学位論文要旨



No 215420
著者(漢字) 立川,雅司
著者(英字)
著者(カナ) タチカワ,マサシ
標題(和) IPハンドリングによる穀物フードシステムの新展開 : 非遺伝子組換え農産物を軸として
標題(洋)
報告番号 215420
報告番号 乙15420
学位授与日 2002.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15420号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 中嶋,康博
 東京大学 助教授 木南,章
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は,従来の大量流通を基本とする穀物フードシステムが,分別流通管理(以下,IPハンドリング)を必要とする農産物が登場することで,どのように変化するのかについて農業食料社会学的観点を援用しつつ実証的に明らかにすることである。こうしたIPハンドリングを必要とする穀物が登場する背景の一つとして,近年のバイオテクノロジーによる新たな作物開発がある。バイオテクノロジーの関わりとしては,品質面や栄養面で特性を有する遺伝子組換え作物(以下,GM作物)の登場と共に,逆にGM作物そのものを回避しようと非遺伝子組換え作物(以下,Non-GM作物)に対する需要の存在があり,いずれもIPハンドリングによる流通が不可欠となっている。

 こうしたIPハンドリングを契機とした穀物フードシステムの新展開について,本論文では特にアメリカから日本へのNon-GM作物の流通を対象として検討を行う(第6章〜第7章)。またこうしたNon-GM作物のIPハンドリングの展開の背景ないしその前提条件について,川上から川下までの各段階で生起している構造的変化について分析する(第2章〜第5章)。具体的には,最も川上に位置するバイオインダストリーにおける開発動向と穀物フードシステムとの接合関係の動き,アメリカ農業におけるGM作物の受容と経営的意義,農業における工業化現象にみられる農業年産の集中化と垂直的調整,第1次加工部門と穀物流通業界における再編など,穀物フードシステムを構成する各段階における変化が,相互に関連しあいながらIPハンドリングを取り巻く生産流通環境を形成しており,こうした動向を踏まえつつ,日米間のIPハンドリングの実態を大豆とトウモロコシについて検討した。以下に,各章の概要に触れつつ,本論文の要旨を述べる。

 第1章「穀物フードシステム再編に対する農業食料社会学の分析視角」では,本論文の分析視角として採用した農業食料社会学について概観すると共に,これを次の3つ,すなわちフードレジーム・アプローチ,フードシステム・アプローチ,フードネットワーク・アプローチとして捉え直すことで,穀物フードシステム変化に対して複合的な視点から説明する枠組みを提起した。

 第2章「アメリカにおけるバイオインダストリーの展開とGM作物」では,バイオインダストリーの展開について,特に穀物フードシステムとの相互関連性の点から明らかにした。具体的には,モンサントとカーギル,ノバルティスとADMなどバイオメジャーと穀物メジャーとの間での企業クラスターが形成され,両者の連携関係が進展することで,種子や遺伝子レベルを起点として垂直的な調整関係が強化されっっあることが明らかとなった。穀物フードシステムの変化の方向性は,もはや農業生産段階ではなく,このバイオインダストリーの動向を抜きにしては理解できないといえよう。

 第3章「アメリカにおけるGM作物の普及とその背景」では,上記でみたバイオインダストリーの具体的成果物としてのGM作物が,地域差を伴いつつもアメリカ農業に広範に受容されている背景について明らかにした。農家経営的観点からすればGM作物は,必ずしも有利な結果を示しているわけではないものの,その省力化効果や作付けにもたらす柔軟性等の面でメリットの存在が,大規模生産者を中心として支持を広げている背景となっていることが確認された。

 第4章「農業における工業化の展開とバイオテクノロジー」では,以上にみた農業におけるバイオテクノロジーの受容が,近年の「農業の工業化」現象とも密接に関連している点に注意を喚起した。「農業の工業化」とは,集中化,垂直的調整,グローバル化が相互に関連しあいながら進むことを意味する。既存のGM作物は前章で見たように農業生産の大規模化(二集中化)と関連すると共に,垂直的調整の面でも農業生産に影響をもたらすと考えられる。具体的には,今後登場してくる品質成分等に改良を加えたGM作物では,垂直的調整を行いつつ生産流通がなされていくことが想定され,農業生産のあり方を大きく変えていく可能性がある点を指摘した。

