学位論文要旨



No 215571
著者(漢字) 武田,康裕
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,ヤスヒロ
標題(和) 民主化の比較政治 : 東アジア諸国の体制変動過程
標題(洋)
報告番号 215571
報告番号 乙15571
学位授与日 2003.02.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15571号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 古田,元夫
 東京大学 教授 恒川,恵市
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 若林,正丈
内容要旨 要旨を表示する

 1970年代中葉、ギリシア、ポルトガル、スペインなど南欧の非民主主義体制が相次いで崩壊し、民主的な政治体制へと移行した。その後、政治的民主化の動きは、80年代前半に中南米、後半にアジア地域へと波及し、90年代に入ると旧ソ連・東欧からアフリカ地域にまで拡散した。こうした世界的潮流を背景に、民主化は比較政治学における中心的な研究課題として浮上した。しかし、豊富な実証データが蓄積されてきたわりに、民主化の理論的分析は未だ十分な成果をあげているとはいい難い。かつて、比較政治学の二大学派を形成した近代化論や従属論が、現実の体制変動過程に対する説明能力を欠いた単線的な決定論として退けられて以来、一般的な理論モデルの構築は、第三世界の多様性を無視した不毛な試みとして批判されてきた。

 その結果、数多くの研究プログラムは、個別具体的な民主化現象の記述的分析に終始し、共通の概念装置や枠組に基づく比較論的分析を遠ざけてきた。そして、個々の体制変動に見られる特殊性や不確実性が強調され、政治エリートの戦略や決定という観点から、民主化過程の説明に焦点を当てたアプローチが主流を占めてきた。因果論的分析に関心を寄せる研究でも、近代化論が陥った決定主義を避けるために、長期的な背景要因として複数の社会・経済的要因を列挙するにとどまり、包括的な理論を提示するには至っていない。

 民主化という現象を構造的要因だけで説明することはできない。同時に、政治エリートによる民主化の決定が、環境に一切制約されないわけでもない。したがって、いかなる環境の制約の下で、どのような政治的決定が行われたときに、民主主義体制への移行が開始され実現に至ったのか、あるいは至らなかったのかが検討されねばならない。政治体制の移行が、支配集団内の亀裂によって開始され、民主化に対して態度の異なる政治エリート間の勢力関係によって、多様な変動経路をたどるとする点で概ね見解の一致が見られる。しかし、移行前の政治体制を規定する制度的要因が、政治エリート間の力関係に与える影響はほとんど解明が進んでいない。

 東アジアを対象とする既存の民主化研究では、地域の特殊性や域内の多様性を強調する余り、一般化や比較の視点が特に等閑視されてきた。また、経済発展を政治的民主化の原因に読み替える発展主義パラダイムヘの回帰や構造主義的アプローチヘの偏重が顕著に見られる。そこで、本稿では、地域性を超えた単一の分析枠組を設定し、共通の基準で東アジア諸国を比較分析することにした。さらに、体制移行過程に参加するアクターの行動とそれを制約する環境、そして両者の相互作用に分析の焦点を当てた。

 本稿の主たる目的は、上記の問題関心から、民主化の成否や形式を左右する政治・制度的要因を検討することにある。特に、政治エリート間の勢力関係を規定する要因として、本稿が重視したのは、非民主主義体制下における軍部と政党の役割である。

 軍部は、非民主主義体制を支える暴力装置であり、同時に体制を支配する政治勢力でもある。しかし、軍部が一貫して既存の体制を支持し続ける限り、統治エリートの内部で体制改革を志向する集団が台頭することはなく、対抗エリートの側が体制移行の主導権を握ることもない。こうした体制移行期における軍部の政治からの撤退行動は、移行前の政治体制下で培われた専門職業主義や統制のあり方が影響を与えたと考えられる。

 また、政党は、政治エリートが大衆を動員し統制するための装置である。民主化運動に動員される大衆が拡大すれば、統治エリートに対する民主化圧力は強化される。他方で、民主化運動の急進化を回避すべく大衆を効果的に統制できれば、統治エリートによる弾圧を防ぐこともできる。つまり、政党が有効に機能するかどうかによって、支配集団内の亀裂を誘発し、統治エリートと対抗エリートとの力関係を変更することが可能となる。こうした政党機能の有効性は、移行前の政治体制下における政党および政党システムのあり方によって規定される。

