学位論文要旨



No 215449
著者(漢字) 禹,宗杬
著者(英字)
著者(カナ) ウー,ジョンウォン
標題(和) 「身分の取引」と日本の雇用慣行 : 国鉄の事例分析
標題(洋)
報告番号 215449
報告番号 乙15449
学位授与日 2002.09.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第15449号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 仁田,道夫
 東京大学 教授 中村,圭介
 東京大学 教授 森,建資
内容要旨 要旨を表示する

 本研究の課題は、戦後初期国鉄における雇用慣行の形成過程とその論理構造を分析することを通じて、日本の雇用慣行の特質を歴史内在的に解明するための手掛りを得ることである。

 この課題に当たって、本研究が依拠する方法的仮説は「身分の取引」である。「身分の取引」仮設とは、日本の労使が「能力」及び「貢献」の正当化観念に支えられながら、「身分を取引する」様式に基づいて、ブルーカラーにまで及ぶ年功賃金と長期雇用、そして関連する諸慣行を形成してきたとするものである。この仮説の特徴は、一般的に雇用慣行は特定の取引様式と正当化観念のうえに成り立ち、主に正当化観念の流動化を媒介として変化するという仮定に立って、「身分」を日本の取引様式として、「能力」及び「貢献」を日本の正当化観念として析出したうえで、終戦後の「能力」及び「貢献」観念の拡大が「身分の取引」の全面的な成立を促し、それに基づいて現在的雇用慣行が形成されたと把握するところにある。

 この仮説の骨格を歴史過程に即して示せば、次のようになる。身分の取引は第一次大戦期前後にその下地が形成された。以後戦間期にかけて、この様式と「能力」観念に支えられながら、戦前の年功制的な諸慣行が形成される。しかし、この時期身分の取引はブルーカラー一般にまでは拡大されなかった。ブルーカラーの相当部分は未だに組織の底辺に位置付けられ、「能力」と「貢献」の主体として観念されなかったからである。その意味で、戦前の諸慣行は現在的慣行とは質を異にする。身分の取引は、戦時期と終戦直後の社会的激変、殊に戦後民主化の強いインパクトを受けて、1950年代に全面的に成立した。その契機をなしたのが、労働者側による「能力」及び「貢献」観念の再解釈であり、経営側によるその受容であった。それは端的にいえば、ブルーカラー一般が能力の持主であり貢献の主体であるとするものである。これが身分の取引をブルーカラー一般にまで拡大・深化する動因となった。そして、この様式・観念に基づいて、正社員一般が年功賃金や雇用保障を享受する代わりに、柔軟な労働力運用や雇用調整に応ずる、現在的雇用慣行が形成されたのである。

 以下、各章の内容を要約する。

 第1章では、戦前国鉄において経営身分制がどのように成立し、それに組み込まれた労使の思惑がどのような正当化観念の変化を生み出し、それが身分制の変化にどのように跳ね返ったかを分析することを通じて、「身分の取引」の下地が形成された過程を明らかにする。その内容は、次の通りである。初め国鉄(官鉄)は、官吏と使用人という身分を設け、権限と近代的な能力観念の序列性に依拠しながら、官吏組織が労働組織を統制することから出発した。国有化を契機として国鉄当局は、機関手など基幹職のブルーカラーを、ホワイトカラー身分であった「雇員」に編入し、その内部化をはかった。しかし、部分的にせよ労働組織に権限が委譲され、且つ労働者にも近代的な能力が認められると、それは積極的に再生産され、身分制は経営との親疎関係に基づく階層制から能力に基づく階層制に転化する。戦間期に入り、雇員身分に編入できなかった傭人職を中心に、身分上昇の運動が始まった。その基本的なモメンタムは、工場技工など従来「自由労働者」的存在であった傭人職が、組織内地位の向上を目指して、「勤続」を「能力」に読み替えることで自らも経営体の正式な構成員たり得ると主張したことであった。このなかから、広い意味での能力(=「技能」+「定着する能力」)を表すものとして年功たる観念が生まれた。但し、年功観念の適用が主に傭人技能職に限定され、傭人職一般にまで広げられなかったところに、戦前の限界があった。

