学位論文要旨



No 215615
著者(漢字) 久保田,繁
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,シゲル
標題(和) 強迫性障害の数理モデルに関する研究
標題(洋)
報告番号 215615
報告番号 乙15615
学位授与日 2003.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15615号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 岡部,洋一
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 助教授 廣瀬,明
内容要旨 要旨を表示する

 強迫性障害とは、手を繰り返し洗い続ける、何度も確認を行う等の固定的、反復的な行動(強迫行為)、あるいは思考(強迫観念)により特徴づけられる精神病である。

 強迫性障害の原因として、神経伝達物質セロトニンが深く関与していることが広く認められている。このセロトニン仮説は、セロトニン再取り込み阻害薬を用いた薬物治療が有効であることを主要な根拠としている。行動療法では、エキスポージャーと反応妨害法が主に用いられる。エキスポージャーと反応妨害法とは、(1)強迫行為、観念の症状を引き起こす刺激状況に患者を直面させる(エキスポージャー)、(2)(1)の状況で、長時間、強迫行為、観念を起こさない様にする(反応妨害法)、という2つの段階から構成される手法である。強迫性障害治療における外科手術は、脳内の限定した部位に損傷を与える手法であり、損傷を与える部位としては、視床から眼窩皮質への経路、眼窩皮質から線条体への経路、眼窩皮質、視床等がある。また、強迫性障害患者の脳内をPET(positron emission tomography)により観察することにより、患者の線条体と眼窩皮質の代謝活動が増加しているというデータが得られている。また、薬物療法、あるいは行動療法により症状が改善した場合、これらの脳内部位の過活動が正常化することも分かっている。

 この様に、強迫性障害に関する様々なデータが集まっているが、その病理は明らかで無く、これらのデータを統合したモデルの構築が重要である。本論文は、精神病を脳の分散情報処理機能の異常として捉えることが病理の解明に役立つという概念の基に、分散情報処理を扱う手法としてニューラルネットワークを用い、強迫性障害の病理に関する数理モデルの構築を試みる。また、ニューラルネットワークを構成するニューロンモデルとしては、ニューロンの不応性、しきい値特性を数学的にモデル化したカオスニューロンモデルを用いる。

 第1章では、強迫性障害に関するこれまでの臨床データについて概要を述べた後、薬物療法、行動療法、外科手術の治療効果と、これらの治療に伴う脳内の過活動の正常化を統一的に説明する数理モデルを構築するという、本論文の目的を述べた。また、過去の強迫性障害の数理モデルに関する研究について概説した。

 第2章では、強迫性障害の過去の生物学的モデルに関する議論を基に、線条体に強迫症状に関連した記憶情報(例として繰り返し手を洗う症状の場合、"不潔"という概念等)が保持されており、線条体が皮質-線条体-視床-皮質ループの活性化を通じて強迫症状を引き起こすという本モデルの基本的な仮定を導いた。

 第3章では、カオスニューラルネットワークを用いた線条体のモデル化について説明した後、薬物療法、行動療法、外科手術による線条体のダイナミクスの変化について数値計算を用いて考察した。薬物療法のモデルでは、セロトニン再取り込み阻害薬が、縫線核から線条体へ投射されるセロトニンの量を増やすと共に、線条体ニューロンの不応性を増加させることで、症状の改善が引き起こされることを説明した。また、症状の改善に伴う線条体過活動の正常化は、線条体ニューロンの不応性増大が、ニューロンの活動を抑制する為に生じることを示した。行動療法のモデルでは、患者が強迫行為をやめている間に、上側頭回及び下側頭回の連合野から線条体へ入力される時変な信号が、コバリアンス則に従って線条体ニューロン間の重み付けを弱めることで、症状の改善が引き起こされることを説明した。また、症状の改善に伴う線条体過活動の正常化は、重み付けが弱まる際に、個々のニューロンヘの入力刺激の総和が減少することで引き起こされることを示した。外科手術のモデルでは、外科手術の各種手法が、皮質-線条体-視床-皮質ループ中に損傷を与えることにより、閉ループのフィードバックの効果を弱めると、線条体の発火状態が、強迫症状に関連した記憶情報から変化しやすくなることにより、症状が改善することを示した。最後に、薬物療法、行動療法、外科手術の各治療法が、線条体の記憶情報の安定性に及ぼす影響について議論することにより、これら3つの治療法の目的は、線条体の記憶情報の安定性を減少させることで、線条体の発火状態が強迫症状に関連した記憶情報に固定されるのを防止することであると、統一的に説明できることを示した。

