学位論文要旨



No 215426
著者(漢字) 上代,才
著者(英字)
著者(カナ) カジロ,トシ
標題(和) 新規水溶性蛍光誘導体化試薬の開発及び生理活性ペプチド定量への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215426
報告番号 乙15426
学位授与日 2002.09.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15426号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 夏苅,英昭
内容要旨 要旨を表示する

【序論】生体内における様々な生理活性ペプチドの生体調節機構を解明することは、それらが関与する系における疾病の本質を理解し治療薬を開発する上で必要不可欠である。生体試料中のペプチドは、その感度の高さからELISA、RIA等の免疫学的手法で定量される場合が多いが、タンパクとは異なり特異性の高い抗体を得ることが困難である低分子量のペプチドにおいては、煩雑な試料の前処理が必要となるだけでなく、使用する抗体により大きく定量値が異なる等、定量結果の信頼性が疑問視される場合が散見される。

 一方で、多種類の蛍光誘導体化試薬の開発に伴いHPLC-蛍光検出法によるペプチド定量も精力的に研究された。それらの試薬の感度の高さは実試料中のペプチド定量への応用の可能性を示唆するものであったが、実際の生体試料の分析においては、夾雑ピークと目的物の分離が不十分であることや、疎水性の高い蛍光試薬が結合することによりペプチドの吸着性が増し回収率が下がる等の問題点があり、多くの検討の中でも生体試料中のペプチド定量に成功している例は数少ないのが現状である。

 本研究では、これらの欠点を改良すべく水溶性発蛍光誘導体化試薬を開発し、誘導体化における操作性及び回収率を向上させ、さらに分離にカラムスイッチングシステムを導入することにより特異性を向上させ、HPLC-蛍光検出法による精度及び真度の高いペプチド定量法を開発することを目的とした。

【本論】

1.ベンゾフラザン骨格を有する水溶性発蛍光誘導体化試薬の開発及びペプチド誘導体化試薬としての評価

 Toyooka及びImaiらにより開発されたベンゾフラザン骨格を持つ発蛍光誘導体化試薬DBD-Fは、アミノ基を持つ化合物と反応して強い蛍光を有する誘導体を生成する。本研究ではDBD-Fの4位の側鎖にスルホン酸基を導入することにより水溶性ベンゾフラザン発蛍光誘導体化試薬2-(7-fluoro-2,1,3-benzoxadiazole-4-sulfonamido)ethanesulfonic acid (ES-ABD-F)、 4-(7-fluoro-2,1,3-benzoxadiazole-4-sulfonamido)benzenesulfonic acid (p-BS-ABD-F)及び3-(7-fluoro-2,1,3-benzoxadiazole-4-sulfonamido)benzenesulfonic acid (m-BS-ABD-F)を合成し(図1)、それらのペプチド誘導体化試薬としての有用性を評価した。

 まず、感度について検証したところ、ES-ABD-F及びm-BS-ABD-Fのアミノ化合物誘導体はDBD-Fと同等の感度を示すのに対してp-BS-ABD-Fのそれは約1/3の蛍光強度しか示さず、感度が低いことが判明した。そこで、ES-ABD-F及びm-BS-ABD-Fを選択し、ペプチド誘導体化試薬としての可能性についてさらなる検討を行った。

 その結果、ES-ABD-FはpH>8.5で安定して高い反応性を示し、ペプチドの多成分同時分析に適していることが判明した(図2)。本試薬はN末端アミノ基のみならず、リジンの側鎖のアミノ基とも良好な反応性を示し、リジンを持つペプチドに対しても単一の誘導体を得た。また、アンジオテンシンI(Ang I)、Ang II、Ang III、ブラジキニン及びサブスタンスPの誘導体はODSカラムにより良好に分離された。また複数のリジン側鎖を持ち吸着性が高いペプチドであるβ-アミロイド(1-40)についても、誘導体化前には溶出されなかったHPLC条件においてほぼ単一のシャープなピークとして検出され、水溶性誘導体化試薬を使用することの有用性が示唆された。

 一方、m-BS-ABD-Fは塩基性条件下で反応性が低く、反応性がpHに複雑に依存するため各々のペプチドに最適な反応条件を検討する必要がある。しかし、中性条件下におけるペプチドとの反応性はES-ABD-Fに匹敵し、一般的な低分子アミノ化合物のアミノ基よりpKa値が低いペプチドN末端アミノ基について比較的特異的に誘導体化できることが期待できた(図2)。中性条件下での反応は、ペプチドの分解やラセミ化を軽減できる点からも望ましく、また、m-BS-ABD-Fは合成において収率がよいことも重要な利点であった。

