学位論文要旨



No 215510
著者(漢字) 八尾,泰子
著者(英字)
著者(カナ) ヤオ,ヤスコ
標題(和) 新溶成ケイ酸カリ肥料の構造、溶解、植物によるカリウム吸収特性の研究
標題(洋)
報告番号 215510
報告番号 乙15510
学位授与日 2002.12.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15510号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 助教授 山岸,順子
 東京大学 助教授 林,浩昭
内容要旨 要旨を表示する

 近年、環境保全型農業が推進される中で、安全で高機能を有した化学肥料の役割は大きい。緩効性肥料は、植物の吸収効率の改善や溶脱の抑制によって利用率を向上させる肥料であり、散布の回数を少なくするのみならず、環境保全型肥料として注目されている。

 一方、製鉄工程で発生するスラグは多くの有用成分を含有する。製鋼工程で溶銑からケイ素を除く処理で発生する脱珪スラグは、水稲の植物体を強くし病気や害虫への抵抗性を向上させるケイ酸を約0.5kgkg-1含んでいる。脱珪スラグにカリウム原料を添加して緩効性のケイ酸カリ肥料を製造するという試みは、スラグ中のケイ酸の有効利用という点からも、環境保全型の緩効性肥料を製造するという点からも意義は大きい。

 本研究では、脱珪スラグを原料とした新しい溶成ケイ酸カリ肥料の構造、溶解特性、ならびに植物によるカリウム吸収特性を明らかにした。肥料公定分析法ではク溶性(0.2gL-1クエン酸可溶)カリウムや水溶性カリウムを定義して分析値が肥効を反映するようにしているが、緩効性カリウムの評価方法は定まっていない。肥料公定分析とともに長期溶解試験や植物による吸収試験を実施し、溶成ケイ酸カリ肥料が含有する緩効性カリウムの有効性について評価した。

 溶成ケイ酸カリ肥料は、製鉄工程において脱珪スラグに炭酸カリウムを添加し、溶銑の熱を利用して1400℃の融合処理で試作した。溶融物を冷却固化させた後に粉砕して試作溶成ケイ酸カリ肥料4種を得た。肥料公定分析法で分析した結果、ク溶性カリウムが189〜234gkg-1、可溶性(0.5molL-1塩酸可溶)ケイ酸が258〜356gkg-1とほぼケイ酸カリ肥料の肥料公定規格を満たした。水溶性カリウムは30〜82gkgヨであった。溶成ケイ酸カリ肥料を用いた白菜、つけな、水稲の栽培試験では、速効性のカリウム塩や市販ケイ酸カリ肥料と同等の肥効を確認し、脱珪スラグを原料とした溶成ケイ酸カリ肥料はカリ肥料ならびにケイ酸肥料の両方から有効であることが明らかにした。

 次に、溶成ケイ酸カリ肥料の主要鉱物を決定した。今までに報告のない鉱物の存在を示す強いX線回折ピークが認められたため、試薬の炭酸カリウム、炭酸カルシウムおよび二酸化ケイ素を種々のK2O:CaO:SiO2モル比に混合して合成し、この未知の化合物はK2Ca2Si2O7であることを初めて明らかにした。K2Ca2Si207は、K2O/Sio2モル比0.5のK2O-CaO-SiO2系の反応物でCaO/SiO2モル比が1の時に生成量が最大になり、カリウムのク溶率(全カリウムに対するク溶性カリウムの割合)、水溶率(全カリウムに対する水溶性カリウムの割合)、およびケイ酸の可溶率(全ケイ酸に対する可溶性ケイ酸の割合)がそれぞれ98.6、10.1および49.3%のク溶性化合物であった。

 しかしながら、CaO/SiO2モル比が1.0付近のスラグでは、K20/Sio2モル比が0.4付近でカリウムの水溶率が17%と最低になる。これは、スラグ成分にはカルシウムとケイ酸以外にマグネシウムやマンガンを含有するため、主要鉱物の生成と溶解特性に影響を及ぼしたと考えられる。K2Ca2Si207中のカルシウムの代わりにマグネシウムを加えると、あらたに水溶性のK2MgSiO、を生成するため、カリウムの水溶率はマグネシウムの量の増加とともに増加した。一方、マンガンはK2Ca2Si207中のカルシウムの10%程度までが置換した固溶体を形成するため、カリウムの水溶率はマグネシウム添加の場合に比べて増加しなかった。

 以上の結果より、溶成ケイ酸カリ肥料はK2Ca2Si207を主要鉱物として含有するために成分がク溶性になると考えられた。試作肥料はK2ca2si207以外にK2Mgsio4に鉄やマンガンが固溶した結晶性化合物K2(Mg,Mn,Fe)SiO4を含有し、溶解特性の異なるこれらの鉱物の含有割合が肥料の溶解特性を決定した。また、非晶質が多くなると水には溶解しにくく、クエン酸に溶解しやすい傾向を示した。

