学位論文要旨



No 215595
著者(漢字) 久留島,浩
著者(英字)
著者(カナ) クルシマ,ヒロシ
標題(和) 近世幕領の行政と組合村
標題(洋)
報告番号 215595
報告番号 乙15595
学位授与日 2003.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第15595号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 藤田,覚
 史料編纂所 教授 宮崎,勝美
 史料編纂所 助教授 保谷,徹
 東京大学 教授 三谷,博
内容要旨 要旨を表示する

 幕領は、北は出羽から南は日向まで、全国に散在しており、18世紀後半以降、その石高は、おおよそ400万石強で推移した。全石高の約7分の1を占め、江戸幕府の経済的・政治的・軍事的基盤をなしていたとされてきた。しかし、いまなお藩領研究に比べると幕領研究の遅れは否めない。とくに、近世後期の在地の状況にそくした実証的な研究は、信州・甲州・出羽・越後を除くと、近年研究が進められた日田、佐渡、伊豆、備中、天草や畿内の幕領を含めても、まだ十分とはいえない。そこで、本論文では、以下のように大きく4編7章に分けて課題を設定し、在地の側から幕領の特質について検討した。

 I編では、幕領に存在する唯一の支配機関である代官所の18世紀後半以降の特色について、基本的には年貢・諸役徴収事務が中心になっており、軍事的・警察的な機能は十分ではないととらえた。その最も重要な年貢・諸役徴収事務にしても、現地の代官所役人だけですべてを処理しえたかどうか甚だ疑問であり、にも拘わらず、代官所による幕領支配が、日田・石見など長州戦争後他藩に占領されたところ以外では、幕府が滅亡する日までほぼ円滑に行なわれていたのは何故であろうか、について考えることにした。また、維新後、幕領は直轄県に継承されるが、年貢半減令をめぐる混乱や占領下の混乱以外に、年貢徴収上で大きな問題を起こしたという事例を管見の限りでは知らない。本編では、その理由について、代官所と各村との間に中間的な機構が介在するからなのではないかと想定した。とくに、天明9年の幕府令から、幕領に存在していることはわかっていたが、その機能や性格が判然としなかった惣代庄屋に焦点をあてて分析することにした。第1章では、甲州の市川代官所管下の幕領における郡中惣代の機能を中心に分析した。その結果、郡中惣代がその選出母体である組合村を代表して、代官所管下全体(「郡中」と呼ぶ)に関する「御用」(代官所からの命令による仕事、年貢廻米に関わる仕事など)と郡中用(「郡中」に関わる用事、嘆願闘争の組織化・郡中寄合の開催など)とを勤めるなど、恒常的な機構として存在していることを確認した。同時に、「郡中御用留」という、個別の村の名主が作成するのとは違う「御用留」をも含めて、「郡中」で引き継がれる文書群があることがわかった。郡中惣代の機能を分析した結果、代官所の支配機能を実質的に代替するという意味ではまさに中間支配機構として評価せざるをえない側面があることはわかった。しかし、同時にそうした機能が可能だったのは郡中惣代らがその選出母体である組合村々の意向を代表しえていたからであり、彼らによる組合村・郡中の自主的な運営の在り方に注目すると、これらを自主的な行政機構と評価することが可能であると考えた。第2章では、備中の幕領における在地の支配構造、就中、組合村(=-郡内の幕領村々全体)の代表者として、代官所の支配機能を実質的に肩代わりしていた郡中惣代について、その機能・性格を具体的に考察することを主たる課題とし、おおよそ甲州の幕領の分析結果と同様な結論を得た。石高の点で全国の幕領でも上位を占め、-国内での幕領比率も高い甲州の幕領と、両方ともに比重の低い備中の幕領という、性格の異なる二つの幕領で、共通する自主的行政機構を発見したことになる。その結果、全国のどこの幕領でも、「郡中惣代」もしくはその類似的な存在に注目する必要があることを示すことができたと考える(幕領における自主的行政機構としての組合村-惣代庄屋制の存在)。

