学位論文要旨



No 215429
著者(漢字) 岩永,寛規
著者(英字)
著者(カナ) イワナガ,ヒロキ
標題(和) ゲストーホスト方式液晶表示素子に用いる二色性色素の分子構造と物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 215429
報告番号 乙15429
学位授与日 2002.09.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15429号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 濱口,宏夫
 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 液晶に二色性色素を溶解させ、色素の向きを電圧で制御して着色-消色のスイッチングを行う「ゲストーホスト方式液晶表示素子」は、明るく鮮明な色表示が実現されるため現在注目を集めている。二色性色素に要求される物性としては、1)液晶に対する高溶解性、2)高二色性比、3)適切な吸収スペクトル等を挙げることができる。一方、TFT(thin-film-transistor;薄膜トランジスター)駆動方式に対応することを目的とし、液晶として用いられる化合物はシアノビフェニル系Aから高電気抵抗値を有するフッ素系Bへと推移しつつある(図1)。しかしながら、フッ素系液晶はシアノビフェニル系液晶と比較して極性が小さく疎水性が大きいため、二色性色素の溶解性が大幅に減少するという問題が生じた。特に低温(-6℃)における溶解性が小さい二色性色素は、素子が低温に晒された場合に色素の析出を来すため問題はより深刻である。

 化合物の高溶解化に対しては、フレキシブルな直鎖アルキル基を導入するなどの手法が従来報告されてきたが、低温領域においてはその効果が発揮されないことが判明した。そこで筆者は、低温においても高溶解性を保持できる二色性色素を実現することを主な目的とし、分子構造とフッ素系液晶に対する溶解性を中心とした物性の相関について検討した。さらに高溶解性を実現する分子設計指針を見出した。

2.アントラキノンおよびクマリン類二色性色素の分子構造と飽和溶角度

 図2に示す分子構造を持つアントラキノン類Cおよびクマリン類二色性色素Dについて、その分子構造とフッ素系液晶に対する溶解性の相関を検討した。結果を表1と2に示す。

 イエロー二色性色素1は従来のシアノビフェニル系液晶に対しては室温で1,7wt%溶解する。これに対して表1に示すように、イエローの二色性色素1,2,3,4(対称形状)は、フッ素系液晶に対してはほとんど溶解しないことが分かった。マゼンタの二色性色素5も同様に飽和溶解度は小さい。これらの結果は、対称形状の色素はこれから主流になるフッ素系液晶に対応できないことを示す。従来の溶解性向上法に基づいた、フレキシブルな置換基(n-Bu基)が導入されたマゼンタ色素6は、室温では高溶解性だが低温においては溶解度が急激に減少することが分かった。

 これに対し、非対称形状の二色性色素7,8,9は室温で高溶解性でありかつ低温においても高溶解性を保つことができる。マゼンタ色素9は低温における溶解度が0,6wt%と、色素6と比較して温度依存性が小さいことが特徴的である。二色性色素8は、7のメタ位にCF3基を導入した分子構造である。CF3基の導入によって分子全体の双極子モーメントが大きくなり、色素分子間の相互作用が大きくなるため、従来の理論に基づく考察からは飽和溶解度は低下すると予想される。しかし実際には大幅な溶解度の向上が観測された。

 色素C(X=S)の二色性比は約10であり、末端の置換基の種類に依存せず高いものであった。一方、色素C(X=NH)の二色性比は6-7と小さく、アントラキノン骨格との接続部の種類が二色性比に大きく影響することが示唆される。

 表2に示したように、クマリン類二色性色素10は低溶解性である。置換基R3をフレキシブルなn-Bu基とした色素11は、表1のアントラキノン類色素6の場合と同様に室温における飽和溶解度は大幅に向上するが、低温においてはこの効果が全く失われる。一方、クマリン骨格のカルボニル基をチオカルボニル基とした二色性色素12は、10と比較して低温の溶解度が大幅に向上し、かつ飽和溶解度の温度依存性がほとんどないことが分かった。

 二色性色素の溶解度が大きく高濃度液晶に溶解させることができると、着色時にある一定の吸光度を実現する液晶層の厚さが小さくなり、駆動電圧が低下する。また液晶層の厚さが一定の場合、よりくっきりとした画像を得ることができる。一方、二色性色素の吸光係数が大きいと、表示素子が必要とする一定レベルの吸光度を得るのに要する濃度が小さくなる。この意味において色素の吸光係数は飽和溶解度と同様に、くっきりとした表示と低消費電力を実現する上で重要な物性である。C(X=S)の二色性色素はモル吸光係数が10000-11000と小さいため、上記の点において不利である。一方、高吸光係数(>40000、液晶中)であるクマリン類二色性色素は、強い蛍光が色彩調整を困難にする。種々の検討の結果、Cのアントラキノン類イエロー色素はクマリン類色素に対して消光剤として機能し、CとDの混合物は高溶解性、高吸光係数の二色性色素組成物となることを見出した。

