学位論文要旨



No 215481
著者(漢字) 宮田,瞳
著者(英字)
著者(カナ) ミヤタ,ヒトミ
標題(和) 画像処理を利用した紙の異同識別法に関する研究
標題(洋)
報告番号 215481
報告番号 乙15481
学位授与日 2002.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15481号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 教授 太田,正光
 東京大学 教授 小野,拡邦
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 要旨を表示する

1.緒論

 犯罪鑑識において犯罪の客観的立証のためには証拠品の科学的検査が極めて重要である。そのため紙の鑑定においても化学的あるいは物理的なさまざま検査法が行われている。しかしパルプ繊維の比較、機器分析による填料や塗工剤などの化学的検査はいずれも微小とはいえ試料を切りとって検査するという点で破壊的な手法であるため鑑定には適さないことも多い。また物理的手法としては紙表面の形態観察による識別法が提唱されているが、目視検査であるため客観的な検査法とはいえない。そこで本研究は紙を非破壊で識別することを主目的とし、紙のワイヤーマークなど製造工程に由来する周期性に着目し、画像処理とフーリエ変換を利用した異同識別法の開発を検討した。

2.画像の取り込みに利用するスキャナの基礎性能の検討

 紙の光透過画像の取り込み装置としてフラット・ベッド・スキャナ(以下スキャナと略す)を活用するにあたり、その基礎性能を検討した。現在普及しているスキャナの寸法精度は1%前後といわれているが、実験機器としてスキャナを使用する場合の基礎的な性能はまだ精査されていない。そこで基準スケールや均一濃度板を標準試料として、スキャナの主走査および副走査方向での寸法や輝度の繰り返し再現性、スキャナのガラス面位置による寸法や輝度の変化、スキャナの電源を入れてからの時間、露出、空間分解能を変えた時の輝度の変化について検討した。その結果、スキャナの寸法データの繰り返し再現性は、位置や電源を入れてからの時間による変化が少なく、実験機器として使用するのに満足できる結果が得られた。また輝度の繰り返し再現性は電源を入れてから即座に連続走査した際には温度上昇が生じるため約1時間を過ぎてから安定してくること、輝度はスキャナのガラス面位置での画像の取り込み位置を変えたときよりも、電源を入れてからの時間を変えたときの方が有意差が大きいことがわかった。また、光学濃度の大きいものは露出を変えた時のスキャナの輝度の変化が小さいために露出の影響を受けにくいこと、空間分解能を変えても位置や時間における輝度のばらつきに見られる傾向は類似していることなどがわかった。

 したがって一連の測定を行う際には、ガラス面位置、スキャナをつけてからの時間、露出などの条件をそろえる必要があり、有意差があることを念頭において使用することが求められる。

3.2次元フーリエ変換による紙の異同識別

 紙には抄紙時のパルプ繊維の分散状態により生じる密度の不均一性や、抄紙ワイヤーの痕跡による凹凸が残されており、これらの特徴はその後の脱水・乾燥の過程により多少変化するものの、紙に潜在的な特徴として存在している。そこで紙に残る周期的な痕跡の中で最も強いものの一つと考えられるワイヤーマークに由来する周期に注目し、画像処理とフーリエ変換を応用し紙の特徴を周波数解析で算出することにより非破壊で定量的な異同識別が確立できると考えられたのでその方法を検討した。

 スキャナで取り込んだ紙の光透過画像に対して2次元高速フーリエ変換(以下FFTと略す)を施しそのパワースペクトル(以下PSと略す)を比較した(図1)。異同識別のアルゴリズムには相互相関法を採用し、市販ワイヤーから調整した手抄き紙から作成したPS図12枚を平均した参照ファイル(データベース)と、同じワイヤーから作成した紙1枚を手で丸めてしわつけした後に作成したPS図(試料ファイル)とを順次照合しそれぞれ類似度を数値化した。その結果、各試料紙はデータベース中の自己と同一のワイヤーから抄かれた参照紙のみに対して最も高い類似度を示し、この方法の有為性が確認された。

 ここでの結果は照合を行うための試料の一部が破壊(しわの部分)されていても類似性を正しく判定できることを示唆している。一般にフーリエ変換の性質として試料(画像)の一部が欠損していても、またそれがさらに断片的に分散していても注目すべき周期的規則性を抽出することができる。したがって試料に印刷や書き込みなどの汚損があっても判定は正しく行われるはずである。このような点が光透過画像そのものの類似性を判定する場合とはまったく異なっておりまた有利な点である。

