学位論文要旨



No 215480
著者(漢字) 鑪迫,典久
著者(英字)
著者(カナ) タタラザコ,ノリヒサ
標題(和) バイオアッセイによる水環境評価法の開発と適用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215480
報告番号 乙15480
学位授与日 2002.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15480号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鮫島,正浩
 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 要旨を表示する

 化学物質による環境汚染は、人を含む生物や生態系に大きな影響を与えてきた。環境は、水、大気、土壌に分けられるが、特に水環境に対する汚染はそこに棲息する生物種の数、汚染化学物質の数、汚染範囲の広さ、人への移行などの点から重要とされている。また、環境中の汚染物質は、他の物質と複合的に存在するので、特定の化合物に対する環境基準の設定とその規制だけでは環境への影響を評価することは不十分であると考えられる。そこで、次世代に快適かつ安全な環境を継承していくためには水環境を総合的に評価する必要があり、そのためにはバイオアッセイを用いた評価法の導入が有効であると考えられる。バイオアッセイとは、未知、未同定の物質を含めた対象に対して、生物材料を用いてその応答性から有害性を評価する手法である。本研究では、バイオアッセイを用いて水環境の評価を行なうことを主たる目的としている。

 第1章では、水環境評価に対するバイオアッセイの意義、現状、問題点などについて解説し、本研究の位置づけと目的を示した。日本ではまだ純粋な物質のバイオアッセイしか行なわれておらず、未知の複合物質である水環境にバイオアッセイを適応した例はほとんど見当たらないので、その必要性について説いた。

 第2章では、水環境評価のためにバイオアッセイの中から、日本ではまだ普及していないミジンコを用いた試験法の導入について検討を行った。ミジンコを用いた試験は欧米では広く行われている。特にセリオダフニア繁殖阻害試験は1985年にUSEPA(米国環境省)で最初のガイドラインができて以後現在まで北米で広く用いられている。これまで日本では輸出入を目的として純粋な化学物質を対象にダフニアマグナ繁殖阻害試験は行われていたが(OECD推奨)、米国環境省やカナダ環境省で環境水の評価に採用されているセリオダフニアの試験は行われていなかった。そこで、本研究ではセリオダフニア繁殖阻害試験の導入を試みた。ここで導入されたミジンコ繁殖阻害試験は、緑藻生長阻害試験、魚類初期生活段階毒性試験などの他の亜急性毒性試験と組み合わせて用い、第5章、第6章において総合的に日常の化学物質や工場排水の環境影響評価を行なった。

 第3章では、薬物代謝酵素であるMFO(Mixed Function Oxygenase)に基づく環境影響評価法の開発について検討した。MFOは、水生生物を含む様々な動物の肝臓において、ある種の有機化学物質(多環芳香族やダイオキシンなど)によって誘導される事が知られている。鋭敏な反応なのでそれを環境汚染の指標(バイオマーカー)とすることができると考えられている。本研究ではメダカ肝臓中のP450系の薬物代謝酵素(MFOの一種)であるethoxyresorufin-ο-deethylase(EROD)とpentoxyresorufin-ο-dealkylase(PROD)をバイオマーカーとして測定するために新しい手法を開発することを目的とした。HPLCと蛍光分光光度計を用いて、従来より数百倍高感度に酵素活性が測定できるようになり、メダカ1個体で両方の酵素を同時に測定することに成功した。よって、今後水環境における化学物質の影響についての生理的な情報をメダカを使って得ることができるようになった。

 第4章では、評価が難しいとされている内分泌撹乱化学物質に対して、メダカを用いた新規検出法を考案した。現在、ビテロジェニン(卵黄前駆タンパク質)が本来作らないはずの雄で誘導されることを指標として、エストロゲン作用を示す化学物質の評価がin vivoで進められている。ところが化学物質の中には、エストロゲンに対して促進活性(アゴニスト)を持つものばかりではなく、エストロゲンに対する反作用、つまりアンタゴニスト活性を持つものが存在する可能性は十分に考えられる。そしてそれらも内分泌撹乱化学物質として生体内で作用していると考えられる。事実、組換え酵母を用いた初が雄。における試験系において、エストロゲンのアンタゴニスト作用を示す化学物質の存在が示唆されている。しかし、現在までにin vivoにおけるアンタゴニスト活性を明らかにした例は見あたらない。そこで、本研究ではin vivoにおけるアンタゴニスト活性の存在を明らかにし、その評価法を確立する事を目的とした。雄に一定量のエストラジオールと未知の化学物質を同時に曝露し、そこで生産されるはずのビテロジェニン量が減少するということ現象を利用した。その結果、トリブチルスズ、トリフェニルスズが女性ホルモンのアンタゴニストであることをin vivoで初めて証明した。