 第5章「穀物流通・加工部門における集中化と流通システムの変化」では,主として穀物集荷から第1次加工までの川中を中心とした穀物フードシステムの動向について,IPハンドリングとの関連から概観した。エレベータや穀物加工部門の集中化傾向は,水平的な合併を通じて進んでいるものの,同時に明らかになった点は,穀物集荷においては川上への集荷能力の拡大であり,また穀物の集荷と加工が同一の主要介業の傘下に入ることで,流通・加工部門の連携が強化されているなど,垂直的な側面においても再編が進んでいるという点である。このような垂直的な調整が穀物フードシステムの中で進んでいったことが,比較的最近の動きであるIPハンドリングを円滑に機能させている環境条件ともなったのではないかというのが本章から引き出された含意である。

 1999年8月に農林水産省がGMOに関連する食品に対して義務表示導入を決定して以降,Non-GMOシフトが進み,義務表示対象の食品についてはほとんど全てがIPハンドリングされたNon-GMOに置き換わった。こうした動きがアメリカにおける穀物の生産流通にどのような影響をもたらしたのかを明らかにするのが,第6章「Non-GM穀物の分別流通管理(1)アメリカ国内」の課題である。

 第6章では,アメリカの年産段階や流通段階に焦点を当て,IPコストの発生とその背景,また生産者への品質管理の徹底や流通業者との間でのロジスティックス調整など,IPハンドリングが,従来のバルク流通を前提とした主体間関係に大きな変化をもたらすことを明らかにした。特に契約生産や契約流通を契機とした垂直的な関係の構築と共に,品質管理や新たな市場機会獲得のために生産者間で組織化が進展するなど,垂直的,水平的両面での主体間関係の変化が生まれたといえよう。こうした動きに撹乱要因をもたらしたのが2000年秋に発生したスターリンク事件であったといえるが,この事件はアメリカ国内においては大きな影響を及ぼしてはいない。影響を及ぼしたのは,むしろ海外市場であり,この事件を契機としてIPハンドリングにおける検査プロトコルの政府間協議などが進展した。そして食品用トウモロコシをめぐっては,アメリカ以外からの調達が増大し,日米間のトウモロコシ貿易構造に部分的ではあるが変化が生じたといえよう。

 第7章「Non-GM穀物の分別流通管理(2)日本国内」では,アメリカから輸出されたIP穀物が日本の実需者(加工メーカーや畜産業者)に届くまでの過程に注目し,IPハンドリングの日本国内への影響とその背景要因について明らかにした。具体的品目としては,豆腐,コーングリッツ,コーンスターチ,トウモロコシ飼料などを中心として,関連業界のIPハンドリング対応とそれに伴うコスト発生のメカニズムに関して分析した。またIPコストの転嫁状況が末端最終製品価格にまで転嫁されていない状況に関しても,その背景を技術的要因,制度的要因,産業組織的要因の3要因の統合的理解によって把握できることを示した。

 第8章「結論」では,以上の各章で論じたNon-GMOシフトやIPハンドリングをめぐる川上から川下までの動きに関して,改めてこれを第1章で提示した3つのアプローチ,すなわちフードレジーム,フードシステム,フードネットワークのそれぞれの観点から捉え直し,そこから得られる含意について論じると共に,特に重要と考えられる品質や追跡可能性といった論点について,政策的含意も加味しつつ述べた。

 最後の補章「日本における20世紀農業食料システムとフォーディズム」は,第1章で提起したフードレジーム的視点から捉え直した戦後日本農業諭である。こうした視点から戦後の日本農業を理解することで,本論文で議論した日米間の穀物フードシステムの展開が,日本農業の展開方向と歴史的に表裏一体のものであった点を再確認することができる。この補章自体は日本農業を分析対象とするものであって,本論文全体のテーマである日米間の穀物フードシステムを対象とするものではないものの,両者の間に上記のような相互連関性が存在するという意味で,本論文の補章に位置づけた。

