学位論文要旨



No 215442
著者(漢字) 福田,大治
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ダイジ
標題(和) 超伝導転移端センサによる高エネルギー分解能X線マイクロカロリメータの研究
標題(洋)
報告番号 215442
報告番号 乙15442
学位授与日 2002.09.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15442号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中沢,正治
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 出町,和之
 人工物工学研究センター 助教授 高橋,浩之
 宇宙科学研究所 教授 満田,和久
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 超伝導を利用した極低温X線検出器は波長分散型X線検出器に匹敵する数eV以下の分解能を持つエネルギー分散型X線検出器となり得ることから、現在その開発が精力的に行われている。その一つである超伝導転移端(TES;transition edge sensor)によるX線マイクロ力ロリメ一夕はX線入射によるフォノンの励起状態を検出原理としたものであり、従来のカロリメータの弱点であった低速な応答信号特性を改善し高い分解能を維持したまま高速化を図ることのできる検出器である。TES検出器では、現在4.5eV(FWHM)@5.9keVのエネルギー分解能と500cpsの計数率が実現されている。しかしながら、得られた分解能は過剰なノイズ源に制限されており、その物理的な機構は未だよく理解されていない。X線天文物理学では更なる分解能の改善が求められており、もし1eV程度の分解能が実現できたとすると微細構造線測定による高温プラズマ診断やX線のドップラーシフト測定による銀河団速度の高精度同定などに画期的な進展をもたらすことが期待されるため、過剰ノイズ源の解明は現在重要な検討課題となっている。さらに計数率という観点でも現状では充分でなく、蛍光X線分析などへの応用には一桁以上の計数率の向上が必要である。例えば数kcps程度の計数率特性を持ったTES検出器が開発できれば、放射光施設での高輝度なX線源を用いたppbオーダの微量元素分布測定、集束イオンビームを用いたりアルタイムPIXE、化学的結合状態の違いに由来するX線エネルギーピークシフト測定による物質の電子準位構造の解明などが可能となり、そのインパクトは大きいものと予想される。

 これらの背景を踏まえて本論文では数eV程度の分解能と数kcpsの計数率特性を持ったTESX線マイクロカロリメ一夕の開発を目指した研究を行った。検出器の性能は、超伝導体の転移幅で代表される温度感度(α=dlogR/dlogT)で決定され、エネルギー分解能はαの平方に反比例、応答時定数はαに反比例する関係がある。よって、高性能検出器の実現のためにはいかに大きなα値を持った超伝導体を作成できるかが重要となる。本研究では、高性能な検出器の実現を目指し、必要な特性を持った素子を設計・試作するとともにX線検出特性評価に向けた低ノイズの測定系や極低温を得るための冷凍機についてそれぞれ整備することで検出器開発に必要な総合的な取り組みを行った。また、電流印加時における臨界温度付近の超伝導体が示す特性の解明を目的として、50mKの超極低温走査型放射光顕微鏡の初めての取り組みについても検討を行った。

