学位論文要旨



No 215577
著者(漢字) 大倉,陽一
著者(英字)
著者(カナ) オオクラ,ヨウイチ
標題(和) 崩壊の流動化機構ならびに到達距離予測に関する研究
標題(洋)
報告番号 215577
報告番号 乙15577
学位授与日 2003.03.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15577号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 要旨を表示する

 近年の土砂災害の傾向が若齢林・表層崩壊型から壮齢林・深層崩壊型へ移行しつつあり,崩壊した土砂が多量の水分を含んで長距離流動する傾向にある.

 また地球温暖化に伴う降雨量の増加と局地的豪雨の頻発は,崩壊発生位置と時間の予測を困難にしている.

 そこで,今後の山地における土砂災害防止対策の新たな視点として,崩壊発生時間を特定することなく,任意の斜面で崩壊が発生したとしたらその土砂はどこまで到達するのか,といった観点からハザードマップを作成するアプローチが必要である,との認識が本研究に至った契機である.

 崩壊到達距離を予測する上で,その流動化発生メカニズムの解明は避けて通ることの出来ない問題である.ここで議論する流動化とは,崩土の内部摩擦から予測される崩壊到達距離よりも遠方へ流下したものと定義する.そして,一般的に崩壊体積の増加、あるいは間隙水を多量に含んだ深層崩壊は,流動化傾向が顕在化してくる事が過去の研究例で指摘されている.

 一方,崩壊の流動化に関する既往研究のレビューから,落石・岩屑雪崩等の"乾いた崩壊"に関しては,崩壊土粒子あるいは岩屑ブロック相互の衝突に基づく分散力と有効応力の減少によるGrain flow modelが,豪雨性崩壊などの"濡れた崩壊"に関しては,過剰間隙水圧による崩壊土粒子間の有効応力減少によるExcess pore-water pressure modelが,流動化メカニズムを適切に説明出来る可能性を有することを指摘した.また,崩壊運動の予測モデルに関するレビューより,土砂の粒状性が流動化発生メカニズムに大きく影響していることを勘案した上で,粒状体モデルによる数値シミュレーションの潜在的可能性について高く評価した.

 そこで本研究の主たる目的を,1)これまで提示されてきた流動化発生のメカニズムを実証的に解明する事とし,主題を達成する為の2つの副次的目的を設定した.すなわち,2)粒状体モデルによる到達距離予測モデルを開発する,3)到達距離予測に関する基礎的知見を得る.

 以上が第1章および第2章の概略であり,次に第3章以下の内容を概説する.

 第3章では,剛性粒状体モデルを用いた乾いた崩壊運動の数値シミュレーションモデルの開発を行う事を目的とした.個別粒子相互の衝突に伴う速度変化は,衝突の式ならびに運動量保存則より(1)式のように導かれる.ここで,�凅 i:衝突前後におけるi粒子の速度ベクトル変化,mi, mj, : i, j粒子質量,e:粒子間の跳ね返り係数,x i, x j:衝突前に於けるi, j粒子速度ベクトル.このモデルの特徴は,計算定数を実験的に算定できることから計算結果に不確定性がない事にある.

 実験計画法に基づいて,ビーズの各種物理性を変えた崩壊モデル実験を行うと伴に,その数値シミュレーションを行った.最小有意差法により実験結果とシミュレーション結果との有意差がないことを検証して,シミュレーションモデルの妥当性を証明すると伴に以下の新たな知見を得た.

1)崩壊到達距離は粒子密度に影響されないが,転がり摩擦係数ならびに動摩擦係数と負の相関関係にあり,両係数のうちより小さなものに規定されて到達距離が定まる.すなわち粒子は摩擦抵抗のより小さな形態を選択して流下する.

2)到達距離は斜面傾斜と負の相関関係にある.これは,斜面上を流下してきた粒子が堆積面上へ衝突する際に,垂直方向の運動エネルギーが消散されるためと考えられる.到達距離予測の際には,流下経路沿いの明瞭な傾斜変換点や,渓流の合流角を考慮すべきことが示唆される.

