学位論文要旨



No 215461
著者(漢字) 勝川,俊雄
著者(英字)
著者(カナ) カツカワ,トシオ
標題(和) 繁殖ポテンシャルとスイッチング漁獲による順応管理理論
標題(洋) Adaptive Management Theory based on the Concepts of Population Reproductive Potential and Target Switching
報告番号 215461
報告番号 乙15461
学位授与日 2002.10.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15461号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木原,国雄
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 山川,卓
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 松田,裕之
内容要旨 要旨を表示する

1章 緒言

 不確実な情報を元に資源を持続的に利用するための管理理論が求められている。不確実性に対応するために、新しい情報を利用して意志決定を更新していく資源方策を順応管理(Adaptive Management)と呼ぶ。順応管理には大きく分けて2つのアプローチがある。一つは、管理を実験としてとらえて、資源管理を通して生態系の動態を学習し、その知見を資源管理に還元するアプローチである。これは、Adaptive Learningと呼ばれる。もう一つのアプローチは、現在の資源量と目標資源量の差を小さくするように漁獲を行う方策であり、フィードバック管理と呼ばれている。

 本論文では、順応管理の新しい手法について論じる。順応管理のためには、資源状態の把握が不可欠である。申請者は、資源状態を評価するための指標として繁殖ポテンシャルを考案した。繁殖ポテンシャルは、対象生物の生活史パラメータを利用して、資源全体の将来の産卵能力を評価する指標である。繁殖ポテンシャルを利用することで、現在の資源管理では軽視されがちな未成熟個体の繁殖力を評価することができる。本論文では2章で繁殖ポテンシャルの概念を説明し、クロマグロを例に繁殖ポテンシャルに基づく資源評価の有効性を検討した。3章では繁殖ポテンシャルを一定値に保つフィードバック管理の効果をコンピューターシミュレーションで検証した。

 その時々の相対資源量によって、複数の漁獲対象資源の努力量の配分比を変えていく漁獲方策をスイッチング漁獲と呼ぶ。複数の非定常な水産資源を利用する方策としてスイッチング漁獲の効果を検討した。4章では、独立に変動する2資源の間でのスイッチング漁獲の影響を数理モデルで検証した。5章では魚種交代をする3種系でのスイッチング漁獲の効果を検討した。6章では総合的な考察を行った。

2章 繁殖ポテンシャルによる資源評価

 資源量の指標としては、産卵バイオマス(SSB)が一般的に利用されている。しかし、SSBは、未成魚や若齢魚などの将来性はあるけれど現在の繁殖能力が低い個体の価値を軽視もしくは無視してしまう。長期的視点から資源の持続的利用を考えるためには、現存資源の長期的な再生産能力を評価する必要がある。数理生態学の分野では、Fisher(1930)の繁殖価が個体の繁殖能力の指標として幅広く用いられている。繁殖価の定義は、ある齢の個体が以後の生涯に産む産卵数の期待値である。繁殖価の概念を資源全体に拡張したものが、繁殖ポテンシャル(Population Reproductive Potential;PRP)である。PRPは対象資源の産卵の能力を次の産卵だけではなく資源が生涯に産む産卵数で評価しようという概念である。PRPはコホート解析と同じ要領で、現在の資源を将来に投射していくことで計算できる。(Ni:i歳魚の個体数、Ej:j歳魚の個体あたり産卵数、F:漁獲係数、M:自然死亡係数、tMAX:最高成熟年齢)

 クロマグロ西大西洋系群を例に、PRPを利用した資源評価の効果を検証した。1982年から1993年までの間にSSBが50%以下に減少したために、クロマグロ西大西洋系群はIUCNの絶滅危惧種1-Aのリストに記載された。しかし、クロマグロが本当に減少したかどうかには疑問の余地が残る。確かに親魚は減少したが、未成魚は逆に増加している。クロマグロのPRPを計算したところ、1982年以降ほぼ横ばいであったことから、成魚の減少を補うだけ未成魚が増加して、資源の再生産力はほぼ一定であることが示唆された。この結果は、コンピューター・シュミレーションからも支持された。SSBを基準に資源量を評価する限り、長期的な資源の持続性にとって重要な未成魚の価値は完全に無視される。PRPは、年齢組成が不安定な資源の繁殖能力を評価するための有効な指標である。

3章 繁殖ポテンシャルを用いたフィードバック管理

 資源の持続性を示す指標である繁殖ポテンシャルはフィードバック管理に利用できる。繁殖ポテンシャル(PRP)は、漁獲係数の単調減少関数であり、繁殖ポテンシャルに目標値を設定すると目標値を実現するための漁獲係数を一義的に決定することが出来る。申請者は、繁殖ポテンシャル一定方策、SSB一定方策および漁獲率一定方策(FMAX)のパフォーマンスを比較し、PRP一定方策の有効性をシミュレーションで検証した。

