学位論文要旨



No 215549
著者(漢字) 長谷川,貴彦
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,タカヒコ
標題(和) 建築セクターにおける環境政策デザインに関する研究
標題(洋)
報告番号 215549
報告番号 乙15549
学位授与日 2003.02.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15549号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 助教授 大岡,龍三
内容要旨 要旨を表示する

 建築物の建設、使用、改修及び解体等は、エネルギー及び材料の消費、廃棄物の創出等を通じて環境に大きな負荷を与えている。このため、建築物や建築関連活動の環境性能を向上させることが環境負荷の低減のために重要であり、政府が適切な政策をデザインし導入することが求められている。このためには、政策担当者が、選択肢となる政策手法の特性を正確に理解したうえで、個別の状況に応じて、適切な手法を選択することが必要となる。環境政策手法の特性については、主に環境経済学の専門家により、理論面及び経験面の両面で研究が進められてきた。しかしながら、これらの研究の大部分は、工業セクターを念頭においたもので、建築セクターを対象とした環境政策手法の特性については、同セクターが存置期間の長期性、土地への付属性等様々な固有の特性を有しているにも関わらず、体系的な研究が行われた例が世界的にほとんどない。

 このような状況を背景に、本研究は、0ECD加盟国を念頭に、建築セクターを対象とした主要な環境政策手法のうち、C02排出削減、建設・解体廃棄物の最小化及び室内空気環境汚染の防止を目的とするものの特性について、環境面での有効性、経済効率性、より費用対効果の優れた技術の開発を促進する効果及び行政コストの4つのクライテリアを用いて分析し、今後の本セクターを対象とした環境政策デザインのあり方を考察した。

 本研究における政策手法の特性の分析は、理論面及び経験面の両面から行われた。理論的分析では、主として工業セクターを念頭に築き上げられてきた主要な環境政策手法の一般的特性に関する理論が建築セクターにどのように適用されるかを、建築セクターのもつ固有の特性を勘案しながら検証することにより、各政策手法の特性についての推論を導き出した。経験的分析では、各政策手法の特性について示唆を与える経験的事実を網羅的に0ECD諸国において収集し、分析することにより、上述の理論的分析により得られた結果を、経験的事実が裏付けているかどうかを検証した。理論的分析においては、建築セクターの固有の特性の影響により、環境政策手法の特性に関する一般的理論が、建築セクターに当てはまらないことも少なくないことが明らかになった。経験的分析においては、一部の政策手法は、必ずしも理論的分析の予測するとおりに機能しないことがあることも確認された。0ECD諸国においては、本セクターを対象にした環境政策手法の事後評価の事例が非常に少ないため、環境政策手法の特性に関して明確な結論を導くのに十分な経験的事実の蓄積がされていない部分も多々存することも明らかになったが、本分析の結果は、今後の建築セクター向けの環境政策デザインのあり方について、政策課題別に、以下のような多くの有用な示唆を与えている。

 建築セクターからのC02排出の削減については、建築物のエネルギー効率の向上が重要となるが、0ECD諸国においては、これまで新築建築物を対象とした建築規制におけるエネルギー効率に関する最低某準が、エネルギー効率向上のための政策のなかの大きな比重を占めてきた。こうした規制的手法は、理論的には高い有効性をもつ手法とされるが、いくつかのOECD諸国の経験は、本手法が新築建築物の効率の底上げには有効であるが、比較的効率の水準の高いものにも実質的な効果を与えられるほど高い水準の最低基準を設定するのは困難であることを示している。このような建築規制の果たしうる役割の限界を踏まえれば、新築建築物のエネルギー効率の向上を図るうえで、建築規制に過度の比重を置くことを避け、エネルギー効率の水準が比較的高い建築物にもインパクトを与えられる経済的手法及び情報伝達的手法を建築規制に組み合わせることにより、より広い範囲の新築建築物に実質的なインパクトを与えうる政策手法のパッケージをかたちづくることが建築セクター全体のC02排出量を相当量削減するために必要である。また、こうした方法は、経済効率性及び技術開発促進効果が低いという建築規制の弱点を補う効果もある。