3.二色性色素の液晶に対する溶解性に対する半経験式

 二色性色素(8,12を除いた、数種類のアントラキノン類色素、クマリン類色素、ペリレン類色素)の物性、分子構造と、それらのフッ素系液晶(LIXON5052,チッソ石油化学社製)に対する溶解度の相関を得るため、以下の検討を行った。二色性色素の飽和溶解度、熱力学的パラメータは実測し、親水性エネルギー、疎水性エネルギーはQSAR(定量的構造活性相関)プログラムを用いて計算した。検討の結果、式(1)に示す飽和溶解度の半経験式を得た。

 ここでCは重量溶解度、Σ△Hf,Σ△Sfは、それぞれTから融点までのkgあたりの転移及び融解エンタルピー、エントロピー変化の総和であり、Tは絶対温度である。Ehは親水性エネルギー、Epは疎水性エネルギーであり、QSARプログラムの計算値である。第1項は色素分子間の相互作用を表し、これが溶解度に対して支配的である。第1項を減少させるためには、立体的にかさ高く、剛直で非対称な分子構造が効果的であり、これは第2章の結果を示唆するものである。二色性色素8に見られるような局所的に大きい双極子モーメントを与える置換基の導入は、液晶分子との静電相互作用に関するEhを減少させる効果がある。式(1)から二色性色素8の非常に高い溶解性が予想された。しかし式(1)では、表1に示されるようなCF3基の導入による大幅な溶解性向上を十分に説明することはできない。色素の液晶に対する溶解性を論じるには、溶媒が液晶相を呈するという、従来の溶解性理論では考慮されなかった特殊性を考察すべきであり、以下の検討が必要となった。

4.ソルバトクロミズム、サーモクロミズムを利用した液晶中における色素分子の溶媒和に関する検討

 溶媒が液晶相であることによる特殊性として、溶媒和の形態が一般の溶媒の場合と異なることが予想される。これは色素を通常の溶媒と液晶に溶解させる時とでは、液晶と色素の分子間相互作用の形態が異なることを意味する。ソルバトクロミズム、サーモクロミズムを利用してこの現象の解析を試みた。

 両端に電子求引性基と電子供与性基を有するチオフェン化合物13は、顕著なソルバトクロズムを示すことが報告されている(図3)。化合物13をフッ素系液晶に溶解させたところ、二色性色素として挙動することが判明した(二色性比=6.5)。

 そこで化合物13を数種類のフッ素系液晶に溶解させ、これをパラレル配向セルに注入し、温度を上昇させながら吸収スペクトルの挙動を観測した。

 昇温過程において、ネマティック-アイソトロピック相転移点(TNI)に達する前では吸収スペクトルの変化は観測されなかった。しかしTNIにおいて極大吸収波長は16-17nm短波長シフトし、その後温度をTNI以下に戻すと元の吸収スペクトルに戻ることが確認できた。この現象は図4によって説明される。

 ネマティック液晶相を示す温度範囲においては、液晶分子、色素分子ともに1軸方向に配向している。液晶分子は誘電率に異方性があり、分子軸方向の誘電率(ε〓)はその垂直方向の誘電率(ε⊥)より大きい。従って色素分子はε〓の影響を強く受けることになる。色素の励起状態は高誘電率の環境においてより安定化されるため(LUMOの安定化)、極大吸収波長は長波長シフトした。

 一方、等方性相においては、色素分子は通常の溶媒と同様に最も安定化効果が大きい形態で溶媒和される。色素分子はε〓とε⊥の中間の誘電率の影響を受けることになり、極大吸収波長はネマティック液晶相の場合より短波長シフトした。

 色素分子の液晶に対する高溶解性を実現するためには、色素分子と液晶分子の相互作用を強めることが重要である。しかし図4に示すような1軸配向状態では、一般の溶媒の場合に現われる安定化効果が最大となる溶媒和の形態が取れないことが考えられる。即ち色素が液晶相に溶解された場合、液晶相に適合した最適な溶媒和の形態が存在する可能性が考えられる。

