学位論文要旨



No 215523
著者(漢字) 今岡,明美
著者(英字)
著者(カナ) イマオカ,アケミ
標題(和) 腸内細菌と腸管免疫系の形成
標題(洋)
報告番号 215523
報告番号 乙15523
学位授与日 2003.01.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15523号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 ヒトや動物の腸管内には数百種以上の細菌が存在しており、互いに共生あるいは拮抗しながら腸内フローラを形成している。腸管には病原菌や外来抗原に対する第一線のバリアーとして、全身系あるいは末梢系の免疫機構とは異なる特性を持った腸管粘膜免疫系が発達している。無菌マウスに常在性腸内フローラを定着させる(通常化する)と、腸管粘膜での生体防御に大きな役割を果たしている腸上皮a間リンパ球(IEL)の増加や細胞傷害活性の獲得、IgA産生の増強が示され、小腸上皮細胞では丁細胞への抗原提示に必要なMHC(主要組織適合抗原)クラスII分子が誘導されるなど、腸内フローラの定着は腸管粘膜免疫系の重要な機能の分化発達に関与していることが示されている。本研究では、多種の細菌により構成される腸内フローラの中のどのような細菌が、どのような機構で腸管免疫系の分化発達に作用しているのかを解析した。マウスをモデルとして、小腸を中心にIELの数、構成および機能、IgA産生、上皮細胞のMHCクラスII分子の発現を指標とし、(1)腸内フローラは直接的に腸管免疫系に作用するのか、(2)腸内フローラの中のどのような細菌種が免疫系の活性化に重要であるのか、また細菌のどのような因子が関与しているのか、(3)腸内フローラの定着効果に宿主特異性はあるのかに注目して解析した。

1.腸内フローラの定着と小腸上皮間リンパ球(IEL)の増殖動態

 無菌マウスの通常化に伴うIELの増殖に関与する機構を明らかにするために、IELの増殖動態をブロモデオキシウリジン(BrdU)の標識実験によって解析した。無菌マウスでは10日間の連続標識により、TCRγδ陽性EL(γδIEL)の約30%、TCRαβ陽性IEL(αβIEL)の約15%がBrdU陽性になった。一方、通常マウスではαβIELの約60%、γδIELの約40%がBrdU陽性となった。胸腺依存性CD8αβ+IELと胸腺非依存性CD8α+β-IELの標識率に差は認められなかった。また、通常化マウスでは1日後に20〜25%のIELが標識され、その後もBrdU標識率は直線的に増加して10日目にはαβIELの約75%、γδIELの約67%がBrdU陽性であった。通常化過程では大部分のIELが速やかに増殖サイクルに入ることが示された。BrdU標識開始後、BrdU陽性IELの出現までのタイムラグが認められず、BrdU標識率は直線的に増加することから、IELはその存在部位である腸上皮間コンパートメントの近傍で分裂増殖している可能性が高いと考えられた。この結果から、腸内フローラの定着に対して、腸管免疫系が局所で速やかに応答していることが強く示唆された。

2.小腸および大腸常在性腸内細菌の腸管免疫系に与える影響

2.1小腸免疫系を活性化する腸内フローラ成分の分画と宿主特異性

 無菌マウスに種々の動物のフローラおよびそれらのクロロホルム耐性(有胞子菌)フローラを定着させた人工菌叢マウスを作製して、腸内フローラの中のどのような細菌種が小腸免疫系の活性化に重要な役割を果たしているのかを解析した。通常化マウスで見られるIEL数の増加、IELの細胞傷害活性および上皮細胞のMHCクラスH分子の発現の誘導が、ヒトフローラを定着させたマウスでは認められなかった。マウスのクロロホルム耐性フローラを定着させた群では、通常化マウスと同様にIELの増加と細胞傷害活性の獲得、上皮細胞のMHCクラスII分子の発現が認められたが、培養可能なマウスクロロホルム耐性菌を定着させた群では同様の変化は見られなかった。ラットおよびヒトのクロロホルム耐性フローラの定着により、IELやMHCクラスII分子の変化は観察されなかった。これらの結果から、マウス小腸免疫系の活性化にはマウス固有の、in vitroでの培養が困難である有胞子菌の定着が深く関与していると考えられた。

