学位論文要旨



No 215543
著者(漢字) 篠崎,俊宏
著者(英字)
著者(カナ) シノサキ,トシヒロ
標題(和) モノクローナル抗体を用いた実験腎炎モデルの作製と腎炎発症・進展機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 215543
報告番号 乙15543
学位授与日 2003.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15543号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 渋谷,雅明
 東京大学 助教授 菊地,和也
 東京大学 講師 東,伸昭
 東京大学 講師 平田,恭信
内容要旨 要旨を表示する

 我が国の透析患者は毎年増加しており、年間1兆円以上の透析費用が医療経済を圧迫しているが、腎臓に特異的に作用する治療薬開発を含め根本的な治療法は確立していない。腎疾患治療薬の開発研究が遅れた一因として、病態進展機序が明確に解明されていない点や薬効を評価し得る病態モデルが作製されなかった点が挙げられる。確かに、馬杉腎炎、Heymann腎炎といった実験腎炎モデルは病態解析や責任抗原の決定等に古くから汎用されてきたが、これらの病態動物の応答は定性的ではあるが定量性に乏しく、薬効評価に適したモデルとは言い難い。本研究においては、糸球体構成蛋白に対するモノクローナル抗体を用いて腎炎モデルを作製し、その病態解析を行うことにより創薬研究への応用を試みた。

 抗体が糸球体腎炎を惹起するためには、その抗原が細胞表面に存在しなければならない。このため、ラット糸球体を抗原として得られた多数のマウスモノクローナル抗体を用いて、腎糸球体への結合能を調べ、E30抗体(E30)を見出した。 本抗体は腎糸球体のメサンギウム(MG)細胞に特異的に結合し、その抗原は分子量27 kDで糸球体以外に脳及び胸腺に局在した。これらの結果から、E30の抗原はThy-1.1ではないかと予測し、ラットThy-1.1遺伝子をCOS細胞にトランスフェクトした結果、E30はCOS細胞上に発現した蛋白を認識したため抗Thy-1.1抗体であると断定した。抗Thy-1.1抗体はこれまで3種類が知られているが、エピトープの違いにより抗体結合後の細胞内応答が異なる事が報告されている。そこで、E30により惹起される糸球体腎炎の病態解析に着手することとした。

E30投与30分後には既にMG細胞傷害が惹起され、細胞融解像が観察された。3日目にはMG領域の糸球体毛細血管が癒合し、炎症細胞の集積したバルーニング像が散見された。

 5日目にはMG細胞が増殖し、糸球体当たりの増殖細胞数はピークに達した。5日目の糸球体濾過率(GFR)は有意に低下し、血中尿素窒素(BUN)値は上昇した。糸球体毛細血管の形状を血管鋳型標本を作製して観察した結果、5日目には毛細血管密度が著しく低下していた。

 8日目には活発な血管新生により毛細血管の再構築が始まり、2週間後には大半の糸球体が正常に修復した。このように、E30は糸球体毛細血管のドラスティックな構造変化を伴うMG増殖性腎炎を惹起したが、一連の変化は可逆的であり組織修復に伴って蛋白尿も減少することが判明した。 慢性糸球体腎炎の病態解析を行うためには、不可逆的な腎疾患モデルを作製する必要がある。このため、次に本抗体を用いて慢性糸球体腎炎モデルの作製を試みた。

 予め片腎を摘出したラットにE30を単回投与することにより、可逆的な腎炎は不可逆的な病態へと変化した。蛋白排泄量はE30の投与量に依存して増加し、BUN値も上昇した。本モデルにおいて、アンギオテンシン変換酵素阻害薬リシノプリルは、蛋白尿を著明に改善し、GFRの低下や尿細管障害を軽減した。また、組織学的にもマトリクス蓄積を抑制し、糸球体硬化への進展を防止した。作用機序解析の結果、本薬物は病態慢性期に見られた糸球体基底膜 (GBM)上の anionic charge sitesの減少を防止し、糸球体上皮細胞(GEC)障害を軽減することが判明した。これらの成績は、病態の予後を左右する要因としてGECとGBMの損傷が深く関与している可能性を示唆している。 そこで、この点を検証するために、MG細胞傷害にGEC障害を加えることにより病態がどのように修飾されるかを検討することとした。  

 Puromycin aminonucleoside (PAN)は、GECに障害を惹起することで知られている。この事を利用して両腎存在下の動物にE30と少量のPANとを併用投与し、その影響を調べた。E30及びPAN単独投与では一過性の蛋白尿は惹起されたが、実験終了時(7週)には正常レベルまで回復した。一方、併用群では急性期から顕著な蛋白尿が惹起され、7週目においても高蛋白尿が持続した。併用投与による相乗的な蛋白排泄量の増加は極めて早い時期から観察され、病態惹起 3日目には単独投与群よりも有意な高値を示した。併用群における7週後のGFRは正常群の7分の1に低下し、糸球体はPAS陽性部分で占有され、硬化性あるいはMG増殖性病変が混在していた。病態群の糸球体係蹄はボーマン壁に癒着し、糸球体毛細血管は殆ど観察されなかった。尿細管間質には炎症細胞が多数浸潤し繊維化が顕著であった。