2.単一超伝導体による検出器開発

 高速・高エネルギー分解能の実現を目指し、本研究では単一の超伝導体であるイリジウム(lr;原子番号77)をTESとして用いた検出器の開発を行った。Irは白金系に属する元素であり112mKの極低温に超伝導転移を持つ。また、その化学的な安定性から超伝導転移温度や常伝導抵抗値などが経時変化を受けず安定度の高い検出システムとなり得ることが期待される。しかしながら、IrはSi基板との親和性の悪さから容易に剥離しやすい問題点があるため、IrをTESとして適用した研究例は極めて少ないものとなっている。本研究では、Irの成膜時に900Kにまで基板加熱することでこの問題の解決に成功した。図1に試作した素子の顕微鏡写真とその断面図を示す。Ir素子の大きさは500μm2、厚さは50nmである。素子の作成は主として工学部10号館にて行い、スパッタリング装置、フォトリソグラフィーによるパターニング、反応性イオンエッチングなどを適宜使用して作成している。図2にはX線信号検出のための測定系を示す。TES検出器は希釈冷凍機内のコールドステージ上に設置され50mKまで冷却される。TESには擬似的に定電圧バイアスを印加し、TESで発生するJoule加熱を電熱的にフィードバック(ETF;ElectroTheraml feedback)させることで温度を超伝導転移領域に安定に保持させる。X線は冷凍機外側のBe窓から入射され、77K,4.2K,1K,50mKの各温度槽に設置したアルミマイラによる輻射シールドを経て検出器へと到達する。X線入射に伴う検出器の信号は〜μAの電流変化となって現れることになるが、この測定には超伝導量子干渉素子(SQUID)を直列に並べたSSA(Series SQUID array)を電流アンプとして適用した。本研究で用いたSSAは産業技術総合研究所にて製作されたものであり、電流電圧変換係数は600V/A、等価電流ノイズは1kHzで20pA/√Hz(入力open)、帯域は500kHzである。作成したIr超伝導薄膜の超伝導転移温度は134mKであり検出器としてほぼ理想的な温度に転移を持つことを確認した。素子の電流電圧特性を測定した結果から検出器特性を予測すると、温度感度αは120程度が見込め、エネルギー分解能、応答時定数ともに良好なX線検出器特性を期待できる結果となった。一方、55Fe線源を用いたX線応答性能評価実験では、極めて複雑な応答信号波形が観測された。図3に信号波形の立ち上がり時間と波高値の関係を示す。波高値は立ち上がり時間に依存して変化し、波高スペクトルを大きく劣化させることが分かる。信号は大別して立ち上がりが速く波高値が大きいものと、立ち上がりが遅く波高値が低いものの二つの群に分けることが出来、さらにこれらのグループ間を連続的に変化するものが存在している。立ち上がり時間が速い信号の応答時定数は60μsecであり、一部の信号についてはほぼ設計通りの動作をしていることが分かった。立ち上がり時間は入射したX線のエネルギーが素子内を熱拡散するのに必要な時間と関連があるため、この結果はX線入射位置により素子応答が異なっていることを示唆するものである。本検出器のエネルギー分解能は、速い立ち上がり時間を持つ信号群のみでスペクトル構成をしても180eVであり、電流電圧特性から予測されるものとは大幅に異なる結果となった。

3.極低温走査型放射光顕微鏡(LTSSM)による位置依存性評価

 前節での実験結果から検出器の応答は素子のX線入射位置に依存していることが推定された。これについて明らかにするためは、微小に絞ったX線ビームで素子上を走査し各位置での素子応答を測定する極低温走査型放射光顕微鏡による手法が有効である。そこで、本研究では希釈冷凍機を放射光源からのビームライン上に設置し、50mKの極低温にある素子に直接X線を照射できるシステムの開発を行い素子特性の評価を行った。φ20μmのコリメートX線を照射した場合の素子応答はエネルギー分解能14.7eV@3keVを達成し、照射領域を限定すれば分解能の改善が見られることが分かった。一方、X線を素子に照射しながら応答信号波形の波高値の位置依存性を測定した結果を図4に示す。波高値はX線の入射位置に依存して変化することが本手法により初めて明らかとなった。さらに、波高値が最大となる位置(図中矢印)はバイアス電圧を低下させるとともに右へと移動していることが分かる。バイアス電圧は検出器動作点における抵抗値とは反比例の関係があり、また波高値はαに比例するため、上記の結果はRの減少とともにαが最大となる位置が右に移動していることに相当する。このことは、素子内部は超伝導相(S)と常伝導(N)の二相に分離しており、1.波高値が最大となる位置がSN境界を示す、2.その位置から右側は常伝導状態となっている、3.その長さが抵抗値を表す、と考えると定性的な一致を見ることになる。そこで、この素子内部の超伝導/常伝導相分離モデルについて検証を行うため、熱伝導方程式をもとに素子内部の温度分布に関する考察を行った。図5に数値計算により得られた素子内部の温度分布を示す。内部にはTESの超伝導転移幅以上の温度差が存在し、超伝導/常伝導への相分離が起こり得ることが分かる。このような超伝導/常伝導の相分離はTESの熱伝導率、厚さ、検出器の熱コンダクタンスの三つのパラメータで記述される熱緩和長η(thermal healing length)に関連があり、ηで代表される検出器内部温度分布が超伝導の転移幅よりも大きくなるときに分離が生じることを理論的にも明らかにした。また、X線を入射したときの波高値に関する依存性についても数値計算により求め、LTSSMの結果と良好に一致する結果を得た。図4の非対称な位置分布は素子端部の境界が断熱条件であることに由来し、分布は中心に対し可換な遷移を起こすことも実験と数値計算により明らかにした。以上の結果、Irを用いた素子の複雑なX線応答特性は超伝導/常伝導の相分離が原因であることを明らかにした。

