学位論文要旨



No 215459
著者(漢字) 石塚,成宏
著者(英字)
著者(カナ) イシヅカ,シゲヒロ
標題(和) 森林土壌におけるメタンおよびN20フラックスに関する研究
標題(洋)
報告番号 215459
報告番号 乙15459
学位授与日 2002.10.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15459号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 小島,克己
 名古屋大学 教授 竹中,千里
内容要旨 要旨を表示する

 メタンと一酸化二窒素(N2O)は気候変動枠組条約京都議定書で指定された、二酸化炭素に次ぐ重要な温室効果ガスである。陸域生態系におけるこれらのガス動態は地球規模のガス収支に大きく影響を及ぼす。これらのガスについて、これまでの地上観測はほとんどが北米、南米、ヨーロッパにおいて行われ、東南アジア、東アジア、アフリカ、豪州における観測例はほとんどなく、全球規模におけるガス収支推定の不確定要素の最大の要因になっている。さらに観測例のない地域のガスフラックスについては観測が行われている地域で得られたガス生成メカニズムを用いて推定されており、異なるメカニズムが存在することを想定していない。全球の陸域生態系のガス収支推定に対して、メタンについては土壌のガス拡散によって推定する方法を、N2Oについては炭素量・土壌栄養状態・有効水分量・酸素分圧・土壌有機物分解速度の指標を作成し推定する方法を用いている。本研究の第一の目的は、これら限られた地域で得られた観測値とメカニズムによって推定された値が、日本の森林土壌と東南アジア湿潤熱帯林の土壌において適合するかどうかを検証することである。そのために、日本とインドネシアのそれぞれ28ヶ所においてフラックス観測を行った。その結果、日本のメタン吸収フラックスは既存の観測例の中では高いグループに属し、土壌物理性から推定されていた値よりもかなり大きいことを明らかにした。また、インドネシア湿潤熱帯林では推定されていたN2Oフラックスよりも小さい値が観測されることが明らかになった。そこで本研究の第二の目的は、これらのフラックスが推定値と異なる原因について、メタンに関しては土壌内メタン酸化活性の垂直分布とガス拡散係数から作成したメタンガス移動モデルを用いることにより、N2Oに関しては窒素循環パラメータとフラックスの関係を調べることにより、それぞれ解明することである。

 日本の森林28ヶ所にチャンバーを設置し、メタンフラックスの観測を行い、日変化、季節変化、年変動などの変動パターンを明らかにした。その結果、日変動は小さく、季節変動は夏季に吸収フラックスが大きくなり冬季に小さくなる地点と年間を通してほとんど変化しない地点の両方が存在した。年変動は認められなかった。これらから、同一地点におけるフラックス変動は主として地温によって決定されていると考えられた。日本の森林土壌におけるメタン吸収フラックスは概ね2.2mgCm-2d-1程度と考えられ、北米の観測値とほぼ同程度、ヨーロッパの観測値の約2倍であることが明らかになった。この結果から過去にヨーロッパの観測値をもとに推定されている全球メタン吸収量は過小評価であると考えられた。メタン吸収フラックスは表層0〜5cmの土壌円筒試料の培養実験から得られたメタン酸化活性の指標であるb-value値と土壌のCN比を用いて次の式で推定可能であった。

 Flux(mgCm-2d-1)=2.161×10-3・b-value(h-1)-0.183・CN比+4.224(R2=0.888,p<0.01、n=14)これらから、日本の森林土壌におけるメタン吸収フラックスが大きいのは、表層0〜5cmのメタン酸化活性が高いためと考えられた。

 b-value値と土壌のガス拡散係数を用いて土壌内ガス移動モデルを作成し、年間を通して土壌表面のメタン吸収フラックス値と土壌中のメタン濃度を推定し、実測値との比較をおこなった。その結果、メタンフラックスの季節変化、土壌中のメタン濃度分布はこのモデルによって概ね説明できた。

 メタン酸化活性は垂直的に不均質な分布を示すことが多く、今まで5cm以深の土壌におけるメタン吸収量の実態は不明であった。これを解決するために、上記のガス移動モデルを使用して解析したところ、0〜5cmの土壌がb-value値で200h-1以上であれば、0〜5cmの土壌がメタンフラックスの62〜89%を占め、200h-1以下であれば5cmより深い層位でのメタン酸化量の方が表層土壌よりも大きくなることが明らかになった。また同じモデルを用いて複数の温暖化シナリオに対するメタン吸収量の変化を推定した結果、大気のメタン上昇によってメタン吸収量は増大したが、温度の上昇にはほとんど影響を受けないことが明らかになった。

