学位論文要旨



No 215464
著者(漢字) 片岡,誠
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,マコト
標題(和) 設計情報の履歴管理に関する研究
標題(洋)
報告番号 215464
報告番号 乙15464
学位授与日 2002.10.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15464号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 野城,智也
 東京大学 助教授 野口,貴文
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

 設計者と施工者のコンカレントエンジニアリングの向上,建築物の晶質情報の要求,発注形態の変化に対応するため,設計情報の履歴管理は今後の建築生産の重要な課題となる。しかし,従来の建築生産において厳密な意味での履歴管理は行われていない。そこで,本論文は,意思決定プロセスにおいて頻繁に更新される図面の履歴管理手法を提案することを目的とする。そのために,(1)設計情報のまとまりとしての「部品」のとらえ方を明確にし,(2)図面作成プロセスの中で履歴管理を実現するためのシステムおよびデータベーススキーマを提案し,(3)そのシステムの実装と評価を行い,(4)履歴管理の理論の展開および活用のための環境整備についての考察を行う。

建築物の情報記述

 建築物の情報を記述するにあたり,そのまとまりを「部品」と定義する。これは従来の製造物としての部品とは異なり,情報操作の対象としての要件を提供する。そのため,部品のとらえ方は視点によって異なり,例えば設計図や施工図を作成するときの操作単位であったり,現場での生産性向上のためのユニットであったりする。最近では,CADにおける建築物の表現手法が変わりつつあり,建築的な属性をもった図形を部品として扱う試みを始めたものもある。さらに建物モデルを標準化する動向もあり,情報のまとまりとしての部品を実現する情報技術が整備されつつある。

図面履歴管理システムの理論

 図面の履歴管理には外部参照管理と分岐履歴管理が最も重要である。当然,一管理が複雑になるため,整合性維持の仕組みは不可欠である。さらに,編集権限管理,承認管理が履歴管理を補足する。

 外部参照管理とは,外部参照を利用して図面を構成する際に図面間の参照関係を管理しておくことによって情報の所在と責任を明確にし,図面間の不整合を排除する機能を提供する。外部参照を管理するには,参照関係のある2つの図面の識別子を組み合わせて記録すればよい。

 分岐履歴管理とは,論理的に単一の図面に複数の版を認め,しかも時間的な新旧関係だけでなく,異なる系統の履歴を並行して管理する仕組みを提供する。これを実現するために,個々の図面の属性としてその図面の派生元である親図面の識別子を加える。その結果,論理的に一つの図面が内部的には異なる複数の最新状態を有することを許すわけである。

 編集権限管理とは,図面の参照権限,更新権限をユーザに付与するものである。ただし,ユーザは組織において期待される機能で分類されることが多いため,その機能を口―ルとして定義し,このロールに権限を付与する。図面には分岐履歴があるため,その履歴上の一時点(すなわち図面のバージョン)とロールの組み合わせに対して編集権限を割り当てる。すべてのユーザは一つ以上のロールに属すことによって,柔軟にユーザごとの利用権限を設定することが可能になる。

 承認管理とは,分岐履歴による複数の図面のバージョンから一つが採用される場合に,承認を受けた図面を保護する機能および他の系統の図面を廃案にする機能を提供する。実際の承認行為は印刷図面に対して行われるため,ここでは承認を受けた事実を記録する仕組みを提供した。また電子媒体に対して承認が行われる可能性に配慮して承認者と承認者ロールを提案した。

 さらに設計情報の履歴管理を総合的に行うために,図面以外の情報として,文字情報を中心とする仕様書と時間要素を表現する工程表の記述について考える。これらの文書と図面との間には暗黙的な参照関係が存在するわけだが,その参照関係は極めて多岐にわたり,単純に文書間の参照関係を記録しても実質的な参照管理に耐えない。これらの情報を管理対象とするためには文書を構造化し,意味上の区分を行わなければならない。仕様書および工程表の内容を検討すると,構造化が可能であることがわかる。特記仕様書のように定型的な書式で記述される文書の構造化は難しくない。また,工程表は市販のソフトに見られるように,作業とそれに割り当てられる資源を中心にスキーマが構成されており,若干の属性を付加すれば図面と同様に管理対象にすることが可能である。