 第2章では、終戦後国鉄における職階給の導入とその変容を素材として、身分をめぐる労使の思惑が戦後状況のなかでどのような正当化観念の変化を生み出し、それが現在に至る年功給=資格給の形成をどのように促したかを明らかにする。その内容は、次の通りである。当局は生活給を抑制し合理的な賃金秩序を作り上げるために職階給を導入した。組合は職階給を従来の人(=身分)に対する賃金から職に対する賃金への転換であると把握し、身分差縮小への願望からその導入に同意した。組合は職務評価と職の分類を通じて身分制の廃止にある程度成功した。しかし、職階給は賃金カーブの制限という逆効果をもたらし、現業ブルーカラーの年功カーブの享受とは両立し難いものとなった。これに対応するため、組合は「職務給」を放棄し、再び属人給を選択した。そして、ブルーカラー一般の経験・勤続を職務遂行「能力」に解釈替えすることで、ホワイトカラー並みの年功カーブの正当性を主張するに至った。こうして戦前の限界が克服され、傭人職までを含む全労働者が「能力」の持主となり、これを経営側が受容する過程で年功給=資格給が定着した。

 第3章では、戦後初期国鉄における雇用慣行の形成過程を労使の思惑を中心に検討することを通じて、「身分の取引」が現在的雇用慣行をどのように生み出したかを解明する。その内容は、次の通りである。新規学卒採用・長期勤続・雇用保障・配置転換などをその要素とする「日本的」雇用慣行は、ブルーカラーに関する限り、戦前には確立していなかった。殊に傭人職は雇用保障の程度が低く、配置転換とは縁の遠い存在であった。戦時期から終戦直後にかけて傭人職の流動化が進むなか、組合は現場権力を追求し、現場長の人事考課権・解雇権を制限しながら、現場における「参加」の範囲を広げた。1946年の人員整理は、組合にとって傭人職一般までを「職場の主人公」と組織する契機となった。争議過程で雇用のルール化が進められたものの、雇用調整のルールは出来上がらず、結果的には経営体による「丸抱え」となった。1949年の行政整理は、現場を基点として中央に向けられた定員拡大の傾向を押し切り、中央から現場に向けて権力を立て直す極めて「政治的」なものであった。そのなかで、「先任権」と強制的な配置転換が雇用調整のルールとして試みられた。デフレ経済への転換と行政整理によって傭人職の流動性が収まるなか、組合は非正規労働者を排除し、正規従業員だけの組織となった。1950年代以降経営は指名解雇を回避する代わりに、「合理化」で雇用調整をはかる政策に転換した。一方、傭人職は非正規との境界線を守りながら、職域の拡大と配置転換を受容し、雇員職との実質的な身分単一化を追求した。故に、傭人職に負担が集中される「先任権」は放棄され、長期勤続者の「希望退職」と「本人の希望を考慮した配置転換」が雇用調整のルールとして定着した。これは「貢献」を正当化観念として「身分」を取引する過程であった。

 第4章では、戦後初期国鉄における昇進慣行の形成過程を労使の思惑を中心に検討し、「身分の取引」が昇進においてどのように具体化したかを解明する。その内容は、次の通りである。戦時期から終戦直後にかけての幅広い昇格と、行政整理による大量降職とをともに経験した後、組合は1950年代に入って、上位職への横からの採用を制限しながら、昇職の上限を高める政策を追求した。但し、雇員職以上は傭人職とは異なる能力を必要とすると観念された。故に、傭人職のなかでは「先任権」、雇員職への昇職には「試験」、雇員職以上のなかではまた「先任権」という昇職ルールが主張された。「先任権」は、ブルーカラー同士の競争を制限する手段というよりは、ホワイトカラーとの衡平をはかる武器という意味合いをより強くもっていた。1950年代半ばに入り、昇職の秩序が「試験」と「養成」を中心に整うなか、組合は昇職よりは昇格に政策の重点を移した。昇格と職務範囲の拡大を通じて組織内地位の向上と発言権の増大を求めたのである。一方、経営は昇格のチャンスを広げながら職務の統合などによって人事運用の弾力性を追求する政策をとった。こうして地位の上昇と弾力的な人事運用という取引が成立した。

