学位論文要旨



No 215454
著者(漢字) 河原,温
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,アツシ
標題(和) 中世フランドルの都市と社会 : 慈善の社会史
標題(洋)
報告番号 215454
報告番号 乙15454
学位授与日 2002.09.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15454号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高山,博
 東京大学 教授 深澤,克己
 東京大学 教授 相澤,隆
 東京大学 教授 池上,俊一
 明治大学 教授 斉藤,絅子
内容要旨 要旨を表示する

 西欧中世において病と貧困はきわめて日常的な現象であった。とりわけ中世後期の都市においては、富の格差の拡大とともに大衆的貧困化が進行し、それにともなって貧民と貧民救済に関する社会的態度の変容が醸成されていった。本論文は、そうした中世の貧民とその社会的救済をめぐって、中世フランドル地方(現ベルギー)の都市ヘント(Gent)を主たる考察の対象とし、ヘントにおいて12世紀から15世紀前半までに設立され、発展を遂げたさまざまなカテゴリーの慈善・救貧組織に焦点を当て、その活動と機能を分析することで、西欧中世都市社会における「慈善」の在り方を究明し、あわせて近世・近代社会との接合を展望しようとする試みである。

 貧民救済の実施と監督を行う集権的な救貧制度を欠いていた西欧中世において、教会、修道院、王権、都市などさまざまな主体により創設された施療院をはじめとする「慈善施設」の展開過程は、西欧中世社会における救貧の論理と選択の変容を反映しており、救貧と福祉をめぐる社会的意識がいかに形成されていったかを理解するためのメルクマールとなりうるであろう。

 本論文は、序章、第I部全5章、第II部全3章、むすび、補論からなる。その構成は以下の通りである。

序章 本論文の対象と視角

第I部 中世ヘントにおける慈善・救済施設の成立

第1章 中世フランドル都市史研究の展開---ヘントの事例を中心に---

はじめに

1.新たな都市史研究の展開

2.ブルゴーニュ時代フランドル都市のアイデンティティ

3.中世ヘントの政治社会史概観

第2章 施療院とその発展

1.中世都市成立期の貧民揮念と慈善施設の出現

2.中世ヘントの施療院の活動

3.施療院と「慈善」のメカニズム

4.施療院の財政と受禄者の給養

5.施療院と都市

第3章 癩施療院の展開

1.癩病(レプラ)・癩者と癩施療院の成立

2.癩者と都市社会

第4章 「貧者の食卓」あるいは「聖霊の食卓」の活動

はじめに

1.「貧者の食卓」の起源と成立

2.「貧者の食卓」の構造

3.「貧者の食卓」の活動

第5章 兄弟団と貧民救済

1.兄弟団研究をめぐって

2.中世ヘントの兄弟団

3.聖ヤコブ兄弟団と施療院

4.都市、兄弟団、貧民救済

第II部 中世後期のフランドル都市と社会政策

第6章 孤児と孤児後見

はじめに

1.史料

2.中世都市キ孤児後見

3.孤児と婚姻

4.孤児院の設立と活動

第7章 中世末期の貧困と都市の社会政策---イープル改革を中心として---

はじめに

1.1520年代の「救貧改革条例」をめぐる研究史

2.中世末期の貧困と南ネーデルラント都市社会

3.イープル改革の成立

第8軍 フアン・ルイス・ビーベスの救貧論とフランドル都市社会

はじめに

1.ビーベスの生涯

2.時代背景

3.ビーベスの救貧論

4.ビーベスの救貧諭と16世紀前半のヨーロッパ社会

むすび

補輪 中世後期のフィレンツェとヘントにおける兄弟団的「慈善」:比較史的素描

史料・文献目録

 まず序章および第1部第1章においては、近年の中世フランドル都市史・社会史研究の動向を概観する中で、中世都市における慈善施設の展開と貧民救済の分析を通じ、中世都市民の社会内絆の在り方を探るという本論文の課題とその方法について考察している。

 続く第2章から第5章においては、フランドル地方最大の都市ヘントを主たる対象として、12世紀以来都市で設立された施療院や癩施療院、教区単位の救貧組織である「貧者の食卓」、兄弟団などの活動を取り上げ、規約や会計簿、メンバーリスト、都市参審人文書などの文書史料に基づきながらそれらの慈善施設・組織の成立、展開、変容の過程を検討することで、中世都市社会における財の再分配のネットワークないしセーフティネットを構成した諸組織の複合的慈善活動の実態を明らかにする。

 続く第2部第5章から第8章においては、そうしたさまざまな慈善施設・組織を媒介にしつつ、中世後期にフランドルの都市当局が示した救貧と慈善の論理と性格、孤児や貧民への対処を、都市条例や参審人団体による市政記録などの文書史料やユマニスト(人文主義者)の著作を通じて検討し、本来富者の魂の救済を眼目としていた「中世的慈善」から社会秩序維持のための「社会政策」としての「近世的慈善」への変化のプロセスを検討している。