2.誘導体化試薬m-BS-ABD-Fを用いたHPLC-蛍光検出法によるラット尿中ブラジキニン(BK)定量法の開発

 ブラジキニン(BK)はキニン-カリクレイン系(KKS)で生成される生理活性ペプチドであり、腎尿細管のKKSで生成されるBKは、遠位及び集合尿細管に存在するレセプターに作用し、ナトリウム排泄増大及び利尿作用を介して降圧作用を示す。そのため尿中BK量は腎KKS活性の指標とされる。筆者は1で開発したm-BS-ABD-Fを誘導体化試薬とし、ラット尿管より採取した尿中のBKの定量を試みた。m-BS-ABD-FとBKの誘導体化反応はpH7.0/70℃/100minで完了した。固相抽出による前処理後、誘導体化した尿試料をODSカラムで直接分析した場合には、夾雑ピークのためにBK誘導体のピークが観察できなかったが、陽イオン交換カラムとODSカラムを組み合わせたカラムスイッチングHPLCシステム(図3)で分析することにより、試料中の妨害ピークを効果的に除くことができた(図4)。さらに、限外ろ過膜による前処理を誘導体化後に行うことによりBKの回収率が改善され、水溶性試薬による誘導体化で吸着が軽減されることが判明した。本分析方法について得られたバリデーションデータは直線性(R>0.999)、真度(回収率>95%)、精度(c.v.<5.5%)の全てについて良好であり、検出限界(S/N=3)は35fmolと高感度であった。SDラット(9-11週齢、雄)の尿中BK排泄量は56.0±22.1pg/min/kgであり、ELISA法による報告値とよく一致した。

 以上のように、m-BS-ABD-Fを蛍光誘導体化試薬として用い、HPLC-蛍光検出カラムスイッチングシステムにより分析することで精度及び真度の高いラット尿中BKの定量法が確立できた。

3.マイクロダイアリシス(MD)/HPLC-蛍光検出法によるラット腎尿細管中RASの評価

 レニン-アンジオテンシン系(RAS)は全身循環系だけでなく複数の組織にも独立して存在し、例えば、腎において近位尿細管内細胞より管腔内に分泌される高濃度のアンジオテンシン類は、管腔内で速やかに代謝を受けながら体液調節に寄与している。よってRAS機能の解明には生理活性を持つアンジオテンシン類の同時分析が必須であると共に、目的部位でのペプチド量が正確に定量できるサンプリング方法を選択することが重要である。我々は、親水性透析膜(AN69、Hospal)がアンジオテンシン類に対して高い回収率を示すことを見出し、この膜により作成したMDプローブを近位尿細管の存在部位であるラット腎皮質に装着してMDを行い、その灌流液を分析することにより腎尿細管RASを評価することを試みた。m-BS-ABD-Fによる4種のアンジオテンシン類(Ang I、Ang II、Ang III、Ang (1-7))の蛍光誘導体化は、70℃/pH7.0/2hで完了した。分離にサイズ排除カラム/ODSカラムスイッチングシステムを導入することにより低分子の定量妨害成分を効果的に除去でき、試料の前処理なく4種のアンジオテンシン類の同時定量が可能になった。通常のMDでは内因性のアンジオテンシン類は検出できなかったが、基質であるAng I溶液を灌流すると、Ang(1-7)及びAng IIが灌流液に回収された(図5)。これは、プローブ膜から組織に拡散したAng Iが組織中の酵素で代謝され、生成したAng(1-7)及びAng IIが再度膜の内側に拡散して回収されたものと考えられた。主要な生成ペプチドはAng(1-7)であり、灌流するAng I濃度(20-100μM)と回収されたAng(1-7)及びAng IIの濃度は良好な直線性を示した。また、Ang Iから直接Ang(1-7)を生成する酵素であるNeprilysin(NEP)の阻害剤をAng Iと同時に灌流すると、Ang(1-7)の生成は大きく抑えられた。Ang(1-7)はNEPによりAngIから直接生成されることは良く知られており、さらに近年、腎尿細管管腔内液中にはAng IIよりも高濃度のAng(1-7)が存在することが報告されている。本実験において我々が得た結果はこれらの報告とよく一致するものであり、本法により腎尿細管RASの活性が評価できることが示唆された。

