学位論文要旨



No 215448
著者(漢字) 雨宮,昭彦
著者(英字)
著者(カナ) アメミヤ,アキヒコ
標題(和) 帝政期ドイツの新中間層 : 資本主義と階層形成
標題(洋)
報告番号 215448
報告番号 乙15448
学位授与日 2002.09.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15448号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馬場,哲
 東京大学 教授 廣田,功
 東京大学 教授 小野塚,知二
 東京大学 教授 大澤,眞理
 東京大学 助教授 石原,俊時
内容要旨 要旨を表示する

 19世紀末から第一次世界大戦前の資本主義的工業化とサービス部門の拡大の過程で生成してきた新中間層の中枢をなした新しい被雇用者集団であるドイツ職員層を取り上げ、その経済的・社会的存在形態の分析を通じて、経済と社会と政治の諸次元に関わる階層形成の実態を明らかにすること、これが本論文の目的である。

 研究史に関する要点は次の2点である。第一は、ドイツ中間層は従来ナチス台頭に至る「ドイツの特殊な道」(Deutscher Sonderweg)の観点からナチズムの社会的基盤と見なされ、帝政期はナチズム前史の位置を与えられてきたことである。それ故ワイマール期職員層とナチズムとの関連についての研究史は帝政期中間層研究の問題関心を導く大枠として、本論文の第一の検討課題となる。第二は、西ドイツにおける帝政期職員層研究が、電機工業等工業部門大経営に関する経営史的事例研究として発展してきたことである。ここでの問題は、そのような大経営職員層と個別経営を超えた当時の職員運動や新中間層の問題との関連が必ずしも明らかではないことである。

 第一の点に関して重要なことは、ナチズム生成に関する長期的な特殊的社会構造要因の規定性を強調する「ナチズムの中間層テーゼ」が、Falterらの選挙統計分析によって実証的批判を受け、ナチス像が、中間層政党から国民政党へと修正されたことである。これを受けて、ワイマール期における新中間層の社会政策の展開と職員運動における階級線との関連が解明され、また新中間層のファシズムへの不可避的傾斜仮説の放棄とその政治的方向の基本的解放性の確認が行われるに至った。この視点に立つと、従来中間層テーゼの古典とされてきた当時のガイガーの所説も、階級政党からのSPDの転換を要請した政策的文書であったことが明らかになる。ワイマール期のレーデラーの職員層論の変遷も、景気政策と産業政策を結びつけたその政策構想が提言されやがて潰えていく当時の実践的コンテクストに即してのみ正確に理解されうるのである。

 第二の点については、帝政期の大経営職員層に関してはSchulzの研究によれば新中間層問題よりも経営への統合が重要となること、Kaelbleらが指摘するように19世紀に支配的だった中小経営が考慮されていないこと、工業部門以外の研究が殆ど進展していないことである。さらにHomburgらによれば職員層は多様であり、工業部門の技術者以上に帝政期職員層問題の展開を規定したのは中小経営職員層を代表する商業職員層であった。

 まず第1の研究史を踏まえて、第1章「世紀転換期における新中間層論」では新中間層の社会的位置づけをめぐる当時の論争を取り上げる。とりわけ、この新しい職業集団のアイデンティティー形成の契機として、その社会的自己同一化の対象としての前工業的集団(国家官僚)の視角の重要性を指摘したレーデラーの職員層論の意義を、シュモラーとカウツキーの議論との対比の中で明らかにした。新しい教育制度により育成される職員層に階級対立を緩和化させる機能を認め、これを新中間層の核心部分と見たシュモラーや、経済状態と身分意識の一時的な乖離を経て職員層のプロレタリア化を予測したカウツキーに対して、レーデラーは、職員層に、労働内容の二重性格・学校制度・社会的出自・官吏への準拠・消費態度等の多様な視角から接近し、帝政期職員層の政治化の方向性についても複数の選択肢の可能性を析出した。

