学位論文要旨



No 215546
著者(漢字) 柳原,良次
著者(英字)
著者(カナ) ヤナギハラ,ヨシツグ
標題(和) 神経因性疼痛緩和を目的としたケタミン製剤の開発と臨床応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 215546
報告番号 乙15546
学位授与日 2003.02.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第15546号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 山田,安彦
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 ケタミンは、n-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体阻害作用を有し、麻酔薬として繁用されている薬物である。近年、帯状庖疹後神経痛等の非ステロイド性抗炎症薬やオピオイド系鎮痛薬では奏効し難い神経因性疼痛に対して、麻酔用量よりも少ない用量でケタミンが有効であるとの報告がなされ、臨床においてもその目的で用いられるようになってきた。しかし、市販されているケタミンの製剤は麻酔用の注射剤のみであるため、在宅において投与可能な新しい剤形の開発が切望された。

 ケタミンは光学異性薬物であり、鎮痛効果は(S)-体が(R)-体に比べ3〜4倍強いことが示されている。また、ケタミンはチトクロームP450(CYP)により主代謝物ノルケタミンに代謝され、ノルケタミンも鎮痛効果に大きく関与する可能性が示唆されている。しかし、注射剤以外のケタミン製剤の体内動態は、ケタミンおよびノルケタミン各光学異性体の活性が異なるにもかかわらず、詳細には検討されていない。さらに、ケタミンの主代謝経路である脱メチル化反応に関与するCYP分子種は不明であることから、代謝過程に起因する体内動態の変化を予測することは困難である。

 そこで、神経因性疼痛緩和を目的とした注射剤以外のケタミン製剤として、普通錠、舌下錠、坐剤および点鼻剤の製剤化を試みた。ついで、開発した定量法を用いて、それらを投与後の血漿中ケタミン、ノルケタミン濃度推移の比較を行った。そして、ケタミン製剤投与後の鎮痛効果をNMDA受容体結合占有率(占有率)に基づいて評価し、臨床において神経因性疼痛緩和に適用可能なケタミンの経口製剤の開発と理論的な用法用量の設定を行った。さらに、ケタミンの代謝特性に関する検討を行い、適正使用のための情報の構築を行った。

【本論】

1.各種ケタミン製剤の調製

 神経因性疼痛緩和を目的とした注射剤以外のケタミン製剤として、経口製剤では普通錠および舌下錠、経口摂取が不可能な患者に対して非経口的に投与可能な坐剤および点鼻剤を調製した。

 普通錠に関しては、顆粒圧縮法による処方1および調製が簡便な直接打錠法による処方2について製剤処方を検討した。処方2の普通錠は、処方1に比べ、重量および含量の変動が約5倍、硬度は1/2以下、摩損度は約3倍であった。これらの結果から、普通錠には顆粒圧縮法による処方1を用いた。

2.HPLCによるケタミンおよび代謝物ノルケタミンの定量法の開発

 血漿からの薬物の抽出はアルカリおよび酸を用いて行うことにより、〓雑物の影響を取り除くことを可能とした。カラムはcellulose tris(3,5-dimethyl phenyl carbamate)を担持させたシリカゲルを充填したCHIRALCEL ODを使用し、移動相は、n-ヘキサン:2-プロパノール=98:2の混液を用いた。測定条件は、カラム温度35℃、流速0.8ml/min、検出波長215nmとした。

 ケタミンおよびノルケタミンそれぞれの光学異性体の分離は良好であり、各光学異性体の検量線は良好な直線性を示した。抽出率はいずれも85%以上であり、日内変動および日間変動は11%以下であった。本定量法はケタミンを鎮痛薬として低用量で投与した後のケタミンおよびノルケタミン各光学異性体の血漿中濃度の測定に応用可能であることが示唆された。