 本稿は、第1章から第3章までの理論分析と、第4章から第6章までの事例分析から構成される。

 第1章では、民主的移行の起点及び終点となる政治体制を民主主義、全体主義、権威主義の三つに大別した後、多様な形態の権威主義体制をさらに「一党統治」、「個人支配」、「軍事支配」に類型化した。その上で、1975年から84年までの東アジア諸国の政治体制を各類型に当てはめ、85年以降の体制変動と旧体制との相関関係をマクロの視点から概観した。

 第2章では、体制変動の分析視角として、政治の変化を経済・社会構造の産物と捉える「近代化の視角」及び「従属の視角」、政治エリートや軍・官僚組織の自律性を重視する「国家の視角」を批判的に検討した。そして、構造的アプローチと戦略的選択アプローチを統合し、両者の欠陥を補完する分析手法として、「政治・制度的アプローチ」の有効性を指摘した。

 第3章では、権威主義体制が解体しはじめる必要条件と、民主主義への体制移行が実現するための十分条件を考察した。まず全体の民主化過程を移行段階と固定化段階とに区分した上で、移行段階を非民主主義体制の解体局面と民主主義体制の形成局面とに分けた。そして、旧体制の解体を導く支配集団の亀裂が、どのような危機に直面したときにどのような形で発生するのかを考察した。次に、民主化の政治過程に参加する諸集団間の力学と、体制移行の形式(改革型、逃避型、転覆型)との関連を整理し、民主化実現の鍵として、軍を政治から撤退させる条件と、対抗エリートが大衆を動員・統制するための条件を仮説として提示した。

 第4章では、単一政党が支配する台湾、中国、ベトナムを取り上げた。一党統治型の権威主義体制に属する台湾では、国民党主導による「改革型」の民主化が実現した。一党独裁型の全体主義体制に分類される中国では、上からの政治体制改革に呼応した民主化運動が天安門事件で挫折して以来、民主的移行は長期の停滞が続いている。またベトナムでは、下からの民主化圧力が弱く、上からの体制改革の動きすらないままに、一党独裁体制が堅持されている。本章では、第一に、台湾と中国の比較を通じて、民主化の成否を分けた原因を権威主義体制と全体主義体制の相違から検討した。第二に、中国とベトナムの比較を通じて、民主化が停滞する共通の要因と、移行の進度に違いをもたらしている要因を考察した。

 第5章では、個人支配体制に属するフィリピンとインドネシアを取り上げた。フィリピンでは、一部国軍の決起とこれに呼応したピープルパワーによって権威主義体制が瓦解した後、対抗エリートの主導による「転覆型」の民主化が実現した。他方で、インドネシアでは、反政府運動の高揚と軍部や閣僚の離反によって権威主義体制が崩壊した後、旧統治エリートの主導による「逃避型」の民主化が実現した。本章では、共に経済危機を契機とする大規模な民主化運動に直面しながら、両国が異なる形式の民主化に帰着した原因を考察した。

 第6章では、1960年代初頭より四半世紀以上およぶ間接的な軍事支配体制が続いた韓国とミャンマーを取り上げた。高度経済成長を達成した韓国では、旧体制が完全に崩壊する前に、統治エリートの決定で権威主義ルールの放棄が宣言され、対抗エリートとの協力に基づく「逃避型」の民主化が実現した。他方で、経済業績の著しく悪化したミャンマーでは、政府・反政府勢力間の対立が頂点に達したところで、秩序回復を掲げる軍部によって間接軍事支配体制の解体と直接軍事支配体制の出現がもたらされた。本章では、両国の体制変動が逆コースを辿ることになった原因を考察した。

 比較分析の結果、東アジアでは、民主化の成否や形式と移行前の政治体制との間には、強い相関関係は存在しないことが判明した。それは、民主的移行が、非民主主義体制の解体と民主主義体制の形成というゲームのルールの異なる局面から構成される不確実性に満ちた政治過程であることに原因がある。たとえ同一範疇の政治体制でも、統治ルールの運用や制度化水準にかなりの相違があるからである。しかし、体制移行の開始とその帰結が、不確実性によって完全に支配されたわけではない。

 移行開始の必要条件は、非民主主義体制の内部での重大な亀裂が発生したことにある。そして、「老朽化の危機」(持続的な経済発展や統治理念の衰退)に直面する体制は縦断的亀裂を、「実効性の危機」(経済業績や治安の悪化)に直面する体制は横断的亀裂を引き起こしやすいことが、事例分析によって実証された。

