学位論文要旨



No 215457
著者(漢字) 三浦,覚
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,サトル
標題(和) 森林の林床被覆が有する土壌侵食防止機能の評価手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 215457
報告番号 乙15457
学位授与日 2002.10.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15457号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 小島,克己
内容要旨 要旨を表示する

 森林土壌は,森林生態系の生物に生育基盤を与えるとともに高い保水機能をもつ。それらの機能が十分に発揮されるためには,土壌が斜面上で安定して存在することが必要である。しかし,1950年代以降に増大したヒノキ人工林では,顕著な土壌侵食の発生が報告され,土壌保全上の問題となっている。土壌侵食強度に及ぼす因子として,林況,降雨,地形などが検討され,特に植生に由来する被覆因子の重要性が明らかにされている。しかし,土壌侵食防止の視点に立って,林床の被覆状態を評価する手法が確立されていないために,林分特性と土壌侵食強度の定量的な関係が明らかにされていなかった。本研究は,林地斜面における土壌侵食過程の考察に基づいて,土壌保全のための林床被覆管理に有効な,林床の被覆状態と土壌侵食強度に関する新しい評価手法を提起することを目的とする。

 土壌侵食の研究では,侵食過程の理解と侵食因子の取り扱いが重要である。本研究では,アメリカで農地の土壌侵食評価のために開発された汎用土壌流亡予測式(USLE)の考え方を基に,これを修正して林地に適用した。斜面の侵食過程は,侵食営力との関係から,1)雨滴による土壌の剥離,2)雨滴による土壌の運搬,3)地表流による土壌の剥離,4)地表流による土壌,の運搬の4つの素過程に分類される。USLEでは,主に1)と4)を考慮している。しかし,日本の急傾斜非撹乱林地では,一部の土壌を除いて,土壌の運搬に寄与する地表流は発生しないと考えられる。したがって,非撹乱林地では,土壌の運搬過程に対しても,樹冠滴下雨の衝撃力による寄与が大きいと推論した。降雨の侵食力以外の侵食因子についてもUSLEに従って検討し,USLEを林地斜面に適用する場合には地表流の影響がなければ斜面長因子を考慮する必要がないこと,および,土壌,傾斜,被覆の各因子については林地の立地条件に応じた修正が必要であることを指摘した。本研究では,このうち被覆因子に焦点を当て,土壌,傾斜の条件が均質な斜面で,土砂受け箱を用いて粋なしトラップ法による侵食試験を行った。

 試験地は,四国地方の急傾斜多雨地域に位置する。各種の試験は,高知県大豊町の山間地の急傾斜地において,ヒノキ,スギ,アカマツ,落葉広葉樹の幼齢林から壮齢林まで12林分で行った。土壌は,一部を除いて適潤性褐色森林土あるいは同(偏乾亜型)であり,均質であった。各種試験は,現植生を代表する林分において,植生以外の因子を揃え,幅広い降雨条件のもとで実施した。

 森林下の土壌侵食防止に関わる林床の被覆特性を明らかにするために,林外雨の雨滴衝撃力を1/10に軽減するという基準により,地上高0.5m以内にある林床植生あるいは堆積リターによる地表の占有率を,林床被覆率として定義した。スギ,アカマツ,落葉広葉樹林の林床被覆率は,林齢によらず常に90%以上で高かった。一方,ヒノキ若齢林(16-40年生)の林床被覆率は50-80%で低かった。また,ヒノキ林ではノ林床被覆率は傾斜に対して強い負の関係を示す指数関数で近似され,急傾斜地の林床被覆率は著しく低下していた。それに比べて,スギ,アカマツ,落葉広葉樹林では,40度前後の急傾斜地においても,ヒノキ林のように林床被覆率が低下することはなかった。ヒノキ林では林床被覆率が傾斜の影響を強く受けるので,USLEのように侵食因子の線形式で構成される侵食モデルを適用する際には,因子間の関係について慎重に検討する必要がある。林床被覆率を支配する因子は,スギ,アカマツ,落葉広葉樹林では堆積リターであったが,ヒノキ林では林床植生であった。林床被覆率とこれに対する林床植生および堆積リターの寄与の強さは,樹種や林齢によって大きく変化する。したがって,土壌侵食防止に関わる林床の被覆状態を評価するためには,林床植生と堆積リターの消長の特質を明らかにし,林床被覆率のように,両者による被覆を総合的に評価する指標を用いる必要がある。

 土壌侵食強度の測定には,土砂受け箱を用い,斜面に枠囲いを設けない粋なしトラップ法を採用した。この測定法は,雨滴侵食が卓越する林地斜面では,侵食強度を評価する適切な方法であることを示した。侵食強度は,斜面幅1mを通過する移動物質の量(物質移動量,単位はgm-1)で評価した。

