学位論文要旨



No 215494
著者(漢字) 幾田,まり
著者(英字)
著者(カナ) イクタ,マリ
標題(和) CDK4特異的インヒビター開発への結晶構造解析からのアプローチに関する研究
標題(洋)
報告番号 215494
報告番号 乙15494
学位授与日 2002.11.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15494号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 助教授 室伏,擴
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 田之倉,優
 お茶の水女子大学 教授 今野,美智子
内容要旨 要旨を表示する

 P16INK4A-CDK4,6-cyclinD-RBの経路の変異は,ヒトの半数以上のガンで見つかっている.よって,CDK4は新規の抗ガン剤の開発に,魅力的なターゲットとなっている.しかしながら,CDK4以外のkinaseに阻害活性をもたないCDK4特異的な阻害剤を開発することは困難である.特に,CDKファミリーは高い構造の相同性を持つため,CDK2などのCDKファミリー内で選択性を出すのは,困難である.

 ところで,最近になってタンパク質の3次元構造を基に,ドラッグデザインが行われた例が報告されてきている.CDK阻害剤の開発についても,CDK2やCDK2と阻害剤の複合体の3次元構造が有用な情報を与えてきた.そこで本研究では,3次元構造の情報を利用し,CDK4選択的阻害剤の開発を行うことを目的とした.

 本研究の目的はCDK4選択的な阻害剤を開発することだが,そのためには,明らかにCDK4の3次元構造情報が必要であった.しかし,CDK4の結晶化は困難であり,CDK4特異的阻害剤の開発に対して上記と同様な手法をとることができなかった.そこで,この問題を解決するために,CDK2のATP結合ポケットをCDK4のアミノ酸残基に変換したCDK4 mimic CDK2を作製した.このCDK4 mimic CDK2について結晶化を行い,X線構造解析を行った.この様にして得られたCDK 4mimic CDK2の構造は,CDK4特異的な化合物の開発に対して,有用な情報を与えるものであった.

得られたデーターから,CDK4は,CDK2に比較して,大きな置換基を許容できる余分なスペースを持つことがわかった.その余分なスペースに入り込むような置換基をもつ化合物は,CDK4選択的になることが予想された.なぜならば,このような化合物は,CDK2のATP結合ポケットでは,立体障害により,その結合が許容されないからである.このCDK4選択的な阻害剤のデザインの方針に従って,新しいCDK4特異的阻害剤が開発された.新しく開発されたCDK4特異的阻害剤とCDK 4mimic CDK2複合体の結晶構造を決定することにより,導入した置換基が実際にCDK4の余分なスペースに存在していることが確認された.

compound I/wild-type CDK2複合体の構造

我々はCDK2のATP結合ポケットの構造情報をもとに,CDK4阻害剤のリード化合物であるcompound Iを見出した.しかしながら,compound IはCDK4のみならず,CDK2にも阻害活性を示した.まずこのcompound Iについて,CDK2との複合体の構造解析を行った.compound I/CDK2の構造の全体図を図1に示す.CDK2の構造は,N端の主にβ-sheetからなっている小さなドメインと,C端の主にα-helicesからなる大きなドメインから構成されている,N端ドメインとC端ドメインの間では深いクレフトが形成されており,ATPの結合するポケットとなっている.compound Iは,ATPや他のCDKインヒビターと同様,2つのドメインの間の深い溝に結合していた(図1).

またcompound Iの水素結合と疎水的相互作用の様式について,図2に示す.compound IとCDK2のLeu83の主鎖との間に水素結合が形成されていた.compound Iのtricyclic amineの部分は,Vall8,Ala31,Val64,Phe80,Leu134などCDK2の残基と疎水相互作用を形成していた.また,ピリジン環についても,ne10やLeul34と疎水相互作用をしていた.

 CDK4 mimic CDK2の系の確立

CDK4の結晶化は困難であったが,CDK4選択的な化合物の開発において,その構造情報が必要とされていた.そこで,CDK2のATP結合ポケット内のみをCDK4型に改変したCDK4 mimic CDK2を作製し,阻害剤が結合する箇所におけるCDK4の構造情報を得ることを計画した.作製したCDK 4 mimic CDK2はsf9内でよく発現し,solubleなタンパク質を得ることができた,精製についても,wild-typeと同様な方法で行うことができた.