4.近接二重層を用いた検出器開発

 Irによる素子で見られた超伝導/常伝導の相分離は、検出器特性としては本来望ましいものでなく高エネルギー分解能を得るためにはX線の入射位置に依存せず均一な応答となることが必要である。そこで、相分離を起こさない検出器パラメータを持った素子を設計し、その特性を評価するものとした。本素子では、熱伝導率特性の向上を狙い、Irの上にAuの常伝導金属層をのせたIr/Auからなる近接二重層をTESとして用いた。電流電圧特性から本素子の超伝導転移温度は109mK、温度感度αは30となり、αはやや低い値にとどまったものの良好な検出器特性が期待できることが分かった。図6に55Fe線源からのX線を照射したときのエネルギースペクトルを示す。X線応答特性は大幅に改善され、エネルギー分解能は5899eVのX線に対し14.1eV(FWHM)を達成した。このエネルギー分解能は主としてX線の熱拡散過程の違いに由来したノイズに支配されていると考えられるため、今後、熱拡散長と超伝導転移温度に関してIr/Auの厚さの最適化を行えば更なる分解能の向上が見込めると考えている。

5.結言

 本研究では、高速・高エネルギー分解能超伝導転移型X線マイクロカロリメ一夕の実現を目指してその開発研究を行った。単一超伝導体イリジウムが示す優れた超伝導転移特性に着目しこれをTESとして開発した素子では複雑なX線信号応答特性となる結果となった。この原因を特定するため極低温放射光顕微鏡の手法を用いて解析を行った結果、素子の複雑な応答は素子内の超伝導/常伝導への相分離過程に由来していることが明らかとなった。超伝導/常伝導境界にX線が入射した場合の応答はエネルギー分解能14.7eV@3keV、応答時定数60μsecとなり応答時定数に関してはほぼ設計通りの動作をしていることが分かった。しかしながら、検出器全面に渡って均一な応答を得るためには相分離を抑制することが不可欠であり、そのためには素子の熱伝導率、厚さ、熱コンダクタンスが満たすべき条件が存在することを明らかにした。この知見をもとに製作したIr/Auの近接二重層による素子では14.1eV@5899eVのエネルギー分解能を達成し、本理論の有効性を検証することができた。

図1:試作したIr-TESの顕微鏡写真と断面図

図2:X線信号読み出しのための測定系

図3:波高値と立ち上がり時間の関係

図4:位置応答分布のバイアス電圧依存性

図5:数値計算による素子内部温度分布

図6:Ir/Au TESによる55Fe線源からのX線エネルギースペクトル

審査要旨 要旨を表示する

 近年、超伝導材を用いた低温型の放射線検出器が実用化の一歩手前のところまできている印象である。トンネル接合型(STJ型)の超伝導材は、高計数率ではあるがエネルギー分解能がある程度以上から、なかなか向上しないが、超伝導転移端を用いたマイクロカロリメータ(TES型)は、原理的にはジュール熱の雑音レベルで分解能が決まることになり、最近ではTES型がSTJ型より多く研究されている。いずれにしろ、GeやSiの半導体検出器よりも30倍近くエネルギー分解能がよくなるという点で興味をもたれているところである。本論文はこのTESに関する研究で7章から構成されているものである。