【総括】本研究により開発した水溶性ベンゾフラザン発蛍光誘導体化試薬ES-ABD-F及びm-BS-ABD-Fはペプチドの吸着を軽減しHPLC分析において分離や回収率を向上させることが判明し、ペプチド誘導体化試薬としての有用性が認められた。

 m-BS-ABD-Fを誘導体化試薬とし、分離分析系にカラムスイッチングHPLC-蛍光検出法を用いることにより、ラット尿中BK定量法及びラット腎皮質マイクロダイアリシス灌流液中のアンジオテンシン類の同時定量法を確立することができ、腎尿細管において体液調節を司るKKS及びRASを評価する手法が確立できた。

 これらの結果より、免疫学的手法で十分な特異性を示す抗体を得ることが困難な低分子量ペプチドの定量において、水溶性誘導体化試薬を用いたHPLC-蛍光検出法は一つの有用な手法であると結論できた。

図1.水溶性発蛍光誘導体化試薬の構造

図2.誘導体化試薬とAng IIの反応性

図3.カラムスイッチングHPLC

図4.ラット尿中BK分析におけるカラムスイッチングシステムの効果

図5.Ang I灌流時のMDサンプルの分析例(Ang I濃度 110μM)

Peak 1: Ang(1-7) Peak 2: Ang II Peak 3: Ang I

審査要旨 要旨を表示する

 生体内における様々な生理活性ペプチドの生体調節機構を解明することは、それらが関与する系における疾病の本質を理解し治療薬を開発する上で必要不可欠である。生体試料中のペプチドは、その感度の高さからELISA、RIA等の免疫学的手法で定量される場合が多いが、タンパク質とは異なり特異性の高い抗体を得ることが困難である低分子量のペプチドにおいては、HPLC-蛍光検出法は有用な手段のひとつである。しかしながら、夾雑ピークと目的物の分離が不十分であることや、疎水性の高い蛍光試薬が結合することによりペプチドの吸着性が増し回収率が下がる等の問題点があり、HPLC-蛍光検出法により生体試料中のペプチド定量に成功している例は数少ない。申請者はこれらの欠点を改良すべく、水溶性発蛍光誘導体化試薬を開発して誘導体化における回収率を向上し、さらに分離にカラムスイッチングシステムを導入することにより特異性を改善し、HPLC-蛍光検出法による精度及び真度の高いペプチド定量法を開発することを目的として研究を行った。

1.まず、DBD-Fの4位の側鎖にスルホン酸基を導入することにより水溶性ベンゾフラザン発蛍光誘導体化試薬2-(7-fluoro-2,1,3-benzoxadiazole-4-sulfonamido)ethanesulfonic acid (ES-ABD-F)、4-(7-fluoro-2,1,3-benzoxadiazole-4-sulfonamido)benzenesulfonic acid (p-BS-ABD-F)及び3-(7-fluoro-2、1、3-benzoxadiazole-4-sulfonamido)benzenesulfonic acid(m-BS-ABD-F)を合成し、それらのペプチド誘導体化試薬としての有用性を評価した。

 次に、感度について検証したところ、ES-ABD-F及びm-BS-ABD-Fのアミノ化合物誘導体はDBD-Fと同等の感度を示すのに対してp-BS-ABD-Fは約1/3の蛍光強度しか示さなかった。そこで、ES-ABD-F及びm-BS-ABD-Fを選択し、ペプチド誘導体化試薬としての可能性についてさらに検討した。その結果、ES-ABD-FはpH>8.5で安定して高い反応性を示し、ペプチドの多成分同時分析に適していることが判明した。本試薬はN末端アミノ基のみならず、リジンの側鎖のアミノ基とも良好な反応性を示し、リジンを持つペプチドに対しても単一の誘導体を得た。また、アンジオテンシンI(Ang I)、Ang II、Ang III、ブラジキニン及びサブスタンスPの誘導体はODSカラムにより良好に分離された。一方、m-BS-ABD-Fは塩基性条件下では反応性が低いが、中性条件下におけるペプチドとの反応性はES-ABD-Fに匹敵し、一般的な低分子アミノ化合物のアミノ基よりpKa値が低いペプチドN末端アミノ基を比較的特異的に誘導体化できることが期待できた。中性条件下での反応は、ペプチドの分解やラセミ化を軽減できる点からも望ましく、また、m-BS-ABD-Fは合成において収率がよいことも利点である。

