学位論文要旨



No 215593
著者(漢字) 史,常徳
著者(英字)
著者(カナ) シ,ジョウトク
標題(和) ヒト椎骨連結体構造に関する機能形態学的研究
標題(洋)
報告番号 215593
報告番号 乙15593
学位授与日 2003.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第15593号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,賛
 東京大学 教授 鈴木,隆雄
 獨協医科大学 講師 高橋,秀雄
 京都大学 教授 茂原,信生
 東京大学 助教授 諏訪,元
内容要旨 要旨を表示する

歴史的背景

 椎骨連結体(脊柱)を筋骨格系の一部として,機能形態学として力学的に把握することは,高度に困難な課題である。四足哺乳動物の椎骨連結体を,重力に対抗して保持するのはどのような力学的作用参あるのかについて,Zschokke(1892),Strasser(1913)など形の類似性によって,古くから,トラス橋モデルで比較検討した。しかしながら,このモデルは,圧縮を主とする剛な要素と引張要素が明記されていない問題点がある。その後,D' Arcy W. Thompsonは,その1917年出版の著述On Growth and Formにおいてこの問題を論じ,剛な橋桁・支柱と引き索で保持されるゲルバー型吊橋になぞらえて,椎骨連結体は椎体と棘突起という剛な部材と靱帯という引っ張り部材の組み合わせによる吊橋のようなものであると考えた。しかしながら,彼のモデルは,引き索はすべて靱帯であり,筋の働きと可動関節としての椎間円板を無視している。また,直立二足姿勢をとるヒトの椎骨連結体としては,Braus & Elze(1929), Benninghoff(1940)やKapandji(1979)などの簡単な帆柱モデルの理論があるが,いずれも,剛な要素と引張要素が明記されていない。つまり,ヒトの椎骨連結体のモデルとしてはまだに満足すべきものがない。

 したがって,椎骨連結体とその周辺諸器官の力学を考え直す必要性がある。ただし,よく知られているように椎骨連結体にかかわる筋の数は非常に多く,そのまま力のベクトルとして解析をすれば,未知数の多さのために解が不定になるのは明らかである。そこで,四足哺乳動物とヒトの固有背筋と体幹筋の配置を見て,各筋の力作用の類似するものを筋群としてまとめて,解が可能な数の群としてもとめる。また,椎間円板という関節要素にも加えて,新たに椎骨連結体全体の単純モデルと,個々の椎骨の筋配置複雑モデルを立て,椎骨連結体とその周辺諸器官の力学を考え直した。

目的

 本研究では,まず簡略化したモデルで解析し,基本的なベクトル力学の解を求める。次いで,上記のモデル解を参照しつつ,椎骨の椎体連結面の材料力学的諸特性値を求めるため,線計測と正確な二次元面形態計測を行い,ヒトと各種哺乳動物のそれらの特性値の比較解析を行う。最後に,これらをまとめてヒトの椎骨連結体に特有の機能形態学的構造適応を解明することを目的とする。

椎骨連結体の力学の概略的解析

 四足哺乳動物の代表としてニホンカモシカとラット,ならびに直立二足姿勢をとるヒトを用いて,椎骨連結体に働く基本的な力の有り方を示す単純,および複雑なモデルの解を求めた。その結果,椎骨連結体全体にわたる単純モデルにより,四足動物は多関節斜張橋的構造として,また,直立二足性のヒトは多関節帆柱的構造として,力学的に想定できることがわかった。また,各椎骨に作用する諸力とそのモーメントでこの釣り合いが成立しうるかどうかという問題,すなわちより複雑なモデルを設定して解を得ることを試みた。モデルとして,(1)力学的に関係する数多くの筋をグループ分けして未知数を減らすという近似法と,(2)構造力学の解析的解法と図解法と連力図解法,を用いた。その結果,近似的ではあるが,上記のすべての椎骨について力とモーメントの釣り合いが成立しうることがわかった。このことから,逆に椎骨連結体全体についての単純モデルが単なる想定ではなく,根本的には複雑モデルに基づく単純化といえることになる。