図面履歴管理システムの実装と評価

 これまで図面履歴管理システムの理論的な要件を論じたが,その理論の有効性を確認すべくソフトウェア「BDMS」を実装し,ヒアリングおよび実証実験に供した。実装にあたっては,理論展開した図面履歴管理に必要な機能を満足した上で,計算機資源の有効活用および操作性の改善を意図してデータベーススキーマに若干の修正を加えた。システムの全体はクライアント/サーバシステムとして構成される。サーバ側に,図面ファイルを格納するFTPサーバ,公開可能な図面を格納するファイルサーバ,履歴情報を格納するデータベース管理システム,履歴情報のコンテンツを格納するWWWサーバが配置される。クライアント側には,WWWブラウザ,カスタマイズされたCAD,図面のチェックアウト・チェックインを行うBDMSクライアントソフト(BDMSC)から構成される。ユーザは図面をチェックアウトし,CADを使って更新した後,チェックインを行う。この操作の過程で,誰がどの図面を利用し,またどの図面がどの図面に対して外部参照したのかといった情報が自動的にサーバに記録される。さらに実務において図面の追跡を実現するために,印刷図面との整合性を図る機能を追加した。また,外部参照関係のある図面間の更新日時を監視し,被参照図面の更新を発見したときに,その図面を直接,間接に参照する図面すなわち影響を受ける図面の整合性の確認を図面作成者に促す機能を追加した。

 BDMSによって総合図の作成や全体と部分の分離設計などは,従来の手法に比べて飛躍的に高い効率で実現できるはずである。このシステムの評価を得るために,まず,設計者,施工者などに対してヒアリング調査を行った。現状の図面管理手法では厳密な履歴管理を行っておらず,また図面の独立性を優先して外部参照を利用しないなどの事実が把握できた。その上でBDMSに対する期待もあることが分かった。しかし,施工図を集中作成している,建設会社の一組織にBDMSを導入し,その利用状況を観察したところ,期待するほど利用されない結果となった。

図面履歴管理システムの分析と展開

 BDMSが提供する機能のうち利用されなかったものについて理由を分析し,将来の図面履歴管理に期待される要件を考察する。原因は次の4段階に分類できる。

 まず,ソフトウェアとしてのユーザインタフェイスの問題で,これは実装方法によって改善が期待できる。

 次に,柔軟性の問題がある。これはデータの整合性を確保するために,図面ファイルをユーザが直接参照できないFTPサーバに格納していること,複数の図面をチェックアウトできないように制限していることが原因である。しかし,一見柔軟性を損なっているように感じられる制約も,管理される図面ファイルおよび管理情報の整合性を確保するための手段であり,最低限の整合性を確保することを優先した結果である。従来のシステムにない管理を提供したために利益と損失のトレードオフが発生したわけであるから,履歴管理の利益が理解されれば解消する問題である。

 さらに,システム間の互換性に関する問題がある。BDMSはその利用者に限れば,現状の図面管理における十分な履歴情報を保存し利用することが可能であるが,BDMS以外のシステムとのデータの受け渡しを考えると,必ずしも十分ではない。現実には図面を作成する組織は外部の専門業者と頻繁に図面の受け渡しを行うため,外部参照のように複数の図面が関連し合う仕組みを嫌う傾向がある。図面を一方的にシステムの外に取り出すだけであれば,出力の際に外部参照情報を固定化することで解決できる。しかし,外部システムからの取り込みがある場合,あるいは一旦システム外部に出した図面が更新されて戻される場合は,既存の管理図面との整合性を維持することが極めて困難である。BDMSの適用範囲を拡大すれば解決するものではなく,システム間の根本的な情報授受のありかたについて今後の研究が必要である。

 最後に,図面履歴管理システムの構築の際に行った理論的な考察と,実際のユーザの意思決定特性が異なることが重要な原因としてあげられる。本論文では一貫して建築物を部品の階層的な組み合わせとして捉え,設計プロセスとはそれらを組み合わせながら部分の属性を更新していく操作と考えてきた。しかしながら,施工段階あるいは施工計画段階における建築物の捉え方は必ずしも組み合わせではないことが分かる。むしろ,すでに存在する対象物を分割する方向に検討がなされることが多い。これについては,今後,組み合わせと同時に割り付けをも考慮した履歴管理システムを構想する可能性を示すことができた。

 以上4つを現状の履歴管理システムの問題として示したが,将来の履歴管理手法のあり方として,設計プロセスの変化,設計変更情報の扱い,およびトレランスと意思決定のトレードオフについて検討する必要がある。その方向性は,情報技術が提供する要素技術の高度化と建築生産における意思決定プロセスや情報管理プロセスの変化によって決定されると考える。