CDK 4 mimic CDK2がwild-typeと同様な酵素活性を保持していることを確認するために,CDK 4mimic CDK2について,その酵素活性の測定を行った.活性型CDK 4 mimic CDK2/cyclin Aを用いて酵素活性の測定を行い,wild-type CDK2/cyclin Aとの比較を行ったところ,CDK 4mimic CDK2はwild-type CDK2と同様な酵素活性を示した,これらのCDK 4mimic CDK2について,結晶化を行ったところ,良好な結晶を得ることができた.

compound I/CDK 4 mimic CDK2の結晶構造及びcompound I/wild-type CDK2との構造の比較

CDK2とCDK4のATP結合ポケットは類似しているが,構造情報をドラッグデザインに生かしていくためには,この2つの構造の間の差異を見つけることが重要である.CDK4とCDK2のATP結合ポケットの構造の違いを同定するために,compound I/CDK 4 mimic CDK2の結晶構造を決定した.compound I/CDK 4 mimic CDK2複合体の結晶構造でも,compound Iの結合様式はwild-type CDK2での結合様式と類似していた.

次にcompound I/CDK4 mimic CDK2とcompound I/wild-type CDK2のATP結合ポケットの構造の比較を行った(図3).CDK4 mimic CDK2とwild-type CDK2のATP結合ポケットの最も特徴的な違いは,残基89(CDK2:Lys,CDK4:Thr)の側鎖の大きさの違いにより,CDK4 mimic CDK2では余分なスペースが存在していたことであった.つまり,CDK4の構造ではThrの側鎖が小さいため余分なスペースが存在するのに対し,CDK2においては,残基89がLysでかさ高い側鎖をもっているため,この領域のスペースに余裕がないことが示唆された.以上より,この余分なスペースに結合するような大きな置換基をもった阻害剤は,CDK4には結合できるが,CDK2のATPポケット内で許容されないと予想される.このような化合物は,CDK2への阻害活性がなくなることで,CDK4に選択的に阻害活性を示すことができると考えられる.以上のCDK4選択的阻害剤のデザインの方向性に従って,compound Iに大きな置換基を導入したような化合物がデザインされ,実際に合成された.その結果,compound II(Table I)を代表とするような,CDK4選択的な阻害剤の合成に成功することができた.

 compound IIのCDK4特異性

compound IIのCDK4に対する選択性を,in vitro 酵素アッセイにより調べた(Table I).その結果,compound Iは,CDK4,CDK6,CDK2,cdc2を0.05-0.28μMの範囲で,それぞれ同等に抑制しているのに対して,compound IIはCDK4,CDK6を特異的に抑制しており,CDK2やcdc2とは選択性が100倍以上あることが明らかになった.さらに,これらの化合物がCDK以外の他のserine/threonineもしくはtyrosine kinaseを阻害するかどうかを測定した結果,これらの阻害剤は他のkinaseに対しては,阻害効果を示さないことが確認された.

またこれらの化合物がCDK4 mimic CDK2に対して阻害効果を示すかどうかについても,実験を行った,その結果,compound IIはCDK 4mimic CDK2に対して,CDK2よりもCDK4に近い阻害効果を示した(Table I).この結果から,CDK4 mimic CDK2のATP結合ポケットの構造は,CDK4を代表していることが示唆される.

Compound II/CDK4 mimic CDK2複合体の結晶構造及びcompound IIがCDK4選択的であることの構造上の知見

compound IIに導入した置換基が実際にCDK4のATP結合ポケットの余分なスペースに結合しているかどうかを確認するために,compound II/CDK4 mimic CDK2複合体の結晶構造を決定した.compound IIの結合様式を図4に示す.compound IIにおいても,化合物とタンパク質のVal83の主鎖との間に水素結合が形成されていた.さらに,化合物のN-22はwater644と水素結合しており,さらにその水分子は,Gln131の主鎖のカルボニルと水素結合を形成していた.また図に示したアミノ酸残基側鎖との疎水相互作用もみられた.