 第4章では,崩壊体積の増加による流動化発生メカニズムを,モデル斜面を用いた落石実験ならびに第3章で開発された数値シミュレーションモデルを用いて,明らかにすることを目的とした.

 実験に用いたモデル斜面は,斜面長5.6m,平均傾斜32度で,表面には花崗岩板を敷き詰めた.落石ブロックには一辺O.1mならびに0.2mの立方体状花崗岩を用いた.そのブロックを立方体状に斜面上部に積み上げ,崩壊体積を0.001〜1.0m3まで変化させて,一気にブロックを落下させることで実験ならびにシミュレーションを行った.

 その結果,ブロック数(体積)の増加に応じて堆積先端はより遠方に到達し,逆に堆積重心は手前に移行した(図1).その理由として,ブロック数の増加は,ブロック間衝突頻度の増加をもたらし,崩壊先端部では流下方向へのより多くの加速度を受け,重心部から後端部は運動エネルギーを消散して停止距離が手前に移行するメカニズムを明らかにした.

 第5章では過剰間隙水圧による流動化発生メカニズムについて,降雨装置を用いた室内崩壊モデル実験により,実証的に明らかにすることを目的とした.

 実験には上部の急傾斜部と下部の緩傾斜部を持つ大型水路を用いた.水路内に砂質士を緩く詰めて,水路直上部より人工降雨を散水して崩壊を誘発した,流動深と過剰間隙水圧値との関係を検討するため,上部・下部斜面でそれぞれ砂層深を変えることで4通りの実験を行った結果,以下のことが明らかとなった.

1)上部斜面で誘発された崩壊が,下部斜面上に急速載荷して過剰間隙水圧が発生し,その直後に下部斜面内にせん断が発生した.すなわち非排水せん断による過剰間隙水圧発生と,それに伴う流動化発生過程を初めて再現することが出来た(図2).

2)過剰間隙水圧は上載土層厚と正の相関関係にある.

3)急傾斜部すべり面付近では,高速せん断により非排水条件が維持されず,過乗燗隙水圧発生も断続的であった.

 第6章では,せん断に伴う土層の膨張と収縮が流動化発生に及ぼす影響に関して,第5章と同様の崩壊モデル実験を行うことで,実証的に明らかにする事を目的とした.

 液状化境界間隙比を特定するために,間隙比を様々に変えた砂質土の供試体による非排水三軸圧縮試験を行った.そして,境界間隙比よりも小さな間隙比の土層と大きな間隙比の土層を調整して崩壊実験を行って,土層運動と間隙水圧変動の同期を取った観測より以下の新たな知見を得た.

1)三軸圧縮試験では,荷重制御と歪み制御試験との間には最大平均圧縮強度に違いがない.

2)拘束圧が大きいほど境界間隙比が小さくなる.すなわち深い崩壊ほど,間隙比が小さくとも流動化に移行する傾向がある.

3)境界間隙比よりも大きな間隙比の土層では,せん断により体積が収縮して有効応力が減少し,高速せん断へ移行した.

4)境界間隙比よりも小さい間隙比の土層では,せん断により体積が膨張して有効応力が一時的に増加するが,せん断の進行と伴に応力は解放されて,クリープ運動が進行した.

 以上の結果より,土層のせん断に伴う膨張・収縮が流動化発生の決定要因の一つであり,また流動化発生危険斜面の特定に境界間隙比が有効な指標となる事が実斜面で証明された.

 第7章では,間隙水の影響を考慮した粘弾性モデルによる粒状体シミュレーションモデルを開発することを目的とした.このモデルは剛性粒状体モデルと比較して,粒子間の継続的な接触に伴う応力伝達を表現出来る利点があり,解析時間に占める粒子間の接触時間が非接触時間に比して相対的に大きな現象に対して有効な手法である.

 ある時間ステージにおける粒子間の接触に伴う応力の伝達は,ニュートンの第2法則に支配され(2)式のように表現される.ここで,mi : i粒子質量,η:粒子粘性定数,K:粒子弾性定数,x i, x j : i, j粒子の位置ベクトル,x i, x j : i, j粒子の速度ベクトル,x i, : i粒子の加速度ベクトルである.