 椎体連結面伝達力は上記二者のモデルでは軸力である。実際に四足哺乳動物の多関節傾斜塔斜張橋モデルからみれば,吊り下げる体幹の重心の位置が全く不動の場合なら,スパン中央付近の釣り合う点の力の大きさは極めて0に近い。しかしながら,少しでも体幹の重心の位置が動いた場合は,力は0にならなくなり,極小点の形になる。一方,直立二足のヒトの帆柱モデルからみれば,柱の下端へ行くほど,力の大きさは増大し,全く静的な場合には,椎骨連結体の下端で圧縮軸力が最大となる。少しでも動くと,偏心荷重による曲げが発生し,圧縮軸力の他に下端部の曲げモーメントも急激に増大する。このように,ヒトでは,実際には曲げモーメントが著しくかわると推定される。従って,それに対応する椎体連結面の特性は面積ばかりではなく,曲げ応力に対する断面係数も重要であることが推論できる。

 以下,本研究では,椎体連結面積と矢状方向断面係数と横方向断面係数という材料力学的指標を用いて頚椎部から腰椎部まで椎骨連結体の連結面にある圧縮と曲げを推測し,モデル解法で得られたヒトと他の四足哺乳動物の力学解析と比較して,ヒトの椎骨連結体に特有の機能形態学的構造適応を分析する。

線計測による比較解析

 分析の第一歩として,椎体頭側矢状径と横径を計測し,そこから楕円近似法を用いて椎体連結面の見かけ面積,見かけ矢状方向と横方向断面係数という材料力学的指標を計算した。この解析は大まかな近似であるが,従来のさまざまな報告や筆者の過去の報告資料など比較資料が多く,広範囲の異なる姿勢をとる動物とヒトと比較できる利点がある。計14種の哺乳動物椎骨の形態変化をヒトと統計的に比較解析し,その中からどの近似要素の変化がヒトの姿勢と関係しているかを明らかにした。また,この結果に基づいて正確な比較解析を行なうために,ヒトと比較する代表的な動物を選出した。その結果,ヒトでは見かけ椎体連結面積と各方向断面係数は下端に行くほど著しく増大する特徴がある。他の哺乳動物に見られないこの特徴は,ヒトの椎骨連結体にかかる軸方向の圧縮力と各方向の曲げモーメントが下端に行くほど著しく増加することによるものと推測できる。一方,四足獣では見かけ椎体連結面積,各方向断面係数は,頚椎下端・胸椎上端部と腰椎部が大きく,胸椎中部で小さくなる傾向がある。サルはヒトと一般四足獣との中間的な様式を示している。大型類人猿はとくにヒトに近い様式である。これらの結果からチンパンジー,ニホンザル,ニホンカモシカという代表的な動物を選出し,次にこれらとヒトと詳しく比較解析をすることにする。

正確な二次元計測による比較解析

 本研究では機能形態学的に正確に解析するために,線計測比較解析で抽出された代表的な3種動物に二足起立実験ラットを加え,ヒトを含む計5種について写真計測法を用いて,統計的な比較解析を行なった。その結果,今まで解明されていなかった椎骨連結体の機能形態学的特徴が以下の通り明らかになった。

1.ヒトの椎体連結面積と矢状方向と横方向断面係数は頚椎から最終腰椎にかけ,連続的に著しく増大する。

 ヒトの特徴は軸圧縮力に対応する椎体連結面積と矢状方向と横方向の曲げに対応する矢状方向と横方向の断面係数とが,頚椎から最終腰椎にかけ連続的に著しく増大し,最終腰椎で最大となることである。この結果はヒトの椎骨連結体が頚椎から最終腰椎まで連続的に著しく増大する圧縮・曲げに抗しうるように適応して頑丈になったものと考えられる。これは今まで行なわれてきた椎骨の光弾性実験研究(小島,1964),線計測比較研究(Hasebe,1913;史ら,1995,1999),圧縮破壊負荷試験研究(園田,1962;Plaue,1970)などで論じられてきたように,ヒトの椎骨連結体が頚椎から腰椎まで下に行くほど頑丈になる材料力学的適応をもっているという考え方と一致する。

