学位論文要旨



No 215418
著者(漢字) 岩田,仲弘
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ナカヒロ
標題(和) 循環濾過式ヒラメ養殖の環境調節による生産性向上に関する研究
標題(洋)
報告番号 215418
報告番号 乙15418
学位授与日 2002.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15418号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 助教授 岡本,研
 東京大学 教授 良永,知義
内容要旨 要旨を表示する

 近年、漁業海域の制限などによる天然海域での漁獲量の減少や、中高級魚の消費増大などから、魚介類供給における海面養殖の重要性が高まっている。しかし、養殖魚の残餌や排泄物による周辺海域の汚染、自然環境の影響による生産の不安定性などにより、海面養殖の持続的発展は困難な状況にある。これに対し、近年開発が進められている循環濾過式養殖では、海域の汚濁負荷を生じず、また、自然環境の影響を受けずに計画的な生産が可能である。

 海面養殖対象魚種のうち、第3位の生産額を占めるヒラメについては、近年、循環濾過式養殖技術が開発されている。今後、本方式を普及、拡大する上では、生産性を向上させて経済的な成立性を確保することが課題となっている。

 そこで本研究では、養殖の持続的発展を可能にする循環濾過方式によるヒラメ養殖の生産性向上を図ることを目的として、計画的生産、生産コスト削減、商品価値向上の観点から検討を行なった。

(1)計画的生産のための成熟、産卵制御技術一成熟、産卵に対する水温、日長等の影響

 循環濾過式養殖では自然条件の影響を受けずに魚類を生産できることから、出荷時期の調整による収益性の向上が期待できる。このような計画的生産を行なうためには成熟、産卵時期を調節して、周年、必要な時期に種苗を確保しなければならない。そこで、環境調節によるヒラメの成熟、産卵制御技術を開発するために、自然条件および環境調節条件において、成熟、産卵に対する水温、日長の影響を解明し、その応用として水温、日長制御条件下での採卵を試みた。

 自然条件における生殖年周期を明らかにするため、千葉県保田の掛け流し式養殖場で飼育したヒラメの生殖腺重量体重比(GSI)や血液中の成熟ステロイドホルモン濃度等を4週間ごとに測定した。いずれの成熟指標も冬の終わりから上昇し、春にピークとなり、その後、水温上昇にともなって低下し、夏以降は低レベルにとどまった。このような生殖年周期と水温、日長の周年変化から、成熟可能な水温条件は20℃以下、日長は10時間以上であると考えられた。

 次に、水温を12,15,20,25℃に維持した循環濾過式水槽において、明期12時間:暗期12時間(12L:12D)でヒラメを飼育して成熟に対する水温の影響を検討した。この結果、20℃以上の水温は成熟には適さず、雌では15℃付近が、雄ではこれよりやや低温が成熟道水温と考えられた。一方、光条件を9L:15D,12L:12D,15L:9D,18L:6Dとして水温15℃で飼育実験を行なったところ、雌では15L:9D前後、雄ではこれより長日条件が成熟促進に適していると推察された。これらの結果から、雌雄間で成熟好適条件に差はあるものの、15℃、15L:9Dの条件で成熟促進が可能であると考えられた。

 そこで、水温15℃、光条件15L:9Dとして、総水量6m3の循環濾過式水槽に雌1〜2尾、雄3〜4尾を収容して飼育実験を行なった。この結果、53〜128日にわたって産卵が行なわれ、雌1尾あたり316〜1653万粒の卵が得られた。これまでに報告されている掛け流し式での産卵成績と比較すると、孵化率はやや劣るものの産卵数や浮上卵数はほぼ同様であった。

(2)生産費用削減のための成長促進技術-成長に対する水温の影響

 循環濾過式養殖では、対象魚の成長に適した水温を維持することによって成長の促進が可能である。成長促進により生産期間が短縮できれば、生産費用を削減できることから、ヒラメの成長に対する水温の影響について検討を行なった。

 体重0.2g〜1700gの13サイズのヒラメを、10〜30℃の一定水温において配合飼料を飽食給餌して飼育した。この結果、日間増重率が最大となる成長通水温は、23℃前後から18℃前後まで成長にともなって低下する傾向が認められた。このような、成長にともなう水温影響の変化を定量的に評価するために、水温を変数として含む成長式を算出した。なお、ヒラメでは、エネルギー源としてタンパク質への依存度がきわめて高いことから、タンパク質代謝を指標する窒素収支によって成長を表現した。

