学位論文要旨



No 215463
著者(漢字) 神保,猛
著者(英字)
著者(カナ) ジンボ,タケシ
標題(和) 癌抑制遺伝子産物APCの細胞内局在化の分子機構
標題(洋)
報告番号 215463
報告番号 乙15463
学位授与日 2002.10.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15463号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

【序論】Adenomatous polyposis coli(APC)遺伝子は、家族性腺腫性ポリポーシスの原因遺伝子として単離された。本遺伝子の変異は散発性の大腸癌においても高頻度に見出され、変異の約80%は遺伝子産物のほぼ中央部分に集中し、終止コドンが生じて短い産物を発現するのが特徴である。APC遺伝子産物の分子レベルでの機能については、癌化や形態形成に重要な役割を果たすWnt/Winglessシグナル伝達経路の重要な構成因子、β-cateninに結合してプロテアソーム依存性の分解を誘導する活性をもつことが良く知られており、大腸癌で見出される変異APC蛋白質はβ-cateninの分解を誘導する活性を失っている。これまでAPCの機能は主にβ-cateninとの関連で研究されてきたが、APCの機能のすべてがβ-cateninとの関連で説明できるわけではない。最近、APCはクラスターを形成して微小管上をマイナス端からプラス端に移動し、細胞の先端部分に濃縮して存在しているというユニークな局在化現象が観察された。さらにこのAPCクラスターは、細胞間の隙間を修復しようとする細胞の先端に特に濃縮されて存在することから、細胞の移動や運動性に関与すると想像できる。そこで、私はこのユニークな局在化現象に注目し、この現象が腸上皮細胞の移動や運動、或いは癌の転移・浸潤に関わる細胞運動、すなわち悪性度等、癌の細胞生物学上重要な意味があるのではなこの局在化の分子機構の解明を試みることにした。私はここに何らかのモーター蛋白が介在するのではないかと考え、APCと結合する蛋白質を検索し、微小管上を移動するモーター蛋白質、KIF3A/3Bのアクセサリー蛋白質、KAP3がAPCに結合していることを見出した。本研究ではAPC、KAP3およびKIF3A/3Bがどのように相互作用しているのかを中心に解析し、APCクラスター形成の分子機構と意義について検討した。

【本論】第1章 APC結合蛋白質KAP3の同定

 Yeast two-hybrid screeningによりAPC結合タンパクの探索を行った結果、ヒト胎児脳cDNAライブラリーから、物質輸送の際の運び屋として働くモーター蛋白質KIF3A/Bのアクセサリー蛋白質、KAP3の断片が得られた。KAP3は、生体内ではキネシンモーター蛋白質であるKIF3A/3Bとヘテロトリマーを形成し、物質輸送を担っていると考えられている。従ってAPCはKAP3を介してKIF3A/3Bと結合し、微小管上をマイナス端からプラス端に運搬される可能性が考えられた。この可能性を検討するため、先ずこれらの分子の相互作用を検討した。In vitro translationにより合成されたKAP3は、APCのアルマジロリピート(APC-arm)と結合したが、β-cateninと直接結合しなかった。またAPC-armは、KIF3A/3Bヘテロダイマーと直接には結合しなかった。従って、APC-armはKAP3を介してKAP3-KIF3A/3B複合体と共沈することが明らかとなり、さらにdomain analysisの結果から、KAP3のarm-8、9およびC末の一部分とAPC-armの全体が直接結合していることが示唆された。また、イヌ腎臓尿細管上皮由来MDCK細胞のlysateを使用し、内在性KAP3とAPCの結合を免疫沈降法によって検討したところ、KAP3はAPC、β-cateninおよびKIF3A/3Bと共沈することが判明し、これらの分子は細胞内で同じ複合体中に含まれることが示唆された。