 次に、移行開始後の過程を民主化へと結びつけた十分条件は、一方で、軍部が非民主主義体制の解体局面で体制維持勢力の一角から離脱し、民主主義体制の形成局面で非介入の立場を貫いたことにあった。軍部に政治からの撤退を促した要因は、(1)高度な専門職業化水準、(2)垂直型統制、(3)派閥構造の流動化、という三つの条件が同時に存在したことだった。第一に、軍部の専門職業化は、「政府としての軍部」と「制度としての軍部」の機能分化を引き起こし、「制度としての軍部」に組織利益の擁護と国家への責任を果たすべく、体制維持派から離脱する動機を形成した。第二に、「政府」と「制度」が組織的に分離され、両者が垂直的に配置されている場合、軍分裂の可能性とリスクが最も低かったからである。第三に、「制度としての軍部」内部での主導権をめぐる深刻な派閥対立が、軍部の制度的凝集性が低下させ、体制移行の形成局面に対する介入を抑制した。

 他方、もう一つの十分条件は、移行過程に参入した未組織大衆や社会集団の急進化が回避され、穏健な民主化勢力として結集したことにあった。その鍵となる制度的要因は、反対政党の組織的強度ではなく、非民主主義体制下において政権党と社会集団および行政機構との一体性が弱かったことにある。つまり、政党システムの制度化水準が低かったおかげで、大衆の動員・統制能力を持つ社会団体や穏健な中間層が反対政党の下に結集できた。同時に、中間層の動員によって反対政党は反体制勢力の急進化を防ぎ、結果的にそれを統制することができた。

 軍部と政党の基本的位置づけは、移行前の政治体制によって規定される。しかし、民主化の成否に影響を与えるのは、政治体制の形式自体ではない。それは、軍の専門職業化や統制、政党の運用などにかかわる具体的な制度や制度化の問題であるというのが本稿の結論である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「民主化の比較政治-東アジア諸国の体制変動過程-」は、東アジアにおいて民主化を達成した諸国ならびに民主主義に移行していない国々を体系的に比較分析することによって、非民主主義国における民主化の成否ならびにその形式を左右する政治・制度的要因を探りだそうとしたきわめて野心的な論文である。1970年代以降世界各地で数多くの国が民主化を実現し、それらの民主化過程については数多くの実証分析が蓄積されてきた。それにもかかわらず民主化の理論的分析はいまだに十分とはいえない。特に東アジアでも韓国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシアなど民主化を達成した国々はあるが、これらすべてを民主化に成功しなかった国々と比較検討したうえで理論的考察を行った業績はほとんどない。それに対し、著者は、これまでの民主化についてのさまざまな理論を比較検討した上で、著者なりの理論枠組みとして、民主化移行以前の政治体制における軍部と政党の役割の重要性を提示し、その上で東アジア諸国についての事例研究を行い、軍部や政党の性質や役割が、いかに民主化の成否や形式に関連しているかを示した。東アジア諸国の民主化過程について、これほど包括的かつ体系的に比較分析を行った例はこれまでになく、今後のさらなる実証研究や理論的考察を促す刺激的な好論文である。

 本論文の構成は、序論に引き続く第1章から第3章までの理論分析、第4章から第6章までの事例分析、これに結論が続くという形になっている。

 第1章で著者は、民主的移行の起点及び終点となる政治体制を民主主義、全体主義、権威主義の三つに大別した後、多様な形態の権威主義体制をさらに「一党統治」、「個人支配」、「軍事支配」に類型化する。その上で、1975年から84年までの東アジア諸国の政治体制を各類型に当てはめ、85年以降の体制変動と旧体制との相関関係をマクロな視点から概観する。

 第2章では、体制変動の分析視角として、政治の変化を経済・社会構造の産物と捉える「近代化の視角」及び「従属の視角」、政治エリートや軍・官僚組織の自律性を重視する「国家の視角」が検討される。この検討に基づき、著者は、構造的アプローチと戦略選択アプローチを統合し、両者の欠陥を補完する分析手法として「政治・制度的アプローチ」を提示し、その有効性を主張する。

 第3章で著者は、権威主義体制が解体し始める必要条件と、民主主義への体制移行が実現するための十分条件を検討する。まず全体の民主化過程を移行段階と固定化段階とに区分した上で、移行段階を非民主主義体制の解体局面と民主主義体制の形成局面とに分類する。そして、旧体制の解体を導く支配集団の亀裂が、どのような危機に直面したときにどのような形で発生するのかについて考察する。さらに民主化の政治過程に参加する諸集団間の力学と、体制移行の形式(改革型、逃避型、転覆型)との関連を整理し、民主化移行の鍵として、軍を政治から撤退させる条件と、対抗エリートが大衆を動員・統制するための条件を本論文の主要仮説として提示する。