 第4章では、本論文の結論として、本数理モデルから得られる強迫性障害の病理及び治療のメカニズムについて総括して述べた。

 第5章では、本論文の考察として、数理モデルの妥当性を実験的に検証する方法について説明し、強迫性障害のモデルと考えられる病気を有する動物により生体計測を行う方法、動物の脳から採取した試料を用いた電気生理学的実験による方法、強迫性障害患者に対する心理学的実験による方法があることを述べた。また、モデルの制限について述べると共に、今後必要となる研究についても併せて述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「強迫性障害の数理モデルに関する研究」と題し、手を繰り返し洗い続ける、何度も確認を行う等の固定的な行動(強迫行為)、あるいは思考(強迫観念)により特徴づけられる精神病である、強迫性障害の病理を説明する為の数理モデルを構築することを目的としたものであり、5章より構成されている。

 第1章の「序論」では、始めに強迫性障害について過去に得られた臨床データについて説明し、強迫性障害の治療法として、セロトニン再取り込み阻害薬を用いた薬物療法、患者に一定時間強迫行為を行わない様にさせる行動療法、脳内の限定した部位に損傷を与える外科手術の3つの治療法が存在すること、治療の成功に伴い、患者に特有の線条体、眼窩皮質の過活動が正常化することを述べている。また、これらの治療法の治療効果と、治療による脳内の過活動の正常化を統一的に説明するという本論文の目的について述べている。さらに、過去の強迫性障害の数理モデルについて概説している。

 第2章は「基本概念」と題し、強迫性障害の過去の生物学的モデルに関する議論を基に、線条体に強迫症状に関連した記憶情報が保持されており、線条体が皮質-線条体-視床-皮質ループの活性化を通じて強迫症状を引き起こすというモデルの基本的な仮定を導いている。

 第3章は「提案する数理モデル」と題し、カオスニューラルネットワークを用いた線条体のモデル化について説明した後、薬物療法、行動療法、外科手術による線条体のダイナミクスの変化について数値計算を用いて考察している。薬物療法のモデルでは、セロトニン再取り込み阻害薬が、縫線核から線条体へ投射されるセロトニンの量を増やすと共に、線条体ニューロンの不応性を増加させることで、症状の改善が引き起こされることを説明している。また、症状の改善に伴う線条体過活動の正常化は、線条体ニューロンの不応性増大が、ニューロンの活動を抑制する為に生じることを示している。行動療法のモデルでは、患者が強迫行為をやめている間に、上側頭回及び下側頭回の連合野から線条体へ入力される時変な信号が、コバリアンス則に従って線条体ニューロン間の重み付けを弱めることで、症状の改善が引き起こされることを説明している。また、症状の改善に伴う線条体過活動の正常化は、重み付けが弱まる際に、個々のニューロンヘの入力刺激の総和が減少することで引き起こされることを示している。外科手術のモデルでは、外科手術の各種手法が、皮質-線条体-視床-皮質ループ中に損傷を与えることにより、閉ループのフィードバックの効果を弱めると、線条体の発火状態が、強迫症状に関連した記憶情報から変化しやすくなることにより、症状が改善することを示している。最後に、薬物療法、行動療法、外科手術の各治療法が、線条体の記憶情報の安定性に及ぼす影響について議論することにより、これら3つの治療法の目的は、線条体の記憶情報の安定性を減少させることで、線条体の発火状態が強迫症状に関連した記憶情報に固定されるのを防止することであると、統一的に説明できることを示している。

 第4章の「結論」では、本論文の結論として、数理モデルから得られる強迫性障害の病理及び治療のメカニズムについて総括して述べている。

 第5章の「考察」では、本論文の考察として、数理モデルの妥当性を実験的に検証する方法等について述べている。

 以上、本論文は、精神病の一種である強迫性障害の病理に関する数理モデルを提案したもので、線条体のダイナミクスについてカオスニューラルネットワークを用いて考察することにより、強迫性障害に有効とされる薬物療法、行動療法、外科手術の治療効果、およびこれらの治療に伴う線条体の過活動の正常化を、神経回路のダイナミクスの変化として統一的に説明したものであり、電子工学および生体情報工学に貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51169