第2章 APCクラスター形成におけるKAP3の役割

 これらの分子の細胞内局在を検討するため、抗KAP3抗体を使用した細胞免疫染色の結果、KAP3もまた細胞先端のAPCクラスターに集積して存在することが明らかになった。β-cateninはプロテアソーム依存的な分解を受けていることが知られているため、インヒビター存在下で培養して染色を実施したところ、細胞先端におけるβ-cateninの集積を明確に観察することができた。またβ-cateninは、形態形成および癌化に重要な役割を果たすことの知られているWntのシグナルを受けて安定化することがわかっているため、Wnt-3a刺激によるAPCクラスター中のβ-cateninの集積をWnt-3a感受性のマウス線維芽細胞L細胞を用いて検討した。その結果、Wnt-3a添加により細胞質や核内に加えてAPCクラスター中に存在するβ-cateninの量が増加した。一方、APC、KAP3およびKIF3A/3Bの量はWnt-3a刺激で変化しなかった。これらの結果は、KAP3とβ-cateninは共にAPCクラスター中に存在し、APCクラスターにおけるβ-cateninの量は核内のβ-catenin量同様Wntシグナルによって調節されることを示している。

 これまでの知見から、細胞内でAPCはKAP3を介してKIF3A/3Bと結合し、微小管上をプラス端へ向かって移動する可能性が考えられる。この可能性をAPCとKAP3の結合を阻害するKAP3変異体(KAP3-Δarm5)を用いて検討した。KAP3-Δarm5をpEGFPvectorにサブクローニングしてMDCK細胞に発現させ、細胞先端におけるAPCやβ-cateninの集積が阻害されるか否かを検討した結果、KAP3-Δarm5発現細胞ではAPCおよびβ-cateninの細胞先端への集積が認められないことが明らかになった。この結果は、APCとKAP3の結合がAPCの細胞先端への集積に重要であることを示していると考えられる。さらにこれらの結果から、APCがKAP3-KIF3A/3Bを介して微小管のプラス端へ向かって運搬されるメカニズムが存在すると考えることも可能になった。

第3章 APCクラスター形成の意義

 APCクラスターが細胞の移動方向の先端に集中して観察されることから、細胞運動に関係があると推測することもできる。本可能性を検討するため、MDCK細胞にKAP3-Δarm5を発現させてAPCクラスターの形成を阻害し、トランスウエルチャンバーを用いた細胞運動性の検討を行った。その結果、KAP3-Δarm5を発現させた細胞は、vectorやワイルドタイプのKAP3を発現させた細胞と比較してチャンバーを通過した細胞が多く、細胞運動性が増加することが明らかとなった。これらの結果は、細胞運動性の調節にはAPCとKAP3の相互作用が重要であることを示唆している。

 大腸癌細胞におけるAPC遺伝子変異の大部分は中央部に集中しており、その結果として終始コドンが生じてtruncated APC断片が産生される。そこで、このようなAPC断片を発現している大腸癌細胞株SW480やDLD-1でのAPCの局在がどのようになっているかを検討したが、APCクラスターは検出されなかった。一方、これらのlysateを用いてpull-down assayを行った結果、APCはいずれの細胞株においてもKAP3およびKIF3A/3Bと複合体を形成していることが明らかとなった。また、大腸癌細胞においてAPCは、KAP3-KIF3A/3Bと複合体を形成しているにもかかわらず細胞先端に集積しないのは、APCの断片化に起因する可能性も考えられる。そこで、実際の大腸癌患者で見られた変異APCおよびマウスでは癌を生じないことが報告され、MCR下流まで含んだ正常型に近いと考えられているAPC断片(APC-1866)を発現するベクターを作製し、MDCK正常上皮細胞やDLD-1およびSW480大腸癌細胞にトランスフェクションしてAPCクラスターを形成するか否かを検討した。その結果、短いタイプの変異APCはいずれの細胞株においても細胞先端に集積しないが、APC-1866はβ-cateninと共に細胞先端に集積することが明らかになった。これらの結果から、癌細胞においてAPCが細胞先端に集積できないのはMCRの下流に存在するクラスター形成に重要な領域が欠失しているためであることが示唆された。