 これまで0ECD諸国で導入されてきた建築セクターからのC02排出削減のための政策手法の大部分は、新築建築物を主たるターゲットとしてきた。しかしながら、新築建築物は建築物ストックのわずかな割合しか占めておらず、これらの政策手法が有効に機能したとしても、建築ストック全体に与えうるインパクトは限定的である。また、エネルギー効率改善措置はべースラインとなるエネルギー効率が低いほどその費用対効果が高まること、及び新築建築物と既存建築物との間のエネルギー効率のギャップが年々拡大していることを踏まえれば、既存建築物セクターをエネルギー効率改善のための政策手法のターゲットに加えることが、以前よりも経済的に合理的な選択になりつつある。

 既存建築物セクターは、エネルギー効率改善措置の費用対効果が個々の建築物の状況に応じて非画一的であることなど新築建築物セクターにはない効果的な政策手法の導入を難しくする要因がいくつか存するが、既存建築物セクターのエネルギー効率改善のポテンシャルの大きさに鑑み、建築物のエネルギー効率向上のための政策の重点を既存建築物セクターにシフトしていく必要がある。本分野において、理論的分析の結果が高い有効性を示し、かつ、その結果が経験的事実に裏づけされていることが確認された唯一の手法がエネルギーオーディットであり、本手法が、今後既存建築物対策の中心的役割を果たしていくことが期待される。

 建築関連の建設・解体廃棄物の最小化に関連する政策目標は、主として、廃棄物の最終処分量の低減、リサイクル建築材料等の建築セクター内での活用促進及び建築デザインにおける廃棄物の最小化に関連した性能の向上の3段階のものが想定される。このうち、廃棄物の最終処分量の低減については、デンマーク及びオランダの経験等が示すとおり、理論的分析ではさほど有効性が高くないとされた埋立税及び焼却税が非常に有効な手法であることが確認された。一方、埋立税等とともに、建設・解体廃棄物対策の主要施策となっている埋立規制等の規制的手法については、理論的分析が高い有効性を予測したにもかかわらず、それを裏付ける経験的事実を確認することはできなかった。こうした点を踏まえれば、埋立税及び焼却税の手法を、最終処分量の低減のための主要な政策手法として活用することが適当であると考えられる。

 ただし、埋立税等も、リサイクル建築材料等の建築セクターにおける活用促進には、あまり効果がなく、0ECD諸国では、リサイクルされた廃棄物は、あまり高い水準の品質を必要とはしない道路整備工事等で使われている。こうしたかたちのリサイクリングは、建築関連活動におけるバージン材の使用量を低減させる効果がなく、また、長期的に依存可能であるかどうかが不確実である。このため、リサイクルされた建設・解体廃棄物の建築セクターでの活用を促進するための政策手法を充実させることが必要である。そのためには、リサイクル建築材料等の市場での競争性を高めること及びリサイクル建築材料等の品質に関する疑念を払拭が本分野における政策デザインの鍵を握ると考えられ、バージン材税やリサイクル建築材料等向けの品質認証制度及び同材料等の使用を念頭においた標準仕様書の作成の組み合わせなどの活用が想定される。

 ホルムアルデヒド等建築材料等から放散される汚染物質による室内空気汚染の防止のためには、汚染物質の含有量の少ない建築材料等を使用すること及び換気量を増やすことが重要であるが、このうち、建築材料等の品質は、室内空気環境汚染を防止するうえで特に重要な要素であるだけでなく、有効性の高い規制的手法を導入しやすいターゲットであると考えられる。デンマークなどの経験が示すとおり、関連製品の生産者が一旦その生産体制を最低基準を満たす製品にシフトすれば、当該基準を満たさない製品が市場に出回る可能性が非常に少なくなり、本手法は、確実に建築材料等の品質及び室内空気環境を改善することができる。また、本規制では、関連製品の工場における生産プロセスに対するコントロールを厳しく行うことにより、個々の建築物の建設現場における必要な手続きが単純化され、デンマークやドイツの経験が示すとおり、行政コストは比較的小さい。以上の点を踏まえれば、建築材料等の品質に関する規制を積極的に活用し、確実に建築材料等の品質の改善を図ることが重要であると考えられる。

