学位論文要旨



No 215563
著者(漢字) 榎原,雅治
著者(英字)
著者(カナ) エバラ,マサハル
標題(和) 日本中世地域社会の構造
標題(洋)
報告番号 215563
報告番号 乙15563
学位授与日 2003.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15563号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 久留島,典子
 お茶の水女子大学 教授 安田,次郎
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、在地社会の自立性が強調される中世後期の社会にあって、それでもなおそれを束ねる契機を在地社会自身のうちに見出すことはできないか、そうした契機と権力の接点を探ることによって中世後期の国家公権と呼ばれるものの性格を再検討することができるのではないか、という課題を追ったものである。

 本論文の構成と各章の概要は以下のとおりである。

 第一部には中世後期の荘園と村についての著者の基本的な認識を示すものを収めた。第一章「十五世紀東寺領矢野庄の荘官層と村」は15世紀の東寺領播磨国矢野庄における荘官層の動向に焦点をあてて、中世後期の荘園と村のありかたを論じたものである。原型となった論文は1982年に東京大学大学院人文科学研究科に提出した修士論文であり、当時行われていた中間層論、すなわち中間層の基本的な成長方向を地主化と見るか領主化と見るか、という議論を意識した論述構成となっている。その後、学界の在地社会研究の関心がイエ、村落景観、村落間関係、刑罰などに多様化して、階層分析的な在地研究の一環としての中間層研究は低調となり、本書でも中間層に焦点を当てて論述した章はこの章のみであるが、この章で述べた荘園と集落、名、鎮守、室町期の守護など、中世後期の在地社会を構成する基本的な要素についてのイメージは、本書全体の基調となっている。

 第二章「汎・矢野庄の空間構成」は景観復元それ自体に価値をおく近年の荘園研究に触発され、先行研究の多い東寺領部分だけでなく、南禅寺領や海老名氏領の部分もあわせて、矢野庄全体の空間構成を復元したものである。検注取帳という種類の土地台帳の特性を生かすとともに、現地調査結果を踏まえて、恣意的な復元に陥らないように努めたつもりである。また前章で提示した人的結合としての村が、13世紀末には集落という形で成立していたこと、東寺領矢野庄の空間構成の特質が、そこで活動する中間層のあり方を規定していたことなどを指摘した。

 第三章「荘園文書と惣村文書の接点」では、在封寺社や惣村に伝来した文書群の重要な構成要素である「日記」と呼ばれる形式の文書の性格を検討することによって、荘園文書と惣村文書の関連を明らかにした。そして惣村という、場合によっては荘園制を破壊する要素として見られることもあったものが、実は中世後期の荘園制を構成している一つの要素だったのではないかと指摘したものである。室町期の在地社会を見るうえでは、荘園制の論理で理解できるところと理解できないところをきちんと確認しておく必要があるのではないか。その作業を経て、初めて中世社会と近世社会の差異や変容を考えることができるのではないか。そのような考えに基づいて論述している。

 第二部には、荘園の枠を越え、信仰や流通などさまざまな局面で交流する人々の様相を描いたものを収めた。

 第一章「山伏が棟別銭を集めた話」は室町幕府によって公許された棟別銭が、修験者の在地の状況把握能力に依拠して行われていたことを指摘したものである。修験者の機能や中世の徴税の実態に関する事例として引用されることが多いが、村の中における家の格付けが、村住人の、村や荘郷を越えて信仰を集める寺社に対する奉加への参加を通じて、村や荘郷を越える社会=地域社会でも認定される格付けになっていくことを指摘した「おわりに」の部分が、私としてはもっとも主張したい点である。

 第二章「備前松田氏に関する基礎的考察」は題名のとおり、戦後の中世史研究の中ではまったく注目されることのなかった備前の国人松田氏に関する基礎的史実を抽出したものである。そのこと自体がこの章の第一の目的であるが、あわせて、分権的志向の強い室町期の地方社会をある権力が統合しようとするとき、一宮が意外に大きな役割を果していたのではないか、という展望を示した。

 その展望を検証したものが第三章「荘郷鎮守と一国祭祀」である。ここでは室町期若狭には観音三十三所霊場という形で結びつけられた一宮および荘郷鎮守のネットワークがあったこと、そして守護武田氏は、この寺社のネットワークの頂点に一国規模の宗教行事を位置づけ、みずから主催することによって一国公権者としての地位を権威づけていたことを指摘した。

 第二章、第三章では宗教施設としての寺社とともに、その門前で開かれる市場の存在にも注目し、不十分ながら、寺社のネットワークが単なる宗教上のつながりにとどまらず、流通拠点のつながりをも意味していたことを指摘した。その関心から、地域内における交通、宿、市などのあり方を考えたものが第四章「中世後期の山陽道と宿」である。論点がやや散漫になっているのではないかという危惧はもつが、地域社会の結合や、在地社会と広域権力の関係についての考察を深めるためには、交通や地方都市のあり方を示す事例を蓄積していくことが重要であろうと思う。

 第五章「豊凶情報と損免要求」は、中世の農民が損免を勝取るために地域の情報を収集し、「天下一同」という荘園領主の論理に対抗して「一国平均」という論理を生み出していたことを指摘したものである。