 試験地域の土壌の降雨浸透能と最大降雨強度の関係,および,現地での地表面の観察に基づいて,試験地域では雨滴侵食が卓越すると判断した。各種の降雨指標と物質移動量との関係を検討した結果,物質移動量の推定に対して,それぞれの降雨指標による回帰式の決定係数には,ほとんど違いが認められなかった。したがって,雨滴侵食が卓越する条件下では,物質移動量を予測する回帰式の降雨指標には,降水量を用いることが妥当であると結論づけた。以上の解析の結果に基づいて,斜面1幅1mを通過する降水量1mm当たりの物質移動量を,物質移動レート(単位は,gm-1mm-1)と定義した。物質移動レートは,林相に規定される林床の被覆状態によって決定され,降雨強度には影響されないことを明らかにした。物質移動レートは,移動物質の組成によって,細土移動レート,全礫移動レート,土砂(細土と全礫の合計)移動レート,全リター移動レートのように使用することができる。

 斜面の物質移動過程において,リターと土砂(細土と全礫の合計)は異なる特質を示す。本研究では,移動物質のうち細土および土砂に注目して解析を行った。林床の被覆状態が大きく変動する杯分では,土砂移動レートもそれに応じて短期間にオーダー単位の変動を示した。土砂移動レートは,林床被覆の変化に対する感受性が高い特性値である。しかし,年単位でみれば,各村分における土砂移動レートは一定の変動幅内に収まり,ヒノキ,スギ,アカマツ,落葉広葉樹林の年平均土砂移動レートは,それぞれ,0.041-1.7,0.29-0.48,0.0079,0.27-O.54gm-1mm-1であった。土砂移動レートは,林地における土砂移動の活発さを表す特性値であり,林分には固有の土砂移動レートが存在すると結論づけた。

 林床被覆が有する土壌侵食防止効果を評価するために,ヒノキ,スギ,アカマツの4林分で林床被覆除去試験を行った。林床被覆除去処理により,土砂移動レートは急激に増加した。林床被覆除去前の年平均土砂移動レートは,0.0079-1.7gm-1mm-1で外分間で2オーダーの違いあったが,除去処理後に1.5-5.6gm-1mm-1に増加し,4林分ともにほぼ同じオーダーの侵食強度に達した。既往の研究とも比較した結果,ヒノキ若齢林における土壌侵食防止効果は,非撹乱林地斜面の中では最も小さく,裸地に対する比は最大で0.4程度に達することを明らかにした。アカマツ林の土壌侵食防止効果は,非撹乱林地斜面の中では最も大きく,裸地に対する比は0.003あるいはそれより小さい値を示すものと推定された。林相に由来する林床被覆の違いによる土壌侵食防止効果のレンジは,2オーダー以上の違いがあることを明らかにした。一方,土壌侵食強度の評価に用いた細土および土砂移動レートは,林床被覆率から精度良く推定することができた。土壌侵食防止効果は,地表を保護する物理的被覆の有無により決定されることを明らかにした。したがって,林地の土壌侵食強度を推定するためには,これを規定する林床被覆率の変動特性の予測手法を確立することが不可欠である。

 土壌物理性の解析からは,林床被覆率が低下すると土壌侵食が激化し,それに伴い土壌物理性の悪化が進行することを明らかにした。このような土壌物理性の変化は,積算降水量2800mmの1年3か月の間に急速に生じていた。林床被覆状態の変化は,土壌侵食に対してだけでなく,土壌物理性に対しても,直ちに強い影響を与えることを明らかにした。林冠が発達した森林下の雨滴の侵食力は裸地よりも大きいことから,林床被覆を維持することは,林地の土壌保全にかかわる最も重要な要件であると結論づけた。

 土壌侵食強度を決定する因子として,地表近くに存在する被覆の重要性はすでに多くの研究が指摘している。しかし,日本の林地斜面における土壌侵食の研究では,被覆の定量的評価手法が提示されていなかったために,林床被覆特性と土壌侵食強度との関係もまた定量的に扱うことができなかった。本研究で定義した林床被覆率は,林床植生および堆積リターの両者を考慮し,空間的にも時間的にも変動が大きい林床の被覆を評価するための定量的基準を与えた。この指標は,林地の土壌保全のための林床被覆管理基準として利用することができる。一方,降水量当たりの一定の斜面1幅を通過する表層物質の量で定義した物質移動レートは,斜面上の物質移動の活発さを評価する特性値として有効であった。物質移動レートは,その測定原理からすれば,粋なしトラップ法による移動物質の観測値に対して適用すべきである。しかし,雨滴侵食が卓越する林地では,枠囲いの設置は物質移動に対してほとんど相違をもたらすことはなく,枠囲い法による観測値に対しても適用可能であった。これを,日本の非撹乱林地斜面における既往の土壌侵食研究に適用し,物質移動レートが10-2-100gm-1mm-1の範囲にあることを明らかにした。物質移動レートは,斜面の移動物質を捕捉して観測する測定方法であれば,測定方法やプロットサイズの違いに影響されることが少なく,汎用性の高い評価手法である。本研究で提示した林床の被覆状態と土壌侵食強度に関する評価手法は,実際の現場における適用も容易である。これらが森林管理の現場で利用されれば,林地の土壌保全の向上に資するものと確信する。