 次に、溶成ケイ酸カリ肥料の溶解特性と肥効を検討した。溶成ケイ酸カリ肥料は、水中においても土壌中においても硫酸カリウムなどの速効性カリウムと比べて水への溶出が少なく、肥料成分を長期間維持された。水溶性カリウムの高い溶成ケイ酸カリ肥料は水やクエン酸アンモニウムに溶解しやすいが、速効性のカリウム塩とは全く異なる溶解特性を示し緩やかに溶出した。白菜の珪砂栽培試験では、水溶性カリウムが高い溶成ケイ酸カリ肥料区で生育が優れ、水溶性カリウムが水やクエン酸アンモニウムヘの溶解特性に重要であり、またクエン酸アンモニウムヘの溶解特性は植物のカリウム吸収量さらには乾燥重量に影響を与えた。これより、土壌由来のカリウムが存在しない条件では、水溶性カリウムは植物のカリウム吸収に必要と考えられる。一方、土壌由来のカリウム存在下でのコマツナの栽培試験では、溶成ケイ酸カリ肥料区では硫酸カリウムでみられたカリウムのぜいたく吸収を抑制し、緩効性カリウムが作物に効率的に吸収されて生育を促進した。また、水溶性カリウムが低い肥料でも高い肥料と同等の生育が確認されており、土壌中に交換性カリウムが存在する場合は溶成ケイ酸カリ肥料中の水溶性カリウムが低くても緩効性カリウムが植物に有効に利用されると考えられる。

 そこで、溶成ケイ酸カリ肥料のク溶性を決定しているK,Ca,Si207の植物による吸収の経過について、ルビジウムをカリウムのトレーサーとした白菜栽培試験で検討した。試薬から合成した肥料は、ルビジウムがカリウムの位置に固溶した(K,Rb)2Ca2Si207であり、ルビジウムの有無にかかわらず溶解特性は同じであった。また、白菜の珪砂栽培試験からルビジウムの存在は植物の生育や肥料成分の吸収に影響を与えず、また(K,Rb),Ca,Si2O7として施肥したカリウムとルビジウムのモル比に対応して、植物によりカリウムとルビジウムが吸収された。以上の結果より、ルビジウムをカリウムのトレーサーとしたK,Ca,Si2O7の植物による吸収を追跡する試験系が確立されたので、土壌由来のカリウムの存在下でK,Ca,Si2O7を施肥した白菜栽培試験を4連作で実施した。

 1回目の栽培では各試験区で白菜の生育に差は認められなかったが、2回目以降無カリウム区ではカリウム施肥区より葉部乾燥重量が低くなった。カリウム以外の成分の吸収はカリウム施用区と差がなかったため、カリウムが生育抑制の原因と考えられる。カリウム施肥区間では硫酸カリウムとK2Ca2Si2O7間の差はなかった。

 次に、ルビジウムトレーサー法で肥料カリウムの吸収量を求めると、1回目の栽培では吸収したカリウムの約40%が肥料由来で約60%が土壌由来であった。2回目は肥料の利用率が約70%に高まり、3,4回目は吸収したカリウムの全量が肥料由来であった。各試験区とも4回目の栽培終了時に土壌中の交換性カリウムは残存しており、土壌中に交換性カリウムが存在していても、K2Ca,Si2O7中のカリウムは速効性のカリウム塩と同様に植物に利用されることが明らかになった。

 4回の栽培で肥料のカリウムが白菜に吸収された割合は、硫酸カリウム+塩化ルビジウム施用区が64%、カリウムの水溶率が高い合成肥料が76%、カリウムの水溶率が低い合成肥料が81%であった。ルビジウムトレーサー法と差し引き法との比較から、肥料中のカリウムが一旦溶出するとニヒ壌中のカリウムとの置換が起こり、土壌中のカリウムプールから植物に吸収されることを明らかにしたが、カリウムの水溶率が低い肥料は水に溶出しないために土壌中カリウムとの置換が起こりにくく、その結果として肥料の吸収割合が高くなると考えられた。つまり、植物の根が肥料近傍に伸びてきて、溶成ケイ酸カリ肥料の成分が植物の根に直接吸収されることが明らかになった。

 鉄鋼スラグを原料とした新しい溶成ケイ酸カリ肥料は、2000年1月に農林水産省があらたに肥料取締法に基づく肥料公定規格「熔成けい酸加里肥料」として承認した。新溶成ケイ酸カリ肥料が含むク溶性カリウムは、水溶性塩などの速効性カリウムと異なり緩やかな溶解特性を示すが、難溶性のカリウムとも異なり弱酸にはもちろん水にも時間をかければ溶解することが確認された。さらに、新溶成ケイ酸カリ肥料を土壌に施肥すれば土壌由来のカリウム存在下でも植物によって直接吸収され、速効性カリウムと同様にカリウムを供給することが明らかになった。以上の結果より、新溶成ケイ酸カリ肥料は、植物に必要なカリウムを十分にかつ持続して供給する新しい機能を有した緩効性カリ肥料である。

