学位論文要旨



No 215583
著者(漢字) 好田,正
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,タダシ
標題(和) 経口抗原に対する免疫応答の誘導に関わる抗原提示細胞の機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 215583
報告番号 乙15583
学位授与日 2003.03.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15583号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 経口的に摂取した抗原に対しては,腸管に存在する免疫系細胞により,全身性の免疫系を刺激した場合とは異なった特徴的な免疫応答が誘導される.腸管は粘膜を介して極めて多量の抗原に常にさらされている.これらの抗原の中には食物のように生体に無害であり栄養源として積極的に体内に吸収するべきものと,ウィルスや細菌のように病原性を有し体内への侵入を防がなければならないものが混在している.免疫系は元来自己と非自己を識別し,非自己を排除するシステムであると考えられているが,腸管に存在する免疫系は自己・非自己のみでなく,無害と有害までも識別するための極めて高度な機構を備えている.

 腸管免疫系において最も特徴的であるのは,全身性の免疫寛容現象である経口免疫寛容と局所的な免疫応答であるimmunoglobulin A (IgA)産生の二面性である.経口免疫寛容とは経口的に摂取した抗原に対して誘導される全身性の免疫寛容である.経口免疫寛容は多量に摂取される食物抗原に対する過剰な免疫応答の誘導を抑制し,食品アレルギーを防ぐと考えられる.一方,IgAは血清中および粘膜上に分泌される抗体である.腸管においては微生物などの侵入を防ぐとともに,食品成分に対しても過剰な免疫応答を誘導する可能性のある抗原性が高い物質の侵入を妨げ,食品アレルギーを防ぐ働きを持つと考えられる.

 このように経口抗原に対しては腸管でIgAの産生が誘導され,全身免疫系では経口免疫寛容の誘導により免疫応答が抑制される.しかし,経口抗原に対して免疫応答と免疫寛容の誘導がどのようにして制御されているかは未だ明らかになっていない.さらに,食品アレルギーの発症につながるIgEの産生を誘起するような免疫応答の誘導ではなく,粘膜防御に有効なIgAの産生を選択的に誘導するための制御機構に関しても未解明である.

 これらの応答は全て投与された抗原に特異的に誘導されることから,抗原特異的なT細胞が重要な役割を担っていると考えられる.抗原特異的なT細胞の活性化には抗原提示細胞による抗原提示が必須であり,また抗原提示の条件によってT細胞は様々な異なった機能を獲得して分化することが知られている.すなわち,経口抗原に対する免疫応答と寛容誘導の制御,さらには特徴的な免疫応答の誘導において抗原提示過程が重要であることが示唆される.また,これまでに経口抗原に対する免疫寛容の誘導に摂取する抗原量が大きな影響を与えることが示されているにもかかわらず,投与量の影響が系統的に調べられた研究は必ずしも多くはない.抗原提示の際に存在する抗原量がその後のT細胞分化に影響を与えることが知られており,このことからも経口抗原に対する特徴的な免疫応答の誘導に抗原提示が極めて重要であると考えられる.

 近年,様々な免疫器官において異なった機能を持つ抗原提示細胞の存在が報告されている.これは,経口抗原に対して誘導される免疫応答や免疫寛容は腸管もしくは経口抗原が移行する他の免疫器官に存在する抗原提示細胞の持つ特徴的な機能によって制御されている可能性を示唆する.そこで,本研究では第一章において経口抗原の量を変化させることにより免疫応答と寛容誘導のバランスを制御出来ることを示すとともに,第二章および第三章で主要な腸管免疫器官であるパイエル板に存在する抗原提示細胞の機能を分子レベルで解析し,異なった量の抗原による腸管免疫応答の制御における抗原提示細胞の役割を検討した.

1.抗原の少量経口投与はT細胞の活性化後に免疫寛容を誘導するのに対し,多量経口投与は活性化を誘導せずに免疫寛容を誘導する

 経口抗原の量が免疫寛容の誘導機構に影響を与えることが知られている.そこで,経口抗原に対する免疫応答と免疫寛容の誘導における抗原量の影響を明らかにするために,牛乳タンパク質であるαs1-カゼインの投与量を変えてマウスに経口投与し,誘導される経口免疫寛容および免疫応答の活性化を詳細に検討した.

 αs1-カゼインを経口ゾンデを用いてマウスに0.01-10mgずつ2-3日間隔で各群計4回経口投与した.その結果,0.01および0.1mgといった少量の抗原を経口投与したマウスの脾臓にinterferonγ(IFN-γ)産生細胞が誘導された.一方で,1mg以上の比較的多量の抗原の投与によっては投与量が増加するにつれてIFN-γ産生細胞の誘導は減少した.少量の抗原で誘導されたIFN-γ産生はTh1型のCD4+ T細胞によるものであった.Th1細胞はウィルスの排除や腸管粘膜へのIgA分泌に必須な分泌成分の合成促進に関与している.さらに,食品アレルギーにはTh2型のCD4+ T細胞の産生するIL-4が関与しており,Th1細胞はTh2細胞の応答を抑制する働きを持つことも知られている.また,0.01mgといった極めて少量の抗原を4回投与したマウスを含む全てのマウスにおいて経口免疫寛容が誘導されていた.これらの結果は,少量の抗原の経口投与はT細胞の活性化と同時にもしくは活性化に引き続いて免疫寛容を誘導するのに対し,多量の抗原の経口投与は免疫系の活性化を伴わずに免疫寛容を誘導することを示している.また,これらの応答は投与する抗原の総量ではなく,一回の投与量により制御されていることも明らかにした.

 本研究で得られた知見は,経口抗原の投与量を調節することにより,誘導される免疫応答と免疫寛容のバランスを制御出来ることを示している.このような経口抗原の量の変化による免疫応答と免疫寛容の制御に,抗原提示細胞の機能が重要な役割を持つと考えられることから,第二章,第三章では経口抗原を取り込み,抗原提示を行う抗原提示細胞の機能と,誘導される応答との関係を検討した.

2.パイエル板は経口投与抗原を効率的に取り込み,全身免疫系とは異なった機能を有する抗原提示細胞が特徴的な免疫応答を誘導する

 はじめに,蛍光物質で標識したタンパク質抗原を,量を変化させてマウスに経口投与し,種々の免疫器官における抗原の取り込みを評価した.その結果,腸管免疫器官でみるパイエル板において少量投与においても強い取り込みが認められた.一方、全身免疫系の主要な器官である脾臓には経口投与後も抗原の移行はほとんど認められなかった.しかし,これまでに経口抗原に対して脾臓においても抗原特異的T細胞の活性化やアポトーシスが報告されていることから,多量の抗原を経口投与した場合には極めて少量ながら抗原が存在するか,もしくは抗原を取り込んだ細胞が移行すると考えられる.

 次に,腸管免疫器官であり経口抗原の取り込みが最も盛んであったパイエル板と全身免疫器官である脾臓の抗原提示細胞を用いて抗原提示機能を比較した.パイエル板および脾臓細胞によってT細胞レセプタートランスジェニックマウスの脾臓より調製した抗原未感作T細胞にin vitroで抗原提示を行った.その縮果,パイエル板および脾臓のいずれの細胞によっても免疫寛容は誘導されなかったが,それぞれ異なったT細胞の分化を誘導した.パイエル板細胞は脾臓細胞と比較してTh1細胞への分化を優位に誘導した.この結果は,パイエル板に存在する抗原提示細胞の持つ固有の機能が経口抗原に対する免疫応答の誘導に重要な役割を果たしていることを示唆している.

 本研究では免疫寛容を誘導する抗原提示細胞を同定することは出来なかったが,蛍光標識タンパク質を用いた実験でパイエル板以外にも肝臓に抗原の取り込みが認められたことから,肝臓に存在する抗原提示細胞の機能が経口免疫寛容の誘導に何らかの役割を持っている可能性が考えられる.

3.パイエル板の抗原提示細胞は抗原濃度に依存して全身免疫系の抗原提示細胞とは異なったT細胞分化を誘導する

 パイエル板と脾臓の抗原提示細胞の機能は異なっており,それらの細胞が経口抗原に対する特徴的な免疫応答の誘導に関与すると考えられた.そこで経口抗原の量の変化による腸管免疫応答の制御におけるパイエル板と脾臓の抗原提示細胞の関与を検討した.第二章と同様なin vitroの実験系を用い様々な濃度の抗原存在下で抗原提示を行った.その結果,パイエル板および脾臓細胞は抗原濃度依存性は異なっているものの,抗原濃度の変化に伴いTh1およびTh2のいずれの細胞への分化も誘導した.パイエル板細胞は0.01-1μMおよび100μMの抗原の存在下でTh1細胞の分化を誘導し,10μMではTh2細胞を誘導した.一方,脾臓細胞は0.1-1 μMでTh2細胞を誘導し,100μMではTh1細胞を弱く誘導した.

 また,抗原提示細胞の産生するinterleukin 12 (IL-12)はパイエル板および脾臓細胞のいずれにおいてもTh1細胞への分化の誘導には必須であったが,Th2細胞の誘導における抗原濃度依存性にはほとんど影響を与えなかった.抗原提示細胞上に発現する補助刺激分子でありCD86は抗原濃度に依存したTh1細胞の分化誘導に重要な役割を持ち,抗体によりCD86の機能を阻害するとパイエル板および脾臓細胞によるTh1細胞誘導能に差異がなくなり,全ての抗原濃度において同様に高レベルで誘導された.一方,Th2細胞の分化に対してはCD86は抗原濃度依存性に影響を与えることなく,全体的に分化を促進した.

 これらの結果より,抗原濃度に依存したTh1細胞およびTh2細胞の分化は独立に制御されており,抗原濃度の変化により抗原提示細胞の機能が変化することによって,異なったT細胞分化が誘導されることが示された.

