチトウモロコシ,WRモチ米),△:根茎デンプン(Pジャガイモ,Tタピオカ,Sサツマイモ),■:豆デンプン(Gr緑豆)

図3 デンプンの糊化時粘弾性挙動に対する物理的処理の効果

実線:未処理、破線:常温真空乾燥、○:120℃乾熱処理、△=50℃温水浸漬処理

図4高濃度デンプン(33%)の糊化時粘弾・性挙動に対する塩類の影響

0,I,II,III:0,6.3,12.5,18.8%(W/W)

表1 GDVM粘弾性値と食品の圧縮弾性率の相関係数

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は食品用デンプンの粘弾性を評価する技術を開発し、これによって捉えられる品質の指標に対し食品加工の見地から意味づけを行い、その有効性を検証したものである。

 第1章ではゲル状固形食品の組織構造を走査型電子顕微鏡で調べた。うどんのゆで工程における部位別変化を走査型電子顕微鏡により観察し、麺の中心部には粒状のデンプンが残存し、表面付近には空隙の多い海綿状の組織ができることを明らかにした。うどんのコシはデンプンのこのような状態により形成されるものと推定した。

 第2章では糊化特性の従来の評価法を概説した。熱分析(DSC)、顕微鏡法、フォトペーストグラフィー、ビスコグラフィー、ラピッドビスコアナライザー(RVA)法を紹介し、これらの方法による糊化温度が必ずしも一致せず、粘度の挙動とデンプン粒の崩壊の関係は明確ではない、等の問題点を整理した。

 第3章ではゲル状食品に含まれるデンプンの粘弾性評価装置の開発について述べた。デンプン粒を崩壊させずに糊化過程を追跡するために既存の装置を改造し、連続測定と昇温温度制御の可能な粘弾性測定装置を開発した。測定中にデンプンが沈降するのを防ぐため、キサンタンゲルにデンプンを保持する試料調製方法を考案し、ゲル分散動的粘弾性測定(GDVM)という名称を提案した。

 第4章ではGDVMとRVAの比較を行なった。RVAによる糊化温度とDSCによる糊化温度の相関は根茎及びモチ系種子デンプンでは高いが、ウルチ系種子デンプンでは低かった。これに対しGDVMによる糊化温度は全てのデンプンでDSCによる糊化温度と高い相関を示した。80℃におけるG'とG"の関係はデンプンの種類の違いに敏感でありG'-G"散布図での点位置はデンプンの起源により異なっていた。RVAの特性粘度値もデンプンの種類の違いを反映したがGDVMほど明瞭ではなかった。

 第5章では物理的処理による糊化特性の改変を調べた。数種のデンプンに対し120℃-2時間の簡易温熱処理及び50℃-20時間の温水浸漬処理を行い糊化挙動の変化をGDVMにより調べた。簡易温熱処理はB形結晶デンプンの糊化温度を著しく低下させたがA形結晶デンプンには影響しなかった。B形デンプンの糊化温度は常温で真空乾燥した場合も低下することから、簡易温熱処理による糊化温度の低下は水分除去により結晶の熱的安定性が低下したことが原因と考えた。温水浸漬処理はA形、B形とも糊化温度を上昇させ、その幅は平均で4℃であった。糊化後のG'値は室温での真空乾燥及び温水浸漬処理では影響を受けなかったが、簡易温熱処理ではB形デンプンのG'が増大し耐熱性の結合を生成させ糊化したデンプン粒の粘弾性を増大させた。

 第6章では高濃度デンプンの糊化特性に対する無機塩の影響を調べた。硫酸ナトリウムはデンプンの糊化温度を上昇させ、塩化ナトリウムの影響はわずかであった。GDVMでの糊化後G'値は塩の添加により上昇し、これはジャガイモデンプンにおいて顕著であった。リン酸塩、有機酸塩及び他の塩化物は食塩と同様の作用を示し、硫酸カリウムは硫酸ナトリウムと同じであった。

 第7章ではGDVMによる食品の力学特性予測を試みた。数十種のデンプンを用いて蒲鉾、ソーセージ及びうどんを試作して圧縮弾性率を測定し、粘弾性をGDVMにより調べた。デンプン比率の低い蒲鉾の圧縮弾性率は高濃度のG'とは相関を示さず、低濃度のG'と相関を示した。ソーセージでは高濃度・低濃度のいずれのG'とも相関はみられなかった。デンプン比率の高いうどんの圧縮弾性率は高濃度のG'(80℃)と相関を示したが低濃度のそれとは相関がなかった。デンプン比率の高い食品の力学特性は高濃度デンプンのG'(80℃)が良い指標となり、デンプン比率の低い食品では低濃度デンプンのG'(80℃)が指標として利用できることが分かった。

 第8章ではGDVMの応用の可能性について述べた。GDVMでは糊化温度に加えてG'、G"の絶対値が求められるため、デンプン原料の品質評価のための豊富な情報が得られる。混合デンプンに対してはG'昇温曲線、G'微分曲線及びtanδ昇温曲線から異種デンプンの混入を検出し、また主成分の種類を推定できた。

 以上を総合して本論文はデンプンの糊化挙動を簡便かつ正確に評価するための新しい方法を確立し、それを多数種類の食品用デンプン試料に適用して、実際の食品製造での原料の評価・判別と加工工程の管理における有用性を示すとともに、デンプンの物性に関する多くの基礎的知見を集積したものであり、学位授与の要件を満たすと判定される。また本論文内容の大部分は既に専門学術誌に発表されている。したがって審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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