2.ヒトの椎体連結面の横方向断面係数は矢状方向断面係数より大きい。

 ヒトは胸椎下半部から最終腰椎に至るまで,横方向断面係数が矢状方向断面係数より約1.4倍大きいという他の哺乳動物に見られない特徴を示している。すなわち,ヒトの椎骨連結体の横方向曲げに対する丈夫さが,矢状方向曲げに対する丈夫さより胸椎下半部から最終腰椎まで約1.4倍も大きくなっていることが明らかである。これは史ら(1995)によって抽出された,ヒト頚椎のつけ根部と腰椎部の椎体横径が矢状径より明らかに大きい特徴と一致する.この特徴は,ヒトの側屈動作と左右片側の荷重が多いことによる,横方向の曲げが矢状方向の曲げより大きいということに抗しうる材料力学的適応変形であると考えられる。

3.二足起立運動負荷による椎骨の影響を解明

 二足起立運動を負荷したラットでは,軸方向圧縮力に対抗する椎体連結面積および最大矢状方向と横方向曲げに対抗する矢状方向と横方向の断面係数が,頚椎つけ根部および胸椎下半部から最終腰椎までの範囲内で対照群より大きく,とくに腰椎部では有意に大きい特徴を示している。また,横方向断面係数はC4にも有意差を認めた。これらは二足起立運動負荷によって増大した圧縮・曲げに抗しうるための適応変形であると考えられる。この変形様式は二足姿勢と二足歩行をするヒトの形態の特徴と一致するものであり,ヒト椎骨連結体の力学特性の解釈の妥当性を示すものと考える。

4.ヒト,ニホンザル,カモシカの矢状方向と横方向曲げに抗しうる適応変化特徴の違いの解明

 矢状方向と横方向の曲げに抗しうる適応変化特徴から見ると,ヒトは他の比較動物とは明らかに異なる。その内,チンパンジーはヒトとかなり似て,ラットは四足哺乳動物のカモシカに近い特徴を示している。前後肢による両端的体幹支持方式と寛骨または後肢のみでの下端的体幹支持方式を交互に行うニホンザルでは背側矢状方向断面係数はほぼ完全にヒトとカモシカの中間的特徴を示し,椎体連結面積と横方向断面係数はカモシカよりヒトに近い中間的特徴を示していることが本研究で明らかになった。これらの動物による違いは日常的運動様式よる力学的負荷に対応したものと考えられる。

5.正確な計測による比較解析結果は広くヒト以外の動物に適用できる

 線計測で調べたヒトとヒト以外の広い範囲の哺乳動物での比較検討結果から見ると,椎体連結面積,矢状方向と横方向断面係数の変化様式はイエイヌがニホンカモシカとよく似ていて,ウシとコビトカバとヤギも基本的にはニホンカモシカに似たところがある。また,一般のサルは全体にニホンザルに似ているし,ゴリラはチンパンジーに似ている。従って,先の結果は広くヒト以外の動物に適用できるものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は五つの章からなる。第一章は序説で、推骨連結体いわゆる脊柱の機能形態学的研究の歴史的背景と本論文の目的を述べる。第二章では推骨連結体の力学をヒトと四足獣それぞれについてモデルをつくって解析した。第三章ではヒトを含む多数の哺乳類種についての解析を行うため、推体頭側の線計測結果により力学特性を調べた。第四章では上記結果より代表的とみなせる種と二足起立姿勢をとらせた実験ラット群とについて、写真計測による推体関節面の力学的形状測定を行い解析した。これをうけて第五章において各種哺乳類の推骨連結体の力学特性、とくに直立二足姿勢をとるヒトの特性をまとめた。

