学位論文要旨



No 215545
著者(漢字) 諫田,泰成
著者(英字)
著者(カナ) カンダ,ヤスナリ
標題(和) 血管平滑筋細胞におけるトロンビンの生理作用とその情報伝達機構の解析
標題(洋)
報告番号 215545
報告番号 乙15545
学位授与日 2003.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15545号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 助教授 西山,信好
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 要旨を表示する

 動脈硬化症の血管病変は、血管内皮細胞の傷害後に、血管平滑筋細胞が正常の収縮型から合成型に形質転換を起こして中膜から内膜へ遊走し、さらに病巣内で増殖することにより、形成されると考えられる(図1)。また、バルーンを用いた血行再建手術である経皮経管的冠動脈形成術(PTCA)を行った後には、血管平滑筋細胞の増殖による再狭窄が誘発されることが多く、術後の最重要課題である。

 実験動物を用いてバルーンで傷害を起こした場合、上述の狭窄性病変を再現することができる。トロンビン阻害剤であるヒルジンの静脈内注射によって、このバルーンによる再狭窄が抑制できることから、狭窄性病変の形成にトロンビンが重要な役割を担っていることが考えられている。従って、トロンビン刺激による血管平滑筋細胞の増殖機構のメカニズムを明らかにすることは、動脈硬化症の進展やPTCA後の再狭窄を理解し、また臨床レベルでの応用や新しい治療薬のターゲットを考える上においても非常に重要である。

 本研究では、合成型の血管平滑筋細胞株であるラットA10細胞をモデルとして、トロンビン刺激によるシグナル伝達経路と細胞増殖機構について解析を行った。

1.トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化

 p38MAPKは、MAPKファミリーに属するセリンスレオニンキナーゼであり、ストレスや炎症によって活性化されるキナーゼとして同定された。しかしながら、その生理的な役割は、あまりよく分かっていない。我々は、動脈硬化症は血管に対する一種の炎症ではないかと仮定し、両者の関連について検討するために、まず、トロンビンによるp38MAPKの酵素活性の変動について検討した。

 トロンビンでA10細胞を刺激することにより、p38MAPKの一過性の活性化が観察され(図2)、また用量依存的で、1U/mlで最大となった。この活性化は、トロンビン阻害剤ヒルジンの前処理によって消失したことから、トロンビンを介した活性化であることが示唆された。

 次に、G蛋白質共役型受容体であるトロンビン受容体を介したシグナルについて解析を行った。最近、G蛋白質を介したシグナルとチロシンキナーゼ系のシグナルの相互作用が明らかにされつつあるので、チロシンキナーゼの関与について検討した。チロシンキナーゼの選択的な阻害剤であるゲニスタインは、濃度依存的に、トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化を抑制した。従って、トロンビン刺激により、チロシンキナーゼを介して、p38MAPKの活性化がもたらされることが示唆された。

 以上より、血管平滑筋細胞において、トロンビン受容体の刺激により、チロシンキナーゼ、Rasを介して、p38MAPKが活性化されることが明らかになった。

2.トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化におけるチロシンキナーゼの解析

 チロシンキナーゼ阻害剤であるゲニスタインを用いた実験から、トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化に、何らかのチロシンキナーゼが重要な役割を担っていることが推定された。そこで、そのチロシンキナーゼとして、上皮増殖因子受容体(EGFR)キナーゼとSrcについて、さらに解析を行った。

 トロンビン刺激により、EGFRのリン酸化の亢進が認められた。選択的なEGFRキナーゼ阻害剤であるAG1478の前処理により、トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化が抑制された(図3)。一方、血小板由来増殖因子で刺激した場合、p38MAPKは活性化されたが、AG1478は影響を与えなかった。従って、トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化にはEGFRの共役型活性化が関与していることが示唆された。

 トロンビン受容体は、Gi、Gq、G12と共役していることがすでに報告されていることから、トロンビン受容体と共役する三量体G蛋白質のサブタイプについて解析を行った。百日咳毒素は、GiのADPリボシル化によりその受容体との共役を選択的に阻害することが知られている。細胞を百日咳毒素を用いて処理した場合、トロンビン刺激によるEGFRのリン酸化は抑制されなかったが、リゾホスファチジン酸刺激によるEGFRのリン酸化は抑制された。従って、トロンビン刺激によるEGFRの活性化は、Gi以外のG蛋白質の関与が考えられた。恒常的活性化変異体であるGαq(GqQ209L)あるいはGα12(G12Q226L)を発現させた結果、EGFRのリン酸化の亢進が認められた。従って、トロンビン刺激により、GqまたはG12のαサブユニットを介して、EGFRが活性化されることが示唆された。

