学位論文要旨



No 215439
著者(漢字) 西,研一
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,ケンイチ
標題(和) 歪み量子ドットの自己形成と光学物性・レーザ応用の研究
標題(洋)
報告番号 215439
報告番号 乙15439
学位授与日 2002.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15439号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 平川,一彦
 東京大学 教授 中野,義昭
 東京大学 助教授 田中,雅明
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景

 現在では、半導体ヘテロ構造により、数々の半導体デバイスが作製され、実用化されている。この特性を大きく改善可能な半導体構造として、三次元的に、電子の波動性が出現する程度まで微小化した半導体構造(量子ドット構造)が提案されてきた。この構造では、電子状態は孤立した原子中の状態と類似な状況となり、離散的な状態密度を有するようになる。そのため、キャリヤの電子状態の温度依存性は原理的に小さくなり、これが半導体レーザ等の半導体デバイスの諸特性を改善する原理となる。

 実際に半導体デバイスに使用可能な、理想的な量子ドット構造を実現するには、高発光特性と高密度化の実現、サイズの微細化等の条件をすべて満足する必用がある。但し、その様な構造の実現は容易ではない。近年、歪半導体の結晶成長により自己形成的にナノメートルサイズの量子ドットを形成する手法が開発された。ただし、開発当初においては、発光特性は量子井戸と同等レベルのものが得られたが、そこにおける電子状態の解析は不十分で、また実デバイスの応用まで可能とするレベルの均一性等の実現は容易ではなかった。

2.研究の目的及び論文の構成

 そこで、本研究の第一の目的は、現実的な半導体光デバイスヘの適用を可能とするレベルの量子ドット構造を実現し、そこでの物性を把握することである。具体的には、歪み半導体の結晶成長により自己形成量子ドットを作製し、量子井戸とは異なる新しい物性の解析を行うとともに、デバイス応用に必要な諸特性を実現できるかという課題に対する実験的な検証を行った。また計算による解析により、歪んだ立体構造において、格子不整合による歪がバンド構造に及ぼす影響について半定量的な評価を行った。第二の目的は、長波長帯の自己形成量子ドットを用い、量子ドットレーザの試作を通して現状の量子ドットの問題点を明らかにし、また新たな特性改善の可能性を示すことである。

 本論文は、6つの章より構成される。第1章は序論であり、本研究の背景、従来の研究、本研究の目的と意義について述べる。第2章では、格子不整合系半導体よりなる半導体薄膜、また細線、ドット構造における電子状態の解析の結果について述べる。第3章では、格子不整合系半導体によって作製した歪み量子ドットの自己形成と、その構造評価について述べる。第4章では、こうして作製した自己形成量子ドットの、フォトルミネッセンス特性や、発光波長の制御等の光学物性の評価について述べる。第5章では、自己形成量子ドットによる長波発光半導体レーザについて、量子ドット半導体レーザの利点をまとめるとともに、(311)B InP上に作製した長波発光量子ドットレーザの特性評価について述べる。第6章は、まとめと結論である。

 以ド、本論文の主要部分である第2章から第5章までの要旨を述べる。

3.格子不整合系半導体の電子状態の解析(第2章)

 第2章では、自己形成量子ドットの物性を考慮する際に本質的に重要である半導体中の歪の効果についての研究結果について述べる。一般的に用いられている(100)面上に積層された半導体における歪の成分の解析と、そこで生じるバンド端のエネルギー値変化、有効質量の変化について述べ、さらに、(111)面や(hhk)面として表されるような高指数面上の歪み層の積層による歪成分と、そこでのバンド構造変化について紹介する。これらの解析を発展させた、対称性の高い立体構造における歪の効果の解析結果についても述べる。特に、断面が円形状の細線構造と、球状のドット構造における歪成分、バンド構造変化、また有効質量変化の解析結果を紹介し、歪み構造よりなる立体量子構造でのバンド構造に与える歪の効果が、非常に大きいことを論ずる。図1には、InPよりなる球が、格子定数の小さいGaAsまたはGa0.5In0.5Pによるマトリックス中に存在する場合のバンド構造を示す。最後に、面内の弾性異方性を考慮して有限要素法により解析した歪み細線での歪分布と、それによるバンド構造変化について述べる。図2に例を示す様に、この解析により、通常形成される[011](または〓)方向の細線構造では、細線の積層面内と、積層方向の弾性定数が異なるため、たとえ形状が等方的であっても、バンド構造が面内で局所的に変化し、電子とホールについて、それぞれ異なる部位に局在しうることを示す。

4.歪み量子ドットの自己形成と構造評価(第3章)