CDK4阻害剤デザインの方向性が正当であったかを確認するために,compound II/CDK4 mimic CDK2の構造とcompound I/wild-type CDK2の構造の重ね合わせを行い,compound IIの置換基がCDK2の中でどのような位置を占めているかの考察を行った(図5).結果,compound IIはCDK4 mimic CDK2の余分なスペースによくあてはまっていた.しかしながら,wild-type CDK2においては,Lys89の側鎖が立体障害となっていることがわかった.これより,compound IIのwild-type CDK2への結合が維持できなくなっていることが示唆された、このことは,compound IIがCDK2に対する阻害活性を低下させることで,CDK4に対する選択性を獲得していることを,よく説明している.

<結論>

CDK4 mimic CDK2は,CDK2のATP結合ポケットのアミノ酸残基をCDK4のものに変異させた変異体である.このCDK4 mimic CDK2はCDK4特異的な化合物の開発に対して,有用な情報を与えるものであった.この,CDK4 mimic CDK2は,Sf9でwild-typeと同様によく発現し,高純度にまで精製を行うことができ,X線構造解析を行うのに,充分良質な結晶を与えることができた.

特異性のないCDK阻害剤とwild-type CDK2の複合体,およびCDK4 mimic CDK2との複合体,それぞれの複合体の結晶構造を比較することで,CDK4には余分なスペースが存在し,化合物の大きな置換基を許容することがわかった.これらの発見に基づいて,compound IIを代表とする,CDK4選択的な化合物を合成することができた.実際,compound II/CDK4 mimic CDK2複合体の結晶構造解析により,compound IIはCDK4のATP結合ポケットによくあてはまっていることがわかった.しかしながら,CDK4での余分なスペースの部分は,CDK2ではかさ高い側鎖がきており,compound IIがCDK2の中で結合できないようになっていた.これは,compound IIのCDK4選択性をよく説明している.結論として,CDK2とCDK4 mimic CDK2の結晶構造の比較は,CDK4選択的な阻害剤の開発に効果的であったことがわかった.このアプローチは,さらに改良された性質をもつ次世代のCDK4選択的な阻害剤の開発にも,有用となるであろう.

現在までに知られているkinaseの阻害剤は全てATP結合ポケットをターゲットとしている.現在までは,特異的CDK4阻害剤の開発は,ATP結合ポケットが様々なkinaseの間で類似しているので,困難だと考えられてきた.しかしながら,様々なkinase阻害剤とkinaseの複合体の構造が明らかになり,その結合様式の情報が特異的なkinase阻害剤を開発するのに助けとなることがわかってきた.今後,ハイスループットスクリーニングやコンビナトリアルケミストリー,モデリングなどの技術と組み合わせることで,最適な化合物をデザインしていくのが可能になっていく,と期待される.

今後,本当の意味で‘抗ガン剤'の開発を行うには,阻害剤はin vitroばかりではなく,in vivoでも,阻害活性をもつ必要がある.compound IIについて,ガン由来の細胞種をもちいて,細胞での阻害活性を測定した.その結果,compound IIは25μMの濃度においても,細胞増殖を抑えないことがわかった.compound IIは細胞に浸透できないのが,その原因の1つとして考えられる.いずれにせよ,compound IIのさらなる改良を行い,培養細胞や動物モデルでも阻害活性をもつ化合物を開発しなければならないが,その誘導化の方向性を決めるのにも構造情報は有用であり,これについての研究は現在進行中である.

最後に,CDK以外の他のケースに対しても,同様なアプローチ,つまり,結晶化が困難なために構造決定ができないタンパク質に対して,ホモロジーが高く結晶化が可能なタンパク質の変異体を作製するという手法は,リガンドの結合様式についての情報を得る目的のために利用できるだろうと考えられる.

<Reference>

Ikuta, M., Nishimura, S. et al. J. Biol. Chem. (2001) 276, 27548-27554.