 第4章は、単一政党が支配する政治体制として、台湾、中国、ベトナムを取り上げ実証分析を行う。一党統治型の権威主義体制に属していた台湾では、国民党主導による「改革型」の民主化が実現した。一党独裁型の全体主義体制に分類される中国では、上からの政治体制改革に呼応した民主化運動が天安門事件で挫折して以来、民主的移行は長期の停滞の中にある。またベトナムでは、下からの民主化圧力が弱く、上からの体制改革の動きすらないままに、一党独裁体制が堅持されている。本章での眼目は、第1に、台湾と中国の比較を通じて、民主化の成否を分けた原因を権威主義体制と全体主義体制の相違から検討することであり、第2に、中国とベトナムの比較から、民主化が停滞する共通する要因と、移行の速度に違いをもたらしている要因を考察することである。

 第5章は、個人支配体制に属するフィリピンとインドネシアが取り上げられる。フィリピンでは、一部国軍の決起とこれに呼応したピープルパワーによって権威主義体制が瓦解した後、対抗エリートの主導による「転覆型」の民主化が実現した。他方で、インドネシアでは、反政府運動の高揚と軍部や閣僚の離反によって権威主義体制が崩壊した後、旧統治エリートの主導による「逃避型」の民主化が実現した。本章では、共に経済危機を景気とする大規模な民主化運動に直面しながら、両国が異なる形式の民主化に帰着した原因が考察される。

 第6章では、1960年代より四半世紀以上におよぶ間接的な軍事支配体制が続いた韓国とミャンマーが比較分析される。高度経済成長を達成した韓国では、旧体制が完全に崩壊する前に統治エリートの決定で権威主義ルールの放棄が宣言され、対抗エリートとの協力に基づく「逃避型」の民主化が実現した。他方で、経済業績の著しく悪化したミャンマーでは、政府・反政府勢力間の対立が頂点に達したところで、秩序回復を掲げる軍部によって間接軍事支配体制の改革と直接軍事支配体制の出現がもたらされた。両国の体制変動が逆のコースを辿ることになった原因をさぐるのが本章の目的である。

 結論において、著者は、これまでの実証分析に基づき自らの仮説を軸に一般化を行う。それによると、まず、東アジアでは、民主化の成否や形式と移行前の政治体制との間には強い相関関係がないことが判明したとされる。しかし、体制移行の開始とその帰結が、不確実性によって完全に支配されたわけでもないことも主張する。

 著者によれば、移行開始の必要条件は、非民主主義体制の内部での重大な亀裂が発生したことにある。そして「老朽化の危機」(持続的な経済発展や統治理念の衰退)に直面する体制は縦断的亀裂を、「実効性の危機」(経済業績や治安の悪化)に直面する体制は横断的亀裂を引き起こしやすいことが実証されたと主張する。

 次に、移行開始後の過程を民主化へと結びつけた十分条件は、一方で、軍部が非民主主義体制の解体局面で体制維持勢力の一角から離脱し、民主主義体制の形成局面で非介入の立場を貫いたことにあったという。著者によれば、軍部に政治からの撤退を促した要因は、(1)高度な専門職業化水準、(2)垂直型統制、(3)派閥構造の流動化、という三つの条件が同時に存在したことである。第1に、軍部の専門職業化は、「政府としての軍部」と「制度としての軍部」の機能分化を引き起こし、「制度としての軍部」に組織利益の擁護を見いだし、国家への責任をはたすべく、体制維持派から離脱する動機を形成した。第2に、「政府」と「制度」が組織的に分離され、両者が垂直的に配置されている場合、軍分裂の可能性とリスクが最も低く、その結果、軍部が政治から離脱することの誘因となった。第3に、「制度としての軍部」内部での主導権をめぐる深刻な派閥対立が、軍部の制度的凝集力を低下させ、軍が全体として体制移行の形成局面に対する介入することを抑制した。このように著者はその理由を説明する。

 移行開始後の過程を民主化に結びつけたもう一つの十分条件は、移行過程に参入した未組織大衆や社会集団の急進化が回避され、穏健な民主化勢力として結集したことであったと著者は主張する。その鍵となる制度的要因は、反対政党の組織的強度ではなく、非民主主義体制下において政権党と社会集団および行政機構との一体性が弱かったことにあるという。つまり、政党システムの制度化水準が低かったおかげで、大衆の動員・統制能力を持つ社会団体や穏健な中間層が反対政党の下に結集でき、同時に、中間層の動員によって反対政党は反体制勢力の急進化を防ぎ、結果的にそれを統制することができたというのである。

