学位論文要旨



No 215524
著者(漢字) 小林,敏也
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,トシヤ
標題(和) 腸管免疫を修飾する因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 215524
報告番号 乙15524
学位授与日 2003.01.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15524号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 人間は古来より微生物を利用あるいは微生物と共生する一方で、歴史が物語る疫病の流行が示すように微生物と数々の壮絶な戦いを繰り返してきた。その壮絶な戦いを通して、人間は様々な医療技術を発展させてきた。その甲斐あって、今日では短期間で多くの人間の命を奪う伝染病の流行はほとんど見られなくなり、天然痘のようにこの世の中から撲滅されたものもある。そして先進国では平均寿命が年々延長し、日本人の平均寿命は男女とも世界のトップにまでなっている。しかしながら、高度医療の発展の結果、高齢化が進み、また放射線照射、抗癌剤投与等の医療技術の副作用により、免疫機能の低下した集団が新たに創生され、そのような集団においては、通常、免疫機能が正常に働いているときには無害であった細菌やウイルスが体内に侵入して感染症を引き起こす、日和見感染という新たな問題が生じている。この日和見感染は近年、人間を恐怖に陥れた後天性免疫不全症侯群(AIDS)において直接の死因となることからも問題となっている。一方、発展途上国においては、予防接種率の低さ、衛生環境整備の遅れ等から依然として、毎年何万人にも及ぶ命、特に乳幼児の命が細菌やウイルスなどの微生物による感染症で奪われている。この日和見感染症を含む感染症の原因となる細菌やウイルスの侵入門戸は、ほとんどが気管や消化管表面の粘膜である。この侵入門戸である粘膜での侵入阻止が、これら感染症の防止には重要である。もちろん侵入後の外来微生物の殺傷、除去も重要であり、今までの医療はこの侵入後の対策、すなわち感染症発症後の治療が中心であった。ところが昨今の人々の健康に対する意識の高揚は、人々の関心を治療よりは予防に向けさせることになり、感染症の対策についても侵入後よりは侵入前の粘膜面での侵入の阻止、つまりは粘膜面での防御能の維持、亢進に注目が集まっている。そこで本論文では粘膜面、特に腸管での防御能を修飾、上昇させる因子をいくつか選択し、その効果について検討した。

 はじめに、感染防御効果の評価モデルの確立を目的に、マウスに骨髄障害量のX線を照射し、その時の全身および腸管局所の免疫系への影響、腸内細菌の全身への移行について検討した。その結果、骨髄障害致死領域のX線照射は、全身免疫機能の低下と同様に、腸管免疫機能の低下も引き起こすこと、そして腸管免疫機能の低下により、侵入を阻止されていた腸内細菌が全身へ移行し、感染症を引き起こすことが示唆された。骨髄障害致死領域のX線を照射することにより、腸管免疫機能の低下による内因性感染モデルを確立できたことから、本モデルを感染防御効果の評価系の一つとして以下の実験に使用した。

 まず、ウシに26種類の細菌の死菌体を抗原として免疫して得られた高度免疫化ミルク(免疫ミルク)の感染防御効果について検討した。その結果、免疫ミルクは内因性感染のモデルであるX線照射マウスにおいて、生存率を有意に改善した。また、有意差は認められなかったが、腸内菌叢に対する影響として、乳酸菌群の増殖促進およびX線照射後における大腸菌の増殖抑制、バイエル板細胞によるIgA産生の増強、さらには肝の抗菌活性の増強傾向を示した。免疫ミルクにはマウス大腸菌と反応する抗体が含まれていることから、本抗体がX線照射後の大腸菌の増殖、移行を阻止あるいは遅延させ、X線照射後の延命効果につながったと考えられた。

 次に、抗体の変性を低く抑えるために殺菌工程の条件を61℃で20分にして、通常の免疫してないウシから得た乳より調整した低温処理脱脂粉乳(低温処理脱粉)について感染防御効果を検討した。その結果、低温処理脱粉の投与は免疫ミルク同様、X線照射マウスの生存率を有意に改善した。さらに、経口的に感染させたリステリアの全身への移行を阻止する傾向を示した。一方、免疫ミルク同様、腸内細菌叢やlgA産生に対する効果については有意な差は認められなかった。通常、免疫していないウシの乳中にも自然感作による抗体が含まれていることは知られており、低温処理脱粉中にもマウス由来の大腸菌やリステリアと反応する抗体の存在が認められたことから、免疫ミルク同様、低温処理脱粉の感染防御効果も、自然感作により乳中に存在する抗体によるものと考えられた。免疫ミルク、低温処理脱粉の摂取は、いずれも腸管からの感染に対する防御に有用と考えられた。