 次に、トロンビン刺激によるEGFRの活性化のメカニズムについて検討した。トロンビン刺激により、Srcのリン酸化が亢進されること、および、Srcの選択的な阻害剤であるPP2処理により、トロンビン刺激によるEGFRの活性化が抑制されたことから(図4)、トロンビン刺激によるEGFRのリン酸化の亢進は、Srcを介している可能性が考えられた。恒常的活性化変異体のSrc(SrcY529F)の発現により、EGFRのリン酸化の亢進が認められたことから、EGFRはSrcの下流に存在することが確められた。また、GqQ209LあるいはG12Q226Lの発現により、Srcのリン酸化の亢進が認められたことから(図5)、少なくとも、GqまたはGα12のαサブユニットを介して、Src-EGFRのシグナル伝達経路が活性化される可能性が考えられた。以上から、血管平滑筋細胞において、トロンビン刺激により、GqあるいはG12、Src、EGFRを介して、p38MAPKの活性化が引き起こされることが明らかとなった。

3.トロンビン刺激による糖の取込および細胞増殖におけるSrc-p38MAPKの解析

 トロンビン受容体の下流に、Src-EGFR‐p38MAPKのシグナル伝達経路が存在することが明らかとなったので、さらに、この経路の細胞応答における役割について解析を行った。血管平滑筋細胞は、様々な細胞応答を誘導するが、動脈硬化症の進展の観点から、細胞増殖に着目して検討した。トロンビン刺激による細胞増殖に対して、上述のSrc阻害剤であるPP2の効果について検討した結果、PP2はトロンビン刺激によるチミジンの取込を抑制した(図6)。また、p38MAPKの選択的な阻害剤であるSB203580も、トロンビン刺激によるチミジンの取込を抑制した。従って、Src-p38MAPKのシグナル伝達経路は、トロンビン刺激による細胞増殖に関与することが明らかになった。

 また、糖尿病患者は、動脈硬化の発症率が有意に増加することが報告されていることから、糖代謝との関連について検討した。トロンビン刺激により、濃度依存的に糖の取込の亢進が認められた。この糖の取込は、百日咳毒素では抑制されなかったことから、Gi以外のG蛋白質の関与が示唆された。次に、チロシンキナーゼの関与について検討した。Srcの阻害剤PP2によって、トロンビン刺激による糖の取込は抑制されたが、一方、インスリン刺激による糖の取込は、PP2では抑制されなかった(図7)。Gαqの活性化を誘導するPasteurella multocida Toxinを添加した場合、糖の取込は亢進し、その取込はPP2で抑制された。この結果から、トロンビン刺激により、少なくともGαq、Srcを介して糖の取込が促進されることが示唆され、インスリンとは異なった機構による可能性が考えられた。

 さらに、Srcの下流として、MAPKファミリーであるp38MAPKとERKについて検討した。p38MAPKの選択的阻害剤であるSB203580は、トロンビン刺激による糖の取込を抑制したが、p38MAPK活性を阻害しない構造類似化合物SB202474は抑制しなかった。一方、ERKを活性化するキナーゼのMEKを選択的に阻害するPD98059あるいはU0126は、影響を与えなかった。従って、トロンビン刺激による糖の取込には、p38MAPKは関与するが、ERKは関与しないことが示唆された。

 以上から、トロンビン刺激による細胞増殖および糖の取込は、Src-p38MAPKを介することが明らかとなった。

[結論]

 血管平滑筋細胞を用いて、トロンビン刺激によるシグナル伝達経路の解析を行った。トロンビン刺激により、SrcあるいはEGFRを介してp38MAPKの活性化が誘導されることを明らかにした。また、この経路の生理的な役割としては、細胞増殖および糖の取込に関与している可能性が考えられた。本研究において、トロンビン刺激による血管平滑筋細胞の増殖および糖の取込の機構の一端を明らかにした。増殖因子による血管平滑筋細胞の細胞応答は、動脈硬化症の進展の重要なステップの一つであり、本研究は、動脈硬化症の治療のターゲットを考える上でも重要な示唆を与えるものと考えている。