 第2章「商業身分から商業職員へ―労働力の存在形態」では、帝政期職員層研究に直接に関わる第2の研究史を踏まえて、帝政期職員問題の展開が、個人消費財市場の急速な拡大と小売業を中心とした流通機構の発展、それに伴う商業労働力の急増に大きく規定されていた点に注目し、当時Handlungsgehilfen(商業補助者)と呼ばれた商業職員層を取り上げる。個人消費財市場の急速な拡大を背景に商業大経営が生成し、小・零細小売業が急増したが、この過程で徒弟から補助者を経て商人に至るというツンフト的上昇経路が解体しつつあった。この時期の商業補助者と呼ばれる小売業職員の労働状態を、1880年代前半の「労働統計委員会」調査に即して分析する。長期的雇用、月給、長期の解約告知期間、雇用主との共同作業、賄付住込み制度による全人格的忠誠服従関係を特徴とした商業補助者の労働状態は、この時期に賄付住込み制度が低賃金・長時間労働を強制する枠組みに機能転化することにより変質し、商業職員団体による完全な貨幣給付の要求や長時間労働規制(閉店時間法制化)の運動を展開せしめた。さらに徒弟の安価な労働力への変質は「徒弟飼育」規制要求への動きへと連動した。労使間の利害関係は、閉店時間や消費組合の問題への対応に見られるように、この間に敵対と協調の間で多様に展開した。

 第3章「流通機構の発展と国民経済の確立」は、19世紀末におけるこの個人消費財市場の発展を取り上げる。製造業の専門化、労働市場の深化・拡大に伴って、この時期のドイツでは、国内商品流通機構の発展と多様な形態の商業組織が登場した。「小売業は帝国創設時点までは独立した現象として現れてこなかった」(Winkler)。ドイツの流通機構の整備はイギリスのように産業革命の前提ではなくむしろそれと並行して進行した。鉱工業・商業就業人口の増加、都市化、生計費高騰により抑制されつつも実質賃金の傾向的上昇による「需要の国民経済的形成」(B歡her)を背景に、自給的、家内経済的、手工業的生産が後退し資本主義的生産が台頭した。これに伴って1880年代以降小売業に量的・質的な大転換が起こったのである。この事情を当時のドイツ全体に関する小売業実態調査に基づいて分析し、流通機構の形成という古典的過程が、小売り大経営(百貨店、チェーン店)や消費組合の台頭、産業資本による商業機能の統合、専門店化、零細商店の相対的過剰人口のプールへの変質といった事態と重なって進行したドイツ独自の展開を明らかにした。

 第4章「徒弟制度の変質と商業学校の発展―商業職員の職業的育成」は、19世紀末に商業徒弟制の職業的育成機能が「徒弟飼育」へ退化していく状況の中で発生してきた商業職員の職業的育成の問題を取り上げる。徒弟制の変質過程と並行して発展したのが各種商業学校だった。プロイセンでは1911年に商工大臣により、徒弟制との両立を志向した「商業補習学校に関する規定」が発布され、それに先立ち商業学校の社会的定着を促す一連の法令も成立した。この時期の職業教育制度に関する職員団体、雇主、国家の利害関心の所在を、1909年4月のライプツィッヒ商業徒弟制会議議事録に即して分析した。徒弟制度維持と商業学校の必要性で労使は大局的に一致し、政府は両制度の相互補完化の促進に関心を有した。しかし職員団体が商業補習学校の通学義務化を支持したのに対し、雇主側は任意通学制を主張し、短期間で技能訓練を行う商業準備学校については、その普及を職員団体が制限しようとしたのに対し、雇主側は積極的な導入を主張した。商業職員の職業を専門職化しようとする商業職員団体の志向性は、彼らの大半が賃労働者化し、雇主が「将来における身分仲間」ではなくなるにつれていっそう強力になった。