 免疫ミルク、低温処理脱粉による腸管免疫に対する効果は主にそこに含まれる抗体の受動免疫によるものであり、腸管免疫機構の修飾という観点からは間接的なものであった。そこで、今度は腸管免疫機構を直接的に修飾する例として免疫増強作用があると報告されているアルギニンの腸管免疫系に対する効果について検討した。

 まず、アルギニン非含有の培地にアルギニンを添加し、バイエル板T細胞の増殖能に対する効果についてinvitroの試験で検討した。その結果、バイエル板T細胞の増殖能はアルギニン濃度依存的に上昇した。また、バイエル板T細胞によるサイトカインの産生に関してもアルギニンの添加により、産生量、産生細胞数、さらにはサイトカイン特異的mRNAの発現量が有意に増加した。次にマウスにアルギニン無添加の栄養剤およびアルギニン添加の栄養剤を摂取させ、破傷風菌弱毒素を経口免疫したときの抗原特異的応答について検討した。その結果、糞中の抗原特異的IgA抗体価がアルギニン添加栄養剤投与群で有意に高い値を示した。アルギニンのinvitroの試験結果と併せて考えると、アルギニンはバイエル板T細胞の増殖能およびサイトカイン産生能を亢進し、経口的に投与された抗原に対する免疫応答を増強したと考えられた。アルギニンは腸管の免疫機能の維持または増強に有用な物質であることが示唆された。

 腸管免疫機構を修飾する因子としては、上記のような生理活性物質の投与以外に、手術後の栄養管理における静脈栄養のように腸管に何も物が通過しないとなどの栄養投与経路の影響が挙げられる。実際、手術後あるいは寝たきり患者において長期間静脈栄養を施行した場合、腸管が萎縮し、腸内細菌が全身に移行し、日和見感染を起こす場合のあることが報告されている。そこで、腸管免疫機構に対する中心静脈栄養と経腸栄養の影響について比較検討した。その結果、経腸栄養を施行したラットでは、中心静脈を施行したラットで認められた腸管重量の減少や脾の肥大、さらには血中IgG量の増大は認められず、また、コレラ菌毒素を経口免疫したときの抗原特異的応答も、特に腸管局所の抗原特異的IgA抗体価が経腸栄養群で有意に高い値を示した。これより腸管の物理的バリアの維持はもちろん免疫応答能の維持にも、経腸栄養炉有用であることが示された。

 以上、腸管免疫機構を修飾する因子として、免疫ミルク、低温処理脱粉、アルギニン、そして経腸栄養をとりあげ、その効果を明らかにした。今後、先進国ではますます高齢化が進み、日和見感染の問題に対する関心が高まるものと考えられる。今回取り上げた因子のうち、免疫ミルク、低温処理脱粉、アルギニンは、いずれも食品あるいはそれに近いものであり、医薬品のような副作用の問題はない。予防医療に対する意識高揚もあり、広く人々に受け入れられ、人々の健康増進の一助になるものと期待される。また、高齢化社会においては骨折や脳疾患等で寝たきりになってしまう場合も増えてくると考えられる。このような場合、患者の栄養管理、そして患者を介護する周りの人間への負担が問題となってくる。点滴といった静脈栄養に代わりに経腸栄養を施行することで患者のQOLの向上が期待され、また介護する側の金銭的、精神的負担も軽減されると考えられる。一方、発展途上国では依然としてワクチン接種率の低さ、栄養状態の不良などの問題から、感染症が蔓延している。これらの解決策の一つとして経口ワクチンの開発が望まれている。今回の取り上げた因子のうちアルギニンには経口ワクチン時の賦活剤として、また、免疫ミルク等は乳幼児期の栄養状態の改善に加えて感染症発症を低減させる効果を併せ持つ粉ミルクとして貢献が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、腸管免疫を修飾する因子に関するもので、5章からなる。

 高度に医療が発達した現代においても、高齢化や高度医療の副作用により、免疫機能の低下した集団が創生され、平素は無害な菌による日和見感染などの問題が新たに生じており、依然として感染症の問題が存在する。これら日和見感染を始めとする感染症の侵入門戸は腸管などの外界と境界を成す粘膜であり、この侵入門戸での防御が重要となる。著者はこの点に着目し、侵入門戸である腸管の免疫系に作用し、腸管局所での防御能を亢進すると考えられる因子を食品や食品成分等から幾つか選択し、これらの因子による腸管免疫の修飾について、新知見を得るべく以下の研究を行った。

 第1章の緒言において本研究の背景と意義について概説した後、第2章では腸管免疫を修飾する因子の感染防御効果の評価系の作製方法について述べている。日和見感染は、免疫機能が低下し、主に腸管に存在する細菌が移行して引き起こされる内因性感染であるが、従来、そのような内因性感染のモデルとして適当なものはなかった。そこで免疫機能に影響を及ぼすことが知られている放射線をマウスに照射し、免疫系に及ぼす影響と感染症の発症の関係について解析を行った。マウスに骨髄障害量のX線を照射すると、主にリンパ器官を中心に全身および腸管局所の免疫系が著しく障害を受け、腸管内の菌数が増加し、各臓器から菌が検出され、死に至った。また、臓器から検出された菌を同定した結果、大腸菌と推定され、骨髄障害量のX線照射により、全身免疫機能はもちろん、腸管免疫機能も低下し、侵入を阻止されていた腸内細菌が全身へ移行し、内因性感染が引き起こされることが示唆された。

 第3章では、第2章で確立した内因性感染モデルを用いて、抗体を含む脱脂粉乳の感染防御効果とそのメカニズムについて考察している。初乳による受動免疫の効果は広く知られていたが、免疫したウシより得られた常乳あるいは通常のウシより得られた常乳より調製された脱脂粉乳の効果については検討されていなかった。そこで第1節ではウシに26種類のヒト病原菌の死菌体を免疫して得られた高度免疫化ミルク(免疫ミルク)について、また第2節では、免疫はしてないが、殺菌条件をコントロールして、抗体の変性を低く抑えて調製した低温処理脱脂粉乳(低温処理脱粉)について感染防御効果を検討した。免疫ミルク、低温処理脱紛いずれもX線照射マウスの余命を有意に延長し、内因性感染に対し、防御効果を示すことを見出した。また作用機構としては、免疫ミルクにおいてX線照射後の腸内細菌群の増殖抑制、乳酸菌の増殖促進、バイエル板細胞によるIgA産生の増強、さらには肝の抗菌活性の増強傾向を認めた。

 第4章では、アルギニンの腸管免疫系に対する作用について述べている。アルギニンは免疫系に作用するとの報告はあったが、腸管免疫系への作用については知られていなかった。そこでまず、in vivoの試験でバイエル板丁細胞の増殖及びサイトカイン産生に対する効果について検討した結果、アルギニンの添加によりバイエル板丁細胞の増殖及びサイトカイン産生が増強されることが示された。次にin vivoの試験でマウスにアルギニンフリー栄養剤およびアルギニン添加栄養剤を摂取させ、破傷風菌弱毒素を経口免疫したときの抗原特異的応答について検討した。その結果、糞中の抗原特異的IgA抗体価がアルギニン添加栄養剤投与群で有意に高い値を示し、アルギニン投与により腸管局所の抗原特異的免疫応答が増強できることが明らかとなった。

 第5章では、腸管免疫機能を修飾する因子として栄養投与経路を選択し、腸管免疫に対する中心静脈栄養と経腸栄養の影響について比較検討している。従来、腸管の萎縮の防止において経腸栄養が有用であるとの報告はあったが、腸管免疫機能への影響ついては知られていなかった。そこでラットを用いて経腸栄養モデル及び中心静脈栄養モデルを作製し、コレラ菌毒素を経口免疫したときの抗原特異的応答について比較検討した結果、経腸栄養モデルで、腸管局所における抗原特異的IgA抗体価が高値を示した。これより腸管の免疫応答能の維持にも、経腸栄養が有用であることが示された。

 以上本論文は、現代においても依然として問題である感染症における微生物の侵入門戸である腸管における防御能の亢進に着目して、腸管免疫を修飾する因子として、食品あるいは食品成分より免疫ミルク、低温処理脱粉、アルギニンを、また栄養法として経腸栄養をとりあげ、その感染防御効果、抗原特異的免疫応答の増強等の知見を得たもので学術上応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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