審査要旨 要旨を表示する

 森林生態系の基盤である森林土壌は斜面上でも安定して存在することによってその機能が十分に発揮されるが,例えばヒノキ人工林では若齢期における林床植生の消失にともない地表の土壌侵食が活発化しやすい。このような林地における土壌侵食は,荒廃地からの土砂流出と並ぶ森林の土壌保全に関わる主要なテーマである。しかし,土壌侵食防止の視点に立った林床の被覆特性に関する評価手法が確立されていないために,林床の被覆状態と土壌侵食強度に関する定量的関係も明らかにされていない現状にある。本研究では,林床の被覆と土壌侵食強度に関する新たな評価手法を提起することを目的としており,これにより非撹乱林地斜面における侵食現象の認識が一新されるものと思われる。

 本論文は7つの章から構成され,土壌侵食研究全体の背景と歴史を総括する第1章に引き続き,第2章では林地における侵食過程と侵食因子について改めて考察を加えている。ここで,地表流がほとんど発生しない非撹乱林地斜面では,土壌の剥離のみならず運搬に対しても雨滴衝撃が主たる営力となることを推論し,全体の論旨を展開する基礎を提示するとともに,取り扱う侵食因子の範囲と議論の道筋を示している。

 第3章で共通する試験地の詳細を述べた後,第4章と第5章では,林床被覆率と物質移動レートを定義し,非撹乱林地斜面における林床の被覆状態と地表の物質移動特性を明らかにしている。林床被覆率は本論文が提起する主要概念の1つであり,侵食深と土壌生成速度を均衡させる条件のもとに,地上高0.5mの範囲内で林床植生あるいは堆積リターにより地表が被覆されている面積率と定義される。これを用いて,樹種と林齢により,林床被覆率とその被覆を構成する林床植生および堆積リターの寄与の強さが大きく変化することを示し,両者を考慮した総合的な被覆指標の必要性を明らかにしている。

 物質移動レートはもう1つの主要な概念であり,降水量1mm当たりの物質移動量(斜面幅1mを通過する物質量)と定義され,侵食強度を指標する。物質移動量と物質移動レートは,従来の侵食研究で用いられている評価単位とは次元を異にする。しかし,第2章で述べられた林地における侵食過程に対する解釈ならびに観測データや斜面の観察結果をもとに,降雨の侵食力が降水量により決定されることと試験地における雨滴侵食の卓越を論証し,林地でこれらの評価指標を用いることの妥当性を明らかにしている。これらの指標を用いて,森林には,樹種と林齢によって決定され,降雨強度には依存しない,固有の物質移動レートが存在することを明らかにしている。

 第6章では,前2章で示された林床被覆特性と物質移動特性の関係を明らかにするために林床被覆除去試験を行い,物質移動レートが林床被覆率の変化に鋭敏に反応することを示すとともに,回帰分析により両者の定量的関係を導いている。また,林床被覆が土壌物理性に及ぼす影響についても検討を加え,林地の土壌保全には,地表を保護する物理的な被覆の有無が決定的な役割を果たすことを実証している。

 第7章では,既往の研究データのレビューと侵食モデルに沿って総合的な考察がなされている。侵食過程における林床被覆率と物質移動レートの位置付けが明確にされ,物質移動レートは,それ自体が土壌侵食防止効果を強く反映した特性値であることを明らかにし,また,森林管理の立場から林床被覆率の意義を述べている。本研究により,侵食過程を異にする林地と荒廃地とでは,侵食特性の評価においても異なるアプローチを取る必要があることが明確にされ,今後の重要な課題として,地表流侵食が発生する土壌および降雨条件の解明や林床被覆率の経年変動のモデル化などを指摘している。以上の議論に基づいて,林床被覆率および物質移動レートは,非撹乱林地斜面における土壌侵食防止効果の評価に有用であり,これらを用いた評価手法を森林管理に利用することにより林地の土壌保全の向上に資すると結論づけている。

 本論文で提起された2つの評価指標の着想は,森林では樹冠滴下雨の雨滴径分布が降雨強度にかかわらず均質化するという50年以上前に指摘されていた事実の意味を,侵食過程の中で現象に忠実に解釈し直したところから生まれている。長い間疑われることがなかった侵食カと降雨強度の比例関係に疑問を呈し,森林下では降雨の侵食カが降水量によって決定されることを論証した成果は特筆に価する。

 以上のように本論文は,非撹乱林地斜面におけるこれまでの侵食研究を総括した上で,この分野における今後の研究の展開に大きく寄与する成果を得ている。また,侵食研究における学術的な価値が高いだけでなく,新たに提起された手法はいずれも簡明で実用的価値が高く,応用面においても土壌保全に関わる森林管理手法の向上に貢献するところが大きい。

 よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると判断した。

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