 第5章「消費者利害の結晶化と社会民主党の変容」では、第一次大戦前に職員層の社会運動を頂点に導くことになる職員年金保険法(1911年成立)という新中間層統合政策の社会経済史的背景を解明する。1905年〜06年、1910年〜12年の農産物価格の急激な高騰は、職員団体により1902年のビューロー関税法と関連づけられ、職員層のなかに消費者としての利害関心とそれに沿った政治的行動を生成させる契機となった。商業職員団体の俸給問題をめぐる議論によれば、その俸給の実態は、職員の官僚からの距離の拡大とプロレタリアへの接近を確認させた。「身分相応な生活」の維持に最大の関心をおく職員層にとって物価騰貴の主因として理解された政府の貿易政策への批判は必至となった。消費者利害関心にそって「左派自由主義や社会民主主義」をも含めたあらゆる政党との関係の模索が宣言された。第一次大戦前の帝国議会第一党としての社会民主党勢力の飛躍的拡大の背景には明らかにこの新中間層からの支持が存在した。拠出金負担の大きさからそれまで企業家によって拒否されてきた職員年金保険は、被雇用者の分断と統合を図るために1911年11月に帝国議会において可決された。中間層的生活基準への指向性と労働者としての実態に由来する職員層の「二重性格」が、物価騰貴の下での職員層の政治化の独自なあり方を規定していた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,19世紀末以降の資本主義的工業化の進展とサービス部門の拡大のなかで生成してきた社会階層であると同時に,しばしばナチズム成立との関連でも注目されてきたドイツの新中間層,とりわけその中核をなす商業職員層を取り上げ,その社会経済的存在形態や時論の分析を通じて,この社会階層の実態と歴史的特質を明らかにすることを課題としている.その構成と要旨を示せば,以下のようになる.

 序章「課題と問題関心――ドイツ史における中間層」

 1章「世紀転換期における新中間層論」

 2章「商業身分から商業職員へ――労働力の存在形態」

 3章「流通機構の発展と国民経済の確立」

 4章「徒弟制度の変質と商業学校の発展――商業職員の職業的育成」

 5章「消費者利害の結晶化と社会民主党の変容」

 序章では,内外の研究史の整理を通じて,本論文の課題と問題関心が明確にされる.そこで問題となるのは本論の対象である第二帝政期の新中間層(ないし新中間身分)ではなく,ワイマール期のそれである.というのは,ドイツの新中間層に関する研究はつねにナチスとの関係をめぐって進められ,帝政期の問題はその前史と位置づけられてきたからである.S.M.リプセットらのいわゆるナチズムの中間層テーゼ,さらにこの議論を「ドイツの特殊な道」論の文脈で,職員層に即して深めたJ.コッカの所説が従来有力であったが,その後の研究は,ナチスは「中間層政党」というよりも「国民政党」として捉えられるべきこと(J.ファルターらの選挙統計学的研究),ナチスは職員独自の利害を取り上げることには消極的であり,その「国民的勤労者層」としての統合をはかったこと(M.プリンツ),さらに,小市民層のファシズムへの不可避的傾斜の仮説は放棄されるべきこと(H.-G.ハウプト,G.クロシック)を明らかにした.著者は,こうした新たな研究動向を踏まえたうえで,T.ガイガーの古典的論文「中間層のパニック」を再検討し,新中間身分の流動的・開放的性格やファシズムへの転化が必然的・不可避的でなかったことなど,後の研究を先取りする論点がすでにそこに含まれていたことを指摘して,職員層を社会変動の独自なポテンシャルを含んだ階層と捉える視角を継承すべきことを確認する.

 1章では,世紀転換期の代表的な新中間層論が遡って検討されるが,なかでも著者が注目するのはE.レーデラーの議論である.すなわち,G.シュモラーは,帝政期の崩壊しつつある擬似身分的な社会構造の修復をめざして,衰退しつつある中間身分の社会的機能をこの職員層に託そうとし(「階級」の「身分」のなかへの埋没),K.カウツキーは,資本主義的生産様式の進行に伴って知識労働者が新しい中間身分として機能するようになることに気づきつつも,彼らはやがてプロレタリアートに同化していくと考えた(「身分」の「階級」のなかへの埋没).これに対して,レーデラーは,職員の中間身分的生活基準への指向性と彼らの労働者化との間に孕まれた緊張関係を重視し,「階級」と「身分」の両契機が階層の社会的行動を動機づけていることを明瞭に示したのである.これは,先のガイガーの視点とも関わるが,帝政期の職員層の政治化を動態的に理解するうえで重要な視点といえる.