 体重0.2〜1000gの4サイズの飼育実験終了時における魚体窒素含量の分析結果から、魚体中窒素量(WN,mg)と体重(W,g)との関係は、WN=23.24W1.044と表わされた。この式を利用して、飼育実験における体重を魚体中窒素量に変換した。次に、個体別に摂餌量と体重変化を測定した88〜1700gサイズについて、窒素摂取量(I)と魚体中の窒素増加重(G)との関係を検討したところ、各飼育水温において両者の間には直線関係が認められた。そこでヒラメにおける窒素収支を、回帰直線の傾きである純窒素転換効率(KN)とY切片である絶食時窒素排泄量(E)を用いて、G=KN・I-Eと表現した。この式の各項について、飼育実験の結果、および既存の知見を用いて水温別に魚体中窒素量の関数として表わした。さらに、各項の係数について水温を変数とする関数を求めることによって、魚体中窒素量の増加(G)を魚体中窒素量(WN)と水温(p)の関数として表わす以下の式を得た。G(p)=(-0.00322p2+0.170p-1.27)WN^(0.000222p2-0.0148p+0.752)-(0.000864p2-0.0353p+0.394)WN^(-0.000910p2+0.0472p+0.0870)この成長式を利用して体重別に水温と成長速度との関係を検討した結果、成長通水温(Topt)は体重(W)の関数としてTopt=-0.755ln(w)+23.0と表わされた。この式より求められる成長通水温を維持して、毎日、配合飼料を飽食給餌した場合には、1gの種苗が1年間で1360gに成長すると予想された。

 本研究で得られた成長式の妥当性を検討するために、水量約10m2の循環濾過式水槽で約1000尾のヒラメを、配合飼料を毎日、飽食給餌して259日間飼育した際のデータと比較した。初期体重と水温、生残尾数から成長式を用いて求めた体重変化は、実飼育データとはやや乖離がみられ、飼育終了時体重は約10%大きく見積もられた。一方、摂餌量の項を実際の給餌量に置き換えたところ、成長式から予想された体重変化は実飼育結果とよく一致し、予想された終了時体重と実測値との差は2%にとどまった。この結果から、本研究で推定した成長式は、摂餌量をやや過大に見積もる可能性はあるものの、循環濾過式ヒラメ養殖における飼育計画の策定や水温管理には有効なものと考えられた。

(3)商品価値向上のための黒化防止技術-黒化に対する水槽底面の性状や光条件の影響

 養殖ヒラメでは、本来白色である無眼側に着色部分を生じる黒化によって商品価値が低下することが問題となっている。そこで、循環濾過式養殖で生産するヒラメの市場価値を向上させるために、黒化を惹き起こす環境条件を解明し、効果的な黒化防止技術について検討を行なった。

 従来、黒化は無眼側に照射される光が主な原因であり、飼育槽底面に砂を敷設することによって照射光が遮られ、黒化が防止されると考えられてきた。そこで、上下方向からの光照射が可能な水槽において、透明な砂状物質を敷設して下からも光照射することにより、ヒラメが潜砂可能だが無眼側に光が照射される条件や、潜砂可能な物質を敷設せず、下方からの光照射も行なわない条件などで飼育を行ない、黒化の発生を比較した。この結果、無眼側からの照射光の強度にかかわらず、ヒラメが潜砂可能な条件であればほとんど黒化を生じなかったことから、黒化の主な原因は無眼側への光照射ではなく、潜砂可能な基質の欠如によるものと考えられた。

 しかし、飼育槽底面に砂状物質を敷設すると、残餌や糞などが蓄積し、飼育環境が悪化しやすくなる。また、ヒラメを潜砂可能な状態で飼育するためには、飼育密度(飼育槽底面積あたりの魚体総重量)を低下させる必要が生じる。飼育密度は成長にともなって増加するため、できるだけ早期の飼育段階でのみ砂敷設条件で飼育することが望ましい。そこで、水流方向等の異なる4種類の循環濾過式水槽を準備してヒラメを飼育し、水質や成長、生残を調べるとともに、定期的に砂敷設水槽から砂のない水槽にヒラメを移動して飼育を継続し、砂敷設水槽での飼育期間と黒化発生との関係を検討した。この結果、濾過槽から飼育槽への配管をサイフォンとして断続的に強い水流を発生させ、さらに飼育槽を底面から上方に向かって垂直方向に水流が発生する構造とした水槽では、他の水槽に比べて水質が良好に維持され、生残率や成長の低下も認められなかった。一方、砂敷設水槽から定期的に砂を敷設しない水槽にヒラメを移動して250日間飼育した結果、砂敷設水槽での飼育期間の延長につれて黒化程度は低減する傾向が認められた。しかし、砂敷設水槽で140日間飼育した場合でも、250日間砂敷設水槽で飼育し続けた場合に比べて、無眼側に占める黒化部分の割合は約10倍であった。このため、ほとんど黒化のないヒラメを生産するためには、商品サイズに達するまで砂敷設水槽で飼育する必要があると考えられた。