5.置換基の運動性を考察した液晶に対する溶解性理論

 液晶相において溶媒和による安定化効果が大きくなるためには、二色性色素の置換基がフレキシブルであり、種々の配座を容易に取れることが条件と考えられる。そこで置換基の運動性と飽和溶解度を中心とする二色性色素の物性の相関を明らかにすることを目的とし、以下の検討を行った。図2のC(X=S)の二色性色素において、フェニルチオ基のオルト位にかさ高い置換基(t-Bu基)を導入することによってチオフェニル部の運動性に制約を加え、物性の動きを検討した。結果を表3に示す。

 既に述べたように二色性色素8は室温、低温において高溶解性であり、かつ高二色性比である。これに対し、t-Bu基がオルト位にある他は8と全く同一の分子構造である色素14は大幅に溶解性が小さく、かつ低二色性比である。またオルト位にt-Bu基を有する色素15,16も同様の結果であった。色素16と17はt-Bu基の位置のみが異なる組み合わせであるが、t-Bu基がオルト位にある色素16は低溶解性、低二色性比であり、パラ位にある17は高溶解性、高二色性比である。

 二色性比は分子長にも依存するが、オルト置換による二色性比の顕著な減少は分子長のみでは説明できない。飽和溶解度、二色性比はともに液晶分子と色素分子の相互作用の強さの影響を受けるが、オルト置換の効果が2種類の物性に一致して起こることが特徴的である。一方、アントラキノン骨格の接続部XがNHの場合(アニリノ基)も低溶解性、低二色性比であった。アニリノ基の運動性は、分子内水素結合の存在とC-Nの結合次数がC-Sより大きいことから考察すると、大きく制約されると考えられる。置換基全体の運動性と物性のめには、まず色素分子同士の相互作用を弱めることが重要である。第2章の式(1)においては第1項がこの相互作用を表すが、これはΣ△Hfを減少させ、かつΣ△Sfを増大させることによって小さくすることができる。分子設計指針としては、立体的にかさ高い置換基を導入や非対称構造の構築が効果的である。

 一方、液晶分子と色素分子の相互作用を増大させるためには、置換基の運動性を高めることが効果的である。溶媒が液晶である場合の二色性色素の物性について、以下の仮説と分子設計指針を提唱する。「液晶に溶解された二色性色素分子の置換基は、液晶相に適合した最適な配座を取ろうとする。この配座における溶媒和による安定化効果は大きく、液晶分子と色素分子の相互作用の強さは極大化され、飽和溶解度、二色性比が向上する。置換基が最適な配座を取り易くするためには、置換基の運動性を向上させ、かつその末端に液晶と強く相互作用するような官能基を導入することが効果的である。」

 アントラキノン類二色性色素8は、フレキシブルな置換基にCF3基が非対称に導入された分子構造であり、上記の分子設計指針に合致する。そして現在報告されているアントラキノン類二色性色素の中で最大の飽和溶解度を実現させた。これらの二色性色素を活用し、3層ゲストーホスト方式反射型液晶表示素子を作成したところ、反射率43%,コントラスト5.3と現在報告されている反射型LCDとしては最高の特性が実現された。

図1.シアノビフェニル系液晶及びフッ素系液晶の分子構造.

図2.アントラキノン類二色性色素とクマリン類二色性色素の分子構造.

表1.二色性色素Cの分子構造とフッ素系液晶中における飽和溶解度の関係

表2.二色性色素Dの分子構造とフッ素系液晶中における飽和溶解度の関係

図3.ドナー・アクセプター置換型ビスチオフェン化合物の分子構造.

図4.液晶相と等方性相における二色性色素の溶媒和の形態.

表3.二色性色素C(X=S)の分子構造と物性の相関

図5.二色性色素における、置換基の運動性と二色性比、溶解性の相関.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は12章からなり、第1章、第2章は序論、第3章はPPP-CI法による吸収スペクトルの予測、第4章は二色性色素のフッ素系液晶に対する飽和溶解度の半経験式、第5章は新規アントラキノン類二色性色素の合成と飽和溶解度、第6章はクマリンおよびチオクマリン類二色性色素の物性、第7章はオリゴチオフェン類色素のソルバトクロミズムを用いた、フッ素系液晶に溶解した二色性色素の液晶相中における溶媒和の形態、第8章では、二色性色素の置換基の運動性を考慮した液晶に対する溶解性理論、第9章では高溶解性、高二色性比を実現する二色性色素の分子設計指針、第10章では本研究で得られた新規二色性色素及び新しい知見の3層積層型反射型液晶表示素子への応用、第11章、第12章では総括と展望、結論が述べられている。