 日本の森林土壌からのN2Oフラックスを観測し、脱窒酵素活性、脱窒菌の計数、基質添加実験、アセチレン阻害法の適用など種々の実験を行った結果、N2O生成メカニズムは地形によって異なり、渓流域では主として脱窒過程で生成し、硝酸態窒素の供給がその脱窒速度に大きく影響していることが明らかになった。谷斜面や尾根ではN2Oは硝化過程で主として生成していることが明らかになった。

 インドネシア湿潤熱帯林におけるメタン吸収フラックスは0.55mgCm-2d-1であり、過去の熱帯林観測で得られた値と同程度であった。また、多くの地点でシロアリが原因と考えられるメタン発生が認められた。日本の土壌で得られたメタン吸収フラックスとb-value値の関係はインドネシア土壌においても認められ、インドネシアの吸収フラックスが小さいのは0〜5cm深さの土壌のb-value値が小さいためと考えられた。b-value値からメタン吸収フラックスを推定する方法は、全球規模で適用可能であると考えられた。

 インドネシア湿潤熱帯林におけるN2Oフラックスは9.11μgNm-2h-1で、土壌の性質によって異なった。最も大きかったのは湿性の土壌で、硝化速度との関係から脱窒によるN2O生成が示唆された。Andiso1s土壌ではN2Oフラックスは小さく、これは硝化速度に対するN2O生成の発生係数が他の土壌と異なるためと考えられた。日本とインドネシアの観測結果と既存の研究の結果をまとめると、次のような式でN2Oフラックスが推定された。

【Andisolsの場合】

 N2Oフラックス(μgNm-2h-1)=硝化速度(μgNg-1d-1)X1,344+0.8868 (R=0.9100)

【Andisols以外の場合】

 N2Oフラックス(叫gNm-2h-1)=硝化速度(μgNg-1d-1)X9,277-0.3949 (R=0.9044)

 インドネシアにおける観測結果は、他の熱帯林で観測された中では小さいグループに属し、これは低い硝化速度とAndisols土壌が広く分布するためと考えられた。この結果から既存の東南アジア熱帯林からの年間N2O生成量の推定値は過大評価であり、インドネシア熱帯林だけでも年間0.037Tg程度過大評価であると考えられた。この量は、全熱帯湿潤林の年間発生量の約3%程度であった。

 土地利用の観点からは、メタン吸収フラックスに関しては森林土壌がオイルパーム林、ゴム林、アランアラン草原等に比べて大きいため、森林から始まるいかなる土地利用変化も温暖化促進要因となることが明らかになった。N2Oフラックスに関しては伐採時の影響を考慮に入れなければ、森林伐採によって一時的にフラックスは減少するが、長期的に見ればアランアラン草原になった場合は温暖化抑制効果を、その他のゴム林やオイルパーム林になった場合は森林と大きく変化がないと推測された。

 メタンフラックスに関する過去の研究例ではガス拡散が最も重要なフラックス決定因子であり、世界中の土壌のメタン吸収フラックスをガス拡散から推定できるという考え方が主流であった。これは、当初の研究対象がメタン吸収フラックスの小さいところで行われ、本研究からそのような場所では表層土壌のメタン酸化速度が小さく、より下層の土壌の寄与率が高くなり、従ってその下層土へのガス拡散が最も重要な要因になっていたためと考えられる。しかし、その考え方では本研究で観測されたような高いメタン吸収フラックスを説明できない欠点があった。本研究では、表層土壌のメタン酸化速度が大きい場合は表層土壌のメタン酸化がメタンフラックスの大半を占め、表層土壌のメタン酸化速度が小さい場合は、より下層の土壌の重要性が増すということを明らかにした。これにより、地球規模で考えた場合、異なる生態系間のメタンフラックスの違いは、表層土壌のガス拡散係数の違いによって決定されるのではなく、表層土壌のメタン酸化速度の大きさによって決定されているということを初めて明らかにした。

 N2O生成については、今まで得られていた硝化-N2Oフラックスの関係式が、生態系や地誌の異なる東アジアや東南アジア地域でも概ね適合するという証拠が得られた。しかし、Andisols土壌でのN2O生成は少ないと予想されることが初めて明らかになった。これはAndisols土壌の硝化速度に対するN2Oの発生係数がその他の土壌の7分の1程度であるためである。しかもインドネシアと日本の森林土壌に同じ係数が適用できることが明らかになったことは意義が大きい。このことは今まで他の土壌と同じと考えられていたAndisolsにおける窒素循環メカニズムが、他の土壌とは異なる可能性があることを示唆している。窒素循環を基本としたプロセスモデルに本研究で得られた発生係数を適用することにより、Andisols固有の窒素循環メカニズムが明らかになる可能性も高く、今後の窒素循環理解への波及効果が期待される。