 PRP一定方策は、資源量推定の不確実性に対して頑健であり、漁獲量と努力量の変動を抑えられることが示唆された。繁殖ポテンシャルによる資源管理は、現存資源量から許容しうる漁獲可能資源を現存資源の生涯に均一に分散させて利用する。そこで、資源量の過大推定や加入の失敗等の不測の事態により資源が減少した場合でも、その年以降に漁獲が予定されていた資源を産卵に回し、乱獲を回避することができる。目標となる産卵量を確保できるように漁獲を調節する上で、将来の漁獲予定資源が緩衝材の役割を果たし、資源と漁業の安定に貢献するのである。

 PRPを資源管理の指標として用いることで、資源の長期的な産卵能力を維持することができる。さらに分散漁獲による乱獲回避効果によって、資源と漁業の安定および資源評価誤差に対する頑健性の向上が期待できる。PRPの概念は、許容漁獲量(TAC)制をはじめとする資源管理のさまざまな領域に応用が可能である。

4章 スイッチング漁獲

 複数の餌生物の中からそのとき高水準なものを選択的に捕食する行動が、鯨類などの野生生物で観察されている。このような捕食行動は、低水準な餌生物の回復を助けて、生態系の安定に寄与することが知られている。単一の資源に依存した漁業は希であり、ほとんどの漁業は複数の漁獲対象資源の中から高水準の資源を選択的に利用する。複数の漁獲対象資源に対して、それぞれの資源状態に応じて努力漁を配分していく行為をスイッチング漁獲と呼ぶ。本研究では、スイッチングによる漁獲量増大効果、資源保護効果、資源評価誤差への頑健性を数理モデルで検討した。

 同じ条件の資源が2つ有ると仮定する。資源iの現存量を及とすると、資源iへの努力量の配分を決める関数五および漁獲量Yiは次式のように表現できる。nはスイッチングの強度を決めるパラメータである。

 Delay・D榔erentialmode1で資源動態を表し、スイッチング強度を変化させた場合の漁獲量と資源量を比較した。寿命が4・5年で、加入の変動が大きな資源の場合、スイッチング漁獲によって漁獲量が15-30%増加した。低水準の資源を保護するスイッチング漁獲漁獲は資源崩壊率を減少させることも明らかになった。特に資源量が減っても効率的に漁獲出来る場合に、スイッチング漁獲の保護効果が顕著であった。

5章 魚種交代資源に対するスイッチング漁獲の効果

 多くの多獲性浮魚資源は数十年周期的で交互に増減を繰り返すことが知られており、この現象は魚種交代と呼ばれている。魚種交代資源では少なくとも一つの資源は高水準期にあるため、スイッチング漁獲を行うことで漁獲量が安定的に増加すると期待できる。そこで、魚種交替資源に対するスイッチング漁獲の効果を数理モデルで検証した。

 コンピューターシミュレーションを利用して、魚種交代をする3種系を再現した。魚種交代の原因としては気候変動および種間競争などが仮説としてあげられている。本研究ではそれぞれの仮説をもとに、2種類の再生産モデルを構築した。Tansky型スイッチング(n=0,1,-1)およびノンパラメトリックースイッチングの4通りの漁獲方策をコンピューターシミュレーションで比較した。ノンパラメトリック─スイッチングとは、その時に最も少ない資源を禁漁とし、それ以外の資源には均等に努力量が配分する戦略であり、情報が少ない場合も適用可能である。

 スイッチング漁獲の効果は、変動が大きな魚種交代系で特に顕著であった。スイッチング漁獲は、最低資源量と平均漁獲量を大幅に増加させた。低水準資源を保護することで、増加期に入った資源が速やかに回復したために、漁獲量が増大した。さらに、魚種交代資源では、常に状態が良い資源が存在するので、スイッチング漁獲は漁獲量の安定にも寄与した。ノンパラメトリック・スイッチングも良好なパフォーマンスを示したことから、数量的な資源量推定が不可能な場合もスイッチング漁獲は十分に実行可能だと考えられる。

6章 総合考察

 海の生態系に関する我々の知見は部分的であり、資源量や資源変動メカニズムを完全に解明することはできない。基礎研究により不確実性を減らす努力も大切だが、同時に今までに得られた知見で何ができるかを検討しなくてはならない。不確実性に対応するためには、順応的な管理システムを構築し、資源管理を通して資源動態を把握していく必要がある。また、順応管理以外の方策として、生態系アプローチ(ecological approach)および予防原則(precautionary approach)についても議論した。