 2章では,工業大経営以外の職員層研究が遅れているという研究史理解の上に立って,中小経営職員層を代表していた商業職員層,とりわけ小売業の「商業補助者」に焦点が合わせられ,その実態が,1893年の内務省「労働統計委員会」の全国アンケート調査などの分析を通じて明らかにされる.すなわち,小売業は,手工業とは異なり,工業化とともに大経営においても中小経営においても発展したが,その資本主義的再編にともなって,従来の「商業身分」の職業的閉鎖的上昇経路が解体し,補助者の労働状態の劣悪化(長時間労働),雇用関係の不安定化(徒弟の労働力化)といった「商業補助者問題」が顕在化した.それは,「ドイツ民族商業補助者連合(DHV)」をはじめとする商業労働者の利益団体結成を通じて政治的流動化を引き起こし,1897年商法典における商業労働者保護規定や1900年の商店閉店時刻規制法のような職員層のための社会政策を実現させることになった.

3章では,帝政期のドイツにおいて労働者の増加,都市化の進展,実質賃金の傾向的上昇などにより個人最終消費財市場が深化・拡大したこと,しかし19世紀前半には手工業的注文生産や植民地物産のような若干の商品についての専門店がある程度で小売業は十分な発展を遂げておらず,国民経済的な流通機構も未成熟であったことがまず確認される.そして19世紀末に生じた小売業の本質的転換の実態を明らかにするために,小売業に関する各種の実態調査が分析される.すなわち,この時期には,仕入組合の設立,生産者による販売網の形成,消費組合による小売業の排除の動きが一方で存在したものの,それと並行して,チェーン店・百貨店のような大経営の台頭,中小経営の専門店化といった小売商業の諸形態の顕著な発展があり,これにともないドイツにおいても国民経済の一環としての近代的な流通機構が確立したのである.

4章では,商業職員の職業的育成の問題が検討される.従来「商業身分」では,徒弟制度を通じて商業徒弟が商業補助者を経て商人として独立するという職業的経路をとったが,19世紀末になると徒弟制度の職業的育成機能は後退し,安価な若年労働力の使用,いわゆる「徒弟飼育」の場への変質した.このことは,徒弟が親方に支払っていた「見習料」が消滅し,代わりに徒弟に「賄い費」が支払われるようになったことにも現れている.しかし,簿記,通信,記録,広告などの技能が要請されるようになったことにより,各種の商業学校が発展した.商業学校は,商業徒弟を教育の対象とし,徒弟制との両立を前提するものであり,社会的にも次第に定着していったが,こうして徒弟制が相互補完的な職業的育成制度に組み込まれて存続した結果,この制度は,商業職員の意識を伝統的な商人身分のイデオロギーにつなぎとめ,疑似身分を再生産する装置としても機能することになった.

 5章は,1911年の職員年金保険法成立の社会経済史的背景を明らかにすることを課題としている.1890年代後半以降の農産物価格の高騰は,民間職員層の身分相応な生活を脅かし,プロレタリア化を促す重大な要因として意識された.そして職員団体は,自らの立場を政治的なものよりも「消費者利害」へと収斂させて,物価高騰の理由を経済政策に求めた.他方,社会民主党はこの時期飛躍的に躍進したが,それは同党が労働者政党から「国民政党」へと脱却をはかっていたからであり,民間職員層のかなりの部分も,消費者としての利害から,社会民主党を支持したものと考えられる.こうしたなかで支配層は諸階層の分断と統合の必要を自覚し,被雇用者のための統一保険を拒否する職員団体の要求に沿って独自な職員保険が導入されることになった.ここに,労働者的であると同時に中間身分的でもあった職員層の「二重性格」と彼らの政治化過程の特徴を読みとることができる.

 おおよそこのような内容をもつ本論文の意義は,以下のようにまとめることができよう.第1に,同時代の論争や研究史の丹念な整理の上に立って,19世紀末以降のドイツ社会において重要性を高めながらも,労働者,旧中間層(農民・手工業者)といった他の社会階層に比べて研究の遅れていた新中間層の独自な位置に注目し,時論や各種の実態調査などの史料の渉猟とその綿密な分析を通じてその実態を明らかにしたことが挙げられる.この結果,帝政期ドイツの社会階層分析は一段と厚みを増すことになった.