 以上から、日本およびインドネシアの森林土壌特有のメタン・N2O代謝の存在を確認し、そのメカニズムの一端を明らかにすることができた。これにより地球規模のこれらガス代謝の理解に大きく貢献したと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 メタンと一酸化二窒素(N2O)は重要な温室効果ガスであり、地球規模でのこれらのガス代謝の理解が課題となっている。本研究は、今までアジア地域での実測データの乏しかったメタンとN2Oのフラックスを日本およびインドネシアの森林土壌を対象にして測定し、さらにフラックスの地点間差の形成要因について解析したものである。

 本論文は5章から成る。1章では、メタンとN2Oに関する既存の研究結果のまとめと問題点について説明している。

 2章では、日本の森林28ヶ所におけるメタン吸収フラックスの観測の結果と、これらの実測値を元にした土壌内ガス移動モデルの解析結果について示している。閉鎖した林内でのメタン吸収フラックスの日変化と年変動は小さく、夏季に大きく冬季に小さくなる季節変化が認められる地点と年間を通してほとんど変化しない地点が存在した。28地点の観測結果は平均で2.2mgCm-2d-1程度であり、北米の観測値と同程度で、ヨーロッパの観測値の約2倍であった。過去に土壌の粒径組成とヨーロッパの観測値の関係から推定されている全球メタン吸収量は、この様な高いメタン吸収フラックスを想定しておらず、過小評価であると考えられた。メタン吸収フラックスは、表層0〜5cmの土壌円筒試料の培養実験から得られたメタン酸化活性の指標であるb-value値と高い正の相関を示した。深さ25cmまでのb・va1ue値と土壌のガス拡散係数を用いて、土壌内ガス濃度と土壌内メタン酸化量を推定し、土壌内メタンガス移動モデルを作成した。このモデルを用いて、深さごとのメタン吸収量を推定した結果、表層土壌のb-value値が低い場合は土壌のガス拡散が重要となり、表層土壌のb-value値が高い場合はこの値が重要になることが示された。同じモデルを用いて複数の温暖化シナリオに対するメタン吸収量の変化を推定した結果、大気のメタン濃度上昇によってメタン吸収量は増大するが、温度の上昇にはほとんど影響を受けないことが明らかになった。

 3章では、日本の森林土壌からのN2Oフラックスを観測し、脱窒酵素活性、脱窒菌の計数、基質添加実験、アセチレン阻害法の適用などの実験を行い地形要因の影響を解析している。アセチレン阻害法によって土壌から生成するN2Oが増加したこと、硝酸態窒素の添加によってN2Oが生成したことから、渓流域では主として脱窒過程で生成し、硝酸態窒素の供給がその脱窒速度に大きく影響していることが明らかになった。アセチレン阻害法によって生成するN2Oが減少すること、圃場容水量の80%までの水分量では水分が多いほど硝化速度が大きくなること、酸素分圧が低くなるとN2Oが生成することなどから、斜面中上部や尾根では主として硝化過程でN2Oを生成し、斜面下部ではN2Oの生成が大きくなる可能性が高いことが示唆された。

 4章ではインドネシア熱帯降雨林におけるメタンとN2Oフラックスの観測をおこない、日本の森林土壌で得られた結果と比較検討している。インドネシアの森林土壌で観測されたメタン吸収フラックスとb-value値は、日本の土壌で得られた関係式に適合した。インドネシアの森林土壌のメタン吸収フラックスは小さく、これは表層土壌のb-value値が低いためと考えられた。インドネシアの森林土壌におけるN2Oフラックスは土壌の性質によって異なった。湿性の土壌で最も大きく、硝化速度から推定される値よりも大きいN2Oフラックスが観測され、脱窒によるN2O生成が示唆された。Andisols土壌では硝化速度に対するN2O生成の発生係数がその他の土壌の7分の1程度であることが明らかになった。またインドネシアにおけるN2Oフラックスの観測結果は南米の熱帯林における観測値より低く、これは低い硝化速度が主な要因と考えられた。

 5章では以上を総括し、メタン吸収フラックスとN2Oフラックスが生態系間で異なる理由について推察を加えている。

 本研究により、メタン吸収フラックスの形成に関して土壌の深さ別吸収量が大きく関与しており、表層土壌のメタン酸化活性が重要であることが明らかになった。これは、全球のメタン吸収速度を推定する上でも重要な成果であり、学術上、応用上の貢献度が高い。N2O生成については、今まで得られていた硝化-N2Oフラックスの正の強い相関関係が、生態系や地史が南米等と異なる東アジアや東南アジア地域でも概ね適合するという証拠が得られた。一方で、Andisols土壌における硝化過程とガス生成の比率が、他の土壌とは大きく異なるとする結果は、学術上、重要な知見である。

 よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものであると半断した。

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