 第5章では、身近にある化学物質として木材保存剤、歯科薬剤として広く用いられているトリクロサン、そしてスチレンオリゴマーの3つの実例について、亜急性毒性試験を用いて環境安全性評価を行なった。現在、通常では化学物質の評価は日本では急性毒性試験しか行なわれていない。まず、防腐処理された木材から環境中へ溶脱する木材防腐剤の環境影響を調べた。基本となる木材防腐剤2種類(DDAC、BAAC)そのものの環境影響(生物影響)を調査しデータを得た。本研究では、藻類の生長阻害試験、2タイプのミジンコ繁殖阻害試験、2タイプの魚類初期成長段階毒性試験、およびMicrotox急性毒性試験を実施した。複数のミジンコおよび複数の魚を同じ条件で試験した例は過去においてほとんど見当たらない。生物試験の見地から、種による感受性の違いを明らかにした点でも興味深いデータが得られた。さらに試験結果から、水棲生物に対するDDACとBAACの環境に対する影響を推測することができた。それらは除草剤程度の影響を緑藻に対して示したが、ミジンコや魚に対しての毒性は弱かった。

 私達の日常生活で広く利用されている化学物質の一つに、塩素化ジフェニルエーテル系化合物の2、4、4'-トリクロロ-2'-ヒドロキシジフェニルエーテル(2、4、4'-trichloro-2'-hydroxy diphenyl ether)がある。この化合物は一般にトリクロサンと呼ばれ、抗菌薬として繊維製品、石鹸、シャンプー、液体歯磨きおよび化粧品などに使用されている。本研究では、トリクロサンを水環境汚染物質の一つと考え、水環境中の代表的な生物に与える影響から毒性評価を行った。適応したバイオアッセイは、緑藻増殖阻害試験、ミジンコ繁殖阻害試験、魚類初期生活段階成長阻害試験を選んだ。急性毒性試験である発光バクテリアを用いた発光阻害試験(Microtox試験)を亜急性毒性試験の予備試験として行った。本研究において上記バイオアッセイ群を使って水環境に及ぼす影響を多角的に検討した結果、トリクロサンが環境中の様々な生物、特に緑藻に対して鋭敏に影響を与えることが判明した。

 人間や他の脊椎動物に対しスチレンオリゴマーの内分泌撹乱作用はほとんど報告されていない。しかしながら、ポリスチレン製カップで繁殖させたセリオダフニアでは、その子孫の数が減少した。スチレンダイマーとトリマーは、ガスクロで定量すると、0.04-1.7μg/Lの濃度でセリオダフニアの繁殖に影響を与える(7日間で25%減少)ことが判明した。このことは、スチレン類が水圏における甲殻類の個体群に微量でも悪影響を与える可能性があることを示唆している。

 第6章では、紙パルプ工場排水の環境影響評価を行なった。まず、発光バクテリアを用いて、モデルパルプ漂白排水についての幾つかの知見を得た。その結果、針葉樹の方が広葉樹より生物影響が大きく、塩素漂白を二酸化塩素に置き換えることは生物影響を低減するのに役立つことが判明した。ただ100%二酸化塩素に置換すると、広葉樹では逆に毒性が上がった。原因はわからなかった。

 環境問題に意識の高い諸外国ではすでにバイオアッセイが排水規制に有効利用されていることから、日本も近い将来バイオアッセイが導入されることが予想されるため、本研究では日本の製紙排水について北米のバイオアッセイ手法を適用してみた。日本の製紙工場20カ所の排水についてバイオアッセイを行なった結果、それぞれの工場ごとに影響を与えている生物が異なっていた。また特にAOXの量と相関性を持って影響を与えるバイオアッセイが存在しなかった事から、排水中の有機塩素化合物が、生物環境に特に与えるとはいえない事が判った。しかし、工程内の排水では調木および古紙再生工程から出る排水の生物影響が大きいことが示された。2次処理(おもに活性汚泥処理)が備わっている工場の生物影響負荷は、備わっていない工場と比較して低いことが判った。

 日本の製紙工場排水中にも海外の排水と同様に薬物代謝酵素(MFO)を誘導する物質が含まれているかどうか明らかにするために、実際に工場排水が流れ込んでいる川の現地調査を行なった。また、誘導されたMFOのアイソザイムを明らかにすることにより、その汚染源が何であるかを推定できるかの検討も行なった。この研究で、日本の製紙排水中にもMFOの1種であるERODが誘導される事が判明した。また工場排水は、A河の場合には排水口から10km下流の魚にも影響を与えていることが判った。一方B河川では工場排水の影響は2kmほど下流ではほとんど観察されなかったが、A河川とB河川の水量が10倍以上B河川の方が多いために、すぐに希釈されたためと考えられた。B河川では誘導されるMFOのアイソザイムが製紙排水(EROD)と下水処理水(EROD+PROD)で異なる事から、誘導されたアイソザイムのパターン分析を行なうことにより、工場排水中の誘導物質のタイプ、または排水の分類分けができる可能性が示唆された。