3.タミン製剤投与後のケタミン、代謝物ノルケタミンの血漿中濃度推移

 健常成人3名にケタミン製剤投与後のケタミンおよびノルケタミンの血漿中濃度推移は、各製剤において異なった。ケタミン製剤のバイオアベイラビリティは、(R)、(S)一体共に普通錠では約20%と最も低く、舌下錠および坐剤では約30%、点鼻剤では約45%であった。各製剤投与後におけるAUCのノルケタミン/ケタミン比は、普通錠ではラセミ体および光学異性体共に7以上であったが、舌下錠と坐剤では4〜5、点鼻剤では2以下と低く、初回通過代謝の影響が各製剤間で異なることが示唆された。

4.ケタミン製剤間の鎮痛効果の比較

 各ケタミン製剤50mgを投与した後の占有率を、血漿中非結合型薬物濃度と解離定数を用いて算出した。総和としての占有率はいずれの製剤においてもほぼ同等であり、その時間推移のプロファイルと占有率時間曲線下面積は製剤にかかわらずほぼ同様の値を示した。

 また、ケタミンを筋肉内および経口投与後のケタミンおよびノルケタミンの血漿中濃度の報告値から算出した占有率と鎮痛効果との間に良好な関係が認められた。この関係を基に、各ケタミン製剤50mgを単回投与した後の鎮痛効果を予測したところ、効果発現時間が若干異なるものの、いずれの製剤を投与した場合にもほぼ同等の効果が得られることが示され、簡便に投与可能な普通錠が疼痛コントロールに最も適した剤形であると考えられた。普通錠を1回50mgおよび100mgで1日3回経口投与した場合に、ペインスコアの減少率を10%以上維持できることが予測され、有効かつ安全に普通錠を使用するには1回50mgを1日3回経口投与することが適していると考えられた。

5.患者におけるケタミンの普通錠投与後の鎮痛効果

 患者2名を対象に、4章で設定した用法・用量における普通錠の鎮痛効果を測定し、予測値と比較することによりその妥当性を検証した。普通錠50mgを単回経口投与したときの血漿中薬物濃度から予測したペインスコアの減少率は、患者Aでは51%、患者Bでは65%であり、各々の実測値である40%、60%とほぼ同等であった。さらに、患者7名を対象に、普通錠50mgを1日3回で繰り返し経口投与した時のペインスコア減少率は58±12%であり、血漿中薬物濃度のシミュレーション値から予測した最大減少率の72%に近い値を示した。これらの結果から、ケタミンの普通錠は神経因性疼痛のコントロールに有効であることが臨床において検証され、1回50mg1日3回の用法・用量が適切であると確認された。

6.適正使用のためのケタミンの代謝特性の評価

 患者10名からプールしたヒト肝ミクロゾームにおける(R)および(S)-ケタミン(10-2000μM)の脱メチル化反応には、親和性の異なる少なくとも2種類の酵素が関与していることが示唆された。ヒト肝ミクロゾームにおける(R)、(S)-ケタミンの脱メチル化反応はCYP2B6の阻害剤であるorphenadrineやCYP2C9の阻害剤であるsulfaphenazoleにより阻害されたが、CYP3A4の阻害剤であるcyclosporinでは阻害されなかった。また、これらの活性は、(R)、(S)-ケタミン共に抗CYP2B6抗体により約80%阻害されたが、抗CYP2C抗体および抗CYP3A4抗体では阻害されなかった。CYP2B6、CYP2CおよびCYP3A4のヒトCYP発現系ミクロゾームでのケタミンの脱メチル化活性において、Vmax値には(R)、(S)-体共に差は認められなかったが、Km値はCYP2B6がCYP2C9およびCYP3A4と比べ小さく、高い親和性を示した。また、固有クリアランス(CLint)値は(R)-体、(S)-体共にCYP2B6が最も大きく、CYP3A4の約7倍、CYP2C9の約10倍であった。これらの結果から、ケタミンの脱メチル化反応におけるhigh affinityの反応にはCYP2B6が関与し、low affinityの反応にはCYP2C9やCYP3A4が関与している可能性が示唆され、臨床において薬物間相互作用等を回避し適正に使用するための情報を構築することができた。