 第5章では、終戦直後から1950年代にかけての国鉄における定員制度の転換を労使の思惑と関連付けて分析し、身分の取引が職場に凝結する構図を解明する。その内容は、次の通りである。日本において労働給付と反対給付とを調整する軸となるのは定員制度である。定員査定には大きく分けてマクロ方式とミクロ方式とがあり、マクロ方式の適用程度が強いほど企業経営へのコミットメントがその意義を増し、ミクロ方式が職種・職務単位で行われるほどワークルールが生じやすい。終戦直後から1950年代半ばまでに国鉄の労使は定員制度において重要な転換を成し遂げた。それは、(1)定員査定全体におけるマクロ方式優先への転換、(2)ミクロ方式内部における職種・職務単位の放棄、(3)全国的な基準の放棄と職場レベルでの運用の重視である。経営側は柔軟な配置による定員圧縮の必要性からこのような選択をした。組合は年功的な賃金及び仕事上の権限の拡大と働く場での発言権の強化を目指してこのように選択した。以後「職務」たる観念はすたれ、職場を基底にすえた労使の恒常的な駆け引きが定着する。駆け引きの内容は「特定量の労働に対する特定額の賃金」ではなく、(1)職場単位で受け持つ作業量、(2)それを消化するための配置転換と職務統合、(3)それを受容できる昇格・昇職などの「ランク・アップ」である。労働給付と反対給付との対応関係を敢えてルール化しないで、職場での日常的な取引に任す労使関係のこのような特質は、「基準」に対する相対的無関心という代償を伴った。

審査要旨 要旨を表示する

 本提出論文は、戦後初期の国鉄における雇用慣行の生成過程を、「身分をめぐる取引」という仮説的概念を用いて明らかにすることを課題としている。この場合の「身分をめぐる取引仮説」には、ブルーカラーとホワイトカラーが近接している日本の特質をその「関係性」に着目して再構成するという著者の意図が込められている。具体的には、日本の雇用慣行の形成を、ブルーカラーがホワイトカラー並みの身分を獲得していくことと、その代償を受容していく過程として再構成しようというのである。

 序論では、氏原正治郎・小池和男両氏の方法を批判的に検討することを通じて、著者の方法が示される。氏原については、日本の賃金制度における「身分関係」といった雇用慣行の背後にある「関係性」の問題から、次第に手続き的問題へと関心が移っていったとされる。小池はこの方向性をさらに推し進め、「年功制」は純粋に「時間に応じた技能の可変性」を表すものとして再構成されることになる。著者は、こうして後景に退いた「関係性」にこそ日本の雇用関係を解明する上での核心があるとする。例えば小池の言う「ブルーカラーのやや広い移動」も、ホワイトカラー並みの地位を追求したことの代償として把握するのである。またこのような「関係性」に着目した歴史の再構成においては、「正当化観念」が重視される。そして、著者の方法においては、それは労使の再解釈によって「流動」し、雇用慣行の変化を促す要因という位置をもつのである。