 第3章では、格子不整合半導体の結晶成長による歪み量子ドットの自己形成と構造評価について述べる。実験に用いた、固体原料のみを用いる分子線エピタキシー(MBE)、またV属原料にガスを用いるガスソース分子線エピタキシー(GSMBE)を簡単に紹介し、代表的な格子不整合半導体として、まずGaAs上の(Ga)InAsの結晶成長と、そこで実現される量子ドット構造について述べる。特に、成長面方位を変化させた場合、量子ドットの均一性が改善される場合があり、また面内に自己整列性が実現される場合も存在した。ここでは(311)B面を用いた場合の自己形成量子ドットのサイズ均一化について述べる。また、図3に示す低歪みGaInAs量子ドットにおいて得られた自己整列効果について、ガスソースMBE成長での高真空雰囲気を活用した成長中その場評価と、成長後の表面評価の対応から考察した成長メカニズムについても紹介する。成長中のその場評価と、それに対応する表面構造評価より、自己整列性の出現は、成長前の成長核の形成ではなく、ある程度の2次元的な歪み層の成長後に整列したドット構造が出現することを明らかにした。最後に、光通信用の赤外域の発光、受光などに使用することが期待されるInP上の量子ドットの形成と評価について述べる。InP基板を用いた結晶成長では、GaAsの場合と異なり、(100)面上のInAs歪み層の結晶成長においては、量子閉じこめ効果が期待されるサイズの量子ドットの形成を実現することはできなかったが、面方位を(311)Bとした場合には、GaAs上のInAsと同程度のサイズ、密度を有するInAs(P)量子ドットを形成することが可能になった。

5.自己形成量子ドットの光学物性の評価(第4章)

 第4章では、第3章で述べた手法で作製した、自己形成量子ドットの光学特性評価の結果と、また発光波長などの光学特性を意図的に制御することを目的として作製した歪緩和量子ドット構造について述べる。GaAs上のIn(Ga)As量子ドットの光学特性としては、室温、および低温でのフォトルミネッセンス(PL)評価の結果と、(311)B面上に形成された場合の発光半値幅の低減について、均一性の改善との関係の観点から述べる。InP上のInAs(P)量子ドットについては、長波長帯のPL発光実現について紹介する。さらに、GaAs上のInAs量子ドットを、歪緩和層で覆うことによって発光波長を制御する歪緩和量子ドットについて、その構造パラメータと発光波長の関係、また得られた発光半値幅の低減について述べる。さらに、理想的な量子ドット形成を明確に証拠づけた、3次元量子閉じこめの効果よるPL発光半値幅の温度無依存特性、また図4に示す明確な高次準位問発光の観察についても述べる。

6.自己形成量子ドットによる長波発光半導体レーザ(第5章)

 第5章では、自己形成量子ドットの代表的なデバイス応用である半導体レーザについて述べる。まず、GaAs上の(Ga)InAs量子ドットを用いた半導体レーザにおいて得られている特性を紹介する。続いて、InP上の長波長帯で発光するInAs量子ドットを活性層に用いた長波発光半導体レーザの作製と、そのデバイス特性について述べる。レーザ構造としてはリッジ構造を用いた。また活性層としては、利得の増大を目的として多層に積層した量子ドット構造を使用した。これらのレーザ構造について述べる。また、レーザ特性としては、図5に示すような電流注入時のスペクトルや、77k、および室温における発振閾値電流密度と発振波長の共振器長依存性、また発振波長の温度依存性低減について紹介する。

7.結言

 格子不整合系半導体よりなる自己形成量子ドットにおいて、デバイス応用上問題となる均一性について、その改善手法を実現し、またそこでの光物性を明らかにすることができた。これにより、量子ドットの実デバイス応用に向けた進展を実現できた。また初期的な結果ではあるが、長波長帯の量子ドットレーザの試作を通し、デバイス応用上の問題点、また新しいデバイス特性も一部明らかにすることができ、第二の目的である量子ドットのデバイス応用についても新たな知見を得た。これらの結果は、自己形成量子ドットの光デバイスヘの応用に対して寄与するものとして期待される。

図1.InPによる球体が、GaAsまたGa0.5In0.5Pよりなるマトリックス中に埋め込まれた場合に生じるバンド構造の変化を解析的に求めた結果。球体内だけでなく、マトリックスにおいても、歪によりバンド構造が変化する。

図2.有限要素法により計算した、GaAs中のInP三角形細線における電子の閉じこめポテンシャルを、無歪のGaAsを基準として示した。弾性異方性により、底辺付近のポテンシャルが深くなっている。

図3.(311)BGaAs上に、自己形成的に成長したGa0.75In0.25Asドット構造の原子間力顕微鏡(AFM)像。面内に整列したドット構造が観察される。

図4.GaAs上のInAs量子ドットをGaInAsによって覆って形成した歪緩和量子ドットからの室温フォトルミネッセンススペクトル。高い励起光強度下では、高次準位間遷移による発光が顕著に観察される。