 脊柱はヒトにおいて直立するのに対し、一般の四足動物においては水平に向き、その力学的機能が異なる。これはヒトの重要な特徴の一つであるにもかかわらず、その全体の解析はこれまで充分ではなかった。その理由の一つは、脊柱が約30個の推体の連結体であるため、それぞれの推骨を力学的に解析しても全体像と結びつきにくいことにあった。本研究の特徴は、まず力学モデルを作成して推骨連結体に加わる力の特性を求め、次いで脊柱全長にわたる推体の材料力学的特性実測値を始めて計測して、モデルとの対応において解釈することに成功したことにある。

 第二章では、四足哺乳動物の代表としてニホンカモシカとラットを例にとり、多関節斜張橋的構造としてモデル解析した。直立二足姿勢をとるヒトのモデルとしては多関節帆柱的構造として解析できた。これらのモデルが、実際には連結体である各推骨において釣り合いとして成立しうるかどうかを、体節重量と筋力とを想定したモデルによって検証した。これらのモデルより、前後肢で脊柱を支える四足哺乳類の場合は、両支持脚部で大きくスパン中央で極小点をもつ軸力と曲げが、直立した脊柱を下肢で支持するヒトの場合は、柱の下端で極大となる軸力と曲げが加わると推論された。

 第三章では線計測による比較として、既存計測値を含む14種の哺乳動物とヒトとを用いた。その結果、典型的な四足獣とヒトの推体頭側面すなわち推体連結体断面の形状は、上記モデルによる外力に対抗するように分布することがわかった。一方、日常胴を立てたり下肢のみで体を支持したりすることの多いサルなどは、ヒトと一般四足獣の中間的な様式をとることがわかった。

 第四章では、正確な力学的特性を調べるために、上記計測結果より四足獣の代表としてニホンカモシカ、サルのなかでニホンザルと類人猿のチンパンジー、それにヒトをえらび、多数個体において写真撮影による二次元計測を行った。さらに四足姿勢と二足姿勢との差違を実験的に確認するため、ラットの四足姿勢対照群と二足起立姿勢負荷実験群との間の比較検討を行った。

 この結果、ヒトの椎体連結体の特徴として、軸圧縮に対抗する面積と曲げに対抗する矢状方向・横方向の断面係数とが、ともに頸椎から最終腰椎にかけ連続的に著しく増大することが示された。これはモデルにみられた荷重条件に対抗する力学的適応形態であると考えられる。また、胸椎下半部から最終腰椎に至るまで、横方向断面係数が矢状方向のものより大きいという、他の哺乳動物にみられない特徴が示された。二足起立運動負荷ラットにおいては、面積および断面係数が胸椎下半部から最終腰椎までの範囲で対照群より大きいことを見いだした。これは二足起立負荷によって増大した圧縮と曲げに対する適応変形であると考えられ、ヒトの力学特性の解釈の妥当性を示すものである。また、脊柱を立てることの多いチンパンジーとニホンザルでは一般四足獣とヒトの間の力学的形態特徴を示した。これらの動物による機能形態の違いは日常的運動様式による力学的負荷に対応したものであると考えられる。

 このように本論文ではヒトの椎骨連結体のもつ力学的形態特徴を、直立二足姿勢という力学的負荷に対応したものとして解釈できることを示し、他の哺乳類とのちがいを明らかにした。また、哺乳類内での類型を明らかとしたことから、本論文の結果は広く多くの哺乳動物に適応できるものと考えられる。

 なお第四章のうち、ラット二足直立負荷実験は松村秋芳博士によって行われたものであるが、脊椎骨格標本の作成、計測、解析はすべて申請者によって行われ、申請者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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