 以上、本研究では、水温、日長を制御することによって必要な時期にヒラメの種苗生産を行なうための基礎的な技術を明らかにした。さらに、生産した種苗を効率的かつ計画的に生産するための温度管理を可能とする成長式を提案した。また、養殖ヒラメ一般で問題となっている黒化の原因を解明し、黒化防止に有効な水槽を考案した。これら、本研究で得られた結果は、循環濾過方式によるヒラメ養殖における生産性を向上させ、本方式の普及、拡大に寄与するものと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 水産養殖のうち、循環濾過方式は廃水が少なく、また水処理技術を用いれば廃水からの汚濁負荷の低減が可能であり、さらに自然環境の影響を受けずに計画的な魚類生産が可能であるなどの特長を有している。本研究では、循環濾過方式によるヒラメ養殖の生産性向上を目的として、計画的生産、生産コスト削減、商品価値向上の観点から検討を行なった。

1.計画的生産のための成熟、産卵制御技術-成熟、産卵に対する水温、日長等の影響

 環境調節が容易な循環濾過式養殖では、任意の時期に卵を入手できれば、成長制御によって出荷時期を調整し、収益性を向上させることができる。そこで、自然条件下で水温、日長等が成熟に与える影響を解明し、さらに水温・日長調節下で人為的な産卵促進を試みた。

 自然条件下および水温、光周期を制御した条件下にあるヒラメの生殖年周期を組織学的手法および成熟・産卵ホルモンの定量によって調べた結果、20℃以上の水温や10時間以下の日長は成熟には適さず、水温15℃、明期15時間-暗期9時間付近で成熟が促進されると考えられた。そこで、この条件を維持した循環濾過式水槽においてヒラメ親魚を飼育したところ、成熟、産卵が促進され、従来の掛け流し式とほぼ同様の産卵成績が得られた。

2.生産費用削減のための成長促進技術-成長に対する水温の影響

 循環濾過式養殖では水温調節が可能なことから、成長に適した水温を維持して生産期間を短縮することにより、生産費用の削減が可能となる。そこで、ヒラメの成長に対する水温影響を定量的に評価するため、窒素収支をもとにして、水温を変数とする成長式を算出した。算定には、体重0.2〜1700gのヒラメを、10〜30℃の一定水温で飼育した結果を用いた。

 一定水温における魚体中の窒素増加重(G)は、窒素摂取量(I)と純窒素転換効率(KN)、絶食時窒素排泄量(E)を用いて、以下の式で表されると考えられた。G=KN・I-E

 この式の各項を、水温別に魚体中窒素量(WN)の関数として表わし、次に、各項の係数について水温(P)を変数とする関数を求めることによって、以下の式を得た。G(p)=(-0.00322p2+0.170p-1.27)WN^(0.000222p2-0.0148p+0.752)-(0.000864p2-0.0353p+0.394)WN^(-0.000910p2+0.0472p+0.0870)

 この式を利用することによって、体重(W)の増加にともなう成長通水温(Topt)の変化は以下の式で表された。Topt=-0.755ln(w)+23.0

 成長式の妥当性を検討するために、式より求めた体重変化を、長期飼育実験の結果と比較した結果、やや誤差が認められたが、摂餌量を実際の給餌量に置き換えることによって実測値とよく一致した。

3.商品価値向上のための黒化防止技術一黒化に対する水槽底面の性状や光条件の影響

 養殖ヒラメでは、本来白色である無眼側に着色部分を生じる黒化によって商品価値が低下する。そこで、黒化の原因を解明し、効果的な黒化防止技術を検討した。

 従来、黒化は無眼側への照射光が原因と考えられてきたが、底面に透明な砂状物質を敷設して無眼側から光を照射した条件などで飼育を行なったところ、無眼側への照射光量にかかわらず、潜砂可能な条件ではほとんど黒化を生じなかった。この結果から、黒化の原因は潜砂可能な基質の欠如によると考えられた。

 しかし、砂の敷設は汚濁物質の蓄積を招きやすい。そこで、飼育環境が悪化しにくい砂敷設水槽を検討するとともに、黒化防止に必要な砂敷設期間を調べた。この結果、底面から上方に断続的に強い水流が発生する水槽が有効と推定された。また、ほとんど黒化のないヒラメを生産するためには、商品サイズに達するまで砂敷設水槽で飼育する必要があると考えられた。

 以上、本研究では、任意の時期にヒラメの採卵と種苗生産を行なうための条件を明らかにし、さらに、種苗から商品までの計画的生産を可能とする、温度を変数とする成長式を提案した。また、養殖ヒラメ一般で問題となっている黒化の原因を解明し、黒化防止に有効な水槽を考案した。

 水産養殖は海中など自然条件下で行われることが多く、また多種多様な水産生物の成長・成熟に関する情報が極端に少ないため、生産の予測を精度高く行うことは事実上不可能とされてきた。本研究は、水質を維持しつつ環境調節が可能な循環濾過方式を取り入れることによって、海産魚類の計画的生産が可能である事を科学的に立証した初めてのものであるが、用いられた生理学など基礎科学的研究手法および解析の展開法は、今後多くの魚種に応用が可能であると考えられる。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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