 モデルの検証には傾斜水路と降雨装置を用いた室内崩壊モデル実験結果を用いた.水路は斜面長3.0m,傾斜35度と,土層の内部摩擦角よりも大きい.実験では斜面が不安定化すると同時に高速せん断に移行しており,シミュレーションモデルの間隙水圧に関しては静水圧のみを考慮した.なぜならば,第5章の結果より土層の高速せん断中は過剰間隙水圧の継続的な発生が観られないからである.

 実験結果とシミュレーション結果の土層運動の比較から以下の事が明らかとなった.

1)崩壊の発生から停止に至る土層の局所的ならびに全体的変位を精度良く再現することが出来た.

2)各粒子の応力・速度分布を陽的に追跡できるので,斜面の安定解析,施設の対衝撃力算定,施設配置計画にも有効活用され得る可能性を示した.

 以上,第3〜7章において流動化の発生メカニズムを実証的に明らかにすると伴に,粒状体モデルによる到達距離予測モデルを開発した.さらに崩壊到達距離に影響する斜面傾斜あるいは土粒子の物理性に関する幾つかの重要な知見を得た.

 今後の課題は,流動化の継続メカニズムを解明して,崩壊土砂流出危険渓流の特定に活用する事である.そのためには,過剰間隙水圧の発散に影響するであちう土質条件や流動深の影響を定量化する必要がある.さらに,粒状体数値シミュレーションモデルに関して,土粒子と水のカップリングモデルを開発して,非排水せん断に伴う過剰間隙水圧の発生を再現すると伴に,流動化の継続メカニズムの解析を行う必要がある.

図1 実験ならびにシミュレーションによる落石体積(ブロック数)と等価摩擦係数(流下比高/流下水平距離)ならびに落石体の重心で計測した等価摩擦係数との関係.図中点線は傾斜変換点でのエネルギー散逸を考慮した,落石ブロック1個の時の等価摩擦係数.

図2 下部斜面床面付近に於ける土層運動と内部応力状態の変化.土層が圧縮を受けた直後に過剰間隙水圧が発生して,せん断速度が急増している.

審査要旨 要旨を表示する

 山地で発生する土砂災害の多くは、崩壊土砂が流動化し、時には土石流化してその到達距離を伸ばすことによって被害を大きくすることが多い。しかしながら、崩壊土砂の流動化の問題は非定常問題であり、流動化の機構やその結果としての土砂の到達距離に関する研究は、崩壊発生機構の研究等と比較して、多くはない。本研究は、崩壊の流動化機構と崩土の到達距離の予測精度を向上させるための基礎的知見を明らかにしたものである。

 第1章及び第2章では、崩壊の流動化に関する既往の研究を整理し、まず、落石・岩屑雪崩等の"乾いた崩壊"に関しては崩壌土粒子あるいは岩屑ブロック相互の衝突に基づく分散力と有効応力の減少によるGrain flow modelが、豪雨性崩壊などの"濡れた崩壊"に関しては、過剰間隙水圧による崩壊土粒子間の有効応力減少によるExcess pore-pressure modelが、流動化のメカニズムを適切に説明できる可能性を指摘した。また、土砂の粒状性が流動化メカニズムに大きく影響していることを勘案して、粒状体モデルによる数値シミュレーションの潜在的有効性も指摘し、具体的な研究目的として、流動化発生メカニズムを"実証的に"解明することを中心に、粒状体モデルによる到達距離予測モデルを開発すること、その他到達距離予測に関する基礎的知見を得ること等を挙げた。