 II編は、I編での分析成果を踏まえて、幕領の惣代庄屋による「郡中」運営、組合村運営に関する共通点の抽出を課題とした。その際、惣代庄屋が村々の庄屋の「惣代」たりうる条件とは何かということを、共通経費の管理に関する業務に起因する「惣代性」(惣代としての性格)と嘆願闘争を組織するという「惣代性」という二つのメルクマールから検討することにした(「惣代性」への注目)。第3章では、郡中や組合村の運営を、その共通経費の問題から、すなわち惣代庄屋が、郡中入用、組合村入用の支出・算用・割付にどのように関わるのかという観点から論じた。18世紀後半以降、郡中入用に関する原則が郡中議定として成文化されるようになるが、郡中入用の公正化・公開化をめぐる騒動が起こったことで、19世紀には議定の項目が多くなり、規定が詳細になっていく。さらに、その内容の公開も進んだ。こうして、いくつかの幕領での郡中議定を比較することで、この郡中入用運用に関するいくつかの共通点を確認することができたが、その一方で、郡中入用として認める費用の額や支出項目は決して同一ではなく、地域特性を反映した郡中の運営が行われるようになることもわかった(個々の幕領の地域特性と郡中運営の共通性)。第4章では、惣代庄屋が直接に嘆願闘争の「惣代」としての役割を果たす事例として、寛政10年の美作石代越訴一件と文化10年の美作久米南条・北条郡村々江戸越訴の二つの広域嘆願闘争をとりあげ、前者では、美作久世代官所管下・丹後久美浜代官所管下・但馬生野代官所管下・播磨竜野藩預り所の「御四分」から成る美作の幕領村々全体を組織した闘争が行われること、この組織化の基底には、各「御分」ごとに組合村-惣代庄屋制が機能していたことを確認することができた。後者は、これとは様相を異にする。小田原藩の飛び地であった村々が大坂代官所管下の幕領に組み込まれたことをきっかけとして、旧小田原藩飛び地の村々が分裂しながらも起こした嘆願闘争である。この闘争は、村落上層農民に主導された小前百姓たちが起こした村政民主化闘争であると評価されており、この争論のなかで、近隣の幕領なみの地域運営、すなわち組合村-惣代庄屋制の施行が求められていることに注目した。

 III編は、こうした郡中惣代制(組合村-惣代庄屋制)が長州戦争という非常時にどのような機能を果たしたのかについての検討を課題とした。具体的には、在地ではどのような人足徴発や物資調達の体制がつくられていたのか、備中幕領を対象に検討した。代官所手代が作成した長州戦争時の詳細な勘定記録の分析から、幕末期の、しかも戦時下で、戦争のために動員された藩や旗本たちに貸与した米や、必要物資購入・輸送のために支出した金額と代官所が管轄する年貢米金との収支計算を行い、逐一文書に記録して幕府に報告する代官所行政の在り方を示すことができた。方、郡中惣代を歴任した家の長州戦争時の史料群から、惣代庄屋たちの統括のもとで、組合村や-郡(-郡内幕領村々全体)単位に物資調達・人足徴発を行っていたことがわかった。日常的な代官行政を在地で支える自主的行政機構であった組合村-惣代庄屋制は、戦時下でも十分に機能したのである(戦時下での組合村-惣代庄屋制)。

 IV編第章は、主たる対象時期を幕末維新期に設定し、この段階の幕領で組合村-惣代庄屋制が、どのような歴史的位置にあったのかという点の解明を試みた。1-6章での分析・論証結果をふまえた、本論文全体のまとめの意味も持つ。ここではさらに、幕領を継承して直轄県をその直接の権力基盤とした維新政権はこうした組合村の何を継承し、何を否定するのか、それはその後の地方政治制度にどのような影響を与えるのか、ということもあわせて検討しようとした。この幕末維新期は、佐々木潤之介氏の問題提起以来、世直し状況期として捉えられていたが、この世直し状況期に「政治的中間層」である惣代庄屋たちがどのような歴史的役割を果たしたのかについて検討することで、世直し状況論研究を批判的に継承することも課題とした。とくに世直し状況のなかで、どこまで幕府による幕領支配が解体しているのかどうかを問うた。これに対してはIII編で、長州戦争時において諸物資調達・人足徴発が幕府の当初の計画どおりに実現したこと、その後もとりあえず年貢徴収という点では、大きな問題はなかったことを示したが、ここでは倉敷県・甲府県など直轄県への移行がスムースであったことを確認した。幕末維新期の村落や村落の連合組織である組合村・郡中は、その構成単位である百姓の家や村の利害をまもり、前進させるかたちで存在していたのではないか、その運営を担ったのが、組合村の運営をして政治的トレーニングを経ていた惣代庄屋たちだったのではないか、という仮説を提示することができた(「政治的中間層」としての惣代庄屋の歴史的評価)。