アントラキノンおよびクマリン類二色性色素の分子構造と飽和溶解度

 PPP-CI法による吸収スペクトル、二色性比の予測から、色純度に優れる二色性色素として、図1に示す分子構造のアントラキノン類Aおよびクマリン類二色性色素Bを選択した。これらの色素について、分子構造とフッ素系液晶に対する飽和溶解度を中心とした物性との相関を検討した。結果を表1と2に示す。なお、二色性色素の物性の検討には、フッ素系液晶材料(LIXON5052xx、チッソ石油化学社製)を用いた。

 イエロー二色性色素1は従来のシアノビフェニル系液晶E7に対しては室温で1.7wt%溶解する。これに対して表1に示すように、イエローの二色性色素1,2,3,4(対称形状)は、フッ素系液晶に対してはほとんど溶解しないことが分かった。

 マゼンタの二色性色素5も同様に飽和溶解度は小さい。これらの結果は、対称形状の色素はこれから主流になるフッ素系液晶に対応できないことを示す。従来の溶解性向上法であるフレキシブルな置換基(nBu基)の導入を行ったマゼンタ色素6は、室温では高溶解性だが低温においては溶解度が急激に減少することが分かった。これに対し、非対称形状の二色性色素7,8,9は室温で高溶解性でありかつ低温においても高溶解性を保つことができる。マゼンタ色素9は低温における溶解度が0.6wt%と、色素6と比較して温度依存性が小さいことが特徴的である。二色性色素8は、7のメタ位にCF3基を導入した分子構造である。CF3基の導入によって分子全体の双極子モーメントが大きくなり、色素分子間の相互作用が大きくなるため、飽和溶解度は低下すると予想される。しかし実際には表1に示すような大幅な溶解度の向上が観測された。

 また色素A(X=S)の二色性比は約10であり、末端の置換基の種類に依存せず高いものであった。一方、色素A(X=NH)の二色性比は6-7と小さく、アントラキノン骨格との接続部の種類が二色性比に大きく影響することが示唆される。

 表2に示したように、クマリン類二色性色素10は低溶解性である。置換基R3をフレキシブルなn-Bu基とした色素11は、表1のアントラキノン類色素6の場合と同様に室温における飽和溶解度は大幅に向上するが、低温においてはこの効果が全く失われる。一方、クマリン骨格のカルボニル基をチオカルボニル基とした二色性色素12は、10と比較して低温の溶解度が大幅に向上し、かつ飽和溶解度の温度依存性がほとんどないことが分かった。

 二色性色素の吸光係数が大きいと、表示素子が必要とする一定レベルの吸光度を得るのに要する濃度が小さくなるため、吸光係数は飽和溶解度と同様に、くっきりとした表示と低消費電力を実現する上で重要な物性である。A(X=S)の二色性色素はモル吸光係数が10000-11000と小さい。一方、高吸光係数(>40000、液晶中)であるクマリン類二色性色素は、強い蛍光が色彩調整を困難にする。種々の検討の結果、A(X=S)のアントラキノン類イエロー色素はクマリン類色素に対して消光剤として機能し、A(X=S)とBの混合物は高溶解性、高吸光係数の二色性色素組成物となることを見出した。

 ソルバトクロミズムを利用した液晶中における色素分子の溶媒和に関する検討

 同一の分子構造の溶媒であっても、液晶相と等方相とでは溶媒和の形態が異なり、液晶と色素の分子間相互作用の形態が異なることが予想される。そこでソルバトクロミズムを利用してこの現象の解析を試みた。

 両端に電子求引性基と電子供与性基を有するチオフェン化合物13は、顕著なソルバトクロミズムを示すことが報告されている(図2)。化合物13をフッ素系液晶に溶解させたところ、二色性色素として挙動することが判明した(二色性比=6.5)。

 そこで化合物13をネマティック-アイソトロピック相転移点(TNI)が異なる数種類のフッ素系液晶に溶解させ、これをパラレル配向セルに注入し、温度を上昇させながら吸収スペクトルの挙動を観測した。昇温過程において、TNIに達する前では吸収スペクトルの変化は観測されなかった。

 しかしそれぞれの液晶について、TNIを越えたところで極大吸収波長は16-17nm短波長シフトすることが示された。さらに温度をTNI以下に戻すと元の吸収スペクトルに戻ることが確認できた。溶媒和の様子を図3に示した。