 第3章では、まず、剛性粒状体モデルを用いて乾いた崩壊運動の数値シミュレーションモデルを開発した。一方で、物理性の異なる各種ビーズを用いた崩壊モデル実験を行ない、実験結果と先の開発モデルによる数値シミュレーション結果を比較した。その結果、両者に有意差がないことを確認して数値シミュレーションモデルの妥当性を証明するとともに、(1)崩壊到達距離は粒子密度に影響されないが、転がり摩擦係数ならびに動摩擦係数と負の相関関係にあり、両係数のうち、より小さいものに規定されて到達距離が決まる。(2)斜面上を流下してきた粒子が堆積面上に衝突する際に、垂直方向の運動エネルギーが消散されるため、到達距離は斜面傾斜と負の相関関係にある、等の知見を得た。

 第4章では、崩壊体積の増加による流動化発生メカニズムを、モデル斜面を用いた落石実験ならびに第3章で開発された数値シミュレーションモデルを用いて、明らかにした。すなわち、長さ5.6m、平均傾斜32度で、表面に花崗岩版を敷き詰めた斜面の上部に、一辺0.1mまたは0.2mの立方体状花崗岩ブロックを立方体状に積み上げ、その体積は0,001〜1.0m3まで変化させて、一気に落下させる実験を行い、シミュレーション結果と比較した。その結果、ブロック数(体積)の増加に応じて堆積先端はより遠方に到達し、逆に堆積重心は手前に移行した。その理由として、ブロック数の増加は、ブロック間衝突頻度の増加をもたらし、崩壊先端部では下流方向へのより多くの加速度を受け、重心部から後端部は運動エネルギーを消散して停止距離が手前に移行するというメカニズムを明らかにした。

 第5章では、実験により、過剰間隙水圧が流動化発生に及ぼす影響を実証的に明らかにした。すなわち、上部に急傾斜部、下部に緩傾斜部を持つ大型実験水路内に砂質土を緩く詰めて、水路直上部より人工降雨を散水して崩壊を発生させた。流動深と過剰間隔水圧値との関係を検討するため、上部・下部斜面でそれぞれ砂層深を変える4通りの実験を行なった結果、上部斜面で誘発された崩壊が、下部斜面上に急速に載荷して過剰間隙水圧が発生し、その直後に下部斜面内にせん断が発生し、流動化するというメカニズムを明らかにした。これは、非排水せん断による過剰間隔水圧発生とそれに伴う流動化発生過程を始めて再現したことを意味する。さらに、過剰間隔水圧の発生領域では、その大きさは土層厚に比例することを明らかにした。

 第6章では、流動化発生に及ぼす土層間隙比の影響を検証するため、間隔比をさまざまに変えた砂質土の供試体による非排水三軸圧縮試験を行い、流動化発生・非発生の境界となる境界間隙比の特定した。また、境界間隔比よりも小さな間隔比の土層と大きな間隔比の土層を調整して第5章と同様の崩壊実験を行った。その結果、(1)拘束圧が大きいほど境界間隔比が小さくなる。すなわち深い崩壊ほど、間隔比が小さくとも流動化する傾向がある、(2)境界間隔比よりも大きな間隔比の土層では、せん断により体積が収縮して有効応力が減少し高速せん断へ移行する、(3)境界間隔比よりも小さい間隔比の土層では、せん断により体積が膨張して有効応力が一時的に増加するが、せん断の進行と共に応力は解放されて、クリープ運動が進行する、等の知見を得た。以上の結果より、土層のせん断に伴う膨張・収縮が流動化発生の決定要因の一つであり、また流動化発生危険斜面の特定に境界間隔比が有効な指標となることが現実斜面で証明された。

 第7章では、間隙水の影響を考慮し、粒子間の継続的な接触に伴う応力伝達を表現できる、粘弾性粒状体モデルによる崩壊土砂のシミュレーションプログラムを開発し、降雨装置を用いた傾斜水路実験で検証した。その結果、本プログラムは崩壊の発生から停止に至る土層の局所的ならびに全体的変位を精度よく再現すると共に、各粒子の応力・速度分布を陽的に追跡できるので、斜面安定解析、施設への衝突力算定、施設配置計画等に応用可能であることを示した。

 以上より、本研究は、崩壊の流動化機構と崩土の到達距離の予測精度を向上させるための基礎的知見を明らかにし、学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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