Honma, I., Ikuta, M., Nishimura, S., Morishima, H. et al. (2001)J. Med.Chem. 44, 4615-4627

Honma, T., Ikuta, M., Nishimura, S., Morishima, H. et al. (2001)J. Med.Chem. 44, 4628-4640

図1 compound I/wild-type CDK2の全体構造

図2 compound Iのwild-type CDK2における結合様式

図3 compound I/wi1d-type CDK2とcompound I/CDK4 mimic CDK2の構造の比較

図4 compound II/CDK4 mimic CDK2複合体の結晶構造

図5 compound I/wild-type CDK2とcompound II/CDK4 mimic CDK2の構造の比較

審査要旨 要旨を表示する

 p16INK4A-CDK4,6-cyclin D-RBの経路の変異は,ヒトの半数以上のガンで見出されている.よって,CDK4は新規の抗ガン剤の開発に,魅力的なターゲットとなっている.しかしながら,CDK4以外のkinaseに阻害活性をもたないCDK4特異的な阻害剤を開発することは困難である.特に,CDKファミリーは高い構造の相同性を持つため,CDK2などのCDKファミリー内で選択性を出すのは,困難である.本論文では,タンパク質の立体構造を利用したCDK4特異的インヒビター開発に関する研究を行っている.

 第2章では研究の結果と考察について述べている.論文提出者は,CDKインヒビターのリード化合物であるcompound I/wild-type CDK2複合体の結晶構造解析を行っている.その結果,compound IはCDK2のLeu83の主鎖との間に水素結合を形成しており,tricyclic amine,ピリジン環については,CDK2のアミノ酸残基と疎水相互作用をしていることが明らかになった.

CDK4特異的なインヒビターの開発にはCDK4の構造情報が必要であった.論文提出者は,CDK4の3次元構造情報を得るために,CDK2の.ATP結合ポケット内をCDK4型に改変したCDK4 mimic CDK2の系の構築を行っている.論文提出者は構築した系を用いてcompound I/CDK4 mimic CDK2複合体の結晶構造解析を行い,CDK4の構造情報を得ている.ところで,CDK4特異的なインヒビターを見出すには,CDK4とCDK2の構造の差異を同定する必要があった.そこで,論文提出者は,CDK4 mimic CDK2とwild-type CDK2のATP結合ポケットの構造の比較を行っている.その結果CDK4とCDK2の構造の最も特徴的な違いは,残基89(CDK2:Lys,CDK4:Thr)の側鎖の大きさの違いにより,CDK4にはCDK2に比較して余分なスペースが存在していたことであった.以上より,CDK4の余分なスペースに結合するような大きな置換基をもった阻害剤は,CDK4には結合できるが,CDK2のATPポケット内で許容されないと予想された.以上の考察に基づき,compound Iに大きな置換基を導入したような化合物がデザインされた,その結果,compound IIを代表とするような,CDK4選択的な阻害剤の合成に成功することができた.

また,論文提出者は,以上の方法で見出されたcompound IIのCDK4に対する選択性を,in vitro酵素アッセイにより調べている.その結果,compound Iは,CDK4,CDK6,CDK2,cdc2を同等に抑制しているのに対して,compound IIはCDK4,CDK6を特異的に抑制しており,CDK2やcdc2とは選択性が100倍以上あることが示されている.

また,論文提出者は,compound IIに導入した置換基が実際にCDK4のATP結合ポケットの余分なスペースに結合しているかどうかを考察するために,compound II/CDK4 mimic CDK2複合体の結晶構造を決定している.さらに,CDK4阻害剤デザインの方向性が正当であったかを確認するために,compound II/CDK4 mimic CDK2の構造とcompound I/wild-typeCDK2の構造を比較し,compound IIに導入した置換基がCDK2の中でどのような位置を占めているかについての考察を行っている.その結果,compound IIはCDK4 mimic CDK2の余分なスペースにあてはまっているが,wild-type CDK2においては,Lys89の側鎖が立体障害となっていることを明らかにしている.このことは,compound IIがCDK2に対する阻害活性を低下させることで,CDK4に対する選択性を獲得していることを,よく説明していた.

論文提出者は,CDK2とCDK4 mimic CDK2の結晶構造の比較は,CDK4選択的な阻害剤の開発に効果的であったことが明らかになり,また,このアプローチは,さらに改良された性質をもつ次世代のCDK4選択的な阻害剤の開発にも,有用となることを結論づけている.

 なお,本論文は,万有製薬つくば研究所の西村暹つくば研究所所長,鎌田健司博士,深澤和臣氏,本間光貴博士,町田卓充氏,平井洋博士,高橋郁子博士,端山俊博士との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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