7.ケタミン製剤の臨床適用

 本研究の結果から臨床適用可能となったケタミン製剤は、神経因性疼痛の緩和に年間2万錠以上使用され、患者のQOL向上に大きく貢献している。

【結論】

 以上の検討より、神経因性疼痛の緩和を目的とするケタミンの経口製剤を初めて開発し、それを有効かつ安全に使用するための情報を構築することにより臨床応用を可能とし、疼痛のコントロールが困難な神経因性疼痛を有する患者のQOL向上に大きく貢献することができた。

審査要旨 要旨を表示する

 ケタミンは、n-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体阻害作用を有し、麻酔薬として繁用されている薬物である。近年、帯状庖疹後神経痛等の非ステロイド性抗炎症薬やオピオイド系鎮痛薬では奏効し難い神経因性疼痛に対して、麻酔用量よりも少ない用量でケタミンが有効であるとの報告がなされ、臨床においてもその目的で用いられるようになってきた。しかし、市販されているケタミンの製剤は麻酔用の注射剤のみであるため、在宅において投与可能な新しい剤形の開発が切望された。

 ケタミンは光学異性薬物であり、鎮痛効果は(S)-体が(R)-体に比べ3〜4倍強いこと、チトクロームP450(CYP)により主代謝物ノルケタミンに代謝され、ノルケタミンも鎮痛効果に大きく関与する可能性があることが示唆されている、しかし、注射剤以外のケタミン製剤の体内動態は、光学異性体別に詳細には検討されておらず、また、ケタミンの主代謝経路に関与するCYP分子種も明らかにされていない。

 本研究では神経因性疼痛緩和を目的とした注射剤以外のケタミン製剤として、普通錠、舌下錠、坐剤および点鼻剤の製剤化し、それらを投与後の体内動態とNMDA受容体結合占有率(占有率)に基づいた鎮痛効果の評価を行い、臨床において神経因性疼痛緩和に適用可能なケタミンの経口製剤の開発と理論的な用法田用量の設定を行った。さらに、ケタミンの代謝特性に関する検討を行い、適正使用のための情報の構築を行った。

1.各種ケタミン製剤の調製

 神経因性疼痛緩和を目的とした注射剤以外のケタミン製剤として、経口製剤では普通錠および舌下錠、経口摂取が不可能な患者に対して非経口的に投与可能な坐剤および点鼻剤を調製した。

 普通錠に関しては、顆粒圧縮法による処方1および調製が簡便な直接打錠法による処方2について製剤処方を検討した。処方2の普通錠は、処方1に比べ、重量および含量の変動が約5倍、硬度は1/2以下、摩損度は約3倍であった。これらの結果から、普通錠には顆粒圧縮法による処方1を用いた。

2.HPLCによるケタミンおよび代謝物ノルケタミンの定量法の開発

 血漿からの薬物の抽出はアルカリおよび酸を用いて行うことにより、〓雑物の影響を取り除くごとを可能とした。カラムはcellulose tris(3,5-dimethylphenyl carbamate)を担持させたシリカゲルを充填したCHIRALCEL ODを使用し、移動相は、n-ヘキサン:2-プロパノール=98:2の混液を用いた。測定条件は、カラム温度35℃、流速0.8ml/min、検出波長215nmとした。

 本定量法は、ケタミンおよびノルケタミンそれぞれの光学異性体の分離は良好であり、再現性に優れ感度も良好であることから、ケタミンを鎮痛薬として低用量で投与した後のケタミンおよびノルケタミン各光学異性体の血漿中濃度の測定に応用可能であると考えられた。

3.ケタミン製剤投与後のケタミン、代謝物ノルケタミンの血漿中濃度推移

 健常成人3名にケタミン製剤投与後のケタミンおよびノルケタミンの血漿中濃度推移は、各製剤において異なった。ケタミン製剤のバイオアベイラビリティは、(R)、(S)-体共に普通錠では約20%と最も低く、舌下錠および坐剤では約30%、点鼻剤では約45%であった。各製剤投与後におけるAUCのノルケタミン/ケタミン比は、普通錠ではラセミ体および光学異性体共に7以上であったが、舌下錠と坐剤では4〜5、点鼻剤では2以下と低く、初回通過代謝の影響が各製剤間で異なることが示唆された。