 このことから、紙に残る周期成分をFFTなどの周波数解析により抽出しそのPS図同士から相互相関法によって類似度を計算する方法が定量的で異同識別において有効であるものと考えられる。

 さらにこの手法の市販紙への適用を試みた。

(1)PPC用紙はコピー用紙としてだけでなく広く使用されており、法科学の分野においてその異同識別は重要なものと考えられている。

 異同識別のアルゴリズムには手抄き紙と同じ相互相関法を採用し、参照ファイルは各銘柄の紙から12枚のPS図を平均したもの、試料ファイルは同じ銘柄の別の1枚から作成した3枚のPS図を平均したものを用いた。12銘柄のPPC用紙のPS図について照合したところ、12銘柄中10銘柄については正しく照合ができた。誤認を行った2対の試料は同一製紙会社の製品であり、共に同一抄紙機あるいは同一ないし類似のワイヤーで抄造された可能性が考えられ、他社製品との誤認は見られなかった。したがって同一ワイヤーを使用しているとしても抄紙機が異なる他社製品とは工程中の部材の組み合わせが異なるため異同識別の糸口とできるものと考えられる。サクションロールの孔やカンバスの織り糸がもたらす周期性を見るべくより粗めの空間分解能にてより広い視野での照合を行うことも有効であることが示唆された。実機抄紙時には手抄き紙と比べて照合精度を下げると思われる要素が含まれたにもかかわらず照合への悪影響は認められなかった。このことから本異同識別法は実用に適したものと考えられる。

(2)新聞は特徴のある内容や印刷により紙名、発刊目、版別、配達地域の推定などが行われる。しかし日本中で同一の記事が印刷される新聞から配達地域の絞込みを行うにはさらに情報が必要である。そこで紙の種類を識別し印刷目時や印刷工場等が限定されれば、さらに配達地域の絞込みが可能になると考えられる。

 都内1箇所に配達された4社の新聞の光透過画像から得たPS図を比較すると、4社はいずれも1ヶ月の間に複数の紙を使用しており、かつ異なる新聞社間で類似した紙が使われていることが示唆された。また発刊日やページによって異なるPS図が認められ、同じ発刊日や同じ版だてのものでも印刷工場による違いが生じる可能性も考えられた。新聞紙の場合手すき紙やPPC用紙に比べると相互相関法ではうまく照合できなかった。その原因のひとつは、新聞1冊分は同時に印刷されるために複数のロールが使用されており、抄紙時期が異なる同じ銘柄のロールが同時に使用される可能性があるため、抄紙工程でのワイヤーの伸びが影響した可能性が考えられる。但し、新聞の異同識別に関して記事内容や印刷文字では識別できないものが新聞の用紙の種類によってさらに詳細に分類できるため、紙の識別によってより多くの情報がもたらされ迅速な販売ルートの解明につながる可能性が考えられる。

4.画像の取り込み方法の検討

 光を透過しにくい厚紙の特徴を得るために画用紙の表面にある凹凸に着目し、その取り込み方法としてレーザ変位計の適用を試みた。レーザ変位計から画用紙表面までの距離を測長し同時に紙をXYステージで動かすことにより、画用紙表面の凹凸を測定しこれを2次元画像とした。その時の測長間隔を100、200、500μmにかえて縦横128点で測長したところ、500μm間隔での取り込みが画用紙の凹凸の状態をもっともよく読み取り、測定に適したものと考えられた。そこで14種類の画用紙についていずれも500μm間隔で測長して2次元凹凸画像、パワースペクトル図、逆変換図を目視で比較したところ一部の画用紙は異同識別ができた。しかし14種類の中にはパワースペクトル図や逆変換図ともに比較的類似したものが多くあり、銘柄の識別は困難であった。この原因は測定方法およびアルゴリズムに改善の余地があること、および日本国内では上質画用紙の製造会社が少なく、使用される画用紙用フエルトの種類も豊富ではないことなどが影響したために類似したものが多くなったものと考えられる。しかし非破壊検査の一つとして異同識別の絞り込みに使用すれば十分有用な方法と考えられる。

5.紙のワイヤーマークの新旧抄紙ワイヤーにおける挙動とその幅方向プロファイル

 PSが類似しているにも関わらず正しい照合ができない原因の一つは紙の製造時におけるシートの伸縮やワイヤーの伸びによるものであると考え、新旧ワイヤーにおけるシートのPSの挙動を比較することに加えて幅方向のプロファイルについて検討した。2箇所の製紙工場の実機オントップフォーマーにおける抄紙ワイヤーの使用前と一定期間使用して取り外したものおよび取り外したワイヤーの幅方向では、ワイヤー自体に顕著な塑性変形的な伸縮は認められなかった。また抄紙ワイヤーとそれによって抄紙された紙とではPSの位置にずれが認められ、MD方向へは周期が伸び、CD方向へは収縮したようにみえた。また紙の幅方向のPSには抄紙機のMD方向に対して若干の傾きが認められた。したがってPSが類似しているにも関わらず正しい照合ができなかった原因の一つは抄紙機の幅方向での位置の違いによるものである可能性があることがわかった。