審査要旨 要旨を表示する

 古典的な資源管理の理論は、資源の平衡状態を想定していた。一方、現実の資源は絶えず変動する。また、資源管理に必要な情報は往々にして正確ではない。資源の変動性と不確実性の存在を認めた上で持続的な利用を目指す資源管理の理論の展開が求められている。

 本論文はこの今日的課題に真正面から挑戦し、生態系管理で注目されている順応管理の考え方を基に水産資源管理を行うための理論を構築した。順応管理とは、不確実な対象に対して管理実験を通じて得た情報を利用して意志決定を更新していく管理のことである。

 本論文で重要な点は2つある。1つは、順応管理のためには資源状態の把握が不可欠であるが、資源状態の新しい指標として繁殖ポテンシャルを提案したことである。従来、十分な再生産を保証するために産卵に貢献する親の量をある一定量以上残すという考え方がしばしばなされてきた。一方、産卵親魚量を資源状態の指標にすることは、将来の再生産に貢献する未成魚の価値を無視することにつながる。本論文では、資源全体の将来の産卵能力を評価する指標としての繁殖ポテンシャルを用い、その有用性を示した。もう1つはスイッチング漁獲の提案である。多くの漁業は複数の魚種を対象とする。その時々に資源量の多い魚種へより多くの努力量を配分する管理方式は、各魚種の漁獲箪増大、資源保護、資源評価誤差に対する頑健性の面で効果があることを示した。

 これら結論を導くために様々な理論と方法が採用されている。繁殖ポテンシャルは数理生態学での繁殖価の概念に基づく。個体レベルで定義される繁薙価を集団レベルに拡張したものが繁殖ポテンシャルである。この概念をクロマグロ西大西洋系群の資源評価に適用した。この資源では産卵親魚量は大きく減少しているが、未成魚はむしろ増加していると推定されている。このため、資源の繁殖ポテンシャルは長期的にはほぼ一定であるとの示唆を得て、IUCNが本系群を絶滅危惧にリストアップしたことに疑義を呈した。年齢組成が不安定な資源に対しても繁殖ポテンシャルが資源評価の有用な指標となることをコンピュータシミュレーションから示した。さらに、目標資源量水準と現在の資源量の差を小さくするフィードック管理を行う時に、繁殖ポテンシャル一定、産卵親魚量一定、漁獲率一定の様々な管理方策のパフォーマンスを比較した。シミュレーションの結果}繁殖ポテンシャル一定方策は資源量推定の不確実性に対して頑健であり、漁獲量と努力量の変動を抑えられることを示唆した。

 スイッチング漁獲については、捕食者の餌生物スイッチングに関する数理モデルを用いて各資源の資源量と努力量配分の関係を定量的に表し、スイッチング漁獲の管理効果を検討した。寿命が4-5年で、加入の変動が大きな資源の場合、スイッチング漁獲によって漁獲量が15-30%増加した。低水準の資源を保護するスイッチング漁獲漁獲は資源崩壊率を減少させることを明らかにした。特に資源量が減っても効率的に漁獲できる場合に、スイッチング漁獲の保護効果が顕著であった。さらに多獲性浮魚類で卓越魚種が次々に交替する魚種交替現象が見られることに着目し、この現象が気候変動あるいは種間競争で起こる為という仮説の下、3種変動系モデルを作成し、魚種交替資源に対するスイッチング漁獲の効果を検討した。スイッチングにより、最低資源量と平均漁獲量を大幅に増加できること、漁獲量の安定化に寄与すること、とくに変動が大きな系でこれらの効果が顕著であることが分かった。

 繁殖ポテンシャルは単に理論的な概念ではなく、クロマグロヘの適用例を示したことから明らかなように、実際の資源管理に応用可能である。スイッチング漁獲についても、応用性への配慮がなされている。各資源の資源量と努力量配分の定量的関係が不明な時ゴインパラメトリック・スイッチング、つまり、その時々に最も資源量の少ない資源を禁漁にし、それ以外の資源に努力量を均等に配分する方式を提案した。この方式でも許容可能なパフォーマンスを得たことから、資源量推定が不確かな場合でもスイッチング漁獲は実行可能なことを示唆した。

 審査委員会では、資源管理のための新しい概念としての繁殖ポテンシャルを評価する意見が相次いだ、スイッチング漁獲については、考え方としては斬新で発展性があるが、実際の資源への具体的な適用の面ではさらなる展開が望ましいとの指摘があった。それでも、この点は将来の研究課題であり、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた。

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