学位論文要旨



No 215489
著者(漢字) 田村,雅之
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,マサユキ
標題(和) レーザー誘起蛍光法のガス燃焼機器開発への応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215489
報告番号 乙15489
学位授与日 2002.11.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15489号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 志村,努
 東海大学 教授 畔津,昭彦
内容要旨 要旨を表示する

 レーザー誘起蛍光法(Laser-induced Fluorescence:LIF)は、原子や分子、ラジカルの濃度および温度の情報を、高感度、高い時間/空間分解能をもって計測できる手法である。目的とする化学種の電子遷移に励起光波長を共鳴させる手法であるため、化学種の選択性が良く、燃焼場を始めとする複雑な反応系における中間生成物等の検知に特に適している。LIFはこれまでに計測法としての基礎的な部分はよく研究されてきたのであるが、未だに汎用計測法と言うにはあまりにも手のかかる手法であり、その信号の圧力や温度、組成に依存した振舞いなど、その場その場に応じて各論的に対処しなくてはならない。そのため、近年LIF計測をエンジンやタービン等の実用燃焼機器開発に応用する試みが始まっているものの、これを盛んに活用することは未だにハードルが高いと認識されている。本論文において記述する研究は、LIF法を実用ガス燃焼機器の開発に応用することを目的として基礎と応用の橋渡しをするものである。

 まず、LIFをガス燃焼機器開発に応用するにあたっていくつかの基礎的な要素検討を行った。本研究の中心的手法としてOHとアセトン(後者は燃料トレーサーとして用いる)のLIFを選択し、それぞれについて信号の圧力・温度依存性を検討した。LIFの定量性に大きな影響を与える要素はクエンチング(励起化学種の衝突による非輻射失活)である。OHについては過去の研究からクエンチングレートの衝突分子種および温度依存性のデータがある程度得られており、低圧一次元予混合火炎についてこれを利用して算出したクエンチングレ一トの予測値と実測値とを比較し、良好な一致を得た。OHのクエンチングレートはメタン/空気予混合火炎(化学両論比付近の条件)において、いわゆるpost flame zoneにおいてはほぼ一定であるという知見を得た。アセトンのLIFについてはその光化学的過程が複雑であり、現在のところ現象を適切に記述するモデルは得られていない。本研究ではアセトンのLIF信号の温度・圧力依存性について実験的に調べ、284nmの励起光を用いた場合は常温常圧付近に若干の変化が見られる他はほぼ一定であるという結果を得た。また、高密度場において定量性を失わせる要因である、励起光の減衰効果についても適切な画像演算を用いた「対向入射法」を新たに考案し、解決した。この方法は、微小な時間差をもって対向入射する2つの入射光によるLIF信号を別々のカメラによって捉え、それぞれの信号のピクセル値を掛け合わせた後平方根を取るというものである。Lambert-Beer則に基いた考察を行うことで、この方法によって励起光の減衰効果がキャンセルされることがわかる。

 このような基礎検討を行った上で、LIFの実用ガス燃焼器への応用実験を行った。一つ目は蓄熱式燃焼システム(リジェネレイティブコンバッションシステム)を採用した工業炉火炎の研究である。モデル工業炉を作成し、排ガス再循環を模擬した低酸素濃度中での火炎についてOHの分布を撮影した。結果として、高温予熱空気を燃焼に使用すると大量の排ガス再循環が可能となり、低温の火炎が広い体積をもって安定して存在できることがわかった。これは高温予熱空気を使用した燃焼の特徴であると考えられる。

 二つ目はガスエンジンヘの応用である。最初にコージェネレーション原動機としてよく使用される副室式希薄燃焼エンジンの副室内における点火用混合気形成過程について、アセトンをトレーサーとしたLIFを適用し、2流体混合の様子を撮影、混合の副室形状依存性を調べた。副室形状に依存した混合が明らかになり、乱流混合現象の把握にLIFが有効であることが示された。次に点火後現れる副室火炎ジェットについて、エンジンを模擬した定容燃焼器と可視化エンジンによる実験によって調べた。火炎ジェットの構造についてLIF計測を行い、最終的成果として副室ノズル部の改良法の提案がなされた。また、排ガスクリーン化の研究として、アセトンとOHの同時可視化法を応用して、エンジンの燃焼行程後期から排気行程にかけてのクレビス流(燃焼室周囲の隙間に入り込んだ未燃炭化水素の排出)の可視化を行い、その酸化機構を明らかにした。結果としてクレビス流の酸化割合はエンジンの背圧条件に依存することが新たな知見として得られた。最後に、ガスエンジンにおける吸気管燃料噴射法について、形成される筒内燃料分布の観点から検討を行った。ここでは本研究前半で検討した対向入射法が有効に使用され、サイクル変動を考慮すると吸気管噴射法は不利であるとの結論を得た。本研究により、ガスエンジンのように燃料の混合/分布の状態がその性能を大きく左右する場合、アセトンのLIFやアセトンとOHの同時LIFが開発上有効であることが明らかとなった。

 以上、本研究は燃焼場のLIF計測法をガス燃焼機器開発の現場に適用するために、信号の定量性等に関する基礎的な検討を行い、実用機器開発に際して留意すべき事項を明らかにして、実際にガスエンジン開発を主とした活用を行ったものである。