 第1章は序論であり、低温検出器全体についてレビューをしており、TESの開発の現状のほか、STJ型やNIS型(常伝導/絶縁体/超伝導型)、磁気マイクロカロリメータまたその他の例についてはLow Temperature Detector(LTD)のワークショップなどからの文献を引用して紹介している。また、本章でこのマイクロカロリメータを微量元素分析と化学状態解析という実時間PIXE(Particle Induced X-ray Emission)への応用を設計上の目的として考えている。それによるとエネルギー分解能は5.9keVエックス線に対し数eV(FWHM)、有感面積は500μm×500μm以上、計数率特性は5Kcps以上と設定している。

 第2章ではTESについて構造、熱動力学モデル、微少温度信号入力に対する出力信号モデル、電流電圧感度、また特に電流印加時の超伝導体の温度特性について熱輸送方程式を用いて表し、thermalhealinglengthηを定義してTES内の温度パターンを分類している。ηが大きくなるとTES内の温度分布はフラットになり、この状況を計算機シミュレーションにより確認している。

 第3章では具体的なTESの開発について述べており、まずは近接二重層薄膜方式のTESについて作製している。Al/Cu、Mo/Cu型などについてAl、Moの超伝導体が60nm、Cuの常伝導体が200nmで作成し、抵抗値を各温度で測定して、超伝導特性を測定している。二重層方式ではやや扱いが面倒ではあるので、引き続いて単一超伝導体としてのイリジウム(lr)とタングステン(W)を用いたTESの製作を行なっている。いずれも超伝導体として望ましい性能を示した。

 第4章は、TESの放射線による電流変化を測定する低損質の電流増幅器について説明している。TESは低温でインピーダンスが低いため、常温のアンプで測定することは困難なので、低温で動作可能な超伝導量子干渉素子(Super conductive Quantum Interference Device,SQUID)を電流アンプとして利用している。これを希釈冷凍機内に設置し、エネルギー分解能に換算したノイズ成分では3.56eV以下と良好なアンプを作成して使用している。

 第5章は、以上の準備の後に、単一超伝導体イリジウムにより作成したエックス線マイクロカロリメータの試作結果で電流電圧特性や温度感度のほか、Fe55のエックス線源に対する測定を行ない信号波形の観察、エックス線スペクトルの測定のほか、極低温走査シンクロトン顕微鏡(LTSSM)を用いて、検出器表面20μm間隔毎にエックス線入射特性を取得しているものである。

 このLTSSMにより入射位置ごとのパルス波高分布、パルス信号解析、エネルギー分解能の2次元的データが取得され、結論として検出器内部での自己発熱効果のため、検出器全体が一様な超伝導状態になっていなくて常伝導状態も一部混入していること、それぞれの領域でパルス波高値が異なるためエネルギー分解能が劣化することなどを、検出器内温度分布のシミュレーション計算結果を併用して示している。

 第6章は、検出器内の温度特性を向上させるために、イリジウムと金を二重層薄膜構造方式にして、熱伝導特性を向上させた超伝導検出器を試作した結果について述べている。各種の検出器特性測定の結果、5.89keVのエックス線入射に対して14.1eV(FWHM)というエネルギー分解能のデータを得ており、これは現状の世界レベルのデータになることを示している。

 第7章は結論と今後の課題であり、特に熱輸送特性を向上させることが性能向上のポイントであるとまとめ、さらに現状では、検出器内部で超伝導と常電導の相分離が生じて性能、特にエネルギー分解能が劣化しているが、今後はこれを積極的に利用する方式も期待されるとの示唆を行なっている。

 以上のように本研究論文は、超伝導材を用いた放射線検出器の開発について、その性能向上を目標にしたものであり、かつそれを実現しており、放射線計測学、特にシステム量子工学の発展に寄与することが大きいと判断される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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