 アメリカにおいてもIPハンドリングに関する先行研究はいくつかなされているものの,これらの研究は次の点で限界を有している。すなわち,これらの諸研究の多くが国内流通を基本とした研究である点,またIPハンドリングと農業の工業化や流通加工部門の構造的再編との関連性について明示的に論及されていない,換言すればIPハンドリングを可能にし,またこれを条件づけてきたマクロ環境への視点が充分取りいれられていない点,さらにはIPハンドリングを契機とした(垂直的および水平的な)主体間関係の変化や実経済下でのバーゲニング・パワーに対するフォローが十分なされていないことなどで研究余地があり,本論文はこうした点を実証的分析をもとに乗り越えようとしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、従来の大量流通を基本とする穀物フードシステムが、分別流通管理(以下、IPハンドリング)を必要とする農産物の登場によってどのように変化したかについて、アメリカから日本への非遺伝子組換え作物(以下、Non-GM作物)の流通を対象に、農業・食料社会学的方法論に基づいて実証的に解明したものである。こうしたIPハンドリングを必要とする穀物が登場する背景の一つに、近年のバイオテクノロジーによる新たな作物開発がある。すなわち、品質面や栄養面で特性を有する遺伝子組換え作物(以下、GM作物)の登場と共に、逆にGM作物そのものを回避しようとするNon-GM作物に対する需要の存在が、IPハンドリングによる流通を不可欠なものとしている。

 まず第1章では、本論文の分析視角である農業・食料社会学についてこれまでの研究をレビューすると共に、主として取引主体間の関係性を重視するかかる方法により、穀物フードシステムの変化に対する複合的な視点からの分析が可能であることを提起した。

 続く第2章では、バイオインダストリーの展開と穀物フードシステムとの相互規定関係について分析した。この中で、モンサントとカーギル、ノバルティスとADMなどバイオメジャーと穀物メジャー間で企業クラスターが形成されていること、また両者の連携関係の進展により、種子や遺伝子レベルを起点とした垂直的な調整関係が強化されていることを明らかにした。

 第3章では、バイオインダストリーの具体的成果物とレてのGM作物が、地域差を伴いつつもアメリカ農業に広範に受容されている背景について明らかにし、第4章では、農業におけるバイオテクノロジーの受容が、近年の「農業の工業化」現象とも密接に関連している点に注意を喚起した。「農業の工業化」とは、集中化、垂直的調整、グローバル化が相互に関連しあいながら進むことを意味する。既存のGM作物は農業生産の大規模化(=集中化)とも関連すると共に、垂直的調整の面でも農業生産に影響をもたらしている。

 第5章では、穀物集荷から第1次加工までの川中を中心とした穀物フードシステムの動きについて、IPハンドリングとの関連から概観し、続く第6章では、生産段階や流通段階に焦点を当て、IPコストの発生とその背景、また生産者への品質管理の徹底や流通業者との間でのロジスティックス調整など、IPハンドリングが、従来のバルク流通を前提とした主体間関係に大きな変化をもたらしていることを明らかにした。

 第7章では、アメリカから輸出されたIP穀物が日本の実雫者(加工メーカーや畜産業者)に届くまでの過程に注目し、IPハンドリングの日本国内への影響とその背景要因について明らかにした。

 第8章では、以上の動きを総括的にまとめ、そこから得られる含意について論じると共に、特に重要である品質や追跡可能性の論点について、政策的含意も含めて整理した。

 穀物フードシステムの変化の方向性は、もはや農業生産段階ではなく、バイオインダストリーの動向を抜きにしては理解できないこと、農業経営的観点からすればGM作物は、必ずしも有利な結果を示しているわけではないが、その省力化効果や作付けにもたらす柔軟性等の面でのメリットの存在が、大規模生産者を中心に支持を広げていることが確認された。また、今後登場してくる品質成分等に改良を加えたGM作物では、垂直的調整を行いつつ生産流通がなされていくことが想定され、農業生産のあり方を大きく変えていく可能性がある点を指摘した。

 さらに、エレベータや穀物加工部門の集中化傾向は、水平的な合併を通じて進んでいるものの、川上への穀物集荷能力の拡大がみられ、集荷と加工が同一主要企業の傘下に入ることで流通・加工部門の連携が強化されるなど垂直的な面での再編も進んでいること、そして、このような垂直的な調整の進展が、IPハンドリングを円滑に機能させている環境条件になったことが明らかにされた。

 また、契約生産や契約流通を契機とした垂直的な関係の構築と共に、品質管理や新たな市場機会獲得のための生産者間の組織化が進展するなど、垂直的、水平的両面での主体間関係の変化が生まれているが、2000年秋のスターリンク事件などを契機にIPハンドリングにおける検査プロトコルの政府間協議などが進展し、日米間の貿易構造にも変化を生じさせていることが明らかにされた。

 以上、本研究においては、遺伝子組換え作物の登場を契機とする穀物フードシステムの変化に関する実証的研究を通じて、バイオインダストリーの発展に伴う世界の穀物フードシステムの再編方向に関する有用な知見が得られ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。したがって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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