第4章 癌細胞におけるPSAの発現と意義

 これまで述べたように、APCがクラスターを形成して細胞先端に移動する分子メカニズムを解明し、APCの新たな機能の解明・解析に向けての分子基盤を確率することができた。今後は生物学的意義を明確化すると共に、転移等の解明へ向けた癌細胞の運動性への関与についてさらなる検討を行っていきたい。また、このような細胞レベルの変化に関係した現象についてさらに理解するためには、細胞の運動や移動に関わる別の分子にも目を向けることも必要と考えられる。私はAPCの研究と並行して、神経細胞の移動や突起伸長に関与することが報告されているpolysialic acid(PSA)についても注目して検討を行った。PSAは神経細胞接着因子、NCAM特異的に付加する糖鎖分子であり、近年、PSTおよびSTXの2種類の酵素が実際にPSAの生合成を担うことが明らかとなった。癌細胞におけるPSA発現の意義は明確でないが、癌の悪性度(運動性)に関わっている可能性も考えられるため、癌細胞でPSAの安定発現株を作製してヌードマウスに移植し、本分子の作用についても若干の検討を行った。その結果、PSAの高発現が認められる強制発現株は、発現が見られない細胞と比較して腫瘍の生着や増殖に違いが見られ、細胞同士あるいは細胞と細胞外基質の接着にも影響を与える可能性が考えられた。細胞運動には数多くの分子が関与するため、このように一つ一つの分子についてその作用を明らかにしていくことが肝要であり、将来的には転移現象の解明へと結びつくことを期待したい。

【結論】以上、APCの新たな機能の解明・解析に向けての分子基盤を確立した。今後は本成果をもとにさらなる研究を進め、APCの新たな生物学的意義を明確化すると共に、癌細胞の運動性、転移の解明等、APCの機能の全容が解明できることを期待したい。さらに、他の運動性関連分子にも目を向け、創薬標的となり得る分子の獲得に向けてさらなる検討を続けて行きたい。

審査要旨 要旨を表示する

 Adenomatous polyposis coli(APC)癌抑制遺伝子産物の分子レベルでの機能については、癌化や形態形成に重要な役割を果たすWnt/Winglessシグナル伝達経路の重要な構成因子、β-cateninに結合してプロテアソーム依存性の分解を誘導する活性をもつことが良く知られている。これまでAPCの機能は主にβ-cateninとの関連で研究されてきたが、APCの機能のすべてがβ-cateninとの関連で説明できるわけではない。例えば最近、APCがクラスターを形成して微小管上をマイナス端からプラス端に移動し、細胞の先端部分に濃縮して存在するというユニークな局在化現象が観察され注目を集めている。さらにこのAPCクラスターは、細胞間の隙間を修復しようとする細胞の先端に特に濃縮されて存在することから、細胞の移動や運動性に関与すると想像されている。本研究では、このユニークな局在化現象に注目し、この現象が腸上皮細胞の移動や運動、或いは癌の転移・浸潤に関わる細胞運動、すなわち悪性度等、癌の細胞生物学上重要な意味があるのではないかと考え、この局在化の分子機構の解明を試みている。何らかのモーター蛋白が介在するのではないかという予測のもとにAPCと結合する蛋白質を検索することにより、微小管上を移動するモーター蛋白質、KIF3A/3Bのアクセサリー蛋白質、KAP3がAPCに結合していることを明らかにし、さらにAPCクラスター形成の分子機構と意義について検討を行っている。

1.APC結合蛋白質KAP3の同定

 Yeast two-hybrid screeningによりAPC結合タンパクの探索を行った結果、ヒト胎児脳cDNAライブラリーから、モーター蛋白質KIF3A/Bのアクセサリー蛋白質、KAP3の断片が得られた。KAP3は、生体内ではキネシンモーター蛋白質であるKIF3A/3Bとヘテロトリマーを形成し、物質輸送を担っていると考えられている。従ってAPCはKAP3を介してKIF3A/3Bと結合し、微小管上をマイナス端からプラス端に運搬される可能性が考えられた。この可能性を検討するため、先ずこれらの分子の相互作用をIn vitro translation assayにより検討した。その結果、APC-armはKAP3を介してKAP3-KIF3A/3B複合体と共沈することが明らかとなり、さらにKAP3のarm-8、9およびC末の一部分とAPC-armの全体が直接結合していることが示唆された。また、イヌ腎臓尿細管上皮由来MDCK細胞のlysateを使用し、内在性KAP3とAPCの結合を免疫沈降法によって検討したところ、KAP3はAPC、β-cateninおよびKIF3A/3Bと共沈することが判明し、これらの分子は細胞内で同じ複合体中に含まれることが示唆された。

