学位論文要旨



No 215572
著者(漢字) 佐藤(楠畑),かおり
著者(英字)
著者(カナ) サトウクスバタ,カオリ
標題(和) 細胞外マトリックスへの接着におけるシグナル伝達と細胞骨格形成に関する研究
標題(洋) Studies on signal transduction and cytoskeletal organization after adhesion to extracellular matrices
報告番号 215572
報告番号 乙15572
学位授与日 2003.02.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第15572号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 教授 赤沼,宏史
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 助教授 松田,良一
 東京都臨床医学総合研究所 部長 川島,誠一
内容要旨 要旨を表示する

 細胞は様々な細胞外マトリックスに三次元的に囲まれた状態で存在し、常に細胞外環境に影響され、またそれを作り変えている。皮膚基底膜の主要な細胞外マトリックスにラミニン5がある。皮膚常在性のTリンパ球は、細胞表面レセプターであるインテグリンα3β1を発現し、皮膚移植の際の拒絶反応に関わることが報告されている。しかし、その発症過程におけるTリンパ球の役割については不明な点が多い。そこで、インテグリンα3を遺伝子導入したTリンパ球(Jurkat, J5)を作成し、ラミニン5が沈着した培養皿に接着させる培養系を確立し、細胞活性化について検討した。その結果、インテグリンα3β1の発現量が増加するにつれて、ラミニン5への接着率、様々な細胞内タンパク質のチロシンリン酸化、チロシンキナーゼのLck, Fyn, ZAP-70の活性化がその接着初期に増強された。また、接着後、T細胞抗原刺激を惹起するモノクローナル抗体OKT3を添加すると、20-24時間後では、Tリンパ球の活性化の指標であるインターロイキン2(IL-2)の分泌の5倍の増強が検出され、また20時間後では、47.9±5.0%の細胞で細胞死が誘導された。細胞周期解析の結果、これはS, G2, M期依存的なアポトーシスであった。この細胞活性化とアポトーシスは、インテグリンα3β1の発現の少ないJurkat細胞では誘導されなかったことから、インテグリンα3β1高発現株(J5)では、ラミニン5への接着によってT細胞抗原刺激が増強され、活性化誘導型細胞死(Activation-induced cell death)が引き起こされた可能性が示唆された(第1章)。

 皮膚真皮に多量に存在する細胞外マトリックスであるI型コラーゲンは、皮膚より酢酸を用いて抽出し、精製後、試験管内でコラーゲン線維を再構成させることができる。動物の年齢が高くなるにつれて、コラーゲン分子間の架橋が増加するため、コラーゲンの抽出率は低下することが知られている。実際、酢酸抽出法及びペプシン抽出法では老齢ウシ皮膚からの抽出はほとんど不可能であったが、コウジカビ由来プロテアーゼであるプロクターゼを用いた抽出では、約50%の抽出率を得た。そこで、用いるプロテアーゼにより抽出率が異なる理由について検討した(第2章)。酢酸抽出法で得たI型コラーゲンをペプシン、パパイン、プロクターゼで処理を行い、アミノ酸シークエンサーで切断部位を同定した。その結果、アミノテロペプチド領域(3重らせん領域のアミノ末端に存在する非らせん領域)の切断部位が異なっていた。このことから、アミノテロペプチド間の架橋を含むペプチドが除去されたために抽出率が異なったことが判明した。さらに、これらのプロテアーゼ処理したコラーゲンを用いた研究から、アミノテロペプチドのN末端領域は線維形成の促進する機能、C末端領域では熱安定性を高める役割があることが判明した。また、両領域の欠損に伴い、形成するコラーゲン線維が太くなり、またねじれが生じ、異常な線維を形成することが明らかとなった。