 第7章では以上の結果に基づき、水環境評価へのバイオアッセイ導入の重要性、また導入する際に解決すべき問題点、さらにその将来性について総括を行った。バイオアッセイは生き物を利用しているため、その値がばらつき、不安的で信頼性に欠けると思われがちである。しかしあるばらつきを許容した上では、極めて正確でかつ信頼性の高い結果を与えてくれるものである。今後上手にバイオアッセイを用いてより良い環境を作るために貢献できることを願っている。

審査要旨 要旨を表示する

 人間の社会活動で環境水中に排出されるさまざまな化学物質は少なからず生物に対してインパクトを与えているはずであるが、これまで工場排液などに対する環境影響評価はCOD量ならびにBOD量、無機あるいは金属イオン量など生物に対する急性毒性や致死性の原因物質を中心としており、生物にとって長期的な影響として現れてくる亜急性毒性や内分泌撹乱性などの評価はごく限られた化合物だけを対象にしている。

 また、環境水中にはさまざまな化学物質が含まれるため、化学分析や機器分析による特定化合物の評価だけでは対象とする環境水の生物に対する亜急性毒性や内分泌撹乱性を予測することはむずかしい。したがって、指標生物を利用したバイオアッセイが水環境への影響評価を行うための有効な手法となる。本研究は、緑藻、ミジンコ、魚類などの水生生物、さらに発光バクテリアを用いたバイオアッセイ法の組み合わせにより生活中に存在する化学物質やパルプ工場排液が水環境に与える影響を示し、バイオアッセイを水環境影響評価に導入することの有用性を明らかにすることを目的としている。また、本研究では、その目的のために一個体のメダカを用いて生物毒性ならびに内分泌撹乱性を鋭敏に検出する手法の開発を行っている。

 本研究論文は7章から構成されているが、その第1章では水環境評価に対してバイオアッセイを導入する必要性とその意義、既往のバイオアッセイ法の概略、国内外での水環境評価へのバイオアッセイの導入状況と問題点などを概説し、本研究の位置づけと目的を提示している。

 第2章では、我が国では例の少ないミジンコ繁殖阻害試験を環境水の評価に導入するための飼育法の改良を行い、その試験による結果の評価方法および再現性などを示している。

 第3章では、鶏胚およびメダカの肝臓のチトクロムP450によるエトキシレゾルフィン分解活性の測定を利用した水環境評価を試みている。その中で、メダカの肝臓からミクロ超遠心分離機を用いて調製したミクロゾーム画分の高速液体クロマトグラフィーによる分離と蛍光分析を組み合わせた手法により一個体のメダカからエトキシレゾルフィン分解活性を検出する方法を開発したことは評価に値する。

 第4章では、一個体の雄メダカを用いた内分泌撹乱性物質のin vivo評価試験法の開発を試みている。まず、本来は雄メダカでは生産されないビテロジェニンが、飼育水中に50pptのエストラジオールが存在すると誘導生成されることを明らかした。また、エストラジオール存在下に、そのアンタゴニストとして知られているヒドロキシタモキシフェンを25ppb添加すると顕著にビテロジェニン生成が抑制されることを見いだした。さらに、同様の試験をトリブチルスズおよびトリフェニルスズに対して行うと、いずれも1ppbの添加でエストラジオールによるビテロジェニン生成活性を顕著に抑制することを明らかにした。トリブチルスズおよびトリフェニルスズはin vivo試験ではエストラジオールのアンタゴニストとして作用することがすでに知られているが、同様の活性をin vivo試験で初めて示したことは評価に値する。

 第5章では、いくつかの水生生物によるバイオアヅセイ法を組み合わせて、生活の中に存在する化学物質として木材保存剤、歯科薬剤トリクロサンおよびスチレンオリゴマーを対象に環境影響評価を行った。その結果、我が国で広く使われている銅-アルキルアンモニウム系の木材保存剤は除草剤と同じ程度に緑藻の生育を抑制するが、ミジンコや魚などの水生動物の生長や繁殖にはほとんど影響のないことを明らかにした。さらに、トリクロサンは水生動物と緑藻ともにその生長に影響を与えること、ポリスチレン製カップなどから溶出されるごく微量のスチレンオリゴマーがミジンコの繁殖に顕著な阻害作用を示すことを明らかにした。

 第6章では、緑藻、ミジンコ、ゼブラフィッシュならびに発光バクテリアを用いたバイオアッセイ法を組み合わせて我が国のパルプ工場21カ所からサンプリングした工場排液の水環境に与える影響を評価した。その結果、各生物に与える影響の度合いならびに影響パターンが各工場排水で大きく異なることを明らかにした。また、工場排水の環境影響を低減していくためには、排水に対して絶対的な許容値を定めるのではなく、むしろ水生生物に対して最も高い阻害度を与えた工場に警告を与え、環境影響低減のための指導をしていくピークカット法が有効であると提案した。

 第7章では、第6章までの結果に基づき排液や化学物質の水環境影響評価法としてのバイオアッセイの有効性を総括している。

 以上述べてきた通り、本研究はバイオアッセイを水環境評価法として導入していくことにおける学術上ならびに応用上貢献は少なくない。よって審査員一同は本研究論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク