学位論文要旨



No 215579
著者(漢字) 坪山,良夫
著者(英字)
著者(カナ) ツボヤマ,ヨシオ
標題(和) 森林小流域における雨水流動経路の変動特性に関する研究
標題(洋) An experimental study on temporal and spatial variability of flow pathways in a small forested catchment
報告番号 215579
報告番号 乙15579
学位授与日 2003.03.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15579号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 小林,洋司
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨 要旨を表示する

 流域における水の分布や流れは一般に一様ではない。例えば山腹斜面の表層土壌中には生物活動や侵食によって生じた粗大孔隙(マクロポア)ないしパイプと呼ばれる連続した管状の空隙が存在し,それらが水の移動経路として機能すると,著しく不均質な流れが生じることが知られている。より大きなスケールで見れば渓流や河川も地表における優先的な水移動経路の一種であり,そのサイズや形態は季節的あるいは出水中に変動し,それに伴い流量も大きく増減する。流域における水移動現象については,例えば土壌マトリクス中の浸透流にはRichards式,パイプ流にはDarcy-Weisbach式,そして地上流にはManning式というように,現象をいくつかの過程に分離し,それぞれに水理学的あるいは経験的に裏付けられた法則を適用することによって予測が試みられてきた。それぞれ対象とする水移動過程の良い近似式であり,気候,地質,土壌,そして植生など様々な立地条件の地域について計算に必要なパラメータが蓄積・整理されている。しかし、これらの式を基礎方程式とする分布型水文モデルがこれまでに多数提案されているにも関わらず、以上に挙げた種々の水移動経路が実際の流域においてどのように消長し流出に寄与しているかという点について、実測値とともに検証した例は少なく、異なる流出経路間の相互作用も十分には理解されていない。山地流域における水の移動は、渓流や下流河川の流況はもとより、土砂の生産と輸送、酸性降下物や栄養塩類の溶出など、流域で起きる各種の物質循環を司る基本的な営力であり、水移動経路の変動特性を理解することは、流域管理のような実用的な視点からも重要な課題である。

 このような背景から、本研究では、山地流域を構成する主要な地形要素である側斜面と谷頭斜面を中心に、量水的手法とトレーサ法を併用して、雨水流出経路の時間的・空間的変動特性を明らかにすることを目的とした。本論文の構成は以下の通りである。

 第1章では、まず日本における山地流域の自然・社会地理学的な位置付けを示し、次に山地流域の水文研究の経緯を、流出発生、0次谷、地中流、そしてモデリングという視点から整理し、現時点で残された問題と本研究の目的を説明した。

 第2章では、本研究の調査対象地の位置、気候、地形、地質、土壌、そして森林についての一般的諸元を説明した。

 第3章では、側斜面基部の表層土壌中における水移動過程を詳細な現地調査・観測に基づいて解析した。この調査では、まず河道沿いに九つの土壌断面を掘削し,層位,表層土壌深およびマクロポアの直径,方向,連続性,成因などを記載した。これらの調査地点における土壌深は31-140cmの範囲(平均68cm)にあり,断面には直径2mm以上のマクロポアが平均18.2個/m2存在した。マクロポアの直径は0.2-4.0cmの範囲にあり,算術平均および幾何平均はそれぞれ1.22, 0.89cmであった。

 次に上記土壌断面の一箇所において,斜面流出の連続測定を実施した。この断面は,幅1.2m,平均土壌深0.35mで,土層は火山灰を母材とする鉱物質土壌層(B層)および有機質土壌層(O+A層)からなっていた。断面には16個のマクロポアが認められ、その直径は0.3-3.0cmであった。これら16個のマクロポアを四つのグループに分け,土壌断面全体を五つの部分に分離して流出量を計測した。梅雨および台風シーズンを通した観測の結果,この土壌断面においては,土壌マトリクスからの流出が断面全体の流出の大部分を占めていることが明らかになった。しかし,先行水分条件が特に湿潤な状態での降雨イベントでは,有機質土壌層およびマクロポアのグループからの流出が,それぞれ最大で全体の20%以上を占める場合があった。これらの結果から、土壌中のマクロポアが雨水の伝達経路として機能する程度は先行水分状態によって大きく変化するものと考えられた。