 第三部の二つの章は、ともに学会の大会報告をもとにしたものである。第一章「中世後期の地域社会と村落祭祀」は歴史学研究会1992年度大会中世史部会、第二章「地域社会における「村」の位置」は1997年度歴史科学協議会大会での報告である。

 第一章は、第二部第一〜三章に基づきつつ、中世後期の畿内・近国の在地に広がっていく社会的結合と、その結合が生み出す地域秩序を吸収することによって形成されていく守護公権のあり方を論じたものである。定義ないままに守護公権を重視して中世後期の地域権力を論じる傾向の見られた1990年前後の研究動向への批判を意図したものである。

 第二章は本書では数少ない中世社会の解体に言及したものである。本書は基本的には室町期という一応の安定を得た時代の在地構造を探る内容になっている。全頁を通じて荘園制の秩序を意識した叙述が濃厚で、本章でも「惣荘」の語を多用した。そのためこの章は中世末期に至るまでの荘園制の存続を主張したものであるように受けとめられることもあるが、著者の意図はそうではない。だれが地域社会に対する義務を果たす主体であったか、という視点を出すことによって、地域の社会的関係の中における村の位置を見極めることができるのではないかというのが、本章の主たる目的である。そして、畿内・近国地域においては13世紀ごろに村が集落として成立するが、16世紀初頭までは、地域社会の中では荘園制的な秩序に則った形でしか登場しえないこと、その後は村がそれ自身で地域社会に対する義務主体として登場するようになるが、この変化によって16世紀中期以後の当該地域の社会からは中央政権への求心性が失われていく事態を指摘した。こうした求心性の麻痺した社会を再び統合するには、村を支配対象として明確に認定・把握していくことが来るべき国家の課題だったのではないかという展望を示したものである。

 以上のように、本書は、室町期の在地社会の人々や諸集団が、信仰や流通によって地域的な関係を構築しつつ、その関係を荘園制的な諸制度によって秩序づけることによって一種の安定状況をうみだしていたこと、そしてそれが幕府一守護による地方支配体制をささえる構造になっていたことを述べたものである。当該期の社会の全体を語るには中途段階にあるといわざるをえないが、従来の中世後期研究において在地の結合を示す運動として注目されてきた一揆--成文化された盟約を結んだり、蜂起行動を示したりする顕著な運動--だけではとらえきれない、さまざまな地域結合のあり方を見いだす視角を提示した点は、研究史上に一定の意味を持ちえたかと思う。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、日本中世後期(14〜16世紀)の地域社会の実態を、荘園・村・寺社・交通路などの景観の復元を通じて空間的・領域的に把握し、さらにそこから幕府・守護等の公権をとらえ返すことを試みたものである。文献史料に過度に依存してきた先行研究の批判の上に立ち、現地調査を併用して地図や地名を積極的に利用することにより、地域社会を臨場感をもって描き出すことに成功している。

 本論文の学説史に対する貢献は、つぎの三点に要約できる。

 (1)荘園の実態が荘園領主側の視点からしかとらえられていなかった先行研究を批判し、精細な現地調査に基づいて、荘園の全体像を空間的・領域的に把握したこと。とくに、豊富な文献史料に恵まれ、膨大な研究史をもつ播磨国矢野庄を素材に、東寺領「矢野例名」が、南禅寺領「矢野別名」や地頭方、浦分を含めた荘園全体のなかでどんな部分を占めるのかを、初めて明瞭に示した部分(第一部第二章)は、本論文中の白眉である。

 (2)地域社会のまとまりを形成する要素として、宗教者の活動や寺社の組織(一宮と在郷鎮守のネットワーク)に着目し、それらを束ねる存在としての守護の一側面を浮き彫りにしたこと。とくに、守護が管国から租税を徴収する際、国内をめぐって活動を展開する山伏などの宗教者が獲得した在地情報に依存していた、という指摘(第二部第一章・第三章、第三部第一章)は、中世後期の公権による在地把握の特徴を、これまでになかった角度から提示したものである。

 (3)従来の荘園制研究では、解体期という消極的な評価しか与えられてこなかったこの時期の荘園制について、土地制度という観点からではなく、「地域社会に対する義務」という視点から荘園の役割を再評価し、その役割が消失することで、「村」が地域社会の主役として本格的に登場する、という見通しを提示したこと(第三部第二章、神論二)。この見通しには、近世の行政村の前提が中世社会のなかからどのように生み出されてくるのか、という観点が含まれており、中世から近世への移行の統一的把握という、現今の学説状況における重要課題に一石を投じたものとなっている。

 このように本論文は、中世後期の地域社会に関する研究を大きく塗りかえた優れた業績である。充分な材料や先行業績の乏しい領域に挑戦したことにより、論証の細部には異論を生じる部分もなしとしない点、近世への言及が近世史からのアプローチを充分に咀嚼したものになっておらず、見通しの提示に留まっている点など、不満を感じさせる部分もあるが、全体的な学説史的意義を損なうほどの弱点ではない。

 以上より、本委員会は、本論文を博士(文学)の称号を授与するにふさわしい優れた業績として認めるものである。

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