 併用投与による腎障害進展機序を追究するために、形質変換のマーカーである?-smooth muscle actin (?-SMA)の発現量を経時的に検討し、急性期の糸球体微細構造の変化を形態学的に解析した。E30単独投与群では、day 5に?-SMAの発現量が増加したが、day 14には減弱した。28日目の糸球体構造は完全に修復し、?-SMAの発現は認められなかった (Fig.1-A)。一方、併用群ではday 14においてもMG領域に強いシグナルが認められ、明らかに持続的な形質変換が起こっている事が判明した。28日後には糸球体内の?-SMA発現量は減少したが、糸球体は荒廃しており糸球体硬化が進行していた (Fig.1-B)。また、この時期には糸球体の代わりに糸球体周辺部や尿細管間質に強い発現が観察され、糸球体障害を引き金にして二次性の尿細管障害が惹起されている事が判った。

 糸球体微細構造の解析により併用3日目のGEC障害は著しく、足突起の消失やGBMからの脱落が起こっている事が判明した。この時期には高度なGEC障害時に観察されるpseudocystの形成やボーマン嚢上皮細胞との癒着病変も散見されており、併用群におけるGECやGBMの損傷は単独群よりも著しい事を物語っていた。

 以上のように、抗Thy-1.1抗体を用いて薬効評価可能な進行性の慢性腎炎モデルを作製し、病態解析を行なった結果、GECおよびGBMの損傷度が病態の進展に深く関与することが立証された。また、MG細胞や尿細管間質細胞の持続的な形質変換も、病態の予後を決定するもう1つの重要な要因であると考えられた。このことは、形質変換した細胞を本来の形質に分化させることが慢性疾患を治療する有力な方法であることを示唆している。

 糸球体構成蛋白を認識する抗体のスクリーニングで見出されたもう1つのモノクローナル抗体F16はその機能解析の過程でユニークな作用を示すことが判明した。本抗体の抗原は

1) GEC及び尿細管(Fx1A)に発現すること、2)Fisher系ラット(F344)に発現していないこと、3)分子量、からdipeptidyl peptidase IV (DPPIV)ではないかと推測した。 Fx1A分画を用いてDPPIV酵素活性と抗原量とを比較した結果、DPPIV活性と抗原量は良く対応し、ラットDPPIV遺伝子を用いてreticulocyteによるtranscription and translation法にてDPPIVを合成した結果、F16は合成蛋白を認識したため、その抗原はDPPIVであると断定した。

 DPPIVは生体内に広く分布する既知の蛋白であるが、その生理的役割は明らかにされていない。そこで、F16を用いて機能解析を行なうこととした。 F16はラットへの単回投与でGECの足突起融合を惹起し、アルブミン排泄量を増加させた。従って、E30とF16との併用投与により腎炎は増悪するものと予想したが、驚くことに併用群では腎炎発症が完全に抑制された。この現象はDPPIVの欠損しているF344ラットでは再現されなかった。

F16の腎炎発症抑制作用は投与を遅らせるにつれて明らかに減弱した。F16をE30投与30分後に投与した時の蛋白排泄量はE30投与群よりは低値を示したが、実験開始前値よりは増加した(Fig.2-A)。この現象は、E30投与5日目のMG細胞増殖に対する抑制作用においても同様であった(Fig.2-B)。F16はE30投与後の極めて早い時期に起こるイベントに影響を及ぼしているものと推測し、補体系に対する作用を検討した。その結果、F16はE30投与時に観察される補体C3及びC4成分の沈着を著明に抑制した。

 補体依存性のin vitro細胞融解法において、F16は補体系に対する直接作用は示さなかったが、F16を投与した動物から採取した血清中の補体活性能は著しく低下していた。F16が作用を発揮するためには腎臓に局在する抗原との結合は必要ではなく、血清中のDPPIV活性とも無関係であった。

 以上の成績から、F16はDPPIVと結合した後、全身性に補体カスケードを抑制し腎炎の発症を抑制したものと予想された。また、F16の作用は補体系への直接的な作用ではない事から、DPPIVとの結合を介して生体内の何らかの補体制御因子を放出し、補体系を制御した可能性が考えられた。

 今回の実験成績から、腎障害の進展に深く関与し創薬研究のターゲットとなりうる幾つかのポイントが明らかとなった。その1つとして、まずGECとGBMの高度な障害が挙げられる。これらは腎障害を加速度的に進展させるため、その保護は腎障害の進展を抑制できる期待が高い。また、MG細胞や尿細管間質細胞の持続的な形質変換を制御する薬剤も有望であると思われる。DPPIVと補体に関しては更に詳細な解析を行う必要はあるが、DPPIVを介した補体系の調節も炎症の瀕回発症による病態の慢性化を阻止出来る可能性がある。今後、これらに関わる標的分子を定め、腎疾患治療薬の開発研究に応用したいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はモノクローナル抗体を用いて腎炎モデルを作成し、腎炎発症および腎炎進展の機序に関する検討を行ったものである。