 第2に,これと関連して新中間層のなかでもとくに商業職員層に光を当てたことが挙げられる.これは,同じ新中間層のなかでも研究が比較的進んでいた工業大経営の職員層の場合には経営への統合がむしろ重要であったこと,および19世紀には中小経営が支配的であったことを考慮するならば,帝政期職員層問題の中心にいたのは中小経営職員層を代表する商業職員層であった.と著者が考えているからである.こうした著者の認識の妥当性は,本論文全体の分析をつうじて説得的に示されたということができる.

 第3に,本論文における実証分析の対象は,イデオロギー,労働力の存在形態,国内商業の発展との関係,徒弟制と職業教育の関連,消費者利害の形成などきわめて多岐にわたり,そこで明らかにされた多くの具体的史実は,狭義の社会階層論にとどまらず,産業史,都市史,社会保障史などの分野に対する貢献ともなっている.この点も,著者が長年対象に沈潜したゆえの成果として高く評価される.

 第4に,帝政期ドイツに対象時期を限定しつつも,ワイマール・ナチス期との関連を視野に入れて問題を立てている点が指摘される.これは,従来中間層がナチズムの重要な支持基盤と見なされ,帝政期がその前史として位置づけられてきたからであるが,著者は最近の研究のサーヴェイや時論の再検討を通じて,新中間層のファシズムへの不可避的傾斜仮説が放棄されるべきこと,あるいは新中間層の政治的ポテンシャルが多様で開放的であったという結論を導き出して,通説を批判的に乗り越えようとしている.これもダイナミックな歴史理解につながる重要な問題提起ということができる.

もとより,本論文にも疑問とすべき点,改善が望まれる点がないわけではない.第1に,本論文の各章はそれぞれに優れた内容をもつとはいえ,全体の構成がやや錯綜しており,本論文から全体として何が言えるのかが必ずしも明瞭ではない.確かに序章において著者の視点・主張の多くは提示されているが,各章の分析を受けた総括がなされていれば,本論文の意義や研究史上の位置はさらに明確になったと考えられる.

 第2に,本論文では新中間層をめぐる同時代の論文・講演記録や各種の実態調査の丹念な検討・紹介がなされており,そのこと自体はひとつのメリットであるが,例えば社会民主党は「国民政党」であったか否かといった論点で,十分な史料批判が行われないまま,視点や評価が揺れていると思われる箇所が見られる.また,新中間層の政治的開放性を主張するためには,労働者サイドの新中間層論など性格のやや異なる史料を利用できれば,説得力をより高めることができたであろう.

第3に,最大の商業職員団体とされるDHVのメンバーが,小売業よりもむしろ工業や金融・保険業の従事者に多かったこと,あるいは小売商人は旧中間層であったことが示すように,「商業職員層」への対象の限定が新中間層の特質把握を制約したのではないかという疑問が残る.「商業」よりも「職員層」にこだわり,工業大経営の職員層をも含めた新中間層全体の特質を把握する視点も必要だったように思われる.

第4に著者は,「ドイツの特殊の道」論を基本的には継承し,とくに英米との比較を強く意識しながら,ドイツ新中間層の特質把握に努めているが,本論文で明らかにされた史実がどこまで特殊ドイツ的であったかは,なお検討の余地を残している.例えば,ドイツ商業職員の実態調査で確認された「賄いつき住込み制度」や長時間労働は,フランスなどの他のヨーロッパ大陸諸国にも見られるものであり,それを特殊ドイツ的と規定するためにはなお慎重な比較史的検討が必要であろう.

 このような問題点をもつとはいえ,本論文が,新中間層,とりわけ商業職員層に光を当てて,研究史の整理と時論・史料を丹念に分析し,帝政期ドイツ社会における新中間層の歴史的特質,あるいは新中間層とナチズム成立との関連についての多くの史実と視点を提示しえたことは,間違いなくドイツ社会経済史研究の進展に対する貢献ということができる.審査委員会は全員一致で,雨宮昭彦氏が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいという結論に達した.

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