 表層土壌中における水移動の実態をさらに具体的に調べるため,現位置混合置き換え実験を行った。はじめに無処理の河川水を上記土壌断面から水平距離で1.5m山側に設置した散水器を用いて一定強度で散水した。断面からの流出が定常状態に達した時点で,注入水を無処理の河川水から塩素イオン濃度が1000mg/Lになるように調整した塩化ナトリウム水溶液に変え,同一強度で断面流出水の塩素イオン濃度が一定に近くなるまで散水を続けた。先行水分条件の異なる複数の状況で行われた実験結果を移流拡散方程式を用いて解析した結果,以下の点が明らかにされた。1)先行水分条件や散水強度の違いによらず,土壌断面全体のブレークスルー・カーブについて計算されたポア・ボリュームはほぼ一定で,2)その値はテンシオメータ法から推定された含水量の半分以下である。3)土壌マトリクスについて計算されたポア・ボリュームが散水強度に応じて増加しているのに対して,有機質土壌層とマクロポアのポア・ボリュームは,散水強度よりもむしろ先行水分条件に対応して増減し,4)その相対的変化量は土壌マトリクスのそれに比べかなり大きい。これらの結果は,最終的にマクロポアから流出する水の通過する空間が,水分状態に応じて大きく変動することを示し,それは個々のマクロポアと相互に作用する周辺土壌層の拡大と,その結果生じるマクロポア網の斜面方向への伸長によるものと推察された。

 さらに同一断面について水性白色染料を用いた散水実験を実施し,散水による染色域ならびに粗大孔隙の空間分布について10cm単位で掘削調査を行った。その結果,マクロポアには,通水経路として機能するものと機能しないものとがあることが明らかになった。また染色域の空間分布は,地中における水の移動において,マクロポアや基岩中の亀裂等の選択的経路と土壌マトリクスとの相互作用が重要な役割を担っていることを示唆していた。

 第4章では、通年で水流出のある一次流域を対象に、流域流出に対する谷頭斜面の寄与と、それに関わる谷頭斜面内部の水移動過程について解析した。現地観測としては、まず植生条件が一様と見なせる森林流域において、谷頭斜面出口(集水面積0.25ha)と隣接する一次流域(0.84ha)、そして両者を含む全流域(2.48ha)の三つの集水域を対象に流量を連続観測した。その結果、谷頭斜面は、全流域の流出に対して、1)まったく寄与しない状態、2)一次流域より小さな範囲で寄与率が大きく変化する状態、そして、3)一次流域と同等かそれ以上に寄与する状態の三段階があり、本研究の対象地では、この三段階は全流域の日流出量が概ね1)0.5 mm d-1未満、2)0.5 mm d-1以上5 mm d-1未満、そして、3)5 mm d-1以上の場合に対応していることが判った。

 次に、上述のような谷頭斜面の流出特性を支配している内部要因を明らかにするため、谷頭斜面の主軸沿いに基盤上の間隙水圧分布を測定し、さらに間隙水圧上昇を引き起こす水の起源推定のため上部谷頭凹地の2地点において地温の鉛直分布を測定した。その結果、基盤上の一時帯水層が谷頭斜面の基部にしか発生しない時はわずかな流出しか起きない一方、単位面積あたりで一次流域に匹敵するような大量の流出は、谷頭斜面の出口から上部谷頭凹地まで連続して一時帯水層が発生した時に起きることが明らかになった。特筆すべき点は、谷頭斜面の基盤上に発生する一時帯水層は、既往の多くの地中流モデルが仮定ないし予測している挙動とは異なり、必ずしも斜面基部から上部に向かって成長するわけではないことであった。出水中に観察された地温プロファイルの時間変化は、大規模出水時に上部谷頭凹地で起きる間隙水圧の急上昇が、雨水の降下浸透だけによるものではなく、基盤地形の影響を受けた地中水の集中流によるものであることを示していた。このように谷頭斜面の流出発生は、基盤上に形成された一時帯水層を通じて上部谷頭凹地の水移動とも連動していることが明らかになった。

 第5章では本研究の総括を行った。第3章の事例は土壌中のマクロポアが水みちとして機能するには、マクロポアと周辺土壌との相互作用(土壌スケールの水理学的連続性)およびマクロポア網の伸張(斜面スケールの水理学的連続性)が必要であり、この条件が先行降雨等を反映した斜面全体の水分状態に依存していることを示していた。第4章の事例は、谷頭斜面の流出が、基盤上に発生する一時帯水層によって谷頭斜面基部と上部谷頭凹地が水理学的に連結された時にはじめて大きく増加することを示していた。スケールの異なる二つの事例に共通しているのは、マクロポアや谷頭凹地のような潜在的な優先的水移動経路が実際に水みちとして機能するには、当然ながら水みちを形成するのに十分な量の水が必要である点である。その条件が満たされた時、それぞれの水移動経路は、異なる場所を水理学的に連続させることによって集水空間と通水能力を増し、より大きなスケールでの流出に対する寄与を大きくする。山地流域内の様々なスケールで起きる水理学的な連結・分断は、変動流出寄与域概念の別の表現と位置付けることもできるが、流出寄与域の変動を種々のスケールで機能する潜在的な水移動経路と関連づけ、実際に水みちが形成されるための水分条件やメカニズムを含め、実証データとともに解析した点が、本研究の特徴である。それは山地流域の水移動現象の理解を深めるばかりではなく、分布型流域水文モデルの検証・改良を通じて、源流域の管理手法の向上にも寄与しうる成果である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、山地流域を構成する主要な地形要素である側斜面と谷頭斜面を中心に、量水的手法とトレーサ法を併用して、雨水流出経路の時間的・空間的変動特性を明らかにすることを目的とした。山地流域における水の移動は、渓流や下流河川の流況はもとより、土砂の生産と輸送、酸性降下物や栄養塩類の溶出など、流域で起きる各種の物質循環を司る基本的な営力であり、水移動経路の変動特性を理解することは、流域管理のような実用的な視点からも重要な課題だからである。

 第1章では、まず日本における山地流域の自然・社会地理学的な位置付けを示し、次に山地流域の水文研究の経緯を、流出発生、0次谷、地中流、そしてモデリングという視点から整理し、現時点における問題と本研究の目的を説明した。

 第2章では、本研究の調査対象地の位置、気候、地形、地質、土壌、そして森林についての一般的諸元を説明した。

 第3章では、側斜面基部の表層土壌中における水移動過程を詳細な現地調査・観測に基づいて解析した。河道沿いに九つの土壌断面を掘削し,層位,表層土壌深およびマクロポアの直径,方向,連続性,成因などを記載した後、土壌断面の一箇所において斜面流出の連続測定がなされた。この断面は,火山灰を母材とする鉱物質土壌層(B層)および有機質土壌層(0+A層)からなる幅1.2m,平均土壌深0.35mの土層で、断面には16個のマクロポアが認められ、その直径は0.3-3.0cmであった。これら16個のマクロポアを四つのグループに分け,土壌断面全体を五つの部分に分離して流出量を計測し,この土壌断面においては土壌マトリクスからの流出が断面全体の流出の大部分を占めていること、土壌中のマクロポアが雨水の伝達経路として機能する程度は先行水分状態によって大きく変化することを明らかにした。

 また、表層土壌中における水移動の実態をさらに具体的に調べるため,同斜面に対してはじめに一定強度で散水し断面からの流出が定常状態に達した後,塩化ナトリウム水溶液を散水し,同一強度で断面流出水の塩素イオン濃度が一定に近くなるまで散水を続けるトレーサ実験が行われた。先行水分条件の異なる複数の状況で行われた実験結果を移流拡散方程式を用いて解析し、1)先行水分条件や散水強度の違いによらず,土壌断面全体のブレークスルー・カーブについて計算されたポア・ボリュームはほぼ一定である,2)その値はテンシオメータ法から推定された含水量の半分以下である、3)有機質土壌層とマクロポアのポア・ボリュームは,散水強度よりもむしろ先行水分条件に対応して増減する、などの結果を得ている。これらは,最終的にマクロポアから流出する水の通過する空間が,水分状態に応じて大きく変動することを示し,それは個々のマクロポアと相互に作用する周辺土壌層の拡大と,その結果生じるマクロポア網の斜面方向への伸長によることを考察している。

 第4章では、流域流出に対する谷頭斜面の寄与と、それに関わる谷頭斜面内部の水移動過程について解析している。谷頭斜面出口(集水面積0.25ha)と隣接する一次流域(0.84ha)、そして両者を含む全流域(2.48ha)の三つの集水域を対象に流量を連続観測し、谷頭斜面は、全流域の流出に対して、1)まったく寄与しない状態、2)一次流域より小さな範囲で寄与率が大きく変化する状態、3)一次流域と同等かそれ以上に寄与する状態の三段階があり、本研究の対象地では、この三段階は全流域の日流出量が概ね1)0.5 mm d-1未満、2)0.5 mm d-1以上5 mm d-1未満、そして、3)5 mm d-1以上の場合に対応していることを示した。谷頭斜面主軸沿い基盤上の間隙水圧分布の観測結果との対比から、基盤上の一時帯水層が谷頭斜面の基部にしか発生しない時はわずかな流出しか起きない一方、単位面積あたりで一次流域に匹敵するような大量の流出は、谷頭斜面の出口から上部谷頭凹地まで連続して一時帯水層が発生した時に起きることが明らかになった。また、大規模出水時に上部谷頭凹地で起きる間隙水圧の急上昇が、雨水の降下浸透だけによるものではなく、基盤地形の影響を受けた地中水の集中流によるものであることを示した。

 第5章では本研究の総括である。流出寄与域の変動を種々のスケールで機能する潜在的な水移動経路と関連づけ、実際に水みちが形成されるための水分条件やメカニズムを、実証データとともに解析した本研究は、山地流域の水移動現象の理解を深めるばかりではなく、分布型流域水文モデルの検証・改良を通じて、源流域の管理手法の向上にも寄与しうる成果といえる。

 以上のように、本研究は学術上のみならず応用上も価値が高い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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