2.2セグメント細菌の定着と小腸免疫系の正常化

 マウス小腸免疫系の活性化をもたらす細菌として、上記の条件に合致し、マウス回腸部に定着しているセグメント細菌(segmented filamentous bacteria;SFB)の定着効果に注目した。無菌マウスにSFBを定着させることにより小腸IELの増加、細胞傷害活性の獲得、小腸上皮細胞のMHCクラスII分子の発現、IgA産生の増大が認められた。この結果から、多種の腸内細菌の中のSFBという1種類の細菌の定着により、小腸免疫系が活性化され得ることが示された。SFBの作用機構は不明であるが、SFBの上皮細胞への接着が何らかのシグナルトランスダクションを誘起して上皮細胞の形質が変化し、次いでこの分化した上皮細胞がIELの増殖や活性化、IgA産生の増加などをもたらすという機構が推定される。無菌、SFB単独定着および通常化マウスのαβIELのレパートアを比較すると、Vβの使用頻度に大きな差は認められなかった。したがって、SFBは抗原としてTCRに認識されているのではなく、IL-7、IL-15などのIELの増殖因子の産生を促進し、IEL全体の増殖を誘導している可能性が考えられた。

2.3セグメント細菌の宿主特異性

 SFBは種々の動物の消化管において形態的観察からその存在が認められているが、in vitroでの培養が困難であるために生化学的性状が明らかではない。そこで、F344ラット、カニクイザルおよびBALB/cマウスのSFBの16SrDNA塩基配列を決定し、既に報告されているSEマウス、WUラットおよびニワトリ由来の配列と比較すると、これら6種のSFBは既知の細菌とは独立した菌属に分類されることが示された。また、同種の宿主に由来するSFBの塩基配列の相同性は非常に高いので同一の種に分類されるが、異種の宿主に由来するSFBの相同性は低く、異種の細菌に分類されると考えられた。これは、SFBの宿主への定着性に対応した結果であった。腸内フローラの定着と小腸免疫系の正常化に関する宿主特異性は、動物種に特徴的なフローラ構成によるものではなく、SFBの宿主特異性によるところが大きいと考えられる。SFBの16SrDNA塩基配列をもとに系統分類を行うと、基本的には宿主動物の系統に一致した系統樹が作製されることから、宿主はSFBの生育に適した環境を提供し、SFBは宿主形質の正常化をもたらし、両者は相互に作用しながら共に進化してきたと推定された。

2.4小腸および大腸常在性細菌の腸管免疫系への作用

 小腸と大腸のフローラがそれぞれの部位の免疫系の活性化にどのように影響しているかを明らかにするために、小腸常在菌としてSFBを、大腸常在菌としてclostridiaを選択し、それぞれの単独定着マウスおよび両者の混合定着マウスを作製して、その形質を解析した。常在性腸内細菌の定着効果は小腸と大腸では明らかな違いが認められ、主に通常環境下での腸内細菌の定着部位に対応して免疫系に影響を及ぼしていると考えられた。免疫系を活性化する因子としては小腸では上皮細胞への細菌の接着、大腸では細菌の代謝産物が有力な候補と言えるであろう。また小腸IELのCD8αβ、CD8ααの比率を指標とすると、小腸常在菌であるSFBの小腸への作用を大腸常在菌であるclostridiaが補完していると考えられた。SFBとclostridiaの定着によって小腸および大腸の免疫系はほぼ通常マウスと同等に活性化されていたことから、マウスにおいては'SFB+clostridia‘が免疫系を活性化する最小限のフローラ構成であると考えられた。SFB、clostridiaともに有胞子菌であり、2.1で述べたクロロホルム耐性フローラの構成が単純化されたといえる。このフローラ構成は腸内フローラの腸管免疫系への作用機構を明らかにするうえで重要な基盤となると考えられる。

3.ヒト消化管モデルマウスの作製

 これまでにノトバイオートマウスの解析で明らかになった腸内細菌の定着効果と宿主特異性に基づき、‘SFB+clostridia'定着マウスのclostridiaをヒトフローラに置き換えたマウス(HF-SFBマウス)を新規ヒトフローラマウスとして作製した。このマウスの小腸および大腸の免疫系の形質は通常マウスとほぼ同じであった。HFマウスの小腸免疫系の形質が無菌マウスと同様であることを考慮すると、HF-SFBマウスは腸管免疫系が正常化されている点で、より有用なヒト消化管モデルマウスであると考えられた。また、腸管免疫系の正常化に関するclostridiaの定着効果はヒトフローラの定着効果に置き換えることが可能であり、大腸免疫系の活性化に関与する細菌の宿主特異性は弱いことが示唆された。HF-SFBマウスではヒト腸内フローラ≧正常状態の生体の応答との両面の解析が可能であることから、プロ/プレバイオティクスのように腸内フローラの改善を介して宿主に影響を与える物質の効果検証に有用なモデルシステムになり得ると考えられた。

