学位論文要旨



No 215428
著者(漢字) 上野,祐子
著者(英字)
著者(カナ) ウエノ,ユウコ
標題(和) 分光学によるナノ多孔質材料の機能および吸着分子構造の解析
標題(洋) Spectroscopic Analysis of Functions of Nanostructured Porous Materials and Molecular Structures of their Adsorbates
報告番号 215428
報告番号 乙15428
学位授与日 2002.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15428号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 助教授 岩田,耕一
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 多孔質材料は,気層や液相中の分子の吸着・濃縮・反応・認識の場として広く用いられている.特にナノサイズの細孔は,分子サイズに近い空間であるため,バルク空間中とは異なる特異な物理的・化学的性質が出現することが考えられる.ナノ材料の吸着・濃縮・反応・認識機能について解明するためには,まず種々の多孔質材料において,細孔内に吸着した分子の構造や,細孔壁面と吸着分子との相互作用を解明する必要がある.しかし,細孔内に吸着した分子を直接観測するには,結晶表面の吸着分子の観測に適用されるような各種の表面分析手法を用いることができないという困難があった.そこで母材に影響されにくくかつ非破壊測定が可能なラマン分光法や高感度な軟X線分光法が有用であると考え,これを用いて細孔内に吸着した二酸化窒素や芳香族系ガス分子の構造解析を試みた.その結果,カーボン系およびシリカ系多孔質材料について,細孔壁面と吸着分子の相互作用および吸着分子の配向についての知見を得ることができた.さらに,微量ガス分子の種々のナノ材料への吸脱挙動を短時間で解析するためには微小フローデバイスを用いた分析が有効な手段であると考え,ナノ材料を応用した芳香族系ガス検出用微小フローデバイスを開発した.このデバイスを用いた解析により,ナノ多孔質材料の細孔サイズや孔中の化学的親和性による相互作用や吸着特性の差異という機能を利用して,芳香族系ガスを吸着・濃縮・認識させ,これらのガスの選択的高感度検出が可能であることを示した.さらに,この微小デバイスについて,毒性の異なる芳香族有機ガスを選択的に高感度検出する携帯型環境分析デバイスとしての実用可能性についても実証した.

第1章 軟X線発光分光による多孔質カーボン中の芳香族分子の構造解析

 活性炭は,大気汚染物質であるベンゼンなどの芳香族系ガスの吸着剤として代表的な多孔質材料である.しかし,細孔中の吸着分子の挙動については未解明の点が多い.特に,活性炭の構造はグラファイト構造に類似した炭素六員環縮合層が不規則に積層した構造から成るため,構造の類似した芳香族分子において,活性炭表面に吸着した一層〜数層の状態を分光学的に検出するために,膨大なバックグラウンドに埋もれた僅かな信号のスペクトル形状を識別できる高精度・高感度な分光手法が必要となる.そこで,高輝度放射光を用いた軟X線分光法が有用であると考え,活性炭吸着ベンゼンおよびピリジンのCKX線発光分光法による検出を試みた.その結果,吸着分子に由来する数本のピークの観測に成功した.さらに活性炭吸着面のモデルとしてグラファイトクラスタモデルを考え,DV-Xα分子軌道計算法により活性炭吸着ベンゼンおよびピリジンの化学状態について解析した.その結果,ベンゼンおよびピリジンは,芳香環のπ電子と活性炭表面のπ電子との弱い相互作用によって吸着しており,表面から約3.3Aの距離に平面的な配置を取ることが分かった.またピリジンは,窒素の非共有電子対と活性炭表面との電子反発のため,約1度の角度で窒素分子が遠くなる配置が安定であることが分かった.