 我が国の透析患者は毎年増加しており、年間1兆円以上の透析費用が医療経済を圧迫しているが、腎臓に特異的に作用する治療薬開発を含め根本的な治療法は確立していない。腎疾患治療薬の開発研究が遅れた一因として、病態進展機序が明確に解明されていない点や薬効を評価し得る病態モデルが作製されなかった点が挙げられる。本研究においては、糸球体構成蛋白に対するモノクローナル抗体を用いて腎炎モデルを作製し、その病態解析を行うことにより創薬研究への応用を試みた。

 抗体が糸球体腎炎を惹起するためには、その抗原が細胞表面に存在しなければならない。このため、ラット糸球体を抗原として得られた多数のマウスモノクローナル抗体を用いて、腎糸球体への結合能を調べた。その結果、E30抗体(E30)を見出した。本抗体は腎糸球体のメサンギウム(MG)細胞に特異的に結合し、その抗原は分子量27 kDで糸球体以外に脳及び胸腺に局在した。検討の結果、E30の抗原はメサンギウム細胞表面抗原Thy-1.1であることが明らかになり、次にE30により惹起される糸球体腎炎の病態解析に着手した。

E30投与30分後には既にMG細胞傷害が惹起され、細胞融解像が観察された。3日目にはMG領域の糸球体毛細血管が癒合し、5日目にはMG細胞が増殖し糸球体当たりの増殖細胞数はピークに達した。しかしながら、E30は糸球体毛細血管のドラスティックな構造変化を伴うMG増殖性腎炎を惹起したが、一連の変化は可逆的であり組織修復に伴って蛋白尿も減少することが判明した。 慢性糸球体腎炎の病態解析を行うためには、不可逆的な腎疾患モデルを作製する必要があると考え、次に本抗体を用いて慢性糸球体腎炎モデルの作製を試みた。予め片腎を摘出したラットにE30を単回投与することにより、可逆的な腎炎は不可逆的な病態へと変化した。蛋白排泄量はE30の投与量に依存して増加し、血中尿素窒素(BUN)値も上昇した。

 抗Thy-1.1抗体を用いて薬効評価可能な進行性の慢性腎炎モデルを作製し、病態解析を行なった結果、糸球体上皮細胞(GEC)および糸球体基底膜(GBM)の損傷度が病態の進展に深く関与することが立証された。また、メサンギウム(MG)細胞や尿細管間質細胞の持続的な形質変換も、病態の予後を決定するもう1つの重要な要因であると考えられた。このことは、形質変換した細胞を本来の形質に分化させることが慢性疾患を治療する有力な方法であることを示唆している。

 糸球体構成蛋白を認識する抗体のスクリーニングで見出されたもう1つのモノクローナル抗体F16はその機能解析の過程でユニークな作用を示すことが判明した。本抗体の抗原は、1) 糸球体上皮細胞(GEC)及び尿細管(Fx1A)に発現すること、2)Fisher系ラット(F344)に発現していないこと、3)分子量、からdipeptidyl peptidase IV (DPPIV)ではないかと推測し、最終的にDPPIVであると決定した。DPPIVは生体内に広く分布する既知の蛋白であるが、その生理的役割は明らかにされていない。そこで、F16を用いて機能解析を行なうこととした。 F16はラットへの単回投与で糸球体上皮細胞(GEC)の足突起融合を惹起し、アルブミン排泄量を増加させた。従って、E30とF16との併用投与により腎炎は増悪するものと予想したが、驚くことに併用群では腎炎発症が完全に抑制された。この現象はDPPIVの欠損しているF344ラットでは再現されなかった。種々検討の結果、F16はDPPIVと結合した後、全身性に補体カスケードを抑制し腎炎の発症を抑制したものと予想された。また、F16の作用は補体系への直接的な作用ではない事から、DPPIVとの結合を介して生体内の何らかの補体制御因子を放出し、補体系を制御した可能性が考えられた。

 今回得られた結果から、腎障害の進展に深く関与し創薬研究のターゲットとなりうるポイントが明らかとなった。その1つとして、まず糸球体上皮細胞(GEC)および糸球体基底膜(GBM)の高度な障害が挙げられる。これらは腎障害を加速度的に進展させるため、その保護は腎障害の進展を抑制できる期待が高い。また、MG細胞や尿細管間質細胞の持続的な形質変換を制御する薬剤も有望であると思われる。DPPIVと補体に関しては更に詳細な解析を行う必要はあるが、DPPIVを介した補体系の調節も炎症の瀕回発症による病態の慢性化を阻止出来る可能性がある。

 これらの結果は、薬学特に腎疾患治療薬に関する創薬研究への寄与は大なるものがあり、博士(薬学)に値するものと認める。

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