学位論文要旨



No 215520
著者(漢字) 小山,玉野
著者(英字)
著者(カナ) オヤマ,タマノ
標題(和) Semantic Differential Technique(SD法)を用いた老人病院入院患者の日々の暮しのイメージ把握に関する研究
標題(洋)
報告番号 215520
報告番号 乙15520
学位授与日 2002.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第15520号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 助教授 萱間,真美
内容要旨 要旨を表示する

I.緒言

 わが国では高齢者(65歳以上)人口の増加に伴ない、平成10年には、ケアやキュアを受けながら暮らす高齢者は施設で約72万人、在宅の虚弱高齢者をあわせると170余万人(65歳以上人口の8.3%)となっている(平成12年高齢社会白書)。日々のケアやキュアの受け手である高齢者が置かれたところで、どのような気持ちで暮しているかを把握することは、高齢者への保健・医療・福祉の施策やそのQOLを考える上で大切である。そして高齢者のQOL、幸福感や生活満足度などに関する優れた測定方法もいくつか開発されている。高齢になると保存性記憶力の低下、文章の読解や記述への抵抗感、複雑な思惟への拒否などを生じ易い。また感情は良く保たれていて自己への関心はあるが、明確な態度をしめさなかったり、自分の気持ちを表明出来ないことがある。場合によっては自分の立場を勘案して、有利なように答えたり、感じていることを抑圧したり、状況を黙認するなどがみられる。そのような高齢者に対して、その置かれている状況を反映した、言葉に表明出来ないものも含めた率直な気持ちを把握することを目的とした測定法は殆どみられない。そこで、Semantic Diffrential Technique(以下SD法)という高齢者にも比較的負担の少ない心理的測定法を用いることによって、表明されないものも含めた率直な気持ちを把握し得るかどうか、老人病院入院患者に適用を試みた。

 SD法は、相反する意味の形容詞を両端に配し、その間を副詞で意味の程度分けするように目盛った尺度の群を用いて、提示する言葉(概念:コンセプト)の意味やイメージを捉えようとするもので、直感的な応答を求める評定法である。SD法のこのような特性は高齢者にとって受け入れられ易いものと思われる。また具体的、現実的な回答を要求するものではないため操作的バイアスは少ないと期待される。

II.方法

1.対象

 調査対象者(以下対象者)は清水市の特例許可老人病院(401床)介護力強化病棟の入院患者115名(男性40名、女性75名、年齢50〜96歳、平均年齢76.8歳)で、医師が許可し、看護婦長が面接可能と判断した者である。

2.調査方法

 病室以外の個室で個人面接をした。大学研究生と大学教員の2名が面接に専従した。1面接は平均1時間で、1995年7月より約1年間であった。これらの調査は病院を良くする目的で行い、調査者は聞き得たことを当該病院に告げることはなく、対象者に迷惑のかかることは一切無く、データは全て統計処理されることを伝え、口頭で同意を得た。

3.調査項目及び調査順序

 以下の5項目を降順に実施した。1)Vital Signの測定:体温、脈拍及び血圧測定と調査中の反応、表情、態度の観察をした。2)属性調査:カルテの転記と、対象者本人または看護婦から補遺の聴取をした。3)SD法:提示するコンセプトは「いまの自分のことをどう思っているか:self image(以下SI)」、「この病院での暮しをどう思っているか:hospital image(以下HI)」の2個とした。34尺度を用い、1尺度は7段階構成とした。深く考えず直感的に答えるよう要請した。4)Cornell Medical Index(以下CMI):深町の判別基準分類を使用した。5)Visual Analogue Scale(以下VAS):SD法の様式にあわせて、最も幸せ(+100%)を左端に、最も不幸(-100%)を右端に配した200mmの横線をおき、中央点を0とした。

4.統計処理

 分析対象は痴呆病棟からの10名と入院日数5日未満の11名を除いた94名(男性31名、女性63名)とした。統計解析にはパソコン版(Windows用)SPSS ver.8.0、SAS release 8.2を使用した。2面接者の調査データは差がみられなかったので一括使用した。