今後の研究課題

 履歴管理に関していくつか残された課題をあらためて整理しておく。まず,履歴管理の価値を向上させるために,変更の根拠を扱う仕組みを考慮する余地がある。次に,部品間の制約を記述する理論を確立する必要がある。最後に,組み合わせだけでなく,割り付けで建築物をとらえる理論を構築する必要がある。これらを実現するためには,建築生産のプロセスの整理と情報操作理論の構築とを並行して進めることが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

 提出された学位請求論文「設計情報の履歴管理に関する研究」は、建築設計者と建築施工者のコンカレントエンジニアリングの円滑化、建築物の品質情報の明示性の向上、発注形態の変化への適応性の向上を目的として、効率的な図面の履歴管理手法を開発、提案し、その有効性を検証した論文であり、全6章からなっている。

 第1章「序論」では、先ず研究の背景、目的、既往の関連研究の成果等を明らかにしている。その中で、設計情報のまとまりとしての「部品」の捉え方を明確にすること、図面作成プロセスの中で履歴管理を実現するシステムとデータベーススキーマを提案すること、そのシステムの実装と評価を行うこと、履歴管理の展開及び活用のための環境整備の方向を示すことの4点を具体的な研究の目的として設定している。

 第2章「建築を部品の集合としてとらえる」では、効率的な図面の履歴管理手法を実現する上で必要になる設計情報のまとまりについて検討し、それを「部品」と定義することの有効性を明らかにしている。具体的には、従来のように製造物としての部品ではなく、建築物の情報を記述する際の何等かのまとまりを部品と定義することを提案し、その考え方が有効に機能するための環境として情報技術がどのように整備されているか、その状況を明らかにしている。

 第3章「意思決定プロセスを支援する図面履歴管理システムの要件」では、前章で提示した部品の考え方に基づき、図面の履歴管理システムを構成するサブシステムを抽出し、それぞれの内容を詳細に提案している。具体的に抽出されたのは、外部参照管理、分岐履歴管理、編集権限管理、承認管理の4つのサブシステムであり、外部参照管理に関しては参照関係にある2つの図面の識別子を組み合わせて記録する方法を、分岐履歴管理に関しては個々の図面の属性としてその図面の派生元である親図面の識別子を加える方法を、編集権限管理に関しては図面の履歴上の一時点と設計組織内の役割の組み合わせに対して編集権限を付与する方法を、そして承認管理に関しては承認を受けた事実を記録する仕組みを提案している。更に、設計情報の履歴管理を総合的に行うために図面以外の情報、即ち仕様書と工程表を合わせて管理する方法を示している。

 第4章「図面履歴管理システムの実装と試行」では、前章の提案に基づきながら、計算機資源の有効活用と操作性の改善を意図してデータベーススキーマに若干の修正を加える形で開発したソフトウェア「BDMS」を実装し、設計者、施工者による評価と、建設会社の一組織での導入実験を行い、その実用性を検証している。設計者、施工者による評価では、このシステムを用いた厳密な図面管理への期待があることを確認しているが、導入実験では利用率が十分に上がらないことを確認している。

 第5章「図面履歴管理システムの将来」では、前章の導入実験の結果に基づき、システムの改良の方向を見極めている。具体的には、第一にユーザーインターフェイスの改善の必要性を指摘している。第二に、管理強化に伴う不便の問題が明らかになったが、これに関しては履歴管理の利益を守るためにやむを得ないものとしている。第三に、システム外部とのデータの受け渡しを可能にするような異なるシステム間の互換性確保の方策の必要性を指摘している。そして、最後にシステム開発で想定した意思決定特性と実際のユーザーのそれとの不一致という問題、を取り上げ、今後の履歴情報システムにおいて前提とすべき意思決定特性を明らかにしている。

 第6章「結論」では、前5章で開発、提案した図面履歴管理システムの考え方とその評価結果、そこから明らかになった実用化に向けて必要な検討事項とを確認、整理し、本論文の結論としている。

 以上、本論文は、建築物の設計情報を構造的に捉える新たな方法に基づき、今後の建築生産過程に必要とされる図面履歴管理システムを実用可能な形で開発、提案し、あわせて今後の改良点等を実証的に明らかにした論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク