学位論文要旨



No 215535
著者(漢字) 山田,慎
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,マコト
標題(和) チトクロムP450系における電子伝達相互作用の蛋白質回転運動による解析
標題(洋)
報告番号 215535
報告番号 乙15535
学位授与日 2003.01.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15535号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 菊地,一雄
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 助教授 安田,賢二
 東京大学 助教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

 チトクロムP450は様々な臓器に存在して,ステロイドホルモンの生合成や薬物代謝(解毒)など重要な役割を果たしている.本研究においては,P450scc及びP4501A2(ラビット),P4501A1(ラット)を用いた.P450sccは副腎皮質ミトコンドリアに存在し,コレステロールの側鎖を切断してプレグネノロンに変換する.コレステロールが全てのステロイドホルモンの共通の基質であるため,この側鎖切断反応が必須の反応であり,かつ律則反応でもあるため,この反応は非常に重要である.また,P4501A2,P4501A1は化学発癌物質,メチルコラントレンで肝臓ミクロソームに誘導されるP450である.P450が関与する反応は基質に一酸素を添加するモノオキシゲネース反応で,この反応に際してP450は酸素と2電子が必要となる.この電子伝達経路はミトコンドリア,ミクロソームで異なっている.ミトコンドリアではNADPHからアドレノドキシン還元酵素(ADR),アドレノドキシン(ADX)を介してP450へと伝達され,ミクロソームではNADPHからNADPH-チトクロムP450還元酵素を介してP450へという経路とNADHからNADH-チトクロムb5還元酵素,チトクロムb5を介してP450へという経路の2つがある.しかし,P450還元酵素からP450への電子伝達経路は第一電子,第二電子のどちらも伝達できるのに対し,チトクロムb5からP450への経路は第二電子のみしか伝達できないという違いもある.ミトコンドリア型においてもミクロソーム型においても,これまでの研究は,P450が膜内在性の蛋白質であるにも関わらず,その測定の多くが溶液中か膜-蛋白質系を壊して行ったものであり,これはP450が実際に生体内で機能している環境とは大きく異なっている.P450系蛋白質の電子伝達相互作用について,疎水性相互作用が重要であるという報告もあり,脂質二重膜中での測定は膜蛋白質間の相互作用を理解する上で欠くことのできないものである.それにも関わらず,これまでの研究が殆ど溶液中での測定であるのは,P450が不安定な蛋白質であり脂質膜への再構成が難しいことやスペクトル測定,カラムや架橋剤を用いた測定では脂質膜中での測定が困難であることに因る.

 そこで,本研究では,脂質膜中において蛋白質間相互作用の測定が可能な時間分解偏光解消法(時間分解蛋白質回転拡散測定法)を用いて,非侵襲的に蛋白質の運動を直接捉え,P450とP450への電子伝達に関与している蛋白質との電子伝達相互作用を調べた.この時間分解偏光解消法は,ミリ秒以下の非常に短寿命の会合体でも検出ができるという特徴を有する.また,P450系タンパク質のみを脂質膜中に再構成することでより厳密なタンパク質間相互作用の解析を可能とした.

 ミトコンドリア型の電子伝達を行うP450sccはミトコンドリア膜の主要脂質である,フォスファチジルコリン,フォルファチジルエタノールアミン,カルジオリピン(4:4:1(W/W))で構成した脂質膜中にコール酸透析法により,脂質/P450=2で再構成した.リポソーム調製の過程においてP450sccは変性することなく,また,プロテオリポソームはショ糖密度勾配遠心で単一のバンドを示し,十分なコレステロール(基質)代謝活性も保持していた.ADX,ADRは内在性のプローブを持たないため,回転運動測定ができるよう,これらの蛋白質をリン光色素,エリスロシンで標識を行った.ADXに関して,リジン残基はP450scc及びADRとの相互作用に関与していないという報告に基づき,ADXはエリスロシン-イソチオシアネートで標識を行い,ADRに関しては,リジン残基がADXとの相互作用に必須であるという報告があるため,エリスロシン-ヨードアセトアミドを用いて,リジン残基ではなくシステイン残基を標識し,80%以上のADX,ADRがエリスロシンで標識された.また,この標識によりADRからADXを介したP450sccへの電子伝達の阻害は見られなかった.P450sccリポソームにADX,ADRを加えた,P450scc+ADX+ADR系(1:1:1(mol/mol)),及びこの系に抗P450scc抗体を加えて特異的にP450sccを凝集させた,P450scc+ADX+ADR+抗P450scc抗体系(1:1:1:3(mol/mol))でADX,ADRの回転拡散運動を時間分解測定した.その結果,抗P450scc抗体を加えることで,ADR,ADXのリン光異方性r(t)の減衰は浅くなった.このr(t)をr(t)=r(0)[β1exp(-t/φ1)+β2exp(-t/φ2)](但し,β1,β2は定数であり,φ1〓φ2である)に基づき解析を行うと,ADRのr(t)から,抗P450scc抗体を加える前は,φ1=35±3μs,φ2=1043±74μs,β1=0.51±0.03,β2=0.49±O.03,抗P450scc抗体を加えた後は,φ1=31±6μs,φ2=3297±1609μs,β1=0.42±O.01,β2=0.59±0.01,ADXのr(t)から,抗P450scc抗体を加える前は,φ1=37±3μs,φ2=778±24μs,β1=0.46±0.02,β2=0.54±0.02,抗P450scc抗体を加えた後は,φ1=32±2μs,φ2=1212±29μs,β1=0.39±0.02,β2=0.61±0.02となった.P450の凝集によるADR,ADXの運動性の減少は,P450scc-ADX-ADRの3者会合体の形成を示しており,これによって,P450scc-ADX-ADRの形成が明らかとなった.しかし,3者会合体はカラムクロマトグラフィーや架橋剤による架橋反応等の生化学的な手法では殆ど検出できていないことから,その寿命は非常に短いものであろう.つまり,本研究において検出された会合体は,これまでに提唱されてきた安定した会合体とは全く異なり,ミリ秒程度の寿命を持つ新しいP450scc-ADX-ADR3者会合体であり,その割合は,10-12%と見積もられた.

 ミクロソーム型の電子伝達を行うP4501A2はミクロソーム膜の主要脂質である,フォスファチジルコリン,フォルファチジルエタノールアミン,フォスファチジルセリン(10:5:1(W/W))で構成した脂質膜中にコール酸透析法により,脂質/P450=2で再構成した.これらのプロテオリポソームをショ糖密度勾配遠心で単一のバンドを示し,ベンツピレン(基質)水酸化活性,チトクロムc還元活性とも高い活性を示し,P4501A2とP450還元酵素は同一のリポソーム中に再構成されていることが確認された.P4501A2とチトクロムb5が同一のリポソーム中に再構成されていることはスペクトル測定により確認した.P4501A2のみを再構成した系,還元酵素を加えたP4501A2+還元酵素系(1:1(mol/mol)),チトクロムb5を加えたP4501A2+チトクロムb5系(1:1(mol/mol))で,P4501A2の回転拡散運動を時間分解測定した.その結果,P450還元酵素,チトクロムb5を加えると,P4501A2のみの時と比べて,異方性r(t)の減衰は深くなった.このr(t)をr(t)=r(0)[β1exp(-t/φ)+β2exp(-4t/φ)+r3/r(0)](1)(但し,β1,β2,r3は定数である)で解析すると,P4501A2のみを再構成した系では,φ=237±55μs,r3/r(0)=0.23±0.04,P4501A2+P450還元酵素系では,φ=299±40μs,r3/r(0)=0.15±0.04,P4501A2+チトクロムb5系では,φ=249±27μs,r3/r(O)=0.08±0.15であった.残留異方性r3/r(0)から運動している割合を見積もることができ,P4501A2のみの系と比べて,還元酵素を加えた場合は80%から89%へ9%,チトクロムb5を加えた場合は96%へ16%,運動しているP450の割合が増加した.この運動性の上昇は,還元酵素やチトクロムb5がP4501A2と会合体を形成し,この測定時間領域で静止して見える大きな会合体から解離して運動できるようになったためと解釈でき,これによって,P4501A2はP450還元酵素やチトクロムb5と会合体を形成することが明らかとなった.