 本論文全体を通して、18世紀後半以降に各地の幕領で姿を見せ始め、それ以降各地の幕領でほぼ一般的に展開する組合村-惣代庄屋制の歴史的性格を明らかにし、近世最末期の段階でも、こうした幕領の惣代庄屋たちが発揮した地域運営能力の到達点を確認することができた。18世紀後半以降、村-組合村-郡中という、下から構築された重層的な自主的行政組織が成立する一方で、代官所による文書行政が展開する(この点は本書では独自に分析できなかったが)という構図で、幕鎮の特質をとらえることができるのではないかという見通しを得ることができたと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、近世後期から幕末・維新期における江戸幕府直轄地(幕領)の在地社会と支配構造を包括的に検討し、近代以降の地域支配の歴史的前提を解明しようとするものである。具体的な課題としては、(1)18世紀以降の幕領代官支配の性格を組合村や惣代庄屋の視点から解明すること、(2)長州戦争期における幕領の状況を検討すること、(3)明治初期の直轄県の歴史的性格を明らかにすること、の3点が設定される。

 I編では甲州と備中という対蹠的な性格をもつ幕領の中間支配機構が検討される。1章では、甲州の市川代官所管下(郡中)幕領における郡中惣代の機能が解明され、郡中寄合、郡中入用などの検討を介して、組合村々を選出母体とする郡中惣代という存在を発見し、これが中間支配機構としての性格を有し、自主的な行政機構と代官所行政の関係を媒介する位置にあることを明らかにする。2章では、こうして発見した郡中惣代が、他の幕領でも存在することを備中を事例に詳細に解明する。

 II編は、組合村-惣代庄屋制の性格を検討する。3章では、惣代庄屋による「郡中」・組合村運営の特質が、備中を例に分析される。そこでは郡中-郡-組合村という入用の重層構造や、郡中入用の運営をめぐる「民主化」闘争などが検討される。4章では、美作幕領における広域歎願闘争が分析され、惣代庄屋の惣代としての機能を確認する。

 III編では組合村-惣代庄屋制が、幕末期の長州戦争下でどのように機能したかを、備中・美作幕領を素材として検討する。5章では、第一次長州戦争下で在地社会における臨戦体制の構築過程が、また6章では第二次長州戦争下における戦時体制の特質がそれぞれ分析され、代官所管下の物資調達や夫役動員に関わる郡中惣代の果たした機能を解明する。

 IV編では、7章において幕領を接収して成立し、維新政権の権力基盤となった直轄県が、近世の組合村-惣代庄屋制の何を継承したかを、旧惣代庄屋制を支えた村役人層=「政治的中間層」の動向を中心に追求し、明治2〜3年に再編される新たな中間支配機構が、従来の「惣代性」を喪失し、直轄県の下級官吏へと組み込まれるに至る過程を明らかにする。

 本論文は、全体として緻密で圧倒的な質量の実証を伴う独創的・先駆的な研究である点が特筆され、その水準は極めて高い。その成果と意義は以下の通りである。

1.幕領における代官所行政を支える中間支配機構=郡中惣代・惣代庄屋を発見し、その生成と展開の過程を克明に辿り、従来の近世幕領研究の水準を飛躍的に高めた。

2.在地社会の自治的行政システムと、幕領の支配構造の性格を、支配・統合の二側面から解明し、近世における国家と社会の関係をめぐって重要な問題提起を行った。

3.二次にわたった長州戦争期における幕領在地社会の状況を、中間支配機構の特質に注目しながら動態的に把握し、最幕末期における中間支配機構の特質を精緻に解明した。

4.明治初年の直轄県における支配機構を、幕領の組合-惣代庄屋制との連続と断絶の両側面から検討し、移行期在地社会における支配構造の展開過程を一貫した論理で把握した。

 本論文は、大名領における大庄屋などの中間支配機構との比較や、直轄都市における支配構造分析が未着手であるなどの課題をいくつか残している。しかし本審査委員会は、上記のような顕著な成果に鑑みて、本論文が博士(文学)に十分値するものとの結論を得た。

UTokyo Repositoryリンク