2.1で開発した誘導体化試薬m-BS-ABD-Fを用いて、ラット尿中ブラジキニン(BK)定量法の開発を試みた。BKはキニン-カリクレイン系(KKS)で生成される生理活性ペプチドであり、ナトリウム排泄増大及び利尿作用を介して降圧作用を示す。m-BS-ABD-FとBKの誘導体化反応はpH7.0/70℃/100minで完了した。ラット尿管より採取した尿を固相抽出による前処理後、誘導体化しODSカラムで直接分析した場合には、夾雑ピークのためにBK誘導体のピークが観察できなかったが、陽イオン交換カラムとODSカラムを組み合わせたカラムスイッチングHPLCシステムで分析することにより、試料中の妨害ピークを効果的に除くことができた。さらに、限外ろ過膜による前処理を誘導体化後に行うことによりBKの回収率が改善され、水溶性試薬による誘導体化で吸着が軽減されることが判明した。本分析方法について得られたバリデーションデータは直線性(R>0.999)、真度(回収率>95%)、精度(c.v.<5.5%)の全てについて良好であり、検出限界(S/N=3)は35fmolと高感度であった。SDラット(9-11週齢、雄)の尿中BK排泄量は56.0±22.1pg/min/kgであり、ELISA法による報告値とよく一致した。以上のように、m-BS-ABD-Fを蛍光誘導体化試薬として用い、HPLC-蛍光検出カラムスイッチングシステムにより分析することで精度及び真度の高いラット尿中BKの定量法が確立できた。

3.申請者はさらに、腎におけるもうひとつの体液調節生理活性ペプチド生成系である尿細管中レニン-アンジオテンシン系(RAS)の評価方法の確立を試みた。尿細管管腔内では異なる生理活性を持つ複数のアンジオテンシン類が管腔内で速やかに代謝を受けながら作用を示すため、目的部位におけるペプチド量が正確に求められるサンプリング方法を選択する必要があったため、マイクロダイアリシス(MD)法によるサンプリングを採用した。この際、親水性透析膜(AN69、Hospal)が市販のポリアクリロニトリル製プローブと比較して、アンジオテンシン類に対して高い回収率を示すことを見出し、この膜により作成したMDプローブを近位尿細管の存在部位であるラット腎皮質に装着してMDを行い、その灌流液を分析することにより腎尿細管RASを評価することを試みた。MDにより得られた試料はm-BS-ABD-Fによる誘導体化(70℃/pH7.0/2h)後、サイズ排除カラム/ODSカラムスイッチングシステムを導入することにより低分子の定量妨害成分を効果的に除去でき、用手法による前処理を必要とせず、4種のアンジオテンシン類の同時定量が可能であった。生理的レベルのアンジオテンシン類は検出できなかったが、基質であるAng I溶液を灌流すると、Ang(1-7)及びAng IIが灌流液に回収されることが判明した。これは、プローブ膜から組織に拡散したAng Iが組織中の酵素で代謝され、生成したAng(1-7)及びAng IIが再度膜の内側に拡散して回収されたものと考えられた。主要な生成ペプチドはAng(1-7)であり、灌流するAng I濃度と回収されたAng(1-7)及びAng IIの濃度は良好な直線性を示した。また、Ang Iから直接Ang(1-7)を生成する酵素であるNeprilysin(NEP)の阻害剤をAng Iと同時に灌流すると、Ang(1-7)の生成は大きく抑えられた。Ang(1-7)はNEPによりAngIから直接生成されることは良く知られており、さらに近年、腎尿細管管腔内液中にはAng IIより高濃度のAng(1-7)が存在することが報告されている。本実験において得た結果はこれらの報告とよく一致するものであり、本法により腎尿細管RASの活性が評価できることが示唆された。

 以上本研究において、申請者の開発した水溶性ベンゾフラザン発蛍光誘導体化試薬は、ペプチドの吸着を軽減しHPLC分析において分離や回収率を向上させることが判明し、ペプチド誘導体化試薬としての有用性が認められた。m-BS-ABD-Fを誘導体化試薬とし、分離分析系にカラムスイッチングHPLC-蛍光検出法を用いることにより、ラット尿中BK定量法及びラット腎皮質MD灌流液中のアンジオテンシン類の同時定量法を確立することができ、腎尿細管において体液調節を司るKKS及びRASを評価する手法が確立できた。

 本研究は、免疫学的手法で十分な特異性を示す抗体を得ることが困難な低分子量ペプチドの定量において、水溶性誘導体化試薬を用いたHPLC-蛍光検出法は一つの有用な手法であることを示し、さらに、MD実験においては親水性透析膜AN69をプローブに使用することによりペプチドの回収率を向上させることに成功するなど、薬学分野の分析化学に寄与するところ大であり、博士(薬学)に相応しい研究と認めた。

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