 ラットでは,化学発癌物質,メチルコラントレンでP4501A1及びP4501A2が誘導される.この2つのP450は精製過程で完全に分離することは不可能で,精製蛋白質を用いてプロテオリポソームを再構成してもP4501A1のみの回転運動測定は不可能であったが,酵母ミクロソームヘのP4501A1の遺伝子発現が成功し,P4501A1のみの回転運動測定が可能となった.そこで,P4501A1,P4501A1とP450還元酵素との共発現系,P4501A1と還元酵素との融合酵素発現系において,P4501A1(融合酵素)のミクロソーム膜中における回転拡散運動を時間分解測定した.その結果,共発現系,融合酵素系では,P4501A1のみを発現した時と比べて,異方性r(t)の減衰は深くなった.また,共発現系と融合酵素系ではr(t)に有意な差は見られなかった.このr(t)を(1)式で解析すると,P4501A1のみを発現した系ではφ=1180±230μs,r3/r(0)=0.73±0.04,共発現系ではφ=1300±250μs,r3/r(0)=0.59±0.04,融合酵素系ではφ=1350±240μs,r3/r(O)=0.61±0.04であった.残留異方性r3/r(O)から運動しているP4501A1(融合酵素)割合を見積もると,P4501A1のみを発現させた系と比べて,共発現系では,28%から42%へ14%運動しているP450の割合が増加した.この運動性の上昇は還元酵素がP4501A1と会合体を形成し,この測定時間領域で静止して見える大きな会合体から解離して運動できるようになったためと解釈できる.また,共発現系におけるP4501A1の運動性と寿命∞の安定なP4501A1-P450還元酵素複合体である融合酵素の運動性の間に有意な差が見られないということもこの解釈の妥当性を示している.

審査要旨 要旨を表示する

 チトクロムP450は様々な臓器に存在して,ステロイドホルモンの生合成や薬物代謝(解毒)など重要な役割を果たしている.論文提出者が用いたP450は,副腎皮質ミトコンドリアに存在し,コレステロールの側鎖を切断してプレグネノロンに変換するP450scc及び化学発癌物質,メチルコラントレンで肝臓ミクロソームに誘導されるP4501A2(ラビット),P4501A1(ラット)である.これらのP450と電子伝達に関与する蛋白質間の相互作用に関する研究はこれまでにも数多くあるが,P450が膜内在性の蛋白質であるにも関わらず,その測定の多くが溶液中か膜-蛋白質系を壊して行ったものであった.これはP450が不安定な蛋白質であり脂質膜への再構成が難しいことやスペクトル測定,カラムや架橋剤を用いた測定では脂質膜中での測定が困難であることに因っており,P450が実際に機能している脂質二重膜中での測定が必要とされていた.

 本論文「チトクロムP450系における電子伝達相互作用の蛋白質回転運動による解析」は,チトクロムP450を脂質膜中に再構成し,その回転ブラウン運動を時間分解偏光解消法(時間分解蛋白質回転拡散測定法)を用いて測定し,P450系蛋白質間の電子伝達相互作用を明らかにした.

 本論文で用いられた時間分解偏光解消法は,膜蛋白質を脂質膜中で非侵襲的にその回転運動を捉えることができるため,活性のある「生きた」状態での蛋白質間の相互作用の測定が,P450が本来を発揮している脂質膜中において可能であり,なおかつミリ秒以下の短寿命の会合体でも検出できるという特徴を持つ,膜蛋白質間の相互作用を測定するのに適した測定法である.