図5.(311)BInP基板上に作製した、InAs自己形成量子ドットを活性層とする長波長帯量子ドットレーザの、77kにおける電流注入時の発光スペクトル。活性層は7周期の多層量子ドットよりなる。共振器長は2.8mmであり、この図での300mAで発振が開始しており、発振閾値電流密度は540A/cm2で、発振波長は1.4μmである。

審査要旨 要旨を表示する

 エレクトロニクス技術の進展に伴ってより優れた特性の半導体レーザヘの要求が高まっている。このため様々な試みがなされてきたが、レーザの発光部分に電子や正孔を完全に閉じ込める機能を持つ量子ドットを活用し、格段に優れたレーザ特性の実現を目指す研究も活発化している。本論文は、10ナノメートル(nm)級の量子ドット構造を対象に、その自己形成法の改良を行うとともに、ドット内の電子状態や光物性を解明し制御するための研究、さらにドットを用いたレーザを試作し、その特性を評価する研究を記したものであり、6章よりなる。

 第1章は序論であり、本研究の背景、従来の研究、本研究の目的や意義について述べている。

 第2章は、「格子不整合系半導体の電子状態の解析」と題し、自己形成量子ドットの物性を考慮する際に重要な歪の効果を調べている。先ず、(100)面上の積層半導体における歪の成分とバンド端や有効質量の変化について考察し、続いて高指数面上の歪みの解析を発展させ、対称性の高い立体構造における歪みを解析している。特に、円柱型の細線構造と球状のドット構造における歪やバンド構造および有効質量の変化を解析し、立体量子構造では、歪の効果が特に大きくなることを示している。さらに、面内の弾性異方性を考慮した有限要素法により、歪み細線での歪分布とバンド構造の変化について明らかにしている。ドットの形状が等方的であっても、バンド構造が面内で局所的に変化し、電子とホールが異なる位置に局在することを示している。

 第3章は、「歪み量子ドットの自己形成と構造評価」と題し、歪み量子ドットの自己形成と構造評価について述べている。固体原料を用いた通常の分子線エピタキシー(MBE)に加えて、V属原料に気体を用いたガスソースMBE法を活用し、GaAs上における(Ga)lnAsドットの結晶成長と形状や構造について述べている。特に、成長面方位を変化させた影響を調べ、(311)B面を用いた場合には、量子ドットの形状が均一化するとともに自己整列化することを見出し、ドットの成長中のその場評価と成長後の表面観察から、成長機構を推定している。その結果、ドットの自己整列性は、2次元的な歪み層が成長した後に生じることを明らかにした。また、光通信用の赤外光領域における発光・受光素子への応用が期待されるInP上の量子ドットを対象に、その形成法と構造評価について述べている。特にInP基板を用いた成長では、(100)面上ではlnAs量子ドットを実現できないが、面方位を(311)BにするとInAs(P)量子ドットが形成できることを示している。

 第4章では、「自己形成量子ドットの光学物性の評価」と題し、第3章で作製した量子ドットについて、その光学特性を評価するとともに、発光波長の制御を目的に歪緩和層を用いた量子ドット構造の研究を述べている。GaAs上のIn(Ga)As量子ドットについて、その室温と低温での蛍光スペクトル特性と、(311)B面上に形成されたドットの蛍光線の半値幅の低減効果について、ドット形状の均一性の改善との関係の観点から述べている。また、Inp上のInAs(P)量子ドットについて、長波長帯の発光特性を調べるとともに、GaAs上のInAs量子ドットも、歪緩和層で覆うことによって発光波長を長波長化できることなどを指摘している。さらに、3次元量子閉じこめの効果による蛍光線の半値幅の温度依存性の低減、高次準位の関与した発光などについても明らかにしている。

 第5章では、「自己形成量子ドットによる長波発光半導体レーザ」と題し、量子ドットの半導体レーザヘの応用の研究について述べている。GaAs基盤上の(Ga)InAs量子ドットを用いたレーザと、InP基盤上の長波長帯で発光するInAs量子ドットを活性層に用いた長波発光レーザの試作とその特性について述べている。活性層には、利得の増大を目的として積層した量子ドット構造を使用した。レーザ特性としては、電流注入時のスペクトルや、77k、および室温における発振閾値電流密度と発振波長の共振器長依存性を調べるとともに、発振波長の温度依存性が低減する効果について明らかにしている。

 第6章は結言であって、本論文の研究で得られた主要な結論をまとめている。

 以上述べたように、本研究では次世代エレクトロニクス材料として期待される量子ドット構造を対象として、自己形成法を検討・改良することで、ドットの形状均一化や整列化を促進する方策を示すとともに、得られたドットにおける歪みの効果・電子状態・光学特性などを解明し、その制御可能性を示している。さらにドットを発光層に用いたレーザを試作し、光通信で重要となる波長1.5μm領域での動作を実現するとともに、その利点や特色を明らかにしており、電子工学において貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文とし合格と認められる。

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