学位論文要旨



No 215474
著者(漢字) 小坂,健
著者(英字)
著者(カナ) オサカ,ケン
標題(和) ネットワークサーベイランスによる海外渡航者下痢症の研究
標題(洋)
報告番号 215474
報告番号 乙15474
学位授与日 2002.10.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15474号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 木内,貴治
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 講師 佐藤,元
内容要旨 要旨を表示する

 日本では年間約1600万人が海外旅行に出かけているにも関わらず、渡航者に対する国内の医療提供体制が不備である点も手伝って、海外で病気に罹患したり、帰国後発病する輸入感染症の報告が少なくない。旅行者が罹患する輸入感染症の中でもっとも頻度の高いものは細菌性赤痢やコレラといった腸管感染症であるが、渡航者の下痢症は、途上国を旅行した人の20〜50%が罹患するとされている。1995年にはバリ島帰りの旅行者から296名のコレラ患者が報告され、日本人ばかりが多く罹患したことが話題になったが、厳密なアウトブレーク対応や症例対照研究などは行われなかったため、原因は究明されていない。予防対策という観点からも、海外旅行者における下痢症の現状把握のためのサーベイランスの確立、どのような行動や宿主因子が危険因子となるかを明らかにし、さらに治療に関係する耐性菌の出現を把握することは緊急の課題である。

 本研究では、渡航者下痢症の迅速なサーベイランス体制を確立すべく、国内の主要な空港検疫所と感染症専門科のあるいくつかの都市立病院、国立感染症研究所・感染症情報センターを結ぶコンピューターネットワークを構築した。本ネットワークを用いて、渡航者に発生した下痢症患者に関する情報をインターネットを使って各施設からリアルタイムに収集し、中央の感染症情報センターで一元的に解析すれば、渡航者下痢症の感染地や病原体などの監視も可能であるし、国内では罹患者が散らばってしまった海外に起因するアウトブレークも迅速に検出できる可能性がある。関西空港検疫所、成田空港検疫所、横浜市立市民病院、大阪市立総合医療センター、駒込病院、日本医師会など、および感染症情報センターが電子メールネットワークで結ばれ、渡航者の下痢症について、その病原体、発病日、推定罹患先などについての情報収集、また、渡航者数当たりの渡航者下痢症の発生状況についての解析を行った。

 結果をまとめると、患者の絶対数ではタイやインドネシアといった国での感染が多かったが、渡航者10万人当たりの罹患者数でみると、インド、ネパールやベトナムでの感染が多かった。インド、ネパールでは細菌性赤痢の割合が高く、ベトナムやタイでは腸炎ビブリオなどの割合が高かった。年齢・性別では、絶対数は先行研究と同様20-24歳が多いものの、渡航者10万人当たりの罹患率では20-24歳の男性の罹患率が極めて高いことが判明した。

 渡航者下痢症の危険因子について、罹患者と下痢症を起こさなかった非罹患海外渡航者、各160例を対象として症例対照研究を行った。症例群には電話で問い合わせ調査を行い、対照群については自己記入式の質問票による回答を収集した。解析を行った質問項目は渡航先、性別、渡航期間、年齢、日本食・刺身の喫食の有無、カットフルーツの喫食の有無、サラダ・生野菜の喫食の有無、アイスクリームの喫食の有無、ミネラルウォーター以外の水の喫飲食の有無、氷の喫食の有無、アルコール摂取の有無、胃薬の内服の有無、抗生物質の服用の有無、睡眠不足の有無、かぜの罹患の有無、糖尿病の有無、肝臓病の有無、胃腸の病気の有無であった。ロジスティック回帰分析の結果、海外旅行中の氷の摂食(調整後オッズ比2.77、95%信頼区間[1.59-4.81])が有意な危険因子としてあげられた。また、睡眠不足(調整後オッズ比3.20、95%信頼区間[1.74-5,88])、制酸剤の使用(調整後オッズ比2.27、95%信頼区間[1.19-4,34])もホスト側の危険因子として有意な結果となった。

 これらの海外渡航者の下痢症の治療に関する問題点を探るため、検疫所で分離された赤痢菌193株について、最小生育濃度MICを測定し、赤痢菌の薬剤耐性状況について解析したところ、全体の耐性割合では、(1)CP24%(2)TC85%(3)FOM8%(4)NFLX0%(5)ABPC31%(6)LVFX0%で(7)ST77%(8)CTX0%であった。感染国によっても薬剤耐性パターンの違いがあることが明らかになった。これら薬剤耐性パターンの結果が国際的な問題になってきている抗生物質の過剰投与と関連のあることが示唆された。また、これらのデータは治療の際に抗菌薬の選択に役立つ可能性がある。