第2章 メソポーラスシリカのベンゼン選択性機構の解析

 メソポーラスシリカは,非カーボン系多孔質材料の代表であり,多孔質ポリマーや多孔質カーボンと比較して,その細孔形状や秩序,表面改質などの制御がしやすい材料である.また耐熱性に優れ,加熱による分解によって有機物を発生する心配がないことから,吸着した有機分子を加熱脱着によって取り出すための濃縮材として有用である.細孔形状や表面状態が異なる数種のメソポーラスシリカを用いて,芳香族分子の吸脱着特性をFTIR法・ラマン分光法および吸着等温線を用いて解析した.その結果,希薄なガスにおいては,細孔形状や表面状態によって化学的性質が類似しているベンゼン,トルエン,o-キシレンの吸着特性に差が生じ,特に1nm以下の極微細孔を有する場合はベンゼンの選択性が他の成分の2倍程度に高くなることが分かった.このベンゼン選択性は極微細孔におけるベンゼンの特異な吸着構造によって発現することが示唆された.

第3章 微小フローデバイスを用いた多孔質材料における微量ガス吸着特性の分析

 微小デバイスを用いた分析は,用いる試料が微量であり,デバイスの制御性が良く,応答が非常に速いため,微量ガス分子の種々のナノ材料への吸脱挙動を短時間で解析するために有効な手段である.この手法により,ナノ多孔質材料の細孔サイズや孔中の化学的親和性による相互作用や吸着特性という機能の差異をより明確にすることが出来る.そこで,芳香族ガス検出用の微小フローデバイスを開発し,多孔質シリカを用いて,芳香族ガス選択的高感度検出を試みた.その結果,細孔形状や表面状態の違いによる分子認識機能によって,構造や化学的性質の類似したベンゼン,トルエン,キシレンを選択的に検出することに成功した.一方,ベンゼン,トルエン,およびキシレンなどの芳香族ガスは,ppbレベルの低濃度においても発ガン性や脳神経系への深刻な影響から大気環境中の挙動を物質ごとに把握することが急務である.これらは毒性が大きく異なるが,その化学的性質が類似しているため,これまでGC/MSなど大型装置でなければ選択的な高感度検出が困難であった.本研究では,ナノ材料による濃縮効果によって約50ppbの検出限界を達成し,芳香族有機ガスを選択的に高感度検出する携帯型環境分析デバイスとしての実用可能性についても実証した.これにより,ナノ材料を利用した微小フローデバイスを用いて,実験室大の装置と同等の機能が実現可能なことを示した.

第4章 近赤外顕微ラマン分光による多孔質ガラス中のアゾ色素の構造解析

 大気汚染物質であるNO2の選択的検出法としては,ザルツマン法などウェット系での着色反応が代表的であるが,これまでの報告で,同様のNO2選択着色反応がVycorガラス基板のナノサイズ細孔中で起こることを見出し,固体NO2ガスセンサが開発されている.しかし,ナノサイズ細孔中の吸着分子の構造や反応の進行機構については未解明の点が多く,ガラス中の吸着分子を観測する手法の確立が必要である.そこで,母材であるガラス基板の影響を受けにくいラマン分光法を用いて,Vycor多孔質ガラス基板のナノサイズ細孔中に生成したアゾ色素の構造および反応進行機構の解明を試みた.色素からの蛍光の影響を避けるため,励起光は近赤外光源を用いた.その結果,ガラス中に吸着したアゾ色素に由来するピークの観測に成功した.またNO2選択着色反応は基板表面から優先的に起こり,基板の厚みの半分に相当する約500μmの深さ以上には進行しないことが分かった.生成したアゾ素は主にフェニル基のπ電子とシリカ表面シラノールとの相互作用によって物理吸着しており,表面に対して芳香環が平面的な配置を取ることが分かった.アゾ基の窒素の非共有電子対における水素結合は,溶液中と比較して,立体障害のため弱くなることが分かった.細孔壁面と吸着分子の相互作用および吸着分子の配向は,類似の構造のアゾ化合物においても同様であることが確認された.