 検討に用いた液晶分子では、分子長軸方向の誘電率(ε〓)はその垂直方向の誘電率(ε⊥)より大きい。従って色素分子はε〓の影響を強く受けることになる。色素の励起状態は高誘電率の環境においてより安定化されるため(LUMOの安定化)、極大吸収波長は長波長シフトしたと考えられる。また液晶相は等方相より分子のパッキングが密であるため、LUMOは液晶相でより安定化されたと考えられる。

置換基の運動性を考察した液晶に対する溶解性理論

 液晶相では、等方相における安定化効果が最大となる溶媒和の形態が取ることができず、別に液晶相に適合した最適な溶媒和の形態が存在する可能性が考えられる。二色性色素の置換基がフレキシブルであり、種々の配座を容易に取ることができれば、上記の液晶相に最適な配座が容易に実現すると思われる。そこで置換基の運動性と二色性色素の飽和溶解度の相関を得ることを目的とし、以下の検討を行った。図1のA(X=S)の二色性色素において、フェニルチオ基のオルト位にかさ高い置換基(t-Bu基)を導入することによってフェニルチオ基の運動性に制約を加えた化合物を合成し、パラ置換体の物性と比較した。結果を表3に示す。

 二色性色素8は室温、低温において高溶解性であり、かつ高二色性比である。これに対し、t-Bu基がオルト位にある他は8と全く同一の分子構造である色素14は大幅に飽和溶解度が小さく、かつ二色性比も小さい。

 オルト置換体15も同様の結果であった。色素16と17はt-Bu基の位置のみが異なる組み合わせであるが、t-Bu基がパラ置換した17は高溶解性、高二色性比であり、オルト置換した色素16は低溶解性、低二色性比である。

 飽和溶解度、二色性比はともに液晶分子と色素分子の相互作用の強さに影響される物性だが、上記のようにオルト置換による物性の低下が連動して起こることが特徴的である。

 一方、アントラキノン骨格の結合部XがNHの場合(アニリノ基)も低溶解性、低二色性比であった。アニリノ基の運動性は、分子内水素結合の存在とC-Nの結合次数がC-Sより大きいことから、大きく制約されると考えられる。置換基全体の運動性と物性の相関を図4にまとめた。

二色性色素のフッ素系液晶に対する溶性理論と高溶性実現のための分子設計指針

 上記の結果を基に、溶媒を液晶とする場合の二色性色素の挙動に関する仮説を提唱する。

 「液晶に溶解された二色性色素分子の置換基は、液晶相に適合した最適な配座を取ろうとする。この配座における溶媒和による安定化効果は大きく、液晶分子と色素分子の相互作用の強さは極大化され、飽和溶解度、二色性比が向上する。」

 また、上記の結果より、フッ素系液晶に対する高溶解性を実現する分子設計として、1)分子構造の非対称化、2)運動性が大きい置換基の選択、3)運動性が大きい置換基への極性基の導入。が得られた。

 以上、フッ素系液晶に対する飽和溶解度が大きい新規二色性色素化合物を得、液晶に溶解した二色性色素が、液晶相に適合した最適配座を有することを示唆する結果を得た。また液晶に対する高溶解性を実現する分子設計指針を得た。

 これらの二色性色素を活用することにより、3層ゲストーホスト方式反射型液晶表示素子において、表示性能の大幅な向上に成功した。

 なお、本論文第3章から4章は株式会社東芝、研究開発センター・内藤勝之博士との共同研究、第5章、8章、9章は株式会社東芝、研究開発センター・内藤勝之博士、中井豊氏との共同研究、第6章は株式会社東芝、研究開発センター・内藤勝之博士、岡島正季参事、株式会社東芝松下ディスプレイテクノロジー、春原一之氏との共同研究、第7章は株式会社東芝研究開発センター・内藤勝之博士、Stuttgart大学・Franz Effenberger教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

図1.アントラキノン類二色性色素Aとクマリン類二色性色素Bの分子構造.

表1.二色性色素Aの分子構造とフッ素系液晶中における飽和溶解度の関係

表2.二色性色素Bの分子構造とフッ素系液晶中における飽和溶解度の関係

図2.ドナー・アクセプター置換型ビスチオフェン化合物の分子構造.

図3.液晶相と等方性相における二色性色素の溶媒和の形態.

表3.二色性色素A(X=S)の分子構造と物性の相関

図4.二色性色素における、置換基の運動性と二色性比、溶解性の相関.

UTokyo Repositoryリンク