審査要旨 要旨を表示する

 論文の第1章では研究の背景、目的、戦略が述べられている。溶成ケイ酸カリ肥料が、製鉄工程で大量に発生する鉄鋼スラグとカリウム原料を反応させる製造法で作られ、そのカリウム(K)成分が土壌中で徐々に放出され、肥料効果が長期間持続することが圃場実験から推定されている。しかしながら、溶成ケイ酸カリ肥料に含まれるKの溶出機構は明らかではない。この溶成ケイ酸カリ肥料を構成する主要K化合物を同定し、その溶解機構を解明した。また、溶成ケイ酸カリ肥料のKが、Kを多く含んでいる土壌中で植物によりどのように吸収されているかをルビジウム(Rb)をKのトレーサーとして追跡し検証した。

 第2章では、溶成ケイ酸カリ肥料に含まれる主要鉱物の構造決定をおこなった。溶成ケイ酸カリ肥料のX線回折ピークから同定プログラムを用いて検索した結果、当初既報のケイ酸カルシウムカリウム(K2casio4)と推定した。しかしながら、X線回折ピークにはK2CaSiO4以外のピークが多く存在し、これらの未同定のピークは如何なる化合物の回折ピークとも一致しなかった。化合物の組成を明らかにするために、K-Ca-Si系化合物を合成した。K:Ca:Siモル比が1:1:1の化合物K2Ca2Si2O7は、2θ=3.16に最強X線回折ピークを持ち、無定形の化合物と考えられるハローやバックグラウンドが小さかった。走査型電子顕微鏡(SEM)観察では、粒子表面が平滑で均一な結晶相と考えられる反射電子像が得られた。これらからK:Ca:Siモル比が1:1:1の化合物K2Ca2Si207は単一な結晶化合物であることを示しており、これまでに報告のない新規な化合物であった。

 一方、既報のK:Ca:Siモル比が2:1:1の化合物K2CaSiO4も解析した。X線回折ピークはK2CO3とK2Ca2Si2O7のピークに一致した。また、SEM観察では、K、CaSiO4の表面に微細な凹凸が観察され、均一な結晶相とは考えられなかった。これらの結果からK2CaSiO4は単一な結晶化合物でなく、K2Ca2Si2O7とK2Co3の混合物であると推定できた。よって、溶成ケイ酸カリ肥料の主要鉱物は、既報のK2casio4ではなく、新規化合物K2ca2si207と同定した。

 第3章では、溶成ケイ酸カリ肥料の溶解特性を解析した。新しく溶成ケイ酸カリ肥料の主要鉱物と同定したK2Ca2Si2O7は、全Kに対する0.2gL-1クエン酸可溶性K(60分溶出)の割合は98.6%、水溶性K(30分溶出)の割合は10.1%であった。これから、K2Ca2Si2O7の水中での溶出は、初期の速い溶出とそれに続く緩やかな溶出(クエン酸ではじめて溶出)に分けられた。粒子表層のKは水中の水素イオンと直ちに交換され溶出する。粒子表層のKが溶出した後にSi-O-Si網目構造の崩壊が起こり、Siが溶出する。溶出したSiが水素イオンと結合したH4SiO4やH6Si2O7は脱水されてポリケイ酸になる。このため、粒子内部のKの溶出速度は遅くなり、このKが緩効性を示すと考えられた。

 第4章では、Kの一部をRbで代替えして溶成ケイ酸カリ肥料の主要鉱物K2Ca2Si2O7を合成して、Rbトレーサー法により植物による吸収を追跡した。白菜を黒ボク土(Kを含む)で栽培した実験において、Rbトレーサー法で求めた合成溶成ケイ酸カリ肥料由来のKの白菜による吸収量は、肥料が含有する水溶性K量を超えており、白菜が溶成ケイ酸カリ肥料に含まれる水に溶けにくいKをも利用していることを示していた。この肥料由来のKの利用率は、合成溶成ケイ酸カリ肥料を施用した区の方が水溶性K塩を施用した区より高かった。この結果は、肥料中のKの一部は土壌のKと交換されずに直接植物によって吸収されている可能性を示した。

 第5章では、本研究で発見された新規化合物K2Ca2Si207を含む溶性ケイ酸カリ肥料の溶解性の制御を中心に総合考察をおこない、肥料開発の展望が述べられている。

 以上、本論文は、溶成ケイ酸カリ肥料に含まれる主要鉱物が新規の化合物K2Ca2Si207であることを発見し、この化合物の性質から、2段階溶解の機構を推定、さらにRbトレーサー法によって土壌から本肥料由来のKの植物による吸収を明らかにしたもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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