 SD法:情緒的意味次元の析出は、全尺度に欠損値のないSI84名分、HI83名分を用いて、因子分析をした。因子分析は主因子法を用いた。重相関係数の平方を初期値として反復推定し、回転にはバリマックス法を用いた。因子数は固有値1以上の6以下を比較し、因子成分がそれぞれ10%以上で累積寄与率が50%をこえ、解釈可能性を考慮した4因子を採用した。共通因子0については、最尤法による検定で棄却された。各コンセプトの因子分析結果は大差がなかったので、2コンセプトを合せて因子分析したものを用いた。因子負荷量0.50以上の尺度を代表尺度とし、その評定値を因子毎に単純平均したものをSD得点として諸要因間の比較をした。諸要因商の比較は各対応あるサンプルについてt検定を行い、P<0.05を有意とした。SD法調査データの再現性については、1〜2ヵ月後に同じ調査票を用いて得られた9名分のデータと比較した。

 CMI:深町の判別基準分類による正常と準正常、準神経症と神経症をそれぞれ併せて2群としてデータとした。

 VAS:右端-100%からの実測値に100を加え、2で除したものを用い、各因子のSD得点とのPearsonの積率相関係数を求めた。

III.結果

 Vital SignとSD法実施への対象者の反応については体温、脈拍及び血圧の測定値、体調の異常者はなかった。客観的な測定はしなかったが、SD法の調査に不快感、低抗感、理解不能、疲労感、拒否、放棄などは認められず、順調に実施された。

 基本的属性として、女性、77歳以上群、一人暮らし、循環器系と筋骨格系の疾患、介護に関わる理由の入院が多かった。全国平均に比べて在院日数が長かった。

 SD法における尺度の回答分布は高得点側に偏り、病院生活概念(HI)では最高点側(7点)に、自己概念(SI)は2番目の高点側(6点)に多く分布していた。因子分析による各因子はその構成尺度の意味から、第1因子を主体特性、第2因子を活動性、第3因子を機能性、第4因子を人間関係性と命名した。Cronbachのα係数、及びSD得点(標準偏差、以下sd)は第1因子:0.92、5.25(sd 1.12)、第2因子:0.89、4.65(sd 1.20)、第3因子:0.86、5.15

(sd 1.15)、第4因子:0.83、5.19(sd 1.17)であった。SD得点は全因子でSI<HIとなり、SIでは第1因子が、HIは第4因子が最も高かった。第2因子はSI、HIともに最低で、他因子と有意差があった。女性、77歳以上群、ADLのよいもの、在院日数の長期群でSD得点が高い傾向にあった。SD法適用の1回目と2回目のSD得点に差は認めなかった。

 CMI調査について、深町の判別基準分類の正常と準正常を併せた群、準神経症と神経症を併せた群のSD得点は全て前者が有意に高く、属性についての差はなかった。

 VASでは、尺度平均値は58.7(sd 30.5)で中点より高かった。SI、HIともにとりわけ第1、第2因子に高い相関がみられた。

IV.考察

 高齢者に対してSD法を適用することは、面接時の反応や観察から対象者の理解や対応に困難感、負担感や疲労感、忌避はみられず、用い易いものと考えられた。

 SD法によるSD得点平均5.04(sd 1.05)は中点4より高く、対象者は自己に対しても病院に対しても、総じて良好なイメージを抱いていたと考えられる。SIでは第1因子が高く、自己の置かれている状況に否定的でないと考えられた。このような自己の置かれている状況を否定的に捉えない傾向は、高齢者の一般的な特性であるのか、調査地域の住民性にあるのか、入院生活上での諸要因に拠っているのか、今回の調査では特定できない。HIは全体に高く、とりわけ第4因子が高いことは、入院患者同士及び病院スタッフとの関係がよく保たれていることを表すのかと考えられた。以上の結果は日々の暮しをよいものに捉えていることの反映ではないかと窺えたが、現実に自分自身を置き、養護を受けている処に対して、好意や遠慮、功利的操作が混在しているかどうかについては、今回の調査のみでは判らない。しかし自分の気持ちであるSIのSD得点が、病院での暮しを受け止めた感じであるHIのSD得点より低く、活動性の第2因子がいずれも低いのは本音の気持ちを表しているものと考えられる。また77歳以上群、在院日数での適応期のSD得点が高いことの解釈は、他の調査報告と矛盾していない。更に、女性は男性に対して有意にSD得点が高かったが、これは女性の社会的適応のよさという特性の表れではないかと考えられた。その他、入院の理由や、社会的事情などの、個別的な老人病院への二ーズがSD得点にみられているのではないかと考えられた。