 以上のように、腸内フローラの中でマウスの腸管免疫系の活性化に密接に関与する最小限の構成を明らかにし、その作用機構について考察した。腸管免疫系の正常化に関与する腸内細菌の作用機構は現時点では推測の域を出ないが、今後は、この最小フローラ構成を基盤とし、腸管粘膜免疫系の誘導・制御機構の研究の進展と相俟って、腸内フローラと宿主との関係がさらに解明されていくものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 ヒトや動物の腸管内には数百種の細菌が存在しており、互いに共生あるいは拮抗しながら腸内フローラを形成している。無菌動物と通常動物を比較すると、腸内フローラの定着は腸管粘膜での生体防御に大きな役割を果たしている腸粘膜免疫系の発達分化に影響を与えていることが認められる。本研究では、多種の細菌により構成される腸内フローラの中のどのような細菌が、どのような機構で腸管免疫系の発達分化に作用しているのかを解析した。マウスをモデルとして、小腸を中心に腸上皮間リンパ球(IEL)の数、構成および細胞傷害活性、IgA産生、上皮細胞の顧CクラスII分子の発現を指標とし、(1)腸内フローラは直接的に腸管免疫系に作用するのか、(2)腸内フローラの中のどのような細菌種が免疫系の活性化に重要であるのか、(3)腸内フローラの定着効果に宿主特異性はあるのかに注目した。本論文は緒言および3章よりなる。

 緒言に続く第1章では、無菌マウスに通常マウスフローラを定着させた(通常化)後のIELの増殖動態をブロモデオキシウリジン(BrdU)の標識実験によって解析した。通常化過程では大部分のIELが速やかに増殖サイクルに入ることを明らかにし、また、BrdU標識率は標識開始直後から直線的に増加することから、IELは腸粘膜あるいはその近傍で分裂増殖している可能性が高いことを示した。この結果から、腸内フローラの定着に対して腸管免疫系が局所で速やかに応答していること、IELは腸内フローラの定着効果を解析するために有効な指標となることが示された。

 第2章においては、無菌マウスにマウス、ヒト、ラットのフローラおよびそれらのクロロホルム耐性(有胞子菌)フローラを定着させた人工菌叢マウスの小腸形質を比較し、マウス固有の有胞子菌の定着によって小腸IELの増加、細胞傷害活性の発現、上皮細胞の1皿CクラスII分子の発現、IgA産生の増大が認められることを示した。次に、マウス回腸部に定着している有胞子菌であるセグメント細菌(segmented filamentous bacteria;SFB)という1種類の細菌を無菌マウスに定着させることによって、上記のような小腸粘膜の免疫学的形質が通常マウスタイプへ変換されることが明らかとなった。また、F344ラット、カニクイザルおよびBALB/cマウスのSFBの16SrDNA塩基配列を決定し、既に報告されているSEマウス、WUラットおよびニワトリ由来の配列と比較して、同種の宿主に由来するSFBの塩基配列の相同性は非常に高く、異種の宿主に由来するSFBの相同性は低いことを明らかにした。これらの結果から、小腸免疫系の発達に対してはSFBの定着が宿主特異的に大きな影響を与えていると考えられた。さらに、小腸に定着しているSFBに加えて、マウス大腸常在菌であるclostridiaを追加定着させたノトバイオートマウスでは、小腸および大腸粘膜の免疫学的形質が通常マウスとほぼ同等に変換されていた。これらの常在性腸内細菌の定着効果は小腸と大腸では明らかな違いが認められ、腸内細菌の定着部位に対応して免疫系に影響を及ぼしていることが示唆された。マウスにおいては‘SFB+clostridia'が腸管免疫系の正常な発達分化をもたらす最小限のフローラ構成であり、このフローラ構成は腸内フローラの腸管免疫系への作用機構を明らかにするうえで重要な基盤となることを示した。

 第3章では‘SFB+clostridia'マウスのclostridiaをヒトフローラに置き換えたマウス(HF-SFB)においても腸粘膜免疫系の形質が通常マウスタイプへ変換されていたことから、clostridiaの定着効果の宿主特異性は小さいことを示した。HF-SFBマウスは腸内細菌の定着効果と宿主特異性を基に作製されたヒトフローラ定着マウスであり、腸内フローラの変化とそれに対応した生体の応答との両面の解析に有用なヒト消化管モデルマウスの確立の可能性が示された。

 以上、本論文はマウスの腸管免疫系の正常な発達分化に密接に関与する腸内フローラ構成とその宿主特異性を明らかにしたものであり、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の削立論文として価値あるものと認めた。

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