 以上のことから、紙の製造工程に由来する周期的な特徴を紙の光透過画像や凹凸画像から抽出し、その周波数解析を行うことは非破壊検査であると同時に客観的かつ定量的な手法でもある。したがって本異同識別法は紙に関する犯罪鑑識の実用に適したものと考えられる。

図1紙の光透過画像(空間分解能400dpi、縦480×横512画素)とそのパワースペクトル(256×256画素)

審査要旨 要旨を表示する

 紙は日常生活に深く浸透しているために現代社会では犯罪に紙が関わっている場面は多く、その鑑識においては犯罪の客観的立証のために証拠品の科学的捜査が不可欠である。犯罪捜査への科学的手法の応用を扱う分野として法科学がある。従来紙の法科学的鑑定においては様々な物理的・化学的検査法が使われてきたが、試料の切断の問題や目視観察による主観の関与など多くの問題を抱えている。

 本研究では従来の鑑識手法を改善する目的で非破壊的に紙を識別する手法の開発をめざし、紙のワイヤーマークなど製造工程に由来する周期性に着目し、画像処理とフーリエ変換を利用した紙の異同識別法の開発を目的とした。

 次に論文内容の概要を示す。

 第1章は緒論であり、法科学における紙の問題を従来における物理的・化学的手法とその歴史的な変遷に関して記し、本研究の問題提起を行い、その意義を記している。

 第2章は<画像取り込みに利用するスキャナの基礎性能の検討>という表題で、本研究において紙の光透過画像の取り込みに用いるスキャナの基礎性能に影響する諸因子の検討を記述している。標準試料を用いて主走査・副走査における寸法や輝度の繰り返し再現性、位置による影響、電源入力後の時間経過による露出・空間分解能の影響などを多面的に検討し、統計的にデータの有意性を検討した結果、本スキャナが本研究の目的に適用可能なことが明らかとなった。

 第3章は<二次元フーリエ変換による紙の異同識別>という表題で、紙の製造過程の痕跡として紙に残る周期性の強いワイヤーマークに対して光透過画像の画像処理とフーリエ変換を行い、周波数解析により得られるパワースペクトルの形状と相互相関法による統計的手法から紙の異同を識別する手法の開発とその応用例を記述している。PPC用紙では製造メーカー、更には銘柄まで同定が可能であり、新聞用紙では紙の種類の同定から印刷日時や印刷工場の同定が可能となり、配達地域の絞込が出来、犯罪鑑識に大きく寄与する可能性が示唆された。

 第4章は<画像の取り込み方法の検討>という表題で、光透過画像の得にくい画用紙などの厚紙の特徴を抽出する方法を扱い、表面の凹凸をレーザー変位計で測定し、二次元凹凸画像、パワースペクトル図、逆変換図などの目視から異同識別が可能なものと、困難なものがあることが分った。しかし困難なものも画像データの計算アルゴリズムの改善や製造メーカ側の諸データを併用することにより異同識別の可能性が高まることが示唆された。

 第5章は<紙のワイヤーマークの新旧ワイヤーにおける挙動とその幅方向プロファイル>という表題で、第2章の新聞用紙の検討から派生した問題であり、パワースペクトル図が類似しているのに関わらず同定が困難な原因の解明を目的とした実験とその結果を記述している。その結果ワイヤー自身は使用により顕著な塑性変形的伸縮は認められず、ワイヤーとそれにより抄紙された紙の間でパワースペクトルの位置にずれが認められたことから、パワースペクトルが類似していても正しい照合が困難な原因の一つとして抄紙機の幅方向での位置のずれが影響している可能性が明らかにされた。従ってこれらの影響因子を考慮することにより多様な新聞用紙に本手法が適用可能なことが示唆された。

 以上、本論文は紙の製造工程に由来する周期的な特徴を紙の光透過画像や表面の凹凸画像から抽出し、その周波数解析からパワースペクトル図を得るという非破壊的検査により定量的かつ客観的なデータを得るシステムの開発を扱っている。従って本システムは新たな紙の異同識別法として犯罪鑑識に大きく寄与する可能性があり、実用性は高い。

 よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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