 CMIにおいて、正常と準正常を併せた群と、準神経症と神経症を併せた群のSD得点は前者の群で有意に高かった。このことは対象者自身の捉えている精神的、身体的状況がSD得点に表明されていると考えられた。

 VASとSD得点は、より主観的側面を表すと思われる第1、第2因子に高い相関がみられて妥当な結果と考えられた。

 SD法は提示されたコンセプトのイメージを求める手法として用いられてきたが、今回得られた結果の解釈から、SD法の適用は高齢者にも容易であり、高齢者白身の置かれた状況を反映した、率直な気持ちの把握が可能であると考えられた。

V.結論

 ケアやキュアの受け手である高齢者の、置かれた状況での率直な気持ちの反映を、老人病院入院患者の日々の暮しのイメージとして、SD法で捉える試みをした。SD法は高齢者の特性に合っており、適用に無理はなかった。またSD法による結果は、その他の調査結果や観察と併せて、妥当な解釈が可能であり、直接的に表明されない気持ちも捉え得ると考えられた。更に後続の調査が必要と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、加齢による心身の機能低下や周囲の状況判断からケアの受け手としての本音を充分表明し難い高齢者の率直な気持ちを客観的に把握する手段として、社会学や心理学分野で用いられているSemantic Differential Technique(SD法)が医療や介護の場面で有効であるか。老人病院入院患者に試用したもので、下記の結果を得ている。

1.老人病院入院患者94名(男性31名、女性63名、年齢50〜96歳、平均76.8歳)に対するSD法の適用は、心身の負担感はみられず、対応に理解の難渋や不能、困惑、拒否、放棄などはなく円滑に回答を得た。

2.自分についてのイメージ(SI)と病院の生活についてのイメージ(HI)の2概念(コンセプト)を提示して34尺度で直感的回答をもとめ、点数化した尺度得点から因子分析した。累積因子寄与率52.3%で4因子を析出し、第1因子を主体特性、第2因子を活動性、第3因子を機能性、第4因子を人間関係性と命名した。

3.各因子に所属する尺度の得点平均から算出したSD得点は、2概念ではSIよりHIが高く、2概念とも4因子の中で第2因子が最も低かった。HIにおいて女性のSD得点は全て男性より高く、ADLのよいものでは全因子で、77歳未満群では第1、3因子で、77歳以上群では第1因子で有意差があった。

4.調査対象者らは老人病院という置かれた状況を悪く捉えてはいないが、活き活きとは感じていないと解釈出来た。またADLのよい女性のHIにおけるSD得点が有意に高く、女性は入院生活をよいと思っているだけでなく、女性の入院生活への適応のよさが示唆された。これらの結果の解釈については量的、属性的後続調査による確認が必要であろう。

5.調査対象者全員にCornell Medical Index調査とVisual Analogue Scale調査を併行して用い、結果にSD法との矛盾はみられなかった。また9名についてSD法調査を2回適用し、安定した結果を得た。

 以上、本論文は医療や介護の場面での支援受給者である高齢者の本音の気持ちを心身の負担なく、客観的に把握する適切な手段が見当たらない中で、社会学や心理学分野でイメージ調査に用いられているSD法の導入を試みたものである。SD法の特性に基く方法論は身体的、精神的、社会的に負荷要因の多い高齢者の、直接的に表明し難い部分も含めた気持ちを容易に把握し得ること示し、提供される医療や介護の質の評価、表明され難い要因の探索、それらによる高齢者の医療福祉施策などの検討に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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