結論

 本論文では,分光法を用いて,多孔質材料の細孔での吸着・脱着・拡散・反応におけるいくつかの特異な機構について,分光法を用いた吸着した分子の直接観測や,細孔壁面と吸着分子の相互作用および吸着分子の配向の解析によって解明した.本研究が今後のナノスケール材料の化学・物理的特性のさらなる理解に役立つものと期待する.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,分光学的手法によるナノ多孔質材料の細孔における吸着・脱着・拡散・反応などの機構および細孔内に吸着した分子の構造解析を主題として4章から構成されている.第1章では多孔質カーボンにおける吸着ベンゼンおよびピリジン分子の,高輝度放射光を用いた軟X線分光法による検出を試みた結果を述べている。吸着分子に由来する数本のピークの観測に成功し,多孔質材料およびその吸着分子の分析における軟X線分光法の有用性を実証した.さらにDV-Xα分子軌道計算法を用いて活性炭吸着ベンゼンおよびピリジンの化学状態について解析し,吸着ベンゼンおよびピリジンは,芳香環のπ電子と活性炭表面のπ電子との弱い相互作用によって吸着しており,表面から約3.3Åの距離に平面的な配置を取ることが分かった.第2章では,無機多孔質材料の代表としてメソポーラスシリカを対象とし,ベンゼンの吸着構造の解析を行った結果を述べている.まず吸着法と陽電子消滅法を用いて1nm以下のマイクロ孔の構造を詳細に測定した.またFTIRおよびラマン分光法から、シリカ表面のシラノールと吸着分子の相互作用について解析した.その結果,約0.7nmのチャンネル状のマイクロ孔の中でベンゼンがトルエンやo-キシレンとは異なる安定な吸着構造を取り,ベンゼン選択に大きく寄与することを解明した.第3章では,第2章で用いたメソポーラスシリカを対象とし,芳香族分子の加熱脱着過程の観測を試みた結果を述べている.この測定においては従来のマクロな測定系では観測が困難であるという課題があったが,微小デバイス分析法の応答が非常に速いという利点を活かすことによりこれを解決し,細孔形状や表面状態の違いによるベンゼン,トルエン,o-キシレンの脱着特性の差を分光的に測定することに成功し,微小デバイスと分光法の組み合わせの有用性を実証した.第4章では,ポーラスシリカ基板のナノサイズ細孔中で起こる,NO2ガスによる着色反応の進行機構や細孔中で生成した分子の構造について,ラマン分光法を用いた解析を試み,細孔中の分子の観測にラマン分光法が有用であることを示している.また,着色反応が基板表面から優先的に起こること,約500μmの深さ以上には進行しないことを明らかにし,これと細孔内のNO2ガスの拡散との関連を解明した.またラマンバンド形の詳細な解析から生成したアゾ色素の吸着構造を明らかにし,色素は主にフェニル基のπ電子とシリカ表面シラノールとの相互作用によって物理吸着しており,表面に対して芳香環が平面的な配置を取ることが分かった.

 本論文において提出者は,ナノ多孔質材料における分子の吸着、濃縮、反応、認識機能を解明するための新しい分析手法として軟X線分光法および微小デバイスと分光法を組み合わせた手法などを提案し,その有用性を実証した.また多孔質カーボンおよびポーラスシリカを具体的な系として用い,ナノ細孔中における芳香族分子の構造や挙動の解析から,これらのナノ材料における吸着・濃縮・反応・認識機能について解明し,バルク中との差異を明らかにした.これらの業績は独創性に富み,また精密に実行された実験と信頼できる計算に基づいており,高く評価される.

 本論文の第1章の一部はJournal of Physical chemistry B 誌およびCarbon誌に公表済み,第3章の1部はAnalytical Chemistry 誌に2報が公表済みおよび1報が公表予定,第4章の一部はApplied Spectroscopy 誌およびPhysical Chemistry Chemical Physics 誌に公表済みである。多数の共著者との連名であるが,論文提出者が主体となって手法の提案,実験および計算を行っており,その寄与が十分であることから,これらを学位論文の一部とすることに何ら問題はないと判断する.

以上の理由から、論文提出者上野祐子に博士(理学)の学位を授与することが適当であると認める。

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