2.APCクラスター形成におけるKAP3の役割

 これらの分子の細胞内局在を検討するため、細胞免疫染色を実施した結果、KAP3もまた細胞先端のAPCクラスターに集積して存在することが明らかになった。β-cateninはプロテアソーム依存的な分解を受けていることが知られているため、通常インヒビター存在下で培養し、染色を行わないと細胞先端での集積は明確に観察されないが、Wnt-3a感受性のマウス線維芽細胞L細胞を用いて検討した結果、Wnt-3a添加により細胞質や核内に加えてAPCクラスター中に存在するβ-cateninの量が増加した。一方、APC、KAP3およびKIF3A/3Bの量はWnt-3a刺激で変化せず、KAP3とβ-cateninは共にAPCクラスター中に存在し、APCクラスターにおけるβ-cateninの量は核内のβ-catenin量同様Wntシグナルによって調節されることを示した。

 またこれまでの知見から、細胞内でAPCはKAP3を介してKIF3A/3Bと結合し、微小管上をプラス端へ向かって移動する可能性が考えられる。この可能性をAPCとKAP3の結合を阻害するKAP3変異体(KAP3-Δarm5)をMDCK細胞に発現させて検討した結果、KAP3-Δarm5発現細胞ではAPCおよびβ-cateninの細胞先端への集積が認められないことが明らかになった。本結果は、APCとKAP3の結合がAPCの細胞先端への集積に重要であることを示しており、さらにAPCがKAP3-KIF3A/3Bを介して微小管のプラス端へ向かって運搬されるメカニズムが存在すると考えられた。

3.APCクラスター形成の意義

 APCクラスターが細胞の移動方向の先端に集中して観察されることから、細胞運動に関係があると推測することもできる。本可能性を検討するため、MDCK細胞にKAP3-Δarm5を発現させてAPCクラスターの形成を阻害し、トランスウエルチャンバーを用いた細胞運動性の検討を行った結果、KAP3-Δarm5を発現させた細胞は、細胞運動性が増加することが明らかとなった。これらの結果は、細胞運動性の調節にはAPCとKAP3の相互作用が重要であることを示唆している。

 大腸癌細胞におけるAPC遺伝子変異の大部分は中央部に集中しており、その結果として終始コドンが生じて短いAPC断片が産生される。そこで、このようなAPC断片を発現している大腸癌細胞株SW480やDLD-1でのAPCの局在がどのようになっているかを検討したが、APCクラスターは検出されなかった。また実際の大腸癌患者で見られた変異APCおよびAxin結合部位まで含んだ正常型に近いと考えられているAPC断片(APC-1866)を発現するベクターを作製し、MDCK、DLD-1およびSW480細胞で発現させた結果、短い変異APCはいずれの細胞株においても細胞先端に集積しないが、APC-1866はβ-cateninと共に細胞先端に集積することが明らかになった。癌細胞においてAPCが細胞先端に集積できないのはMCRの下流に存在するクラスター形成に重要な領域が欠失しているためであることが示唆された。

4.癌細胞におけるPSAの発現と意義

 これまで述べたように、APCがクラスターを形成して細胞先端に移動する分子メカニズムを解明し、APCの新たな機能の解明・解析に向けての分子基盤を確立することができた。また、このような細胞レベルの変化に関係した現象についてさらに理解するためには細胞の運動や移動に関わる別の分子にも目を向けることも必要と考えられ、APCの研究と並行して、神経細胞の移動や突起伸長に関与することが報告されているpolysialic acid(PSA)についても注目して検討を行った。PSAは神経細胞接着因子、NCAM特異的に付加する糖鎖分子であり、近年、PSTおよびSTXの2種類の酵素が実際にPSAの生合成を担うことが明らかとなった。癌細胞におけるPSA発現の意義は明確でないが、癌の悪性度(運動性)に関わっている可能性も考えられるため、癌細胞でPSAの安定発現株を作製してヌードマウスに移植し、本分子の作用についても若干の検討を行った。その結果、PSAの高発現が認められる強制発現株は、発現が見られない細胞と比較して腫瘍の生着や増殖に違いが見られ、細胞同士あるいは細胞と細胞外基質の接着にも影響を与える可能性が考えられた。

 以上、神保猛の研究業績は、APCの新たな機能の解明・解析に向けて有用な知見をもたらすものでありものであり、今後の癌細胞生物学・医薬開発に重要な貢献をすると期待され、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと考えられた。

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