4.ケタミン製剤間の鎮痛効果の比較

 各ケタミン製剤50mgを投与した後の占有率を、血漿中非結合型薬物濃度と解離定数を用いて算出した。総和としての占有率はいずれの製剤においてもほぼ同等であり、その時間推移のプロファイルと占有率時間曲線下面積は製剤にかかわらずほぼ同様の値を示した。

 また、ケタミンを筋肉内および経口投与後のケタミンおよびノルケタミンの血漿中濃度の報告値から算出した占有率と鎮痛効果との間に良好な関係が認められたことから、各ケタミン製剤50mgを単回投与した後の鎮痛効果を予測した。各ケタミン製剤は効果発現時間が若干異なるものの、いずれの製剤を投与した場合にもほぼ同等の効果が得られることが示され、簡便に投与可能な普通錠が疼痛コントロールに最も適した剤形であると考えられた。普通錠を1回50mgおよび100mgで1日3回経口投与した場合に、ペインスコアの減少率を10%以上維持できることが予測され、有効かつ安全に普通錠を使用するには1回50mgを1日3回経口投与することが適していると考えられた。

5.患者におけるケタミンの普通錠投与後の鎮痛効果

 患者2名を対象に、設定した用法自用量における普通錠の鎮痛効果を測定し、予測値と比較することによりその妥当性を検証した。普通錠50mgを単回経口投与したときの血漿中薬物濃度から予測したペインスコアの減少率は、患者の実測値とほぼ同等であった。さらに、患者7名を対象に、普通錠50mgを1日3回で繰り返し経口投与した時のペインスコア減少率は血漿中薬物濃度のシミュレーション値から予測した最大減少率に近い値を示した。これらの結果から、ケタミンの普通錠は神経因性疼痛のコントロールに有効であることが臨床において検証され、1回50mg1日3回の用法・用量が適切であると確認された。

6.適正使用のためのケタミンの代謝特性の評価

 ヒト肝ミクロゾームにおける(R)および(S)-ケタミンの脱メチル化反応には、親和性の異なる少なくとも2種類の酵素が関与していることが示唆された。ヒト肝ミクロゾームにおける(R)、(S)-ケタミンの脱メチル化反応はCYP2B6の阻害剤であるorphenadrineやCYP2C9の阻害剤であるsulfaphenazoleにより阻害されたが、CYP3A4の阻害剤であるcydosporinでは阻害されなかった。また、これらの活性は、(R)、(S)-ケタミン共に抗CYP2B6抗体により阻害されたが、抗CYP2C抗体および抗CYP3A4抗体では阻害されなかった。CYP2B6、CYP2CおよびCYP3A4のヒトCYP発現系ミクロゾームでのケタミンの脱メチル化活性において、Km値はCYP2B6がCYP2C9およびCYP3A4と比べ小さく、高い親和性を示した。また、固有クリアランス値は(R)-体、(S)-体共にCYP2B6が最も大きかった。これらの結果から、ケタミンの脱メチル化反応におけるhigh affinityの反応にはCYP2B6が関与し、low affinityの反応にはCYP2C9やCYP3A4が関与している可能性が示唆され、臨床において薬物間相互作用等を回避し適正に使用するための情報を構築した。

7.ケタミン製剤の臨床適用

 本研究の結果から臨床適用可能となったケタミン製剤は、神経因性疼痛の緩和に年間2万錠以上使用され、患者のQOL向上に大きく貢献している。

 以上の検討より、神経因性痔痛の緩和を目的とするケタミンの経口製剤を初めて開発し、それを有効かつ安全に使用するための情報を構築することにより臨床応用を可能とし、疼痛のコントロールが困難な神経因性疼痛を有する患者のQOL向上に大きく貢献することができた。

 以上、本研究はケタミン製剤の開発とその体内動態および鎮痛効果に関する新しい知見を示すことにより、医療薬学の臨床応用に大きく寄与しており、博士(薬学)の学位に十分に値するものであると判断した。

UTokyo Repositoryリンク