 次に、若年及び老齢のウシ皮膚よりプロクターゼを用いて抽出したI型コラーゲンを精製し、線維形成させて、線維の違いを観察したところ、線維の太さは若年由来の方が太く、老齢由来では細く、ねじれの程度が高くなることを観察した。また、これらのコラーゲンヘヒト皮膚由来線維芽細胞を接着させ、コラーゲンの老化を細胞が識別するかについて検討した(第3章)。細胞は、プラスチック培養皿に精製したコラーゲン単分子をコーティングした上、または、コラーゲン再構成線維の中または上で培養を行った。線維芽細胞は、このコラーゲン単分子上では、若年及び老齢ウシ由来のコラーゲンを区別せず同等に接着し、伸展した(図1上)。しかし、コラーゲン線維内培養では、線維芽細胞は異なる形態を形成した。若年ウシ由来のコラーゲン線維内では、細胞は長い突起を多数伸長した樹状細胞様の形態となり、細胞間のネットワークを形成した(図1左下)。老齢ウシ由来のコラーゲン線維内では、このような突起形成及びネットワーク形成は非常に弱く(図1右下)、また、コラーゲン線維内への細胞の浸潤が観察された。コラーゲン線維上での培養では、コラーゲンレセプターであるインテグリンα2β1の発現が誘導されることが知られているが、老齢ウシ由来のコラーゲン線維上では、この誘導が著しく弱かった。これらのことから、細胞は、コラーゲンが単分子の場合には区別しないが、線維の場合にはコラーゲンの高次構造の違いを識別し、異なる細胞応答をすることが明らかとなった。

 一方、コラーゲン単分子上では、細胞は葉状仮足を形成し、伸展したが、線維内では、樹状細胞様の形態を形成し、これらの形態は大きく異なった(図1,第4章)。細胞表面のコラーゲンレセプターであるインテグリンを介してコラーゲン単分子および線維へ接着することが知られているが、このような形態の差異が生じる原因については明らかではない。そこで、コラーゲン単分子および線維上へ接着した線維芽細胞のインテグリンを介したシグナル伝達および細胞骨格形成の相違について検討した(第4章)。アクチン、チューブリン骨格を特異抗体を用いて蛍光染色し、間接蛍光顕微鏡で観察した結果、単分子コラーゲン上への接着で形成される葉状仮足にはアクチン骨格のみが観察されたが(図2A)、線維上での樹状細胞様の突起の場合、アクチン、チューブリン骨格が突起の末端まで伸長していることが観察された(図2B)。また、アクチン重合阻害剤のサイトカラシンDや、チューブリン重合阻害剤のノコダゾールにより、これらの細胞伸展は培養90分後では阻害された。しかし、培養17時間後には、コラーゲン単分子上への接着後、サイトカラシンD存在下では、樹状細胞様の突起が形成され(図2C)、ノコダゾール存在下では葉状仮足形成は阻害されなかったが、紡錘形の細胞伸展の阻害が観察された(図2E)。また、コラーゲン線維上への接着後、サイトカラシンD存在下では樹状細胞様の突起形成は阻害されなかったが(図2D)、ノコダゾール存在下では、チューブリン骨格の形成のみならず、アクチン骨格の形成までもが阻害されており、樹状細胞様の突起形成は全く観察されなかった(図2F)。このことは、コラーゲン単分子上への接着における細胞伸展ではアクチン骨格が先導的であり、一方、コラーゲン線維上への接着における突起形成ではチューブリン骨格が先導的であることを意味し、細胞骨格形成機構に相違があることが明らかとなった。次に、インテグリン結合後の主要なシグナル伝達分子であるFocal adhesion kinase(FAK)、p130CAS(CAS)の活性化について、チロシンリン酸化を指標として検討した。その結果、FAKの活性化はコラーゲン単分子、線維上のどちらへの接着においても同等に活性化したが、CASの活性化は、FAKと異なり、線維上への接着の方が2倍強く検出された。また、低分子量Gタンパク質のRhoファミリーのCdc42が、コラーゲン線維上への接着において顕著に活性化された。一方、コラーゲン線維の上に細胞を接着させると、テーリンやフォドリンなどの細胞骨格関連分子は接着早期に分解された(第5章)。また、この分解と同時に、細胞内プロテアーゼであるm-カルパインの活性化がコラーゲン線維への接着に伴い検出された。このタンパク質分解は、カルパイン阻害剤のみでは阻止できなかったことから、複数の細胞内プロテアーゼが関わると考えられる。しかし、樹状細胞様の突起形成は、カルパイン阻害剤で顕著に抑制されたことから、この突起形成にはカルパインの活性化が必須であることが示唆された。また、Cdc42の活性化がカルパイン阻害剤で顕著に抑制されたことから、カルパインはCdc42の上流でその活性化を調節していることが示唆された。カルパインが樹状細胞様の突起形成に関わる詳細な機構については不明であるが、カルパインによるCdc42の活性化、またはカルパインによるフォドリン、テーリンなどのタンパク質分解などによって、突起形成に関わるシグナル伝達分子が活性化されることが考えられる。以上の結果から、コラーゲンの分子集合状態によって、細胞は、異なるシグナル伝達、骨格形成をすることが明らかとなった。