 本研究を通じて電子メールを用いた迅速なサーベイランスネットワークを構築したことにより、これまで実態の把握されていなかった日本における旅行者下痢症の現状把握や集団発生の検出が可能となり、推定感染渡航地や年齢群などの疫学情報を得ることができるようになった。本研究によって、今後、日本での海外旅行者に対する啓発活動を行う上で、ハイリスク集団に対して渡航先と病原体の関係から具体的な指導が可能となり、その科学的な証拠を示すことができた点、さらに、国内のサーベイランスばかりでなく国際的なサーベイランスの一翼を担い、世界的な公衆衛生の向上に寄与できる可能性がもたらされた点に関する意義は大変大きいものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は旅行者が罹患する輸入感染症の中でもっとも頻度の高い腸管感染症すなわち渡航者下痢症について国内の主要な空港検疫所(成田空港検疫所、関西空港検疫所)、感染症専門病院等とネットワークを組むことにより感染者の年齢、性別、渡航先、病原体情報等を一元的に集約して、疫学的解析、及び実験室での研究を行い以下の結果を得ている。

 1.調査期間は1998年4月〜2000年3月の2年間であり、各施設において確定診断について腸管下痢症例である。確認された病原体はShigella spp.,Salmonella Typhj,Salmonella paratyphj,non-typhojdal Salmonella,Vibrio cholera,Vibrio spp.,Aeromonas,enteropathogenic Escherichia coli,Plesiomonas shigelloidesその他である。合計3,789件が解析の対象となった。渡航者下痢症患者の絶対数ではタイやインドネシアでの感染者が多かったが、渡航者10万人当たりの罹患者数は、インド、ネパールやベトナムでの感染が多かった。又、インド、ネパールでは細菌性赤痢の罹患率の割合が高く、ベトナムやタイでは腸炎ビブリオなどの割合が高く渡航先により罹患する病原体の種類にも特徴があることがわかった。年齢・性別では、絶対数は20-24歳が多く、やや女性に多かったものの、渡航者10万人当たりの罹患者数を計算すると20-24歳の年齢群の男性の罹患率が極めて高いことが明らかとなった。月別では8月を中心とした夏期に報告が多く、渡航者10万人当たりの罹患者数においても同様であった。ただし、P.shigelloides とShigella spp.においては3月も罹患者数が多かった。

 2.渡航者下痢症の危険因子について、罹患者と下痢症を起こさなかった非罹患海外渡航者、各160例を対象として症例対照研究を行った。症例群には電話で問い合わせ調査を行い、対照群については自己記入式の質問票による回答を収集した。

 解析を行った質問項目は以下の通りである。渡航先、性別、渡航期間、年齢、日本食・刺身の喫食の有無、カットフルーツの喫食の有無、サラダ・生野菜の喫食の有無、アイスクリームの喫食の有無、ミネラルウォーター以外の水の喫飲食の有無、氷の喫食の有無、アルコール摂取の有無、胃薬の内服の有無、抗生物質の服用の有無、睡眠不足の有無、かぜの罹患の有無、糖尿病の有無、肝臓病の有無、胃腸の病気の有無であった。

 ロジスティック回帰分析の結果、海外旅行中の氷の摂食(調整後オッズ比2.77、95%信頼区間[1.59-4.81])が有意な危険因子としてあげられた。また、睡眠不足(調整後オッズ比3.20、95%信頼区間[1.74-5.88])、制酸剤の使用(調整後オッズ比2.27、95%信頼区間[1.19-4.34])もホスト側の危険因子として有意な結果となった。

 3.海外渡航者の下痢症の治療での問題点である耐性菌の国別の違いを明らかにするために、関西空港及び成田空港検疫所で分離された赤痢菌193株について、最小生育濃度MICを測定するためにストリップテープを用いた薬剤感受性試験(商品名E-test)を用いて測定し、薬剤耐性状況を解析した。全体の耐性割合では、(1)CP24%(2)TC85%(3)FOM8%(4)NFLX0%(5)ABPC31%(6)LVFX0%で(7)ST77%(8)CTX0%であった。感染国別では、インドネシアでは多くの薬剤に対して耐性であったが、インドではTC及びSTでの耐性菌の割合は高いが他の薬剤での耐性割合は低かった。ネパール、ベトナムではTCにはほとんどが耐性であったが、CP,ABPC及びSTで耐性の割合は半分前後であり、国別に薬剤耐性パターンに違いがあることが明らかになった。これら薬剤耐性パターンの結果が国際的な問題になってきている抗生物質の過剰投与と関連のあることが示唆された。さらに、これらのデータは治療の際に抗菌薬の選択に役立つ可能性がある。

 以上、本論文は電子メールを用いた迅速なサーベイランスネットワークを構築した研究により、これまで実態の把握されていなかった日本における旅行者下痢症の現状把握や集団発生の検出が可能となり、推定感染地や年齢群などの疫学情報を明らかにした。

 今後、日本での海外旅行者に対する啓発活動を行う上で、ハイリスク集団に対して渡航先と病原体の関係から具体的な指導が可能となり、その科学的な証拠を示すことができた点、さらに、国内のサーベイランスばかりでなく国際的なサーベイランスの一翼を担い、世界的な公衆衛生の向上に寄与できる可能性がもたらされた点に関する意義は大きいものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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