 本研究により,経口投与抗原により誘導される免疫応答と免疫寛容は経口投与する抗原量を変化させることによって制御できることが示された.さらに,抗原量依存的な腸管免疫応答の誘導にパイエル板や,脾臓,肝臓などの抗原提示細胞の特有な機能が重要な役割を果たしている可能性が示唆された.これは,食品アレルギーの予防のみでなく,粘膜ワクチンの開発や経口免疫寛容の誘導を利用した自己免疫疾患の治療においても極めて有用な知見である.

審査要旨 要旨を表示する

 経口的に摂取した抗原に対しては,腸管に存在する免疫系細胞により,全身性の免疫系を刺激した場合とは異なった特徴的な免疫応答が誘導される.元来,免疫系は自己と非自己を識別し,非自己を排除するシステムであると考えられるが,腸管に存在する免疫系は自己・非自己のみでなく,無害と有害までも識別するための極めて高度な機構を備えている.経口抗原に対する免疫応答は投与された抗原に特異的に誘導されることから,抗原特異的なT細胞が重要な役割を担っていると考えられる.抗原特異的なT細胞の活性化には抗原提示細胞による抗原提示が必須であることから,経口抗原に対する免疫応答の誘導において抗原提示が重要であることが示唆されるが,経口抗原の抗原提示に関しては未だ不明な点が多く残されている.本論文は,経口抗原の抗原提示に関わる抗原提示細胞の機能を分子レベルで解析し,経口抗原に対する免疫応答の制御における抗原提示細胞の役割の解明を試みたものである.

 緒言において本研究の背景と意義について概説した後,第1章では経口抗原に対する免疫応答と免疫寛容の誘導における抗原量の影響を明らかにすることを目的とし,牛乳タンパク質であるαs1-カゼインを投与量を変えてマウスに経口投与し,誘導される経口免疫寛容および免疫応答の活性化を検討した.その結果,少量の抗原の経口投与によりTh1細胞の活性化が誘導されることを示した.一方で,多量の抗原の投与によってはTh1細胞の誘導は認められなかった.また,少量の抗原を投与したマウスを含む全てのマウスにおいて経口免疫寛容が誘導されていた,これらの結果より,少量の抗原の経口投与はT細胞の活性化と同時にもし<は活性化に引き続いて免疫寛容を誘導するのに対し,多量の抗原の経口投与は免疫系の活性化を伴わずに免疫寛容を誘導することを示した,これらの結果より,経口抗原の投与量を調節することにより,誘導される免疫応答と免疫寛容のバランスを制御できることが示された.

 第2章では経口抗原の抗原提示に関わる抗原提示細胞を同定し,抗原提示機能を解析した.はじめに,蛍光物質で標識したタンパク質をマウスに経口投与し,種々の免疫器官における抗原の取り込みを評価した.その結果,腸管免疫器官であるパイエル板において少量の抗原の投与においても強い取り込みが認められた.次に,経口抗原の取り込みが最も顕著であったパイエル板と全身免疫器官である脾臓の抗原提示細胞を用いて抗原提示機能を比較した.パイエル板および脾臓細胞によってT細胞レセプタートランスジェニックマウスの脾臓より調製した抗原未感作T細胞にin vitroで抗原提示を行った.その結果,パイエル板および脾臓のいずれの細胞によってもT細胞の不応答化は誘導されなかったが,サイトカイン産生の面ではそれぞれ異なったT細胞の分化を誘導した.

 第2章の結果よりパイエル板の抗原提示細胞の機能は脾臓とは異なっており,経口抗原に対する特徴的な免疫応答の誘導に関与すると考えられた.そこで第3章では経口抗原の量の変化による腸管免疫応答の制御におけるパイエル板の抗原提示細胞の関与を検討した.その結果,パイエル板および脾臓細胞は抗原濃度の変化に伴いTh1およびTh2のいずれの細胞への分化も誘導したものの,抗原濃度依存性は異なっており,パイエル板細胞は脾臓細胞と比較して広い濃度範囲でTh1細胞への分化を誘導することを明らかにした.また,抗原提示細胞の産生するIL-12はパイエル板および脾臓細胞のいずれにおいてもTh1細胞への分化の誘導には必須であったが,Th2細胞の誘導における抗原濃度依存性にはほとんど影響を与えなかった.さらに,抗原提示細胞上に発現する補助刺激分子であるCD86は抗原濃度に依存したTh1細胞の分化誘導に重要な役割を持つことが示された.一方で,CD86はTh2細胞の分化に対しては抗原濃度依存性に影響を与えることなく,全体的に分化を促進した.これらの結果より,パイエル板細胞は特有の抗原提示機能により抗原濃度の変化に従って特徴的なT細胞分化を誘導することが示され,経口抗原に対する免疫応答の誘導において重要な役割を果たしていることが示された.

 以上,本論文では,経口抗原により誘導される免疫応答と免疫寛容は経口投与する抗原量を変化させることによって制御できることを示し,さらに,抗原量依存的な腸管免疫応答の誘導にパイエル板の抗原提示細胞の特有な機能が重要な役割を果たしていることが示された.これらは,食品アレルギーの予防のみでなく,粘膜ワクチンの開発や経口免疫寛容の誘導を利用した自己免疫疾患の治療においても有用な知見であり,学術上,応用上貢献するところが少なくない.よって,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51160