審査要旨 要旨を表示する

 近年の地球環境問題の観点から、クリーンなエネルギー源の開発は急務となっている。エネルギー供給を支える炭化水素燃料種の中でもとりわけ天然ガスは、省エネルギー効果が大きく、環境に対する負荷が低いなど優れた特長を有し、現代社会の要請に適合した基幹燃料として期待されている。このような要請に応えるため、ガスを利用した工業炉やエンジンなど燃焼機器の高性能化が重要な課題となっている。ガス燃料機器の研究開発において燃焼の計測は不可欠であるが、とくに燃焼場の可視化技術は燃焼過程の時間的空間的発展を直接観察することを可能にし、現象の理解に大いに威力発揮する。本論文は、レーザーを用い分光学的な方法で特定の分子の濃度変化を観測するレーザー誘起蛍光法(Laser Induced Fluorescence,LIF)について著者の研究成果をまとめたものである。LIF法は開発以来すでに多くの研究者によって使われてきたが、特に燃焼機器内部など高圧燃焼場においては、レーザー光で励起された分子が衝突によってエネルギーを失うクエンチングの効果が大きく、計測結果の定量性に疑問が持たれてきた。本論文ではLIF法に関する基礎的な検討を行い、計測結果に対する信頼性を上げ、実用的な計測法とすることを目的としている。その結果に基づき実用工業炉およびガスエンジンに応用し、有用な知見を得ている。

 本論文は5章と3つの付録からなる。

 第1章「序論」では、研究の歴史、背景と目的、本論文の構成が述べられている。

 第2章ザレーザー誘起蛍光法に関する基礎検討」では、LIF法をガス燃焼計測に応用する場合の基本的な課題について、理論と実験の両面から検討している。

 LIF法の定量化にはクエンチングの割合を評価することが不可欠である。著者は燃焼のトレーサーに用いるOHおよびNOについて、温度、圧力、成分組成をパラメーターとしてクエンチングレートを実験的に求め、それらが経験式とよく一致することを確かめた。一般にクエンチングレートは温度や圧力の関数となるから、トレーサーの密度を求めるためにはこれらの環境パラメーターを同時に計測しなくてはならない。しかし、これは難しく、LIF法の定量化の一つの障害となっている。著者は、パラメーターのある範囲でクエンチングレートがほぼ一定値を取ることを見つけ、この条件の範囲内で濃度分布の相対測定が可能であると指摘している。

 未燃燃料のトレーサーとしては、アセトンを混入する方法を採用している。一つのレーザー光でOHとアセトンを同時に励起し、それぞれの分子からの蛍光を計測することにより、燃焼領域と未燃料域を同時に観測することを可能にした。

 励起レーザー光が吸収により減衰することも、定量性を損なう大きな要因となる。筆者は、対向入射法という新しい方法を考案し、減衰の効果をキャンセルするデータ処理法を考案し、有効性を確認している。この章の最後では、LIF法を用い温度を計測する方法について検討し、クエンチングについての情報を基にデータを補正すれば温度計測が可能であることを実証した。

 第3章「工業炉燃焼の研究」では、蓄熱式燃焼システムを採用した工業炉にLIF法を適用した例が述べられている。蓄熱燃焼システムは、排ガス中の熱を耐熱性の蓄熱体に蓄え、熱回収を行うことで効率を高める工業炉である。このため排ガス再循環をシミュレートする燃焼系を作成し、予熱空気温度および酸素濃度を変えたときの火炎内の燃焼場の様子をOHをトレーサーとして観測した。その結果、空気を高温に予熱したときは、低酸素濃度(5%程度)において、広い領域で低濃度のOHが存在することを見つけ、従来の燃焼と大きく異なることを確かめた。

 第4章「希薄燃焼ガスエンジンの研究」では、天然ガスを用いたコジェネレーションシステムなど省エネルギーの点で注目されているガスエンジンの開発へ、LIF法を応用した事例が述べられている。

 はじめに、副室式希薄燃焼ガスエンジンについて、副室内部における燃料ガスと空気の混合過程を、アセトンをトレーサーとし可視化を行った。とくに、円筒形と円錐形の2種類の副室を製作し、副室形状による混合の差異を明らかにした。その結果、円筒形の方が混合気の一様性、安定性に優れていることを見つけた。次に、副室からの火炎ジェットをOHとアセトンをトレーサーとして同時可視化し、ジェット噴出後の燃焼の形状を測定した。その結果、副室からのノズルにテーパーをつけることにより、燃焼過程が改善されることを発見した。

 次に、ガスエンジン排ガスのクリーン化の観点から、エンジン内のクレビスに残る未燃燃料の後段における燃焼過程をOHとアセトンをトレーサーとして可視化を行った。その結果、排気バルブを開く瞬間に火炎が消滅し、それまで酸化されていたクレビス流が未燃噴流へと変化する過程を実証した。

 最後に、燃料吸気管噴射について、アセトンを用い、対向入射法により可視化した。

 第5章は「まとめ」であり、本論文の主要な成果をまとめると同時に、LIF法の応用に当っての留意点を特に定量性の観点から指摘している。

 以上を要するに、本論文の意義は、燃焼過程を可視化する強力な方法として注目されながら、動作条件に無頓着に使われてきたため定量性に欠けるという負の評価を得ていたレーザー誘起蛍光法を、改めて基礎から再検討し、準定量的な計測法として再生させたことにある。この成果はガス工業炉やガスエンジンの開発に応用され、これらの機器の燃焼過程の理解に対し重要な知見をもたらし、エネルギー産業の進歩に多大な貢献をした。よって本論文は物理工学に対し寄与するところ大であり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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