 さらに、コラーゲン線維に細胞が接着した場合、細胞はインテグリンやアクチンを用いて線維の濃度や硬さを識別し、異なる応答をすることが示唆された。これらの結果から、細胞外環境としてのコラーゲンを変化させることにより、異なる細胞応答を導き出すことが可能となると思われる。例えば、I型コラーゲンを線維状態で用いると、細胞増殖が抑えられるが、組織の再構築に関する細胞応答であるコラーゲンゲル収縮やコラゲナーゼの発現は起こる。単分子コラーゲンを用いると、細胞が強く接着するため、細胞遊走は抑えられるが、細胞増殖は高められる。さらに、カルパイン阻害剤を用いて、細胞骨格形成の調節が可能である。これらの併用によって、様々な細胞応答(増殖、遊走、形態形成や分化促進など)を調節できる可能性が考えられ、組織の再生や治療へのこれらの応用が将来的に可能になると考えられる。その一端を担うラミニン5及びコラーゲンの細胞に与える影響についての本研究での研究成果は意義あるものと思われる。

図1若年及び老齢ウシ由来のコラーゲン単分子上(monomer)または線維内(fibril)で培養した線維芽細胞の形態Bar, 100μm

図2コラーゲン単分子上または線維上へ接着した細胞のアクチン(赤)、チューブリン(緑)、核(青)の蛍光染色像

A-Fの説明については本文参照

審査要旨 要旨を表示する

 細胞は様々な細胞外マトリックスに三次元的に囲まれた状態で存在する。細胞の増殖、分化、遺伝子発現、運動、遊走など細胞の基本的な機能は細胞が何に接着しているかなど細胞外環境との相互作用に依存している。一方、細胞は細胞外マトリックス成分の合成、分解、細胞外マトリックスの構築の再編成などを通じて細胞外マトリックス環境を作り変えている。佐藤(楠畑)かおり氏は「細胞外マトリックスヘの接着におけるシグナル伝達と細胞骨格形成に関する研究」と題した研究課題を通して、このような細胞と細胞外マトリックスの相互作用についての分子機構の解明を目指した。

 論文の概略を以下に説明する。第一章では皮膚基底膜の主要な細胞外マトリックスである、ラミニン5に着目した。皮膚常在性のTリンパ球のインテグリンα3β1は、皮膚移植時の拒絶反応に関わることが報告されている。インテグリンα3を遺伝子導入したTリンパ球を作成して、ラミニン5による細胞活性化について検討した。インテグリンα3β1の発現量の増加が、ラミニン5への接着、細胞内タンパク質のチロシンリン酸化をはじめT細胞活性化シグナルを増強することを見いだした。ラミニン5への接着はT細胞抗原刺激による細胞死を誘導することを見いだした。T細胞の活性化とアポトーシスは、インテグリンα3β1の発現の少ない細胞では誘導されなかった。ラミニン5が免疫細胞の活性化・細胞死を誘導するような影響を及ぼすことから、一般に細胞外マトリックスが生体防御系を介した生体恒常性維持にも直接関わっていることを推測させるものである。

 第二章においては、皮膚真皮に多量に存在するI型コラーゲンと線維芽細胞の相互作用に着目した。I型コラーゲンは実質上不溶性であるため、コラーゲンの抽出にはさまざまなプロテアーゼが用いられている。中でもプロクターゼを用いた抽出が最も効率が高い。その理由の解明のために、酢酸抽出したI型コラーゲンをペプシン、パパイン、プロクターゼ処理し、切断部位を同定し、アミノテロペプチド間の架橋を含むペプチドの除去が抽出率に関係することを直接示した。プロテアーゼ処理したコラーゲンを用いた研究から、アミノテロペプチドのN末端領域は線維形成、C末端領域は熱安定性に関係しているとの知見を得た。両領域の欠損部位が深いほど、分子から形成される線維は径が太く、またねじれたものとなる。分子間の相互作用にテロペプチドが関与することを、精査に示すことに成功した。