 以上の検討を通じて明らかになったことは、以下の諸点である。第1に、都市ヘントの事例研究からは、施療院をはじめとする各種の慈善施設・組織設立、運営のプロセスにおける世俗都市当局の主導性が注目されることである。従来の研究史において強調されてきたような都市の慈善組織に対する教会諸組織の果たした支配的役割は相対化される必要があるだろう。この点はすでに同じフランドル都市ブルッヘについてG.マレシャルにより実証されているところであるが、本論文は、彼女の見解を実証的に補強するものである。

 第2に、かかる慈善組織・施設の管理・運営への都市民の関与は、当該都市における都市政治とも連動した有力市民にとっての関心事であったことが確認される。慈善施設・組織の管理者となることは、中世都市における社会的名誉のひとつであり、都市の支配的役職(参審人やクラフト・ギルドの長など)への上昇にも道を開くものであった。すなわち慈善施設・組織は中世都市において見逃し得ない社団としての意義を有していたのである。

 第3に、中世中期から後期にかけて多くの施療院の機能が、伝統的貧民の受け入れから富裕者の「養老院」的施設へと変化する傾向が看取される。中世後期における貧民観の変容により、貧困自体が個人の宿命と見なされていく中で、物乞いや浮浪行為の否定と貧民のカテゴリーの狭まり、限定化が進行することで、援助の対象となった貧民の数は15世紀以降、それ以前の時期に比べて著しく減少するという逆説が生じたのである。

 第4に富裕市民にとって自己の魂の救済としての施しの対象であった貧民が実体として直視されざるを得なくなった中世後期・近世初期には、多様な慈善・救済施設の併存に代わって、貧民を選別し、規制する慈善・救済施設の集権化への方策が都市当局により打ち出されていった点も見逃すことはできない。1525年のイープル改革は、同時代に慈善活動の集権化、合理化を強調したフアン・ビーベスらユマニストたちによる新たな救貧論をバックに、国家に先立って貧民救済の体系的再編を意図した都市の社会政策として重要であった。

 以上のような中世フランドル都市の慈善施設・組織の在り方を、フランス、ドイツ、イタリアなど他の西欧諸都市における事例研究とつき合わせつつ、広く西欧中世都市社会の特質の一環として考察することがさらに求められよう。

 なお、補論においては、ヘントとイタリア都市フィレンツェにおける救貧組織の活動の比較史的検討を行い、南北ヨーロッパ都市におけるその共通点と相違点を指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「中世フランドルの都市と社会-慈善の社会史-」は、中世ヨーロッパにおける慈善活動の在り方を理解するために、中世フランドル地方の慈善・救貧組織を分析・検討した研究である。・中世ヨーロッパにおいては病と貧困はごくありふれた現象であり、それに対処するための集権的な組織や制度は整備されていなかったが、教会、修道院、王権、都市などが慈善施設を建て、病人や貧者を救済していた。中世フランドル地方の都市ヘントでも、12世紀から15世紀前半に様々な慈善施設が建てられ、貧者救済に大きな役割を果たしていた。河原氏は、これらの慈善施設に焦点を当て、ヘントにおける慈善の在り方を検証すると同時に、救貧と福祉をめぐる社会意識の変容過程を分析している。

 本論文は、河原氏が1980年代後半から90年代末までの約15年のあいだに公表した主要論考を集成したものだが、同氏の問題意識と全体の見通しを論じた序章が冒頭に置かれ、新しく書き下ろした論考が第三章として加えられている。補論には英語の論文が含まれているが、全体としてまとまった博士論文となっている。

 中世フランドル都市ヘントの慈善施設に焦点を当てた第1部では、中世フランドル都市史・社会史の研究動向をヘントを中心に論じた後、12世紀以後設立された施療院・癩施療院、教区単位の救貧組織である「貧者の食卓」、兄弟団などの活動を検討している。規約、会計簿、会員名簿、都市参審人文書などのラテン語一次資料を利用し、これら慈善施設・組織の成立と展開、変容過程を分析すると同時に、慈善活動の実態を明らかにしている。

 第2部では、中世後期にフランドル都市当局が孤児に対してどのような政策を行ったかを慣習法や条例、孤児に関する資産記録、都市会計簿などを用いて検討し、条例や人文主義者の著作を利用して都市の社会政策を論じている。

 本論文では、中世フランドル都市ヘントの慈善施設の実態が多様な角度から詳細に検討され、都市と慈善施設との関係、慈善活動に対する政策の変容過程が明らかにされている。この研究によって、次のような新しい知見がもたらされた。まず、ヘントの慈善施設の設立時においては、都市当局の主導性が認められること。この点はすでに一部の研究者によって指摘されていたが、その説を実証的に補強し、教会組織の役割を過大評価してきた従来の研究への批判となっている。また、慈善施設の管理者の職が社会的名誉とみなされ、都市の支配的な役職へのステップとされていたことなど、慈善施設と有力市民との密接な関係が明らかとなった。さらに、中世後期以後、都市当局によって、慈善施設を集権化する政策が推し進められていた実態が明らかとなった。

 本論文は、ヨーロッパの最新の研究成果を取り入れ、一次資料の分析に基づいて出された優れた研究である。審査委員会では、わずかながら概念規定が必ずしも十分ではないと思われる箇所が指摘された。しかし、いずれも本論文の価値を大きく損なう性格のものではない。

 従って、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値すると判断した。

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