 本論文では,まず,ミトコンドリア型の電子伝達を行うP450sccをミトコンドリア膜の主要脂質であるフォスファチジルコリン,フォスファチジルエタノールアミン,カルジオリピンから成る脂質膜中にコール酸透析法で再構成した.P450sccへの電子伝達に関与するアドレノドキシン(ADX)とアドレノドキシン還元酵素(ADR)は内在性のプローブを持たないため,リン光色素,エリスロシンで標識して,P450scc+ADX+ADR系におけるADX, ADRの回転拡散運動を測定した.この系に抗P450scc抗体を加えて,特異的にP450sccを凝集させるとADX, ADRの異方性の減衰は浅くなり,運動性の低下が見られた.この結果によって,ADX-ADR-P450sccという3者会合体が形成されることを明らかにした.そして,この会合体の割合は10-12%であった.しかし,3者会合体はカラムクロマトグラフィーや架橋剤による架橋といった手法では殆ど検出できていないことから,本研究により検出された3者会合体は,これまでに提唱されていた寿命数十分以上という安定した会合体ではなく,ミリ秒程度の寿命を持つ,全く新しい会合体である.

 第二に,ミクロソーム型の電子伝達を行うP4501A2をミクロソーム膜の主要脂質であるフォスファチジルコリン,フォルファチジルエタノールアミン,フォスファチジルセリンから成る脂質膜中にコール酸透析法で再構成した.P4501A2のみの系,P4501A2+P450還元酵素系,P4501A2+チトクロムb5系でP450の回転運動を測定すると,P450還元酵素,チトクロムb5を加えると,加える前と比べて,異方性の減衰は深くなり,P4501A2の運動性の上昇が見られた.この結果によって,P4501A2がP450還元酵素,チトクロムb5と会合体を形成することを明らかにした.P4501A2は膜蛋白質であるP450のうちでも,特に疎水的な蛋白質の1つであり,P4501A2の脂質膜中へ再構成は本研究が初めてである.

 第三に,P4501A1,P4501A1とP450還元酵素(共発現系),P4501A1とP450還元酵素との融合酵素(融合酵素系)を酵母ミクロソームに遺伝子発現して,その回転運動を測定した.P4501A1のみの系と比べて,共発現系では異方性の減衰が深くなり,P4501A1の運動性の上昇が見られた.この結果によって,P4501A1は還元酵素と会合体を形成することを明らかにした.更に,寿命∞の安定したP450-P450還元酵素複合体である融合酵素の異方性は,共発現系のそれとの間に有意な差が見られなかったことも,この解釈の妥当性を示す.メチルコラントレンでラットの肝ミクロソームに誘導されるP450はP4501A1,P4501A2の2つであり,蛋白質精製過程においてこの2つのP450を分離することは不可能であるため,脂質膜中に再構成した系でもP4501A1のみの運動測定は不可能であった.本研究において,蛋白質精製という手段では単離不可能なP4501A1とP4501A2を,遺伝子発現法を用いることにより,単一種のP4501A1として運動測定を可能にした.

 以上をまとめると,論文提出者は,本研究において,脂質膜中で非侵襲的な運動測定が可能な時間分解偏光解消法で,P450系蛋白質のみを再構成した系や単一種のP450を遺伝子発現させた系を用い,厳密な蛋白質間相互作用の解析を可能とし,P450系蛋白質間の電子伝達相互作用を明らかにした.これらの結果は生物物理学上,非常に有意義な貢献をしたものと認められる.

 よって,審査委員一同,論文提出者山田慎は東京大学博士(学術)の学位を受けるに十分な資格があるものと認めた.なお,本論文の内容は,1995年にBiochemistry誌,1999年にBiochemistry誌,2001年にJournal of Inorganic Biochemistry誌に公表済みである.これらは共著論文であるが,論文提出者はそのすべてにおいて研究の主要部分に寄与したものであることを確認した.

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