図1 動脈硬化病変の形成過程

図2 トロンビン刺激によるp38MAPKの活性化

図3 トロンビン刺激によるp38MAPK活性化に対するAG1478の影響

図4 トロンビン刺激によるEGFRリン酸化に対するPP2の影響

図5 恒常的活性化Gαq、Gα12の発現によるsrcのリン酸化

図6 トロンビン刺激によるDNA合成に対するキナーゼ阻害剤の影響

図7 トロンビン刺激による糖の取込に対するPP2の影響

審査要旨 要旨を表示する

 動脈硬化症の血管病変は、血管平滑筋細胞が収縮型から合成型に形質転換を起こして増殖することにより進展する。この狭窄性病変の形成において重要な役割を果たすものに、血液凝固系に介在するセリンプロテアーゼのトロンビンがある。しかしながら、トロンビン阻害剤は出血による副作用を有するため、臨床での動脈硬化症の治療や再狭窄の予防に用いる事は出来ず、新たな薬剤の標的分子を探索する上でも、トロンビンのより詳細な作用機構の解明が期待されている。「血管平滑筋細胞におけるトロンビンの生理作用とその情報伝達機構の解析」と題する本論文においては、合成型の血管平滑筋細胞株であるラットA10細胞をモデル系として、トロンビン刺激が、チロシンキナーゼのSrcを介して、p38 mitogen-activated proteinkinase(p38-MAPK)の活性化を引き起こすことを見出している。さらに、生理作用におけるこの細胞内情報伝達経路の意義について解析を進め、トロンビンが細胞増殖に加えて糖代謝の調節にも関与することを明らかにしている。

1.トロンビンによるp38-MAPKの活性化機構の解析

 先ず本論文では、トロンビン刺激によるp38-MAPKの活性変動について検討し、トロンビン刺激によって、p38-MAPKが用量、時間に依存して活性化されることを示した。百日咳毒素を用いた解析から、トロンビン刺激によるp38-MAPK活性化は、三量体Gタンパク質であるGi以外のGタンパク質の関与が考えられた。また、この活性化はチロシンキナーゼ選択的な阻害剤によって抑制されたことから、トロンビン刺激によるp38-MAPKの活性化はチロシンキナーゼを介することが考えられた。各種キナーゼ阻害剤を用いた薬理学的な検討によって、トロンビン刺激によるp38-MAPKの活性化に、上皮増殖因子(EGF)受容体キナーゼとチロシンキナーゼのSrcが関与していることを示した。さらに、恒常的活性化変異体であるGq、G12のαサブユニット、あるいはSrcを発現させることにより、トロンビン刺激の情報伝達経路が再現されることを確認した。以上の結果から、トロンビン刺激は、GqまたはG12のαサブユニット、さらにSrc、EGF受容体を介してp38-MAPKの活性化を誘導することが明らかにされた。

2.トロンビンによるSrcを介したp38-MAPK経路の生理的役割の解析

 次に、トロンビンの生理作用におけるSrcを介したp38-MAPK経路の意義について解析した。トロンビン刺激によるチミジンの取込の亢進は、Srcまたはp38-MAPKの阻害剤によって抑制されたことから、Src-p38-MAPK経路は、トロンビン刺激による細胞増殖に関与することが示された。また、糖尿病患者は動脈硬化症の発症率の増加や進展が認められることから、糖代謝との関連についても検討を行った。トロンビン刺激により、濃度依存的に糖の取込が上昇することを見出した。阻害剤を用いた実験から、トロンビン刺激による糖の取込は、Src-p38-MAPKを介することが示された。一方、インスリン刺激による糖の取込はSrcの阻害剤によって抑制されなかった。さらに、糖の輸送体の一つであるGLUT-4の膜移行はインスリンで促進されたが、トロンビン刺激による糖取込みの促進には、GLUT-4の膜移行の関与は認められなかった。以上の結果より、トロンビンとインスリンは異なる機構に介して糖代謝を調節していることが考えられた。

 以上を要するに、本研究は、血管平滑筋細胞を用いて、トロンビンによる細胞内情報伝達経路と生理応答を解析し、トロンビン刺激によってSrcおよびEGF受容体を介してp38-MAPKが活性化されることを、さらに、この経路の生理的な役割として、細胞増殖および糖の取込に関与することを明らかにしている。特に、トロンビンによる糖代謝の制御は、インスリンとは異なる新たな調節機構によることを初めて指摘している。以上の知見は、トロンビンによる動脈硬化症の進展の解明に有益な情報を提供するだけではなく、動脈硬化症の臨床応用や治療の標的を考える上でも重要な手がかりを与えており、博士(薬学)の学位論文として十分な価値があるものと認められる。

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