 若年及び老齢のウシ皮膚よりプロクターゼを用いて抽出したI型コラーゲンを精製し、線維形成させて、線維の違いを観察したところ、線維の太さは若年由来の方が太く、老齢由来では細く、ねじれの程度が高くなること見いだした。培養ヒト皮膚由来線維芽細胞に対するこれらのコラーゲンの影響の違いを検討した(第3章)。線維芽細胞は、このコラーゲン単分子上では、若年及び老齢ウシ由来のコラーゲンを区別せず同等に接着し、伸展した。再構成コラーゲン線維を用いた培養では、由来するウシの年令により、線維芽細胞は異なる形態を示した。コラーゲン線維上での培養では、コラーゲンレセプターであるインテグリンα2β1発現の誘導が老齢ウシ由来のコラーゲン線維上では著しく弱かった。線維芽細胞は、コラーゲン線維構造の違いを認識していると結論できた。

 線維芽細胞の形態は、コラーゲン単分子上と線維上とでは著しく異なる。分子上では細胞は葉状仮足を形成し、伸展し、線維内では、樹状細胞様の形態を形成する。この機構に迫るべき細胞骨格の動態を検討した(第4章)。単分子コラーゲン上への接着で形成される葉状仮足にはアクチン骨格のみが観察されたが、線維上での樹状細胞様の突起の場合、アクチン、チューブリンの両方の骨格が存在した。アクチン重合阻害剤のサイトカラシンDおよびチューブリン重合阻害剤のノコダゾールを用いて、細胞伸展に対する影響を検討し、コラーゲン単分子上への接着における細胞伸展ではアクチン骨格が先導的であり、一方、コラーゲン線維上への接着における突起形成ではチューブリン骨格が先導的であるとの結論を得た。コラーゲン分子と線維の認識の違いが細胞骨格形成機構に及ぶと考えられた。

 インテグリン結合後の主要なシグナル伝達分子であるFocal adhesion kinase(FAK)、p130CAS(CAS)の活性化について、チロシンリン酸化を指標として検討した。FAKの活性化はコラーゲン単分子、線維上のどちらへの接着においても同等に活性化したが、CASの活性化は線維上への接着の方が2倍高かった。低分子量Gタンパク質のRhoファミリーのCdc42が、コラーゲン線維上への接着において顕著に活性化された。一方、テーリンやフォドリンなどの細胞骨格関連分子は接着早期に分解された(第5章)。この分解と同時に、細胞内プロテアーゼであるm-カルパインの活性化がコラーゲン線維への接着に伴い検出された。樹状細胞様の突起形成およびCdc42の活性化は、カルパイン阻害剤で顕著に抑制された。カルパインによるCdc42の活性化、フォドリン、テーリンなどのタンパク質分解などを介して、突起形成が生じる機構が考えられた。

 I型コラーゲンの会合体状態によって、細胞増殖、細胞外マトリックスの再構築に関わる細胞挙動(細胞遊走、線維の濃縮、分解酵素の発現が異なる。細胞外から、カルパインの活性制御(阻害剤など)により、細胞形態、シグナル伝達の調節ができる可能性がある。細胞外環境の変化により、細胞の増殖、遊走、形態形成、分化促進などの調節が可能であることは、組織の再生や治療への応用へと近い将来展開されることが期待される。

 以上のように本研究は細胞と細胞外マトリックスとの相互作用について新規の機構を見いだし、今後のこの分野の発展の新しい基盤とも言える内容を有するものであり、学位に相応しい成果であると、審査委員会は認定した。本論文の各章の研究のそれぞれは他の研究者との共同であるが、申請者の貢献度が最も高いと評価される。佐藤(楠畑)かおり氏の申請した学位論文について審査委員による評価の投票を行い、合格とされた。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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