 第一章では、第二次大戦前における国鉄の身分制度の変化に焦点を当て、両大戦間期に、広い意味での能力を表すものとして年功たる観念が生成してきたことが示される。最初の契機は、国有化後に機関手などの技能労務の基幹職が雇員(官吏と傭人の中間的身分)に編入されたことであった。この背後には私鉄との競合や労働運動の圧力などが考えられるが、重要なのはこのことが、雇員身分に編入されなかった層の身分上昇運動へと結果した点であり、当局の学歴重視の姿勢により傭人職に留まった工場技工などの反発と雇員への編入の正当化の論理が、現業委員会の協議の詳細な分析を通じて明らかにされる。長期勤続の技工は、技能という意味でも「定着する能力」という意味でも、相応の処遇、すなわち雇員に編入されるに値する存在であると主張されたのである。このような労働者側の論理を、著者は戦後の年功制(そのもとでの「能力」)についての観念の原型としてとらえる。

 第二章では、戦後初期の賃金制度、具体的には職階給の導入と変容に焦点を当てる。そこでは、結局のところ年功給=資格給へと流れていく過程が、身分をめぐる労使の思惑がどのような影響を及ぼしたのかという視角で切り取られる。職階給の導入は、現業官庁として「職」を通じた管理を重視してきた当局と、「身分給」からの離脱を求めていた組合の意向が合致して進められた。しかしながら職階給は、技能労務職の年功賃金カーブを「ねかせる」ことに結果し、このことへの労働者の強い反発が、当局の「現実感覚」ともあいまって資格給への変容をうながす。具体的には、職務価値を基礎として細分された「級」を前提とし同一の職務価値内での一定程度の昇給を含む「級別俸給額表」から、人事慣行上の大括りの区分を基礎単位とし長い昇給を前提とする「職群制度」へと変容していったのである。この背景にはブルーカラーの、職員層並みの年功賃金カーブを獲得したいという強い要求が存在し、彼らはブルーカラー一般の経験・勤続を職務遂行「能力」として解釈替えすることでそれを正当化したのである。著者はこれを、「能力観念」についての戦前での原型の広がり、高度成長期以降の能力給思想の芽生えとして位置付ける。

 第三章では、人員整理をめぐって、身分保障を中心とした雇用慣行がいかに生成していくのかが扱われる。46年の人員整理をめぐる争議では、組合が底辺の労働者のエネルギーを吸い上げることに成功し、当局の「上からの経営協議」の戦略は挫折する一方、雇用調整についてのルール化は先送りにされた。49年の行政整理は、「悪質者」の追放を梃子として、当局が現場権力の掌握を目指した「政治的」なものであったが、雇用調整についてのルール化が試された時期でもあった。特に「先任権」については、結果的に傭人層に負担が集中してしまうことから組合も当初の要求・態度を変更させ、傭人職までをも含む身分保障を前提とした雇用調整のルールが模索される。この場合の要求正当化の論理は、経営体への貢献の意思と能力であった。そして50年代以降定着していった雇用調整のルールでは、「本人の希望」を重視した配置転換と長期勤続者の「希望退職」が基軸となっていった。著者によれば、傭人職までを含む身分保障の代償として、組合は職域の拡大と配転を受容したことになる。

 第四章は昇進慣行についての分析である。50年代に入り組合は、昇進のルールを求め始めるが、基本的発想は、基準については「先任権」と「試験」を組み合わせ、学卒に対応して昇進階梯を伸ばしていくことだった。56年の職制改正は、採用職を整備係に一本化し、職名統合も幅広く行なったものであったが、これは差別なく組織内での地位向上を図るという組合の意向と矛盾しないものであった。同時に同年の新採用規程にみられるように、異職名からの転職が可能になるなど、当局の人事運用の弾力化方針との妥協の産物でもあった。またこの過程で、リジッドな「先任権」要求は後退し、「「(教習所での)養成」と「試験」が基準となるが、これは現場指揮における「権威」についての労働者の感覚にも合致し、さらには「試験」での能力の実証に基づいて昇進ラダーを登るという志向とも符合するものだった。