 こうして、著者は、民主化の成否に影響を与えるのは、政治体制の形式自体ではなく、軍の専門職業化や統制、政党の運用などにかかわる具体的な制度や制度化の問題なのであると結論して本論文を閉じる。

 以上が本論文の要旨である。以下に評価を述べる。

 本論文には以下の長所があると認められる。第1に、これまで体系的で理論的な比較分析のなされたことのない東アジア諸国の民主化過程を、単一の理論枠組みで比較分析したことの学問的貢献は極めて高く評価できる。多様性が特徴であると言われる東アジア諸国について、単一の国のみの事例研究をするという「無難な」方法をとらず、自らの理論枠組みに基づき比較可能な国々すべてを実証研究の俎上にのせるという意気込みは、日本の研究者にはあまり見られない態度であって、賞賛に値する。

 第2に、合計七力国におよぶ実証研究は、それぞれの国についてそれなりに徹底したものであって、細部に異論の余地はあるものの、それぞれ一級の実証研究となっている。一人の著者が、これだけ異なる国々について、それぞれの国の専門家に伍して実証研究の内容を議論できるということも希有なことであろう。事実の解釈や原因の評価については、著者と異なる見解を持つ地域専門家は当然存在するが、そのこと自体が、さらなる実証研究を促進するという意味での学問的貢献も大きい。また、理論的観点から行った実証研究であるため、地域専門家にとってのある種の盲点ともいいうる箇所を指摘している部分もあり、これまた、さらなる実証分析の刺激となりうるであろう。

 第3に、民主化移行以前の軍部や政党のあり方が極めて重要であるという著者の理論的観点は、今後の民主化研究を促進する重要な貢献である。特に、移行以前の体制において、軍部の専門職業化の水準や、統制のあり方、さらには軍部内部での派閥抗争が重要の役割を果たしているという指摘は、民主化の研究に一つの大きな刺激を与えるし、実証分析においても、軍部についての分析は説得力が高い。本論文は東アジア諸国の検討から生み出されたものであるが、同じ観点は、他の地域の民主化の事例研究にも応用可能であり、その意味でも学問的貢献は大きい。

 しかしながら、本論文にも、以下のような短所があると認められる。

 第1は、著者の理論形成とその理論を現実に当てはめる基準にやや恣意性が認められることである。第2章などでなされるこれまでの先行研究の取り扱いが、自らの理論的立場を強めるため、単純化されすぎる場合がある。また、著者が作り出したタイポロジーを具体的な国々に当てはめる基準に恣意性があるように見受けられる。相当具体的な検証の結果なされた分類であっても、それが論述の上では、比較的簡単に断定されているように読める部分があるのである。

 第2に、徹底した実証研究ではあるが、個々の国のケーススタディには、事実解釈などの点でやや難がみられる個所が散見される。また、比較分析ということで、ある国の事情と他の国の事情を比較し、そのレベルの差を指摘する場合があるが、十分な実証がなされているとは言い難い断定がみられる場合がある。一人の著者で7力国のケーススタディを行うという試みに照らしたとき、やむをえない面もあるが、惜しまれる点である。

 第3に、国家内の制度としての軍部と政党を重視するという理論的観点は理解できるし、これを強調することも必要であるが、理論的に他の要因についての配慮がやや薄い面がある。たとえば、民主化における国際的要因については、十分明示的に議論されていない。また、本論文でとりあげた国々についての民主化の成否ということについての議論は、それなりに完結しているが、それでは東アジアの中の他の国、たとえばマレーシアやシンガポールをどのように考えるのかについて、本論文からはほとんど示唆が得られない。本論文の守備範囲を超えているということであろうが、「民主化の比較政治」と題し東アジア諸国を扱うとすれば、重要なケースが触れられていないとの印象を持つ。

 しかしながら、以上のような短所にもかかわらず、これらは本論文の価値を大きく損なうものではない。これまでほとんど体系的に比較分析されることのなかった東アジア諸国の民主化過程を、独自の理論的枠組みに基づき徹底的な実証研究を行い、明確な理論的結論を導いた本論文は、今後の民主化研究において世界の学界に貢献するところが大きい。したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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