 ただし、こうした手法の活用は、各国の規制に対する基本的考え方に左右される部分が大きい。特に、室内空気環境汚染による健康被害のように、通常人間の生死に関わるほどの重大な被害をもたらさない問題の場合は、上述のような規制の導入について利害関係者のコンセンサスを築くのが難しい国又は地域も存すると考えられる。こうした場合に有効と考えられるのは、より拘束力の小さい環境ラベリングの手法を活用した建築材料等の品質の改善である。室内空気環境汚染は居住者の健康問題に直結するため、ラベリングの導入は、投資者等がより関連性能を優れた建築物を選択することを促すと考えられるほか、本研究における経験的分析は、関連製品の生産者にも直接インパクトを与えることを示している。政府は、各国の状況や問題の特性に応じて、適宜これらの手法を使い分けながら、建築材料等の品質を改善していくことが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

 環境政策手法にかかわる研究は、主として環境経済学で行われてきたが、その対象は製造業を対象とするものであった。建築セクターにおけるエネルギー使用量や資源使用量が国全体の30%〜50%を占めるにも拘らず、存置期間の長期性、土地への付属性、一品生産性など様々な固有の特性を有した建築セクターを対象とした、体系的な研究は世界的にみても殆ど未開拓であった。本論文は、地球的視点にたって、建築セクターにおける環境政策デザインを研究対象とした高い萌芽性・挑戦性をもつものである。

 本論文は、環境面での有効性、経済効率性、より費用対効果の優れた技術の開発を促進する効果及び行政コストの4つのクライテリアを分析軸として明確に設定している。こういった分析軸の設定は新しい視点を開くものであると同時に論文の内容に首尾一貫性を与えている。

 本論文の分析は、理論的側面と、経験的分析の二面から行われている。まず理論面の分析においては、前記の製造業等を対象として構築されてきた環境政策手法にかかわる一般的理論が建築セクターを対象とした場合、どの点が有効であり、どの点に独自の理論構築が必要であるかを、個別具体の問題を対象に考察を加え、理論的推論を導きだしている。経験的分析の側面では、0ECD加盟諸国における、政策担当者への聞き取り調査を含むほぼ悉皆的な調査を行い、これをもとに、各国で行われている政策とその効果が、上記の理論的推論と一致するかどうかを検証している。

 本論文の第」の価値は、世界規模での情報収集や、欧州の環境経済学分野の経済学者との意見交換を通じて、環境政策にかかわる既往の学問的体系と着実にリンクしつつも、単にその理論的側面だけに遊離してしまうことなく、経験的分析と理論的分析の結果を相互比較している点である。

 このような分析を経て得られた知見にも興味深いものが多い。たとえば、建築セクターにおける省エネルギーを進めるにあたって、規制的手法は、確かに高い有効性をもつ手法ではあるが、高い水準の設定や、イノベーションを促進するには効果があまりなく、むしろ経済的手法及び情報伝達的手法がより高い有効性が認められることが、理論面、経験的分析面両面から証明されている。

 また、国全体の省エネルギーを進める量的効果を生むために必要な既存建物の性能向上については、理論的分析及び、経験的事実に裏づけが得られた唯一の手法がエネルギーオーディットであることも示されている。

 加えて、埋立税等が、最終処分量を軽減する意味でのリサイクル率の向上に劇的な効果をもつことも理論・経験両面から証明されている。しかも一方では、本論文における分析は、その劇的な効果が、建築活動に伴う新規の資源最終量の低減という形での効果は生みでしていないことも同時に導きだしており、その効果を生むためには、むしろバージン材税という政策手段が有効であることを、理論・経験両面から導きだしている。

 このように本論文の第二の価値は、当事者が限られた知見と経験に基づいてとられてきた政策手段について、より体系的かつより科学的な手段により、その有効性を考察し検証する方法を創造し、かつまたその手法を用いて有益な知見を導きだしたことにある。既に、これらの知見が、国際的な規模で製作現場で用いられ始めようとしていることからみても、その業績の国際的な価値は高い。

 このように本論文はその対象が萌芽的で挑戦的なものでありながら、既往研究が豊富にある分野における論文と比較しても遜色のない学術的価値を導きだしている。その学術成果は、建築セクターにおいてより有効な政策手段をデザインしていくための手がかり及び手段を与えるものであり、その対象とする問題が地球規模で深刻になりつつあることを勘案すると、地球規模で寄与する社会的・実務的意義ももっている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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