 第五章では、定員制度の転換の分析を通じて、労働給付と反対給付との対応関係を敢えてルール化せず、職場での日常的な取引に委ねる労使の関係が作られていく過程が析出される。実際の作業に必要な人員を単位ごとに算出し積み上げていくミクロ方式の定員査定は組合の増員要求をチェックできず、49年以降には経営上の諸指標から総定員枠を算出していくマクロ方式へと移行していく。これは、柔軟な配置による定員の圧縮という要請のもと、当局が職務単位の確立や全国共通の基準にも続く「ノルマ(作業基準量)」設定を放棄する過程であった。またそれは定員管理の運用上の問題は職場レベルで解決していくという姿勢の表れであり、組合にとっては職場での発言権を増大させていくという方向と合致したのである。

 本提出論文は、これまでの日本の雇用慣行についての分析と比較して、以下の点で貢献していると認めることができる。第一に、これまで断片的にしか扱われてこなかった国鉄の労務管理・労使関係の歴史を、戦前から戦後初期に限定されているとはいえ、賃金制度・雇用調整制度・昇進制度・定員(要員)制度の諸制度に焦点を当てて、体系的に明らかにした点である。それぞれの制度が相互に連関をもちながら生成していく過程を、労使双方から一次資料を丹念に収集して詳細に実証することに成功している。特に制度生成における労働組合側からのインプット、そしてそれの労使関係への跳ね返りを、案の段階での内部討議や労使の議論を検討して鮮やかにえぐりだしている。またこれは日本の労働組合運動に強い影響力を有した国鉄労働組合の内実を考える上での有力な論点も提示している。第二は、この過程を「身分をめぐる取引」、すなわちブルーカラーがホワイトカラー並みの身分を獲得していくこととその代償の受容という一貫した観点から整理した点である。職階給の「資格給」化、身分保障や昇進階梯の伸長の代償として、柔軟な配置を受け入れていったという捉え方である。またこの過程での「基準」設定(定員)の放棄が、職場での交渉の比重の高まりに結果していく構図も示される。この「身分をめぐる取引」仮説自体は、近年の人事・労務管理の歴史研究の展開に依拠しそれを発展させたものである。だが個別経営に内在し、仮説の検証に耐えるだけの史実の発掘が行われたのは初めてである。またこの仮説は日本雇用慣行全体の歴史との関係でみると、「資格給」化や柔軟な配置といった、従来60年代以降の以降の現象として扱われることが多かった諸論点を先取り的に観察することにつながっている。第三は、日本の雇用制度の中で認知されてきた「能力」とは何かについて、労働組合の言説に内在して明らかにしている点である。「技能プラス定着の能力」という自己の「能力」の正当化が意外にも戦前から観察され、戦後に経験・勤続年数を「能力」の代理指標として解釈換えしていったことが、労働者の能動的営みとして描かれている。また他方で試験制度が掛職以上の指揮監督能力の権威付けとして存在し、それが下位職務の「手職」層との緊張関係をはらんでいたことも示される。著者は教育社会学に学び、「能力関係説」の立場にたちつつ、その「関係」の歴史性・重層性を明らかにしているのである。

 だが、本論文にもいくつかの問題点が散見される。第一に、制度の実際の生成上、労使の思惑がどの程度重要だったのかについて、他の要因との丹念な比較をふまえて示すべきだった。例えば、技術的条件、あるいは戦後直後の経済状況や政策上の環境の影響についてより深い検討が望まれる。第二に、労働者の志向を、労働組合の指導部の内部討議や労使交渉での言説の記録に依拠して捉えている点である。実証上の困難性を考慮しても、著者自身のやや強引な読み込みも含めこれらの言説は相対化される必要がある。第三に、歴史分析としてみると、「身分」を考える上で極めて重要な位置をしめる戦時期分析が欠如していること、あるいは身分制そのものや「職」の生成についての歴史的分析がないことなどが弱点となっていることは否めない。

 しかしながらこのような問題点をふまえても、本提出論文は実証水準の高さ、論理構成の緻密さ、斬新さにおいて、従来のこの分野での